「作中の伏線について考えてみた」愛を読むひと Tさんの映画レビュー(感想・評価)
作中の伏線について考えてみた
1.ハンナが文盲であることを、マイケルが判事に告げなかった理由
ハンナの収容所での行為が「悪ではない」ことを、マイケルが確信できなかったため。大学のゼミで、マイケルは同級生と議論をする。「(ハンナら)元ナチの連中がした残虐行為は、当時の法律に照らせば無罪かもしれない」という教授に対し、同級生は「残虐行為自体が悪だというのに、当時の法律が許せば無罪だなんて、法とはいかに薄っぺらいものか」と激昂する。マイケルはこの同級生に反論ができなかった。マイケルはハンナの無罪を望んではいたが、彼女が「悪をなしていない」という確信を持つことができず、よって彼女を刑務所送りにする。
2.なぜハンナからの手紙に返事を書かなかったか
罪悪感・恐怖感のため。ハンナを収容所送りにした罪悪感から、マイケルは朗読テープをハンナに送り、償いの代わりとする。しかし(他の方も書かれていたが)、この「償い」はマイケルの自己満足。字が書けない筈のハンナから返信をもらったことは想定外で、望んでもいなかっただろう。自分が突き落とした相手(ハンナ)と、また面と向かって会話するなんて、罪悪感が強いほど拒みたくなり、それはハンナに対する恐怖感にも変わる。
3.マイケルが、出所直前のハンナと面会時、冷たい態度をとった理由
マイケルが期待していたようなハンナは、そこにいなかったから。あれだけハンナと(面会でも文面でも)会話することを拒んでいたマイケルだが、刑務所職員から「彼女が頼れるのはあなたしかいない」と言われ、おずおずと面会に向かう。そこでマイケルは「あのときのことをどう思うか」と、収容所における残虐行為に対するハンナの思いを問う。マイケルとしては「過去を悔やみ、改心したハンナ」を期待しただろう。「ハンナの行為は悪」と思って、彼女を刑務所に突き落としたのだから、ハンナが改心してくれれば、彼の行為は報われることになる。というか、そうなってくれれば彼の罪悪感は救われることになる。しかしハンナは「改心しても、人を殺めた事実は変わらない」と、過去を悔いる様子はない。マイケルは絶望し、ここでもハンナを突き放してしまう。「死の行進」を生き抜いたメイザーが言うように、「収容所はなにも与えない」のであり、ハンナは変わっていなかった。
4.なぜハンナは自殺したか。
マイケルが自分を受け入れてくれなかったため。刑務所でも、ハンナはずっとマイケルのことを思っていたのだろう。そうでなければ、わざわざ文字を覚えて、マイケルに手紙を出したりはしない。また面会時、マイケルから「あのときのことをどう思うか?」と問われ、「私たち2人の事?」と返すシーンも、彼女のマイケルへ向かう思いを感じさせる。しかしマイケルに突き放され、彼に受け入れて貰えないと悟ったハンナは、自ら死を選ぶ。まだ2人が出会ったばかりの頃、路面電車の中でマイケルに無視されただけで烈火のごとく怒ってた、激情家のハンナだからこその行動になってしまった。
5.マイケルの贖罪
2度ハンナを突き放し、結果彼女を死に至らせてしまったマイケルは贖罪をする。一つは、ハンナの遺言を実行して、メイザーにお金と「宝石箱」である缶を渡すこと。囚人たちを絶望と無気力・無抵抗に追い込むため彼らの大事なものを看守ハンナは奪っており、その一つがこの缶だった、と私は勝手に考えている。ハンナが為せなかったことを行った。
もう一つは、「ハンナ自身の物語」を朗読すること。様々な物語を愛し、朗読を聞いて時には笑い、時には泣いていたハンナ。その彼女自身のことを物語にして語っていくことが、最大の贖罪だとマイケルは考えたのかもしれない。だからラストの、墓場前で娘に向かってハンナの話をするシーンは、クライマックスとしてふさわしい。
ところで、なぜハンナは有罪判決を受けてまで、自分の文盲を隠そうとしたのだろうか。他の方が書いていたが、原作ではハンナはジプシーであるらしく、だとすると文盲を隠すこと=生きる手段という「習性」が、あの場で出たのかもしれない。一方、原作とストーリーは同じでも、そこに違う意図を製作陣が狙うのは常にある話。映画ではジプシー関連の話は全く出ていなかった。なので「激情家ハンナ」は文盲であることを極端に恥じ、それがばれるくらいなら無期懲役・ナチの汚名の方がマシだと思った、という解釈を私はしている。マイケルとサイクリングに出かけたときに、レストランで隣に座ってた子供に対し、ハンナは怯えているような不可解な視線を送っていたので、幼少期にトラウマがあるのかもしれないが。