愛を読むひとのレビュー・感想・評価
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原作よりずっと良かった
この映画を勧めて下さった皆様、ありがとうございます。やっと、配信ではありますが観ました。とても良かったです。ケイト・ウィンスレットが素晴らしい女優であることも改めて確認できました。彼女のしっかりした骨格がトラムの車掌の姿、裁判所での佇まいをきちんと格好良く見せてハンナの真面目さを表していました。そして繊細で戸惑いつつ決断する彼女の表情の豊さに引き込まれました。
原作が出てすぐ読み、私は主人公の男(ミヒャエル)に非常に怒りを覚えこの本が大嫌いになりました。もっと言えば許せませんでした。それがこの映画を見ていなかった理由の一つです。
映画では、マイケル(原作:ミヒャエル)役のデビッド・クロスがギムナジウムに通うまだ15歳でお行儀よく誠実で、初めての愛と経験にのめり込む男の子を可愛らしく素敵に演じていました。お家はインテリ。思春期の息子を見守る両親も良かったです。母親はその後もずっと息子を見ていました。ハイデルベルク大学で法学専攻になってゼミを受け、ハンナがまさに被告である裁判見学の時のマイケルの苦悩もまっすぐ伝わりました。
大人になり弁護士になってからのマイケルを演じたレイフ・ファインズも良かったです。ただ、なぜ返事を書かなかった?学習して文字が書けるようになった人と文通するなんて問題外とインテリのあなたは思ったのでしょうか?或いは「ナチ」と無関係でいたかったのでしょうか?あなたはどういう「弁護士」?
妻と離婚後も娘とはいい関係を持ち、ハンナが涙を流していた教会に娘を連れ「僕が15歳の時に…」と娘に語るという設定は懺悔でもあり美化と逃げも絶対あるでしょうが、悪くないと思います。というか許します。
ただ、釈放されることになったハンナに15歳の夏以来初めて再会して、彼女と交わした言葉と彼女に尋ねた内容を除けば、です。私がハンナの立場であれば彼女と同じ選択をしたでしょう。
評価の高かったこの映画を見ていなかったもう一つの理由は、原作がドイツ語で極めてドイツの話なのに映画での言語が英語だったからです。ベルリンの街も郊外(ポーランドやチェコでロケをしたのでしょうか)も明らかにヨーロッパ北部の風景でした。ブラジャーにアイロンかけるのも、体を洗うのに使うのが封筒型のタオルであるとか、法学専攻学生は学内でもネクタイしているとか、誕生日は何にもまして大切であるとか、恐らく今でもドイツで普通のことを細かく再現して映していたのは本当に良かったです。でも、あのナチ関連の裁判が英語でなされたこと、ハンナに朗読する作品は色んな言語が原作であっても全部英語だったのは非常に残念でした。裁判は言葉が命、そして朗読はドイツ文化の一つだからです。
でも、良かったです。
法学の教授がブルーノ・ガンツ!裁判で発言した、母と共に生き残ったユダヤ人役の可愛い娘がアレクサンドラ・マリア・ララ(「ラッシュ」でニキ・ラウダの妻役、「コリーニ事件」では主人公の父親代わりの娘役)!嬉しかった。
おまけ
思わず笑ってしまったのは石炭持って来いの指示。案の定、マイケルうまくできず顔が真っ黒。「アンモナイト」もそうでした!
いやぁ、深いわぁ〜(^^;)
色んな方のレビューを読ませて頂き、色々と考えさせられます。
やっぱり愛なしでは、あんな大量の本をカセットテープに吹き込むなんて(録音は2つのボタンを押すという懐かしさよ!!)できないよなあと思い観ていましたが、、、
返事の手紙は書かないし、ましてや受け取った手紙は足で蹴って引き出しに仕舞い込む。面会の会話もなんだか冷たい問いかけ、、、
おいおい、坊やのただの罪滅ぼしかぁ〜(^^;)
おまけに、娘には言うたらあかん!
に、反して、ケイトはアカデミー賞だったんですね、納得!
面会時は、もう生きる希望も無くしてか、老いて精のない顔色も悪かったのに、「昔を思い出す?」と聞かれて一瞬パッとほほに赤みが差したのも束の間、質問の意味にハッとして絶望感が、、、
文盲を隠してたけれど、本から字を覚えて、独房に本棚まで作ったのに、最後はその本を踏んで死を選ぶなんて、なんて悲しい描写、、、
最初の出会いからなんとなく哀しみを背負い込んだケイトの顔や体がとても印象的でした。
場面場面で涙が溢れ出ます。
初回は映画館で。その後書籍も買いました。何回かレンタルやVODでも見ています。37歳になった今、涙が止まりませんでした。また次に見た時、涙が出るかは分かりません。それがまた面白いですよね。
全ての登場人物、その行動一つ一つ、合点がいくんです。最後まで素晴らしい作品でした。ありがとうございました。
愛と分断の物語
ずっと観たかった作品の一つ。
他の方のレビューともカブってたんですが、これは、ラブストーリーよりもヒューマンの棚に置かれるべき作品だなと思いました。
ただ、、そうだな、思った以上に生々しい描き方をしていて、綺麗にまとめてない感じに対して好感を持ちました。
しいて難点を挙げるなら、キャストがみんな英語圏の人なので英語しゃべっててフンイキがいまいち出ないところと、終盤のユダヤ人女性とのやり取りがクドい(何度も顔を交互に映す演出とか)、っていうところぐらいかな。
あとは、レイフ・ファインズの青年時代役の子もよかったし、もちろんレイフ&ケイト・ウィンスレットも。ガタイがいいから、がっちりしたドイツ女性の役、合うね。
青年に押される形でのサイクリング旅行。教会の聖歌隊(児童合唱団的なの)に感動してるケイトに感動。彼女(ハンナ)の人生で、きっとこれまでほぼ縁のない世界だったんだろうね。
個人的には、マイケルには裁判の傍聴席から彼女の為に叫んでほしかったんですけど(笑)そんな訳いかないんですかね、、
熟女と青年。文盲とインテリ。戦争と平和。対(つい)になるものが多い作品だなと思いました。 そして現代ドイツと一言で言っても、時代の壁によって大きく分断されているのだな、とも。 ハンナは文盲ではあるけれどもある意味ですごく真面目で、信じきっちゃったんでしょうね。自分達のしていることが、本当に「アーリア人の未来のため」なのだと、、
法科ゼミで息巻いてた青年と同じく、私も、法廷で元看守のおばちゃん達を吊し上げて済む事なのか、当時のドイツ国民全体が盛り上がって皆が見過ごしていた事ではないのかと、遠い異国の人間ながら思いますけどね。
The keeper の10年前の The Reader
最近見た「キーパー」、「バルーン」のデヴィッド・クロスが若い時の名作を観賞しました。年上の女性役のケイト・ウィンスレットがどんな感じなのかと期待してでもあります。
マイケルが教授に「被告人が隠している事実を知っています」と言う場面で、初めてハンナが裁判での筆跡鑑定を拒み、自分が書いたと証言をしたのは、もしかしたら字が書けないからか?と気づき、朗読を欲したのは読めないからなのだと、やっとわかりました。サイクリング旅でのメニューを差し出されたとき、マイケルに注文をあずけるシーンでのケイト・ウィンスレットの目の表情の演技には胸が締め付けられます。車掌から事務職に昇進を言われたあとのストレスの演技、黙ってアパートを去るシーン。どれも名演技。
邦題が「愛を読む人」だから全然気がつきませんでした。もう少し、邦題なんとかならなかったかなぁと思いますが、邦題がネタばれになるのも野暮ですから、まあ、よしとしましょう。
デヴィッド・クロスは実際にバンドボールの名選手だったので、ハンナに手解きを受けてセ○クスと朗読を誉められてから、自分に自信がついて、学校生活にもやる気が出たことを表す場面として、体育の授業のハンドボールでバシバシとゴールを決めるシーンがちょっとだけですが使われておりました。
しかし、裁判で、罪が軽くなるとわかっていながら行動に出られなかったふがいないマイケル。ハンナの秘密を隠すことの方がハンナのためだと逡巡したのだろうけど。ハンナの電車にハンナにキスしようとマイケルが乗ってきたことをハンナが怒るシーンで、「あなたなんか怒るほどの相手じゃない」と言ったセリフが後半にも効いているような気持ちになりました。文字が読み書きできなことの辛さに、本当の意味で寄り添えなかったお坊ちゃんのダメダメ物語。せっかく、ハンナが片言の文章を書けるようになって(英語とドイツ語では文法が違うから、The から数えて犬とか奥さんとかは当てられないと思いましたけど。それと、ドイツ語で書いて欲しかった❗)、返信ちょうだいねって書いても、手紙の返事も出さないし、面会にも行かない。テープレコーダーが出始めた時代になってから朗読テープを送るだけ。残酷です。最後、刑務所の食堂で「あの頃のことを思い出すことはありますか?」とハンナに聞く。ハンナが、「私たちのこと?」と聞き返したのに、無視。ハンナからの手紙をしまう引き出しを足で蹴って閉めていましたよね。
思春期の【娘】に自分の初体験の相手の話してどうするのよ?息子ならまだしもと思いました。レイフ・ファインズがお気の毒でした。なんで、返事を書いてあげて、手紙の引き出しも手で丁寧に閉めないのかい❗アパートを借りてあげて、サイクリングに行った時のような木立の絵を飾っていたのに。わからんやっちゃ。所詮、男と女はすれ違いなのですかね?
アカデミー主演女優賞のケイト・ウィンスレットの魅力満載の映画でしたがモヤモヤしました。
「じゃあ、どうすればよかったのですか?」
ホロコーストの看守として職を得たハンナは殺人を犯したのか?
キツい差別の中で育ったロマ人のハンナ
この時代に生まれてないので
自分の身に置き換えて考えられないんだけど
神と自分に正直に生き抜くことが出来たのだろうか…
いや、無理だよね
前半は少年と女性との肉体関係だった
ご褒美は彼女に本を読んであげること
その頃車掌をしていたハンナが勤務態度を認められ
事務職としての昇進を持ちかけられるが…
そこから話は飛んで
ホロコースト時代のハンナの罪が裁判にかけられている
法律を学ぶ学生になっていた少年は
偶然居合わせた傍聴席でハンナが非識字者だったことに気付く
私たちはそのシーンで ハンナがあの時昇進をけった理由が分かる
よく出来た映画
「タイタニック」は観ない派だけど
ケイト・ウィンスレットは好きだわ〜
切実な目が好き♡今回のしなびれかけた美しさも素晴らしかった
ラブストーリーというより 人間ドラマ。 15歳の少年が21歳年上の...
ラブストーリーというより
人間ドラマ。
15歳の少年が21歳年上の女性とひと夏関係をもつ
8年後に再会した時には法学部の学生と元ナチの看守の被告としてだった。
なぜ彼女はそんな仕事をしたのか
なぜ看守のリーダーだった事を否定しないのか
彼女は文盲でありその事をひた隠しにしていたのだ。
そこに気づいたのはマイケルだけだったけれど
彼女との関係を周囲に知られる事や関わることを恐れて
言い出せず彼女は無期懲役に。
数年経ち彼女へ朗読のテープを贈る事を思いつき
それは彼女の心にも未来への希望を抱かせ文字を学ぶようになる。
覚えた文字でマイケルに手紙を送るが
朗読のテープだけで、手紙の返信はくれる事がなかった。
その事でマイケルから自分へ愛はなく
同情だと気づく。
憐れみをうけながら塀の外で生きて行く事を拒否するかのように自らの命をたつ。
TSUTAYAのお薦めで鑑賞
鑑賞後、しばらく感想が出てこなかった。
正直好みの作品だったか否かすらわからない。ケイト・ウィンスレットも「タイタニック」や「エターナル・サンシャイン」の頃とずいぶん印象が違い、今更ながら時の流れを感じた。
ただ映像美と少年時代のマイケルの葛藤は印象深く、評価された作品の格を感じた。
そして、20年前に観た「マレーナ」を思い出した。
すごく好みな内容です。 言葉で表現せず、気持ちを演技・演出で表して...
すごく好みな内容です。
言葉で表現せず、気持ちを演技・演出で表してます。
物語の終わり方とてもいいです。
マイケルは年上の官能的な姿に魅了され、ハンナも若い男の体を見て、抑...
マイケルは年上の官能的な姿に魅了され、ハンナも若い男の体を見て、抑えられない部分もあったのだろうが、朗読してもらうことが第一の目的だったのだろう。
なので、お互い不純な関係だなと初めは思った。
でも観ていると、マイケルの素直な気持ち、ハンナも曖昧な感じだったけど、マイケルのことを愛しているんだなと思い、純粋な恋に感じた。
そこで、マイケルがただ官能的に惹かれたわけではないのかと思い始めた。ハンナがブラジャーをアイロン掛けしているシーンはただ興奮しているわけではなく、彼女の几帳面な姿にも魅了されていたんだなと思った。
2人が関係を深めていく中で、なぜハンナが自分で本を読もうとしないのか?という疑問が湧き、そして突然見せる、激情的な面に違和感を感じた。そこで彼女が文盲であること、そして何か後ろめたいことを隠していることを暗示しているんだなと感じた。
そして彼女の後ろめたい過去の正体がホロコーストに加担していたということが分かるが、そのことよりも文盲であることを隠そうとしたことに驚いた。
マイケルはそんな彼女を救おうと考えたが、踏みとどまる。
彼女の知られたくない事実を隠したいという思いもあったが、同じドイツ人でもホロコーストに加担した者に対する嫌悪感があり、守ろうとすることで世間から批判されることを恐れたからなのかなと思った。
ただ、ナチスの人間を同じドイツ人が裁くのはどうだろうかと思った。ホロコーストに関与していないとしてもヒトラーを支持してしまったのは彼らだし、過去の罪を恥じて、どうしても正義を行わなければというバイアスが掛かるんじゃないかと思った。
マイケルは話し合わず、救わない選択をしたことで後ろめたさ、後悔を感じたから朗読したテープをハンナが服役している刑務所に送ったのだろうと思った。ただ、ハンナが字を学び、送った手紙に返事を送らなかったのは、彼女への思いが深まってしまうから、ホロコーストに関わった者に対する何を言えばよいのか分からないからなのかと思った。
ハンナが自殺したのは、文字を読むことができるようになり、目を背けていた過去の行いに向き合い、マイケルに戦時中行った行為について何を感じたか答えた時の彼の嫌悪感によって自身の行った行為を理解し、絶望したからだと思った。
マイケルはハンナの死から、彼女が変化したことを知り、自身も心を開く決意をしたのだろうと思った。ただ、娘の立場としては、サプライズと称して昔関係を持った女性の話をされても困るわと思った笑
年上の女(ひと)。
時代背景はドイツの戦争がありドイツ人がユダヤ人を殺めた時代。
青年が、年上の女性に惹かれて関係を持つ。若い一時の出来事かと思っていたが…。
その後、彼は別の女性と結婚しましたが彼女のことが忘れられなかった。彼女の精神的な関係のほうが彼にとっては居心地がよく安心できる存在。彼女も彼を愛しているのに年上ということもあって言えずに…。怒ることも。
刑務所の食堂で面会したとき胸に込み上げるものがありました。何十年ぶりかに再会して嬉しさと喜びがあったと思う。彼に会って昔の彼ではないと思ったのかも。また彼に迷惑かけたくなかったのかもしれない。
彼は最後まで彼女に寄り添うことはなかったけど。彼が娘と愛した彼女のお墓に行った時は何か救われた気がしました。
やるせない映画
第二次世界大戦の終戦時のドイツの話だが、最初、登場人物がみんな英語を話している事に混乱したし、そういう映画だと分かってからも違和感があった。それも何故かドイツ語訛りの英語。この映画で文字は非常に重要な物なのに。名前も主人公の名前が「マイケル」って…。調べたところ、映画を見た人が当事者として身近に感じる為だとか。(アメリカ人を対象にしてるのか?) どうもこの理由に納得出来ず、ケイト・ウインスレッドを使いたかったからなのかと思ってしまった。彼女の演技は素晴らしかったけど。
原作では女性がロマという設定なのに、映画ではドイツ国民の1人として描かれているのも、見た人が当事者として考える為という理由らしいが、文盲だという事でユダヤ人同様迫害されていたロマだとバレる危険があった状況と、ただの羞恥心とではちょっと受け取り方が変わって来る。
映画を見ながら主人公の男の行動に対して、早く彼女の助けになるなる行動を取ってほしい、彼女の存在が大きいという事をちゃんと彼女に表現して欲しい、等、やきもきした気持ちになる。
それでも自分はこの映画は美しくて好きだ。割り切れない気持ちになるが、そこも含めて良い映画だと思う。良い暮らしなんて出来なかった彼女が渡した物と、裕福なユダヤ人の元被害者の対比がまたなんとも言えない。
戦争で誰が悪かったと決めるのは難しい。ただ彼女を憎悪して非難する立場のドイツ人が今の一般的な人達(ドイツ人に限らず)だが、そこを考えさせてくれる話だ。
男が無理だった
15歳の少年が21歳年上の女性と出会ってひと夏の恋をして、その後ある裁判で再会する話。
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前半はすごいロマンスラブストーリーの雰囲気だけど、後半から空気が変わる。だからラブストーリー苦手な人も大丈夫というレビューをちょくちょく読んだけど、私は苦手だった(笑)ごめんなさい(笑).
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いや何があかんって、この男が中途半端。裁判でハンナのことを助けないのはまぁいいけど、その後何十年もたった後に録音テープをハンナに送るという謎の優しさ。
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それなのに手紙への返事はしない、愛に行っても素っ気ない。なんかテープ送ることが、この男のエゴにしか見えなかった。
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たぶんこれ、映画より小説で呼んだ方が面白い気が。
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【人間の善性と自覚なき悪性と、知性との関係性をある側面から描いた哀しき作品。自分の尊厳を保つために、知性無きことを恥じ、隠したために起きた事の悲劇を描いた作品でもある。】
―多くの第二次世界大戦前後のナチスドイツを描いた作品で表現されるSSは残虐極まりない人々として描かれている。が、今作は別の角度からSSとして働いたある哀しき女性の生涯を描き切った作品。-
■今作の印象的な部分
<前半>
1.15歳のマイケル少年が、一夏、年上の女性ハンナ(ケイト・ウィンスレット)との交情シーンや自転車での小旅行も含め、楽しく過ごす姿。
取り分け、マイケルがハンナに”オデュッセイヤ””チャタレイ夫人の恋人””タンタンの冒険””犬を連れた奥さん”といった多種多様の本(漫画)を読み聞かせるシーン。
”貴方は、朗読が上手ね・・”
2.ハンナの真面目で頑固な気性が分かるシーン幾つか
・”チャタレイ夫人の恋人”のマイケルの朗読を途中で遮るシーン。
・路面電車内での、真面目に働く姿。
ーそして、彼女はその働きぶりを認められ、事務係に昇進し、マイケルの前から姿を消す・・。-
<中盤>
3.大学の法科に進学したマイケルがローチ教授(ブルーノ・ガンツ)のゼミの一環で、ナチスの裁判を傍聴するシーン。久しぶりの傍聴席から見るハンナの姿。激しく動揺するマイケル。
裁判長から語られる彼女を含めた女性看守たちが、ユダヤの人々に行ってしまった事。他の女性看守が自らの罪をハンナに被せようとする姿。ハンナは“看守としての仕事を全うしただけ”と答えてしまい・・。
ーマイケルは、その時ハンナの”ある事実”を知るが・・。(煩悶するマイケルの姿。)そして、同じゼミの女性と恋仲に落ちるが、ハンナの事が忘れられず。-
<後半>
4.無期懲役を言い渡されたハンナに届けられる大量のカセットテープ。震える手で再生ボタンを押すハンナ。
ーレイフ・ファインズが演じる成年になったマイケルが次々に且つて自分がハンナに読んで聞かせた本を朗読し、カセットテープに録音する姿。刑務所でそれを聞くハンナの姿は可成り沁みる。
又、ハンナがマイケルの朗読を聞きながら、独学で文字を学ぶシーン。そして、拙い手紙をマイケルに書くシーンも可成り沁みる。
幾つになっても、ハンナがマイケルを優しく“坊や”と呼ぶシーンも。-
5.釈放が決まったハンナが取った行動・・。
<今作でハンナが犯してしまった罪は到底許されるものではないが、従来のナチス映画では得られない類の哀しき思いを抱いてしまった作品。
又、人間の善性と悪性と知性との関係性も考えさせられる作品でもある。>
すごく深い話だってことは感じつつも、ロマという存在を知らなかったの...
すごく深い話だってことは感じつつも、ロマという存在を知らなかったので、ハンナの行動の意味がわからない部分が多すぎて自分の中でうまく消化できずにいた。
ここのレビューを読んでロマとは何か、どんな扱いを受けてきた人たちであったか少しではあるけど知ることができて、物語の背景にある事情やハンナを通した世界を理解することができた。
映画って見る人の鑑賞力も必要だなとあらためて思った次第です。
1回見ただけでは、見足りない。
「女と男の観覧車」で、ケイトウィンスレットの演技に感動して、DVDを借りて、この映画を観てみようと思いました。ラブロマンスのコーナーにあったから、恋愛ものかと、最初の40分の時点では、15歳の少年の一夏の禁断の甘い恋の物語かなぁーって思っていて、でもハンナが突然、姿を消してから、ストーリーは難しい方向に。
見終わった後の率直な感想は、ハンナの人生って一体何だったんだろうって、考えさせられました。読み書きが出来ない自分を隠す為に、人生を棒に振って、一生の大半を刑務所で送る羽目に。この自分の欠点を隠し通す意義が何処にあるんだろう?ただ単に、プライドが異常に高い女性だっただけの事なのかな?多分 そうなんでしょうね。マイケルもそれを十分に理解してたから、何も助ける行動をしなかったと思う。でもその事を、彼は一生涯 後悔して生きていく事になる。
まだまだ 色々 追求したくなる。でも1回 見ただけでは、足りないね。
ただの感想
ケイト・ウィンスレット
レイフ・ファインズ
ケイトウィンスレットがアカデミー賞主演女優賞を受賞。
裁判の傍聴の場で、初恋の人と再会するのってどんな気分なんだろう。検事から追い詰められてるだけでなく、他の被告人からもはめられてるのを主人公が間近で見てるなら、普通のドラマならその主人公が怒鳴り出すはず。それを敢えて黙ってるんだもんな。
客観的見て正しいことと、その人の個人としての尊厳を守ることは時に矛盾・衝突することがある。
無期懲役を言い渡されたハンナに、自分の声を吹き込んだ朗読テープを送るマイケル、粋な計らいをすると思った。彼女に送るなら、これしかないと思ったんだな。ハンナが自殺したのは意外だった。最後までマイケルのことを「坊や」と読んでいたし、その彼に身元保証人と元囚人という関係になってまで自分の面倒を見てもらうのはプライドが許さなかったのかな。オデュッセイア、読んでみよう。
ナチスの残したもの…愛への尊厳への冒涜
愛を読み間違えた人々。
「あなたの意図を理解しろって?あなたの意図を理解できるようになるまでつきあえないでしょ」冒頭シーンの言葉。この映画の全てが言い表されている言葉だと思う。
マイケルは何故、ハンナを助けなかったのか、そして最後に奈落につき落したのか?マイケルにしてみたらハンナを愛しているからこそ、ハンナを許せなかった、受け入れがたかった、わかってほしかったのだと思う。
愛する人ハンナは「任せられた仕事を責任もって忠実にやっただけだ」という。「施設が一杯でどうにもならないから弱ったものを別の施設に送っただけだ」という。「それの何が悪い?問題?あなただったらどうする?」なぜ批判されるのか本当にわからないという表情で戸惑うハンナ。与えられた仕事を責任もってやることにプライドを持っているハンナには、法廷で問い詰められていることが理解できない。あのレポートを自分が書いたことにしてしまう前から、頓珍漢な自分の首を締めるような発言を繰り返す。
何が問題なのか。
あの第二次世界大戦の頃、ユダヤの方々は家畜(以下か)としてみなされていたとアウシュビッツを訪れた時に説明を受けた。例えば”売れる”ユダヤの方の髪を刈り取っっていた。そう羊の毛を刈るように。馬の蹄鉄を、牛の鼻輪を屠る前に取るように、ユダヤの人々から、眼鏡を金歯をとった。その残骸の山がアウシュビッツに展示されている。
施設にいるのが家畜なら、教会に押し込められているのが家畜なら、ハンナのとった行動はどう評価されるのだろう。施設に許容以上の家畜を詰め込めば疫病が発生し全滅するから許容量まで間引かなければならない。火事でパニックになっている村に、火で興奮している牛を馬を犬を放てば、村人が危険だ、なら家畜を諦めるしかない。たぶん大方の人はそう判断するのだろう。動物愛護の方からは批判されるだろうが。
問題なのは、人間を人間としてではなく家畜として見てしまうこと。
愛の表現の一つのはずだった朗読を、ハンナは収容所でユダヤの少女にも課していた。それを知ったマイケルはどう思ったのだろう。誕生日に可愛い坊や=愛しい人をどうやって喜ばそうかを考えることなしに(そもそも誕生日を聞くこともなしに)、自分の感情のまま動くハンナ。マイケルはハンナを「怒らすことすらできない存在」と言い放たれる。ハンナは最後までマイケルを「坊や」と呼び固有名詞マイケルとは呼ばない。刑務所からでさえ命令するだけの関係。上下関係だけの関係。ハンナはマイケルの愛を読むことすらしない。
自分もハンナにとってはペット(家畜)だったのか。私ならそう勘繰ってしまう。そんなふうに思われるのは愛しているからこそ耐えられない、決して認められない。でもハンナはそんなことをマイケルに言われても理解できなかったのではないか。ペットだって家族の一員でしょ?何が問題?と真顔で返されそうな気がする。
さらに追い打ちをかけるのが、愛する人の生きざま。愛する人が犯した罪ーしかも、それを罪と自覚していないーことをどう受け止めたらいいのか…。
そして出所を巡るシーン。
出所を控え、面会する二人。
仕事を忠実にやるということ以外、誰からも見向きもされなかったハンナ。唯一、”坊や”以外には。そんな大切な思いをマイケルは全く顧みない。
「何を言っても死んだ人は帰ってこない」この言葉をマイケルは”後悔していない”ととる。命の・死の重みを知っているからこその言葉でもあるのに。
ここでもお互い愛を読み間違える二人。字が読めなかったけど感受性が優れていたハンナに対して、マイケルは理論家の法律家だ。言葉・行動等何らかの”目で見える”形でのやりとりに重きをおく。
映画は世間の人々へもたたみかける。
「あの被告席に座っている人に全ての罪を押しつけているけど彼らだけが罪?彼らがそうしているのを知っていたのにも関わらず、止めもせずに観ていた人たちの罪はどうなんだ?」
マイケルがハンナの判決を覆そうか迷い、教授に相談する。教授は答える。「法律家なら感情を排して法の元に動くべきだ」それって、ナチスが正しいと信じて、ナチスの言うとおりに感情を排して仕事したハンナと何が違うの?
そしてラスト。
マイケルがホロコーストの生存者に会いに行く。ハンナが収監されているうちに勉強して(人の心を取り戻して)貴方への謝罪としてお金を残したと。生存者はきっぱり言う。「収容所は何も生み出さない」そしてハンナが大事な物を入れていた缶だけを手元に残す。それは少女の日の思い出を取り戻すことでもある。また、ユダヤ人だってドイツ人と同じように大切な物は缶の中にしまう同じ人間なんだよというメッセージにも聞こえた。
原作未読。
原作だと、朗読・識字を通してハンナが変わっていく様子が綴られていると聞くが、映画では割愛。なので『reader』より、『愛を読み間違えた人々の物語』の方があっている気がする。
しかも、原作だとハンナはロマらしい。となると、ナチとの関係、犠牲者との関係(ロマもユダヤ人と同じく、収監対象)、世間の中でのロマへの扱いと、さらに物語は様々な局面を見せて、複雑化する。
あの時代に生まれていたら、私はどう行動したのだろう。
こんなことニ度と起こってはいけない。
人間とは、愛とはと、恋愛以外の愛を問いかける不朽の名作。
でもヨーロッパやアメリカではナチスのことは自明でも、
日本人が見るにはちょっと説明不足かな。
無知の怖さと純粋な愛
自然と涙が溢れてくる。
字が書けない、教養がないことがどれだけ恐ろしいことなのか、、、
女性で学習できない人もいた時代で、そういう人も仕事はする。できる仕事も少ない、ナチスと関係ある仕事になってしまう場合もある。彼女は優しい心を持ち、教養がない中で必死に生きてた。それがこの結果を生み出した。
彼にとって彼女は永遠に心に残り、そして、人生を変えた。彼のおかげで、字を覚え、大きな世界を知った彼女にとってこの世の中は辛いものだった。。もうかわいそうすぎた。看守の仲間にも騙され、字が書けないことも言えない。それで、彼女だけが大きな罪に。もちろん罪は罪だ。しかし、悲しすぎる運命だった。
最初は身体の関係、そういうシーンも多いけれどどんどん深い部分に入っていく、もう辛いものだった。切なすぎる。
全95件中、21~40件目を表示