愛を読むひとのレビュー・感想・評価
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原罪
巧妙に組み立てられたスリラー。
ハンナが頑なに守ってていた事に、価値がなかったとしたら?
文盲(もんもう)という秘密。
このハンディをハンナが恥じて頑なに言えなかった事に、
ハンナの人生は狂わせられ、結果的には最後には
自殺を選ばねばならなかった。
非常に巧妙に仕組まれた原作とその映画化作品。
ハンナは文盲の電車の車掌でした。
15歳のマイケルはハンナの家に行きハンナから
愛の手解きをうける。
夢中になるマイケルだったが、ハンナは
マイケルに本を読むことを頼んでくる。
しかしハンナは急に居なくなってマイケルの前から姿を消す。
次に再会した時ハンナはナチスの看守として、
ユダヤ人300人の死に関わった罪で
裁かれる被告になっていた。
15歳でハンナに本を詠み聞かせしていたマイケルは、
その時は法科大学の学生で弁護士を目指していた。
授業の一環です裁判を傍聴したのだ。
ハンナは看守としてユダヤ人が収監されている講堂が爆撃されて
炎に包まれているのに、鍵を開けずに閉じ込めて死なせた容疑。
看守は5人居たのに、頑なに過失を認めず、
書類にサインすることを拒絶する。
その時マイケルは気づいたのだ。
ハンナが字を書けないことを、それでサインが出来ないことに。
しかしマイケルは知らんふりを決め込んだ。
ハンナを擁護しなかった。
保身に回ったのだった。
ハンナは他の賢い看守たち4人の罪を被り終身刑になる。
本を読むこと、
物事の真理を考えること、
思考すること、
正しい道を自分なりに選ぶこと、
ハンナは何年も刑務所に服役して、自分の侵した罪を理解しただろうか?
なぜユダヤ人が焼け死ぬのを見殺しにしたことが罪なのか?
分かったのだろうか?
分からなかったのではないだろうか?
ユダヤ人は動物以下と教えられ、素直に信じた。
ハンナは変われなかったのでは?
ユダヤ人差別から抜け出せなかったのではないか?
無知の悲しさ。
頑なさの沼。
マイクにしたって、死んだハンナの墓にお参りしても、
知らん顔を決め込んだ罪は償えない。
やり直しはきかないのが人生。
重い余韻が残った。
運命というものの重み
人と人が出会ってしまうことの重さを感じた。原作も読みたい。
ハンナに対する同情、生き残ったユダヤ人の怒りの両方が伝わる。
マイケルの中の、相反する感情がどんどん濃くなっていき、心に染み付いていく様子。ハンナへの愛と罪の意識。許しを乞う人間の姿は辛い。
頭の固いおっさんと、意味不明な行動。
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主人公の少年が病気で、道で倒れた時、女性が助けてくれた。
それがきっかけで、少年は女性を好きになり、2人は同棲生活を始める。
少年は性の手ほどきを受けたが、逆に本を読んで聞かせる事を求められた。
女性は文字を読めず、またそれがコンプレックスなのだった。
法学部に入った主人公は、この女性が容疑者の1人である裁判を傍聴する。
看守だった主人公達が、火事の際に囚人達を見殺しにした事件だった。
この女性はハメられて首謀者に祭り上げられ、懲役を食らう。
裁判は、女性の筆跡鑑定により判断しようと言う流れになったのだが、
文字を書けない事を知られたくないため嘘の自白をしたのだった。
主人公はそれに気付いたが、黙っていた。
刑期はかなりの長期で少年もおっさんになったが、
その間中おっさんはテープに物語の朗読を録音し、送り続ける。
女性は刑務所の図書館で原作を借り、照らし合わせる事で文字を学ぶ。
刑期も終了間近となり、おっさんは女性の身元引受人になる。
そして刑務所内で一度会い、少しの会話をする。
ところが女性は出所の日を前に自殺してしまった。
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うーん、理解不能な点が多かったなあ。
このおっさんは一体何を考え、何故そのような行動を取ったのか?
まあ裁判で彼女の濡れ衣を晴らさなかった件については、
彼女の意志を尊重したのだとも取れる。
でも、だとしたら彼女はまさに被害者ということである。
一応罪にはなるかも知れない、でも本来は微罪なのである。
なのにこのおっさんは女性を犯罪者扱いして上から目線で扱っている。
例えば、テープは送り続けたが、彼女からの手紙に一切返信しない。
何これ?読み書きすら出来ない哀れな女に対して、
テープを読んで送って上げてるって態度にしか見えなかった。
そして最後に会った時、過去の事をどう思うかを聞いた。
女性は自分達の恋愛の思い出話の事と思って笑顔で話し始めるが、
すぐに遮り、自分の罪を反省したのかの話だと言った。
お前はどんだけ上から目線やねん、アホかっての。
女性は長い孤独の末に出会えたこのおっさんに甘えたかった。
それとなく手を机の上に差し出すが、男は軽く触れるだけでスルー。
お前は女心ってものがわからんのか?だから離婚されるんやって。
ホンマに頭のかたーい、自分の考えを押し付けがちな、
学校に子供を通わせずに自宅で家庭教師をつけたりしがちな、
欧米の古くさーい、カトリックの親父っぽさ満開やった。
日本人にはこのおっさんの意図は理解できないのではないだろうか。
それともこのおっさんでなく、女性側に感情移入せよって事?
いやそういう描かれ方もしてなかったし、全く意味不明。
気持ちの潔さが哀しい 死んだ人は戻らない
何とも前後半のギャップが激しく、考えさせらる映画だった。「青い体験」のような年上の女性との恋愛、時を経て驚愕の事実を知らされる。主人公だけでなく、下準備なしの観客も。いろんな思いが錯綜し、後でじわじわ蘇る感動。
軍事裁判で責められる彼女から、ようやく原題の事実を知る。現代では「文盲」も「無学」もやる気と機会があれば取り返しができるだろう。当時のドイツだけでなく、日本もソ連もヒステリックなまでの全体主義的統制社会で、自分の弱みを正直に話せたか? おそらく破滅的行為で、彼女自身が劣等市民として収容所に入らなくてはいけなかったかも。そんな葛藤が自分だけの秘密となり、忠実な党員として身を守るしかなかった。「あなたならどうしましたか?」 単純だけど厳しく辛辣な一言だった。
一方で、向学心の灯を消さなかったのだと思う。だから、ラスト近くの再会シーンの違和感もわかるような気がする。彼女は昔のように、物語を聞きながら仲睦まじく勉強したかったかな? 一方、彼は、虐殺に加担した彼女の行為を許しきれなかったか? 経済的援助も生活支援もするが一歩踏み出せない彼の印象が、出所後の生活不安や社会復帰の困難さを解消できなった? 残された部屋で呆然と立つ彼女の視線も、頭を抱える彼の姿も、なんとも哀しい。彼女が、勉強した本を足台にする気持ちは思い出しても辛い。
二人とも、気持ちの根底は、「死んだ人は戻らない」だったのか?
ケイト・ウィンスレットの女優賞は文句なしでした。
相似形の魂
見過ごしてきた作品のゲオ旧作鑑賞です。
何故マイケルは、あのとき踵を返してしまったのか。何故手紙に返事をしなかったのか。原作を読んだことはありませんが、最初は自身の恥ずかしい秘密が白日のもとに晒されるのを恐れたからという印象が強くて「最低野郎」だなと思いましたが、色々解釈の余地を残しているようにも思えました。(以下ネタバレありです)
もし踵を返さず、真実を語っていたらどうなったのか。
ハンナは多分無期懲役を免れたかもしれませんが、彼女があえて罰と引き換えに守った秘密を白日のもとに晒すことになります。映画「砂の器」の指揮者が自分の出生の秘密を守るために罪を犯したように、その秘密はロマである彼女にとっては、自分のいのちより大切なものだったのかもしれません。指導教授が促したような真実や正義の回復ではなく、一度は愛した彼女の意思と希望を最大の利益と考えて行動した結果だったのかもしれない・・今はそう思います。助けたいけど助けられない・・矛盾に引き裂かれた彼の心の苦しさを思うと胸が痛みます。
何故手紙に返事をしなかったのか。
それは多分彼女が犯した罪をマイケル自身が整理仕切れていない面もあったのだと思いました。最初で最後の面会のとき、マイケルはそのことをはじめて尋ねていましたから。多分法廷での彼女の証言を聞いて、彼女自身の心の中で自分がしたことの意味の整理がつくまでは、時間がかかる。それができるまでに手紙のやりとりをしても破綻に終わることが彼には目に見えていたのだと思います。だから彼は本を読むことに徹したのではないか。そう思いました。
「あなたならどうしましたか?」ハンナが法廷で語った言葉に裁判長は答えられませんでした。同じように私はマイケルの罪を糾弾できるようには思えません。つまり、法的な罪と道義的な罪の違いはありますが、糾弾しきれない罪を負ったという点で、二人は相似形だったように思います。その根っこには多分歴史の矛盾があったのでしょう。切ないです。
自責の念にとらわれて生きざるを得なくなった二つの孤独な魂は、ある意味夏目漱石の「こころ」の「先生」や、シドニールメットの名作「質屋」の主人公に通じるものを感じましたが、最後彼女に向き合うことができた彼の方は、これらの主人公とは若干異なり、ほのかに明るい希望のもてるものになっていたように思います。それがまたしみじみ良いなと思いました。
いろいろな解釈を許す作品は、観る者の経験や性格と化学反応をおこして
見る人一人一人の心に深い余韻を残す場合があるように思います。本作もまさにそういう映画で、見逃した作品にもやはりとびきりよいものがあるな。改めてそう思いました。
「チャタレイ夫人」がわいせつ?お前が言うな
高校時代の授業で西欧文学の特徴である“秘密性”が講義される。主人公の秘密を読者に知らせないで想像力をかき立てる手法らしいが、この作品自体もハンナの非識字者であることを秘密に・・・ではあるけど、かなり序盤に予測できてしまうストーリーの弱さはあった。法科学生の実習でマイケルが気づいたように描かれるものの、二人で旅した時に気づかなければおかしい。しかし、恋は盲目。気づきながらマイケルは心の奥に閉まったままにしておいたのだと想像してしまいます。
マイケルとハンナの蜜月時に電車に乗ったことを怒ったハンナだったが「誰にも謝る必要なんてない」などと言ったことも興味深い。とにかく秘密の多い女性というイメージを持ったままハンナはいなくなってしまう。そして再会したのはマイケルが法科学生となった8年後のこと。
公判でも罪を認めたが謝罪はなかったハンナ。爆撃により火災が起きた教会の鍵を開かなかった罪が問われたのだ。「社会を動かしているのは“道徳”じゃなく“法”だ」と講義する法科のロール教授(ブルーノ・ガンツ)。道徳的にはユダヤ人を助けるべきだが、SSに所属し看守を務めていたハンナにとっては鍵を開けないことが秩序を守る唯一の道だったのだ。
6人の女性看守の内、ハンナには責任者だったとして唯一人重い無期懲役の判決が下され、仮釈放されるまで20年服役。刑務所内では学ぶことなどない!と主張する生き残りのユダヤ人マーター。ではハンナは何を為したのか・・・マイケルが送っていた朗読テープによって独学で読み書きを学んだ。それが贖罪になるのかどうかはハンナにとってもマイケルにとっても判断に迷うところ。マイケルの人生を変えてしまった事実についてもマーターは問う。
ホロコースト、特にアウシュビッツにおける大量虐殺については触れないが、法を教えるブルーノ・ガンツが『ヒトラー~最期の12日間』(2004)でヒトラー役を演じていたことも興味深い。最近の戦争犯罪を扱う映画なんて、上からの命令には逆らえないというテーマ一辺倒であるため、文盲であることを隠すプライドにより刑罰を受けるというユニーク性もあった。その事実に気づきながら公判に対して何もできなかったマイケルには賛否両論あろうけど、美しき初恋・初体験の思い出を引き出しに閉じたかっただけなのかもしれません。
もう一つ興味深いのは何度も繰り返し朗読されたホメロスの「オデュッセイア」。テーマは帰郷homecomingだ。故郷を夢見て旅する物語の一節が何度も登場するが、緋識字者であることも併せてハンナが故郷を持たないロマ人だったことが窺える。ユダヤ人と同じように差別を受けていた民族。被差別の側として生き残るためにはSSに入隊するしか道がなかったのとも読み取れる。そんな故郷を持たない彼女はマイケルが迎えに来てくれても自分の居場所がないことを悟ったのだろうか。自殺の真の理由は色々と想像できますが、それよりもマイケルへの感謝の気持ちに溢れていたことが泣ける。3回目の鑑賞となりましたが、やっぱり泣ける。
ちょっとよくわからない
前半は魅力不足の男女のダラダラ恋愛劇が続いて1.5倍速しましたが、後半結構サスペンスフルになってそこそこ面白い。
ただ、話のキーになる彼女の「文盲」が最後まで全く分からず、わかったとしても、だとしたら何なのか?そもそも彼女は冤罪だったのか?
更に、最後にNYで会った女性は誰なのか?彼女との会話にどういう意味があるのか?
娘に何を話したかったのか?話されたって困ると思うけど?
てなわけでよくわからないので3点です。映画としては4点ですけど。
テーマ性の強い作品なので、もう少しわかり易く描いた方がいいですね。
邦題に騙されたが、良い映画だった
原則として予備知識なしで映画を見るので、この映画の前半を見る限り、年上の女性との恋愛物語で、逢引きの際には必ず本を読ませるという何かロマンチックなストーリーかなと思って見ていた。
ところが途中からとんでもなく重いテーマに展開していき、かなりの驚きだった。この映画も戦争の悲劇を描いたものだった。
いやぁ、深いわぁ〜(^^;)
色んな方のレビューを読ませて頂き、色々と考えさせられます。
やっぱり愛なしでは、あんな大量の本をカセットテープに吹き込むなんて(録音は2つのボタンを押すという懐かしさよ!!)できないよなあと思い観ていましたが、、、
返事の手紙は書かないし、ましてや受け取った手紙は足で蹴って引き出しに仕舞い込む。面会の会話もなんだか冷たい問いかけ、、、
おいおい、坊やのただの罪滅ぼしかぁ〜(^^;)
おまけに、娘には言うたらあかん!
に、反して、ケイトはアカデミー賞だったんですね、納得!
面会時は、もう生きる希望も無くしてか、老いて精のない顔色も悪かったのに、「昔を思い出す?」と聞かれて一瞬パッとほほに赤みが差したのも束の間、質問の意味にハッとして絶望感が、、、
文盲を隠してたけれど、本から字を覚えて、独房に本棚まで作ったのに、最後はその本を踏んで死を選ぶなんて、なんて悲しい描写、、、
最初の出会いからなんとなく哀しみを背負い込んだケイトの顔や体がとても印象的でした。
愛と分断の物語
ずっと観たかった作品の一つ。
他の方のレビューともカブってたんですが、これは、ラブストーリーよりもヒューマンの棚に置かれるべき作品だなと思いました。
ただ、、そうだな、思った以上に生々しい描き方をしていて、綺麗にまとめてない感じに対して好感を持ちました。
しいて難点を挙げるなら、キャストがみんな英語圏の人なので英語しゃべっててフンイキがいまいち出ないところと、終盤のユダヤ人女性とのやり取りがクドい(何度も顔を交互に映す演出とか)、っていうところぐらいかな。
あとは、レイフ・ファインズの青年時代役の子もよかったし、もちろんレイフ&ケイト・ウィンスレットも。ガタイがいいから、がっちりしたドイツ女性の役、合うね。
青年に押される形でのサイクリング旅行。教会の聖歌隊(児童合唱団的なの)に感動してるケイトに感動。彼女(ハンナ)の人生で、きっとこれまでほぼ縁のない世界だったんだろうね。
個人的には、マイケルには裁判の傍聴席から彼女の為に叫んでほしかったんですけど(笑)そんな訳いかないんですかね、、
熟女と青年。文盲とインテリ。戦争と平和。対(つい)になるものが多い作品だなと思いました。 そして現代ドイツと一言で言っても、時代の壁によって大きく分断されているのだな、とも。 ハンナは文盲ではあるけれどもある意味ですごく真面目で、信じきっちゃったんでしょうね。自分達のしていることが、本当に「アーリア人の未来のため」なのだと、、
法科ゼミで息巻いてた青年と同じく、私も、法廷で元看守のおばちゃん達を吊し上げて済む事なのか、当時のドイツ国民全体が盛り上がって皆が見過ごしていた事ではないのかと、遠い異国の人間ながら思いますけどね。
The keeper の10年前の The Reader
最近見た「キーパー」、「バルーン」のデヴィッド・クロスが若い時の名作を観賞しました。年上の女性役のケイト・ウィンスレットがどんな感じなのかと期待してでもあります。
マイケルが教授に「被告人が隠している事実を知っています」と言う場面で、初めてハンナが裁判での筆跡鑑定を拒み、自分が書いたと証言をしたのは、もしかしたら字が書けないからか?と気づき、朗読を欲したのは読めないからなのだと、やっとわかりました。サイクリング旅でのメニューを差し出されたとき、マイケルに注文をあずけるシーンでのケイト・ウィンスレットの目の表情の演技には胸が締め付けられます。車掌から事務職に昇進を言われたあとのストレスの演技、黙ってアパートを去るシーン。どれも名演技。
邦題が「愛を読む人」だから全然気がつきませんでした。もう少し、邦題なんとかならなかったかなぁと思いますが、邦題がネタばれになるのも野暮ですから、まあ、よしとしましょう。
デヴィッド・クロスは実際にバンドボールの名選手だったので、ハンナに手解きを受けてセ○クスと朗読を誉められてから、自分に自信がついて、学校生活にもやる気が出たことを表す場面として、体育の授業のハンドボールでバシバシとゴールを決めるシーンがちょっとだけですが使われておりました。
しかし、裁判で、罪が軽くなるとわかっていながら行動に出られなかったふがいないマイケル。ハンナの秘密を隠すことの方がハンナのためだと逡巡したのだろうけど。ハンナの電車にハンナにキスしようとマイケルが乗ってきたことをハンナが怒るシーンで、「あなたなんか怒るほどの相手じゃない」と言ったセリフが後半にも効いているような気持ちになりました。文字が読み書きできなことの辛さに、本当の意味で寄り添えなかったお坊ちゃんのダメダメ物語。せっかく、ハンナが片言の文章を書けるようになって(英語とドイツ語では文法が違うから、The から数えて犬とか奥さんとかは当てられないと思いましたけど。それと、ドイツ語で書いて欲しかった❗)、返信ちょうだいねって書いても、手紙の返事も出さないし、面会にも行かない。テープレコーダーが出始めた時代になってから朗読テープを送るだけ。残酷です。最後、刑務所の食堂で「あの頃のことを思い出すことはありますか?」とハンナに聞く。ハンナが、「私たちのこと?」と聞き返したのに、無視。ハンナからの手紙をしまう引き出しを足で蹴って閉めていましたよね。
思春期の【娘】に自分の初体験の相手の話してどうするのよ?息子ならまだしもと思いました。レイフ・ファインズがお気の毒でした。なんで、返事を書いてあげて、手紙の引き出しも手で丁寧に閉めないのかい❗アパートを借りてあげて、サイクリングに行った時のような木立の絵を飾っていたのに。わからんやっちゃ。所詮、男と女はすれ違いなのですかね?
アカデミー主演女優賞のケイト・ウィンスレットの魅力満載の映画でしたがモヤモヤしました。
タイトルなし(ネタバレ)
ラブストーリーというより
人間ドラマ。
15歳の少年が21歳年上の女性とひと夏関係をもつ
8年後に再会した時には法学部の学生と元ナチの看守の被告としてだった。
なぜ彼女はそんな仕事をしたのか
なぜ看守のリーダーだった事を否定しないのか
彼女は文盲でありその事をひた隠しにしていたのだ。
そこに気づいたのはマイケルだけだったけれど
彼女との関係を周囲に知られる事や関わることを恐れて
言い出せず彼女は無期懲役に。
数年経ち彼女へ朗読のテープを贈る事を思いつき
それは彼女の心にも未来への希望を抱かせ文字を学ぶようになる。
覚えた文字でマイケルに手紙を送るが
朗読のテープだけで、手紙の返信はくれる事がなかった。
その事でマイケルから自分へ愛はなく
同情だと気づく。
憐れみをうけながら塀の外で生きて行く事を拒否するかのように自らの命をたつ。
タイトルなし(ネタバレ)
マイケルは年上の官能的な姿に魅了され、ハンナも若い男の体を見て、抑えられない部分もあったのだろうが、朗読してもらうことが第一の目的だったのだろう。
なので、お互い不純な関係だなと初めは思った。
でも観ていると、マイケルの素直な気持ち、ハンナも曖昧な感じだったけど、マイケルのことを愛しているんだなと思い、純粋な恋に感じた。
そこで、マイケルがただ官能的に惹かれたわけではないのかと思い始めた。ハンナがブラジャーをアイロン掛けしているシーンはただ興奮しているわけではなく、彼女の几帳面な姿にも魅了されていたんだなと思った。
2人が関係を深めていく中で、なぜハンナが自分で本を読もうとしないのか?という疑問が湧き、そして突然見せる、激情的な面に違和感を感じた。そこで彼女が文盲であること、そして何か後ろめたいことを隠していることを暗示しているんだなと感じた。
そして彼女の後ろめたい過去の正体がホロコーストに加担していたということが分かるが、そのことよりも文盲であることを隠そうとしたことに驚いた。
マイケルはそんな彼女を救おうと考えたが、踏みとどまる。
彼女の知られたくない事実を隠したいという思いもあったが、同じドイツ人でもホロコーストに加担した者に対する嫌悪感があり、守ろうとすることで世間から批判されることを恐れたからなのかなと思った。
ただ、ナチスの人間を同じドイツ人が裁くのはどうだろうかと思った。ホロコーストに関与していないとしてもヒトラーを支持してしまったのは彼らだし、過去の罪を恥じて、どうしても正義を行わなければというバイアスが掛かるんじゃないかと思った。
マイケルは話し合わず、救わない選択をしたことで後ろめたさ、後悔を感じたから朗読したテープをハンナが服役している刑務所に送ったのだろうと思った。ただ、ハンナが字を学び、送った手紙に返事を送らなかったのは、彼女への思いが深まってしまうから、ホロコーストに関わった者に対する何を言えばよいのか分からないからなのかと思った。
ハンナが自殺したのは、文字を読むことができるようになり、目を背けていた過去の行いに向き合い、マイケルに戦時中行った行為について何を感じたか答えた時の彼の嫌悪感によって自身の行った行為を理解し、絶望したからだと思った。
マイケルはハンナの死から、彼女が変化したことを知り、自身も心を開く決意をしたのだろうと思った。ただ、娘の立場としては、サプライズと称して昔関係を持った女性の話をされても困るわと思った笑
男が無理だった
15歳の少年が21歳年上の女性と出会ってひと夏の恋をして、その後ある裁判で再会する話。
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前半はすごいロマンスラブストーリーの雰囲気だけど、後半から空気が変わる。だからラブストーリー苦手な人も大丈夫というレビューをちょくちょく読んだけど、私は苦手だった(笑)ごめんなさい(笑).
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いや何があかんって、この男が中途半端。裁判でハンナのことを助けないのはまぁいいけど、その後何十年もたった後に録音テープをハンナに送るという謎の優しさ。
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それなのに手紙への返事はしない、愛に行っても素っ気ない。なんかテープ送ることが、この男のエゴにしか見えなかった。
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たぶんこれ、映画より小説で呼んだ方が面白い気が。
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ただの感想
ケイト・ウィンスレット
レイフ・ファインズ
ケイトウィンスレットがアカデミー賞主演女優賞を受賞。
裁判の傍聴の場で、初恋の人と再会するのってどんな気分なんだろう。検事から追い詰められてるだけでなく、他の被告人からもはめられてるのを主人公が間近で見てるなら、普通のドラマならその主人公が怒鳴り出すはず。それを敢えて黙ってるんだもんな。
客観的見て正しいことと、その人の個人としての尊厳を守ることは時に矛盾・衝突することがある。
無期懲役を言い渡されたハンナに、自分の声を吹き込んだ朗読テープを送るマイケル、粋な計らいをすると思った。彼女に送るなら、これしかないと思ったんだな。ハンナが自殺したのは意外だった。最後までマイケルのことを「坊や」と読んでいたし、その彼に身元保証人と元囚人という関係になってまで自分の面倒を見てもらうのはプライドが許さなかったのかな。オデュッセイア、読んでみよう。
ナチスの残したもの…愛への尊厳への冒涜
愛を読み間違えた人々。
「あなたの意図を理解しろって?あなたの意図を理解できるようになるまでつきあえないでしょ」冒頭シーンの言葉。この映画の全てが言い表されている言葉だと思う。
マイケルは何故、ハンナを助けなかったのか、そして最後に奈落につき落したのか?マイケルにしてみたらハンナを愛しているからこそ、ハンナを許せなかった、受け入れがたかった、わかってほしかったのだと思う。
愛する人ハンナは「任せられた仕事を責任もって忠実にやっただけだ」という。「施設が一杯でどうにもならないから弱ったものを別の施設に送っただけだ」という。「それの何が悪い?問題?あなただったらどうする?」なぜ批判されるのか本当にわからないという表情で戸惑うハンナ。与えられた仕事を責任もってやることにプライドを持っているハンナには、法廷で問い詰められていることが理解できない。あのレポートを自分が書いたことにしてしまう前から、頓珍漢な自分の首を締めるような発言を繰り返す。
何が問題なのか。
あの第二次世界大戦の頃、ユダヤの方々は家畜(以下か)としてみなされていたとアウシュビッツを訪れた時に説明を受けた。例えば”売れる”ユダヤの方の髪を刈り取っっていた。そう羊の毛を刈るように。馬の蹄鉄を、牛の鼻輪を屠る前に取るように、ユダヤの人々から、眼鏡を金歯をとった。その残骸の山がアウシュビッツに展示されている。
施設にいるのが家畜なら、教会に押し込められているのが家畜なら、ハンナのとった行動はどう評価されるのだろう。施設に許容以上の家畜を詰め込めば疫病が発生し全滅するから許容量まで間引かなければならない。火事でパニックになっている村に、火で興奮している牛を馬を犬を放てば、村人が危険だ、なら家畜を諦めるしかない。たぶん大方の人はそう判断するのだろう。動物愛護の方からは批判されるだろうが。
問題なのは、人間を人間としてではなく家畜として見てしまうこと。
愛の表現の一つのはずだった朗読を、ハンナは収容所でユダヤの少女にも課していた。それを知ったマイケルはどう思ったのだろう。誕生日に可愛い坊や=愛しい人をどうやって喜ばそうかを考えることなしに(そもそも誕生日を聞くこともなしに)、自分の感情のまま動くハンナ。マイケルはハンナを「怒らすことすらできない存在」と言い放たれる。ハンナは最後までマイケルを「坊や」と呼び固有名詞マイケルとは呼ばない。刑務所からでさえ命令するだけの関係。上下関係だけの関係。ハンナはマイケルの愛を読むことすらしない。
自分もハンナにとってはペット(家畜)だったのか。私ならそう勘繰ってしまう。そんなふうに思われるのは愛しているからこそ耐えられない、決して認められない。でもハンナはそんなことをマイケルに言われても理解できなかったのではないか。ペットだって家族の一員でしょ?何が問題?と真顔で返されそうな気がする。
さらに追い打ちをかけるのが、愛する人の生きざま。愛する人が犯した罪ーしかも、それを罪と自覚していないーことをどう受け止めたらいいのか…。
そして出所を巡るシーン。
出所を控え、面会する二人。
仕事を忠実にやるということ以外、誰からも見向きもされなかったハンナ。唯一、”坊や”以外には。そんな大切な思いをマイケルは全く顧みない。
「何を言っても死んだ人は帰ってこない」この言葉をマイケルは”後悔していない”ととる。命の・死の重みを知っているからこその言葉でもあるのに。
ここでもお互い愛を読み間違える二人。字が読めなかったけど感受性が優れていたハンナに対して、マイケルは理論家の法律家だ。言葉・行動等何らかの”目で見える”形でのやりとりに重きをおく。
映画は世間の人々へもたたみかける。
「あの被告席に座っている人に全ての罪を押しつけているけど彼らだけが罪?彼らがそうしているのを知っていたのにも関わらず、止めもせずに観ていた人たちの罪はどうなんだ?」
マイケルがハンナの判決を覆そうか迷い、教授に相談する。教授は答える。「法律家なら感情を排して法の元に動くべきだ」それって、ナチスが正しいと信じて、ナチスの言うとおりに感情を排して仕事したハンナと何が違うの?
そしてラスト。
マイケルがホロコーストの生存者に会いに行く。ハンナが収監されているうちに勉強して(人の心を取り戻して)貴方への謝罪としてお金を残したと。生存者はきっぱり言う。「収容所は何も生み出さない」そしてハンナが大事な物を入れていた缶だけを手元に残す。それは少女の日の思い出を取り戻すことでもある。また、ユダヤ人だってドイツ人と同じように大切な物は缶の中にしまう同じ人間なんだよというメッセージにも聞こえた。
原作未読。
原作だと、朗読・識字を通してハンナが変わっていく様子が綴られていると聞くが、映画では割愛。なので『reader』より、『愛を読み間違えた人々の物語』の方があっている気がする。
しかも、原作だとハンナはロマらしい。となると、ナチとの関係、犠牲者との関係(ロマもユダヤ人と同じく、収監対象)、世間の中でのロマへの扱いと、さらに物語は様々な局面を見せて、複雑化する。
あの時代に生まれていたら、私はどう行動したのだろう。
こんなことニ度と起こってはいけない。
人間とは、愛とはと、恋愛以外の愛を問いかける不朽の名作。
でもヨーロッパやアメリカではナチスのことは自明でも、
日本人が見るにはちょっと説明不足かな。
無知の怖さと純粋な愛
自然と涙が溢れてくる。
字が書けない、教養がないことがどれだけ恐ろしいことなのか、、、
女性で学習できない人もいた時代で、そういう人も仕事はする。できる仕事も少ない、ナチスと関係ある仕事になってしまう場合もある。彼女は優しい心を持ち、教養がない中で必死に生きてた。それがこの結果を生み出した。
彼にとって彼女は永遠に心に残り、そして、人生を変えた。彼のおかげで、字を覚え、大きな世界を知った彼女にとってこの世の中は辛いものだった。。もうかわいそうすぎた。看守の仲間にも騙され、字が書けないことも言えない。それで、彼女だけが大きな罪に。もちろん罪は罪だ。しかし、悲しすぎる運命だった。
最初は身体の関係、そういうシーンも多いけれどどんどん深い部分に入っていく、もう辛いものだった。切なすぎる。
キャスト選びが秀逸
明確な答えが出たわけではないけど、余韻が残る作品だった。
特にケイト・ウィンスレットの老いた姿は秀逸。亡くなったばかりのブルーノ・ガンツが出てるのを知らずに観たので嬉しさと悲しみが交差した。他の俳優全て配役が良かった。
ハンナの自害に至る心の動きが欲しかったのが本音だけど、それは前半の失踪の理由と重なる不安からと読み取った。それが違うのであればやはりシナリオの不足だろう。
とあるサイトのレビューに、原作ではハンナがルーマニア出身とあり、映画では触れていないと書かれていて、ルーマニアと言えばロマ族=ジプシーすなわち読み書きが出来なかったとあった。
これまでナチスものの映画を数本観たが、改めて戦争は誰も1mmも幸せにならない。どこまでも虚しい。
どうしてなんだろう
15歳の坊やが体調不良のところ助けてもらった大人の女性の色気に誘われてしまい、関係が始まり。
読み書きができない彼女は、彼に本を読んでもらうことがとても好きだった。
列車の切符係だった彼女は真面目なので、事務職に昇進の声をかけらる。
が、読み書きができず、それを恥ずかしいと思っていて打ち明けられず、突然仕事を放棄し家を出て彼と離れ離れに。
長い年月の後に再開したのは、彼が法科大学に進学し、勉強の為に行った裁判の傍聴席。
彼女はアウシュビッツの看守をしており、600 人もの囚人を殺した罪に問われていた。
彼女は同罪に問われていた看守達から罪を着せられて、そこで正直に読み書きできないことを打ち明けていれば罪は軽くなったのに、そこでも打ち明けられず無期懲役に。
傍聴していた彼は、そこで彼女のことを打ち明けられたのにそれもできず。
面会に行き、彼女に打ち明けるよう説得もできたのに、それもできず。
結局彼は、助けることができなかった彼女を哀れに思い、刑務所にいる彼女に本の朗読を録音したテープを送り続ける。
彼女はそのテープに励まされ、それを使って読み書きを独学でできるようになり、手紙まで書けるようになる。
でも彼は彼女に一度も手紙の返事も書かず、面会にも行かない。
最後に初めて面会に行ったのは、彼女が出所することになり、身寄りが誰もおらず、彼が住む場所、仕事の面倒をみることになったから。
そして、いよいよ出所の時。彼女は刑務所で自殺を。
彼女は坊やの気持ちを弄んだし。
彼は彼で彼女に対して中途半端な愛を注いだように見える。
感動とか全然感じられず、何で見ちゃったのかなぁと思ってしまった作品。
やっぱりこの時代背景のは苦手‥‥
作中の伏線について考えてみた
1.ハンナが文盲であることを、マイケルが判事に告げなかった理由
ハンナの収容所での行為が「悪ではない」ことを、マイケルが確信できなかったため。大学のゼミで、マイケルは同級生と議論をする。「(ハンナら)元ナチの連中がした残虐行為は、当時の法律に照らせば無罪かもしれない」という教授に対し、同級生は「残虐行為自体が悪だというのに、当時の法律が許せば無罪だなんて、法とはいかに薄っぺらいものか」と激昂する。マイケルはこの同級生に反論ができなかった。マイケルはハンナの無罪を望んではいたが、彼女が「悪をなしていない」という確信を持つことができず、よって彼女を刑務所送りにする。
2.なぜハンナからの手紙に返事を書かなかったか
罪悪感・恐怖感のため。ハンナを収容所送りにした罪悪感から、マイケルは朗読テープをハンナに送り、償いの代わりとする。しかし(他の方も書かれていたが)、この「償い」はマイケルの自己満足。字が書けない筈のハンナから返信をもらったことは想定外で、望んでもいなかっただろう。自分が突き落とした相手(ハンナ)と、また面と向かって会話するなんて、罪悪感が強いほど拒みたくなり、それはハンナに対する恐怖感にも変わる。
3.マイケルが、出所直前のハンナと面会時、冷たい態度をとった理由
マイケルが期待していたようなハンナは、そこにいなかったから。あれだけハンナと(面会でも文面でも)会話することを拒んでいたマイケルだが、刑務所職員から「彼女が頼れるのはあなたしかいない」と言われ、おずおずと面会に向かう。そこでマイケルは「あのときのことをどう思うか」と、収容所における残虐行為に対するハンナの思いを問う。マイケルとしては「過去を悔やみ、改心したハンナ」を期待しただろう。「ハンナの行為は悪」と思って、彼女を刑務所に突き落としたのだから、ハンナが改心してくれれば、彼の行為は報われることになる。というか、そうなってくれれば彼の罪悪感は救われることになる。しかしハンナは「改心しても、人を殺めた事実は変わらない」と、過去を悔いる様子はない。マイケルは絶望し、ここでもハンナを突き放してしまう。「死の行進」を生き抜いたメイザーが言うように、「収容所はなにも与えない」のであり、ハンナは変わっていなかった。
4.なぜハンナは自殺したか。
マイケルが自分を受け入れてくれなかったため。刑務所でも、ハンナはずっとマイケルのことを思っていたのだろう。そうでなければ、わざわざ文字を覚えて、マイケルに手紙を出したりはしない。また面会時、マイケルから「あのときのことをどう思うか?」と問われ、「私たち2人の事?」と返すシーンも、彼女のマイケルへ向かう思いを感じさせる。しかしマイケルに突き放され、彼に受け入れて貰えないと悟ったハンナは、自ら死を選ぶ。まだ2人が出会ったばかりの頃、路面電車の中でマイケルに無視されただけで烈火のごとく怒ってた、激情家のハンナだからこその行動になってしまった。
5.マイケルの贖罪
2度ハンナを突き放し、結果彼女を死に至らせてしまったマイケルは贖罪をする。一つは、ハンナの遺言を実行して、メイザーにお金と「宝石箱」である缶を渡すこと。囚人たちを絶望と無気力・無抵抗に追い込むため彼らの大事なものを看守ハンナは奪っており、その一つがこの缶だった、と私は勝手に考えている。ハンナが為せなかったことを行った。
もう一つは、「ハンナ自身の物語」を朗読すること。様々な物語を愛し、朗読を聞いて時には笑い、時には泣いていたハンナ。その彼女自身のことを物語にして語っていくことが、最大の贖罪だとマイケルは考えたのかもしれない。だからラストの、墓場前で娘に向かってハンナの話をするシーンは、クライマックスとしてふさわしい。
ところで、なぜハンナは有罪判決を受けてまで、自分の文盲を隠そうとしたのだろうか。他の方が書いていたが、原作ではハンナはジプシーであるらしく、だとすると文盲を隠すこと=生きる手段という「習性」が、あの場で出たのかもしれない。一方、原作とストーリーは同じでも、そこに違う意図を製作陣が狙うのは常にある話。映画ではジプシー関連の話は全く出ていなかった。なので「激情家ハンナ」は文盲であることを極端に恥じ、それがばれるくらいなら無期懲役・ナチの汚名の方がマシだと思った、という解釈を私はしている。マイケルとサイクリングに出かけたときに、レストランで隣に座ってた子供に対し、ハンナは怯えているような不可解な視線を送っていたので、幼少期にトラウマがあるのかもしれないが。
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