「相似形の魂」愛を読むひと penさんの映画レビュー(感想・評価)
相似形の魂
見過ごしてきた作品のゲオ旧作鑑賞です。
何故マイケルは、あのとき踵を返してしまったのか。何故手紙に返事をしなかったのか。原作を読んだことはありませんが、最初は自身の恥ずかしい秘密が白日のもとに晒されるのを恐れたからという印象が強くて「最低野郎」だなと思いましたが、色々解釈の余地を残しているようにも思えました。(以下ネタバレありです)
もし踵を返さず、真実を語っていたらどうなったのか。
ハンナは多分無期懲役を免れたかもしれませんが、彼女があえて罰と引き換えに守った秘密を白日のもとに晒すことになります。映画「砂の器」の指揮者が自分の出生の秘密を守るために罪を犯したように、その秘密はロマである彼女にとっては、自分のいのちより大切なものだったのかもしれません。指導教授が促したような真実や正義の回復ではなく、一度は愛した彼女の意思と希望を最大の利益と考えて行動した結果だったのかもしれない・・今はそう思います。助けたいけど助けられない・・矛盾に引き裂かれた彼の心の苦しさを思うと胸が痛みます。
何故手紙に返事をしなかったのか。
それは多分彼女が犯した罪をマイケル自身が整理仕切れていない面もあったのだと思いました。最初で最後の面会のとき、マイケルはそのことをはじめて尋ねていましたから。多分法廷での彼女の証言を聞いて、彼女自身の心の中で自分がしたことの意味の整理がつくまでは、時間がかかる。それができるまでに手紙のやりとりをしても破綻に終わることが彼には目に見えていたのだと思います。だから彼は本を読むことに徹したのではないか。そう思いました。
「あなたならどうしましたか?」ハンナが法廷で語った言葉に裁判長は答えられませんでした。同じように私はマイケルの罪を糾弾できるようには思えません。つまり、法的な罪と道義的な罪の違いはありますが、糾弾しきれない罪を負ったという点で、二人は相似形だったように思います。その根っこには多分歴史の矛盾があったのでしょう。切ないです。
自責の念にとらわれて生きざるを得なくなった二つの孤独な魂は、ある意味夏目漱石の「こころ」の「先生」や、シドニールメットの名作「質屋」の主人公に通じるものを感じましたが、最後彼女に向き合うことができた彼の方は、これらの主人公とは若干異なり、ほのかに明るい希望のもてるものになっていたように思います。それがまたしみじみ良いなと思いました。
いろいろな解釈を許す作品は、観る者の経験や性格と化学反応をおこして
見る人一人一人の心に深い余韻を残す場合があるように思います。本作もまさにそういう映画で、見逃した作品にもやはりとびきりよいものがあるな。改めてそう思いました。