「果たして、読んでいるのは愛なのか?」愛を読むひと さぽしゃさんの映画レビュー(感想・評価)
果たして、読んでいるのは愛なのか?
ケイト・ウインスレットは素晴らしいですが、
レイチェル・ワイズで観てみたかったという私もいます。
1958年ドイツ。夏。
15歳のマイク(ダフィット・クロス/レイフ・ファインズ)は、通路で具合が悪くなところを、ハンナ(ケイト・ウインスレット)に 助けられる。その後ハンナの家にお礼に行ったマイクは、彼女の思いがけない衝動に抗うことができず、肉体関係を持ってしまう。二人の年齢差、21歳。
マイクは、激しくて不思議な大人の女、ハンナに惹かれて行く。そしてハンナはマイクに朗読を求め、マイクはハンナの身体を求める関係が一夏続く。が、ハンナは突然、マイクから去って行った。
8年後、法学部の学生になったマイクがハンナを見かけたのは、ナチス戦犯を裁く法廷。ハンナは、その裁判の被告だった。
お礼に現れたマイクに、ハンナは石炭を運ぶように頼みます。煤だらけになったマイクをお風呂に入れ、その滑らかな背中にスポンジを当てる。裸のハンナが、マイクの背中にそっと寄り添います。私はこの「一夏の始まり」のハンナの衝動が、どこから溢れて来たのか、実は理解できません。しかし「一夏の終わり」の、唐突にマイクの元から去って行くハンナは理解できますし、その部分には女の私が共感しました。
二人の関係には居心地の悪さを感じる私でも、心の底から羨ましいと思ったシーンがあります。それはソファーに横たわるマイクが「オデュッセイア」を朗読し、その胸に抱かれたハンナが号泣するシーンです。私にも大好きだけど、読むと悲しみに押し潰されそうになる小説があります。こうして愛する人に守られながら、物語の世界に浸ることができたら、どんなに良いだろうと想像しました。
そして自転車旅行で、2人の関係に決定的な亀裂が入ります。書き置きを残して出かけたマイクに、ハンナは激怒します。顔中血だらけになるまで、ハンナにベルトに殴られる。ハンナは、置いて行かれたと思ったんです。書き置きした紙なんか、なかった!と。
ハンナは、文字が読めない。けれど、それをマイクに伝えることができない。朗読とセックスの関係が、終わる時。そしてハンナは、マイクの元を去るのです。
再会した時、マイクは傍聴席、ハンナは被告席でした。ハンナはナチスの女性収容所の看守(親衛隊)だったのです。他の被告達は、ハンナが証拠となる書類を書いたと主張します(問われている罪の詳細は省きます)。ハンナは、黙秘。裁判官が筆跡鑑定を行うと言った時、ハンナは「自分が書いた」と認めます。嘘なのに。字が読めないのですから、書ける訳がありません。そしてもう1人、その場にハンナが嘘をついたと知っている人がいます。マイクです。ハンナは、自尊心のために有罪になります。しかしマイクは、ハンナの無実、少なくともハンナだけの罪ではないと主張しません。それはハンナの自尊心を守りたい訳ではなく、きっと、その後の彼女の人生を背負いたくないから。
当然マイクは、自分の罪悪感に押し潰されそうになります。なので贖罪の為に、あることをするのです。朗読をテープに録音して、ハンナに送ること。
私はこの行為こそが、とても残酷だと思いました。それはハンナの為ではなく、マイク自身の罪悪感を軽くする行為だからです。それはラストで分かります。
送られて来るテープを聴き、ハンナは字を書くことを独学で憶えます。そしてマイクへ、手紙を書くのです。その文章は、どんどん上達して行きます。が、マイクは1度も、返事を書きません。
終身刑だと思っていた、ハンナの恩赦が認めらました。刑務官からマイクへ、「出所後、面倒を見て貰えないか」と相談されます。そして、2人は漸く再会します。
「あの時のことを、思い出す時があるか?」
マイクの質問に、年老いたハンナは頬を染めます。
「私達のこと?」
マイクは視線を逸らし、冷たく言い放つ。違う。あのこと。アウシュビッツのこと。ハンナの顔が強ばる。ハンナは1度も、自分がしたことを省みる発言をしていません。
「だって、新しい囚人が次々に送られてくるんですよ。場所を空けるために、誰かをアウシュビッツに送らないといけないじゃないですか」
裁判では、こう発言していました。マイクはハンナに罪悪感がないことが、どうしても許せないし、信じられない。でも私は、ハンナは冷酷な人間ではないと思うんです。罪悪に対して、鈍いのでもない。ユダヤ人を憎んで、殺すのが正しいとナチスを盲信していた訳ではない。小説や賛美歌を聴いて、涙を流す鋭い感受性を持っているハンナです。だから私は敢えて、自分を擁護する発言をしないことが、彼女の贖罪なのではないかとすら思いました。それはハンナが自分のお金を、あるユダヤ人の女性に遺したことでも分かると思います。
マイクと会った後、ハンナは自殺します。
希望は勝手に持つ物ですが、期待はさせられるもの。マイクはあの夏、ハンナに読み聞かせていた物語をテープに吹き込んだ。それを聴いたハンナの心には、何が芽生えたのでしょうか。芽生えさせられた。とも、言えると思います。だから私は、マイクが残酷だと思いました。
そしてこの再会、2人の本当の終わり。ハンナの気持ちは理解できますが、同じ女としては共感できません。私なら、会いません。会えません。
読み書きできないこと隠し通した自尊心の強いハンナが、年老いた自分を若いマイクに見せた理由は何なのか?自殺したのは、マイクから拒否されたから?
ユダヤ人の女性が裁判で、こう証言していました。
「(収容所で)ハンナが華奢でひ弱な者を毎晩部屋に呼んで、朗読させていた」と。しかし一見、強制労働から免れることができ幸せに思うけど、結局殺されるのだから期待させただけ残酷。残酷な親切だと。ハンナが自殺したのは、死ななくてはいけないと思ったのは、彼等の気持ちを本当に理解したからかも知れないと思いました。
マイクがハンナの自殺を知り、2人の関係を娘に告白し始めるところで、映画は終わります。誰かに打ち明けたくなる気持ちは理解できますし、家族と蟠りの理由を説明したいことも分かります。が、やはりマイクの行動には、共感できませんでした。何故、娘に?
邦題が「愛を読む人」ですが、男女間の感情を短絡的に「愛」で 済ませてしまうのは如何なものか。
そして、ケイト・ウインスレットは素晴らしいと思いますが、レイチェル・ワイズがハンナだったら、もっと感情移入できたかも知れないと思う私がいます。