アバター(2009)のレビュー・感想・評価
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劇場で見たかった
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ある星には原住民族(宇宙人)が住んでいたが、
この星に高価な鉱物があるため、人類はそれを狙っていた。
人類はある機械を持ち込んでおりその中で眠ると、原住民の姿になれる。
これを使って主人公とメリルが原住民の中に潜り込み友好関係を築こうとする。
主人公はそんな中で自分に良くしてくれた女性宇宙人にほれる。
それでもなかなか作戦が前に進まないので、
シビレを切らした軍が強引に砲撃を開始、大パニックになる。
主人公は原住民側に寝返り、自分が地球人であることを告げる。
原住民達は激怒、恋人も怒り狂う。
でもそこは誠意で誤解を解き、共に戦う。
最後は寝てわからんけど、ハッピーエンド。
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いやー、眠いわ眠いわ、大変やった。
いやそんなに面白くない映画ではなかったんやが、二日酔やったからね。
まあストーリーは上記のような王道といったところ。
どうやって強大な軍事力を持つ人間に勝ったんだか折り合いつけたんやろ。
それは謎として残しておこう。
それにしても評判がいいんで、是非劇場で3Dで見たかったなあ。
それなら体調悪くても寝るなんてことはなかったろうに。
宇宙アバルン滞在記。 現実と虚構、貴方ならどちらを選ぶ?
未開の惑星パンドラを舞台に、星に眠る鉱物資源を狙う地球人と原住民族ナヴィの衝突、そしてその二つの勢力の狭間に立たされた海兵隊員ジェイクの決断を描くSFアクション。
監督/脚本/製作/編集は『ターミネーター』シリーズや『タイタニック』の、オスカー監督ジェームズ・キャメロン。
ナヴィの女戦士、ネイティリを演じるのは『パイレーツ・オブ・カリビアン/呪われた海賊たち』『ターミナル』のゾーイ・サルダナ。
地球人の軍用ヘリパイロット、トゥルーディ・チャコンを演じるのは『ワイルド・スピード』シリーズや『バイオハザード』のミシェル・ロドリゲス。
第82回 アカデミー賞において、美術賞/撮影賞/視覚効果賞を受賞!✨✨
第67回 ゴールデングローブ賞において、作品賞(ドラマ部門)/監督賞を受賞!✨
第34回 日本アカデミー賞において、最優秀外国作品賞を受賞!
全世界歴代興行収入ランキング堂々の第1位ッ!!👑
史上最もヒットした超大作を、今回初めて鑑賞してみました。
ハイクオリティな3D映像が話題を呼んだ本作だが、お家に3D対応のスクリーンがないため泣く泣く2Dバージョンで鑑賞。
「映像はすごいけど物語はカス」とか「3Dじゃないと観る価値なし」とか、そういう評価を散々聞いていたので正直気乗りしなかったのだが、いざ鑑賞してみるとこれがなかなかイケる。
ちょっと長すぎるとは思ったけど普通に面白いじゃん!
日常的には使わない「アバター」という言葉だが、実はテレビゲームをプレイする人間にとってはとっても聴き馴染みのあるワードである。
「アバター」とはプレイヤーの代わりにゲーム世界で冒険したり戦ったりしてくれる分身のこと。自分で外見や声をセットアップする事が出来るため、ただゲームが用意したキャラクターを操作する場合に比べると、その世界への没入度は大幅にアップします。身代わりとなるキャラクターを自らの手で作り出す事で、まるで本当にその世界に入り込んだかのような感覚を味わう事が出来るのです。
ここまで言えばお分かりでしょう。
この作品、何を隠そう「テレビゲームという概念の実写化」なのです!
もう少し具体的に言うと、「オープンワールドRPG」というジャンルの実写化。「The Elder Scrolls」シリーズ(1994-)に代表されるこのジャンルは、とにかく冒険できるフィールドが広大であり、それがシームレスに繋がっているのが特徴。アクション性やストーリーよりも、ビジュアルや世界観に主軸を置いているものが多い。
このアバターもまさにこれで、惑星パンドラの生態系、地質、大気、民族、文化、言語などを徹底的に描き込むことにより、フィクションの世界に確固たるリアリティを生み出しています。
世界観の構築が完璧に行なわれているため、後はここに観客の目となり耳となる主人公を投入するだけでOK。奇を衒ったストーリーやあっと驚く展開がなくとも、主人公が惑星パンドラをウロウロと彷徨いそこに住む原住民ナヴィと交流をする、これを描くだけで充分に映画として成立している。
この「ウロウロするだけで楽しい」という感覚こそがオープンワールドゲームの持つ最大の快楽。世界観の構築が上手いゲーム、例えば「The Elder Scrolls V: Skyrim」(2011)や「ウィッチャー3 ワイルドハント」(2015)、「ゼルダの伝説 ブレス オブ ザ ワイルド」(2017)などであれば、ただ街やフィールドをウロウロするだけで平気で1〜2時間は過ぎてしまいます。
この「何もしなくても楽しい〜♪」という感覚を映画で見事に再現したことこそ本作最大の魅力だと思うし、それを2009年に制作したというのはとにかく早い。この頃からゲーム業界はオープンワールドというジャンルが主流になるが、それはこの映画による影響が大きいのかも知れない。
プログレバンド「イエス」のジャケット絵で知られるアーティスト、ロジャー・ディーンは本作のアートデザインが自分の作品に酷似しているとして訴訟を起こしている。
確かにロジャー・ディーンの作風にも似ているが、自分としては天野喜孝のイラストに似てんなと思いながら観ていた。
天野さんの代表作といえば「タイムボカン」シリーズ(1975-)や「グイン・サーガ」シリーズ(1979-)など枚挙にいとまがないが、その中でも特筆すべきはやはり「ファイナルファンタジー」シリーズ(1987-)でしょう。
この映画、ナヴィの衣装や体型、クリーチャーのデザイン、植物の形態、人間側が操るパワードスーツの感じなど、なんかめっちゃFFっぽさを感じる。あとはチョコボと魔法さえ出てくれば、FFの実写化と言われても信じられるレベル。
この半端ない既視感こそ、本作が「テレビゲームの実写化」を目指した作品である動かぬ証拠。かなりFFから影響を受けていることは間違いないんじゃないでしょうか?
天野喜孝さんの仕事で忘れてはいけないのは、押井守監督作品である『天使のたまご』(1985)のキャラデザ。
宮崎駿のファンであることを公言しているキャメロン、本作が宮崎作品に類似していることはよく指摘されている。
確かに、『風の谷のナウシカ』(1984)や『もののけ姫』(1997)を思い起こさせるシーンや展開はいくつもあるが、宮崎駿をなぞっているのは表面だけという感じがするし、そこまで似ているとは思わない。
この作品、宮崎駿というよりはむしろ押井守との類似性を指摘すべきだと思う。
パワードスーツと搭乗員の手の動きをリンクさせるグローブは『機動警察パトレイバーⅡ』(1993)、首筋から出るケーブルで他者と接続出来るというのは『GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊』(1995)と、押井作品から頂戴しているディテールは多々あるが、それ以上に作品の根本的な構造がめちゃくちゃ押井守っぽい。
ソフトウェアとしての精神/ハードウェアとしての肉体や現実/虚構といった対比、そして星そのものが一つの脳であり生物は情報を伝達するニューロンでしかないという説の提起など、とにかく一から十まで押井っぽい。予算が100倍になった押井映画って感じがする。
もちろん、押井守作品ほど理屈っぽくはないのだが、それでも押井イズムみたいなものは間違いなく流れている。
押井とキャメロンに交流がある、ということはファンの間ではよく知られているが、世界No.1ヒット映画の裏側に押井守の影があるというのはなんとも興味深いというか皮肉というか…。押井作品は全然ヒットしないのにね😅
ストーリーは大味というかありがちというか、確かに特筆すべきことはないのかも知れない。
ただ、クライマックスに主人公が採る選択は、実はかなり攻めたものであるように思う。
本作で対比的に描かれるのは身体障害者として生きる過酷な「現実」と、夢のような世界で英雄として生きる「虚構」。
「ゲームは1日1時間」という条例が香川県で成立したりしていたが、本作でのメッセージはそれと真逆。「嫌な現実からは目を背けてゲームにのめり込め」と言っているように受け取る事も出来る。
例えば、『マトリックス』(1999)で描かれていたのは仮想空間から現実世界への帰還だったわけだし、近年でも『シン・エヴァンゲリオン劇場版』(2021)では「エヴァばっか観てないで彼女作って真面目に働け」という痛烈なメッセージが庵野秀明から飛んできた。
このように、「虚構よりも現実を重視せよ」というメッセージを観客に送るのが娯楽映画としては一般的だと思うのだが、その逆を行くキャメロンの姿勢はなかなかに興味深い。
ここで考えたいのは果たして「現実」は「虚構」よりも重要なものなのか、という事。
ちょっと話はズレるけど、第169回芥川龍之介賞を受賞した市川沙央女史が指摘した「読書文化のマチズモ」にハッとした人は多かったのでないだろうか。
自分はまさにそうで、「読書するなら絶対紙の本!電子書籍なんて読んでられっか!」なんて思っており、市川女史の言葉を聞くまで紙の本を読む事が出来ない重度身体障害者がいることなんて全く考えてもいなかった。
本作の提示するクライマックスの選択もこれに通ずるところがあるように思う。
「虚構」から目を覚まして「現実」を生きろ!という言葉は聞こえはいいが、それは勝者の理論に他ならない。現実世界を生きるのが辛い者、それは社会的な息苦しさだったり、身体障害や精神障害を負っていたりと色々あるだろうが、そう言った者の立場に考えを巡らせず、ただ「虚構」を否定し「現実」を突き付ける事が正しい事だとはどうしても思えない。そういう"正論"の押し付けこそ、悪きマチズモの片棒を担ぐことになりやしないだろうか。
もっといえば、果たして「現実」と「虚構」の境界とは一体どこにあるのだろうか。「現実」も宗教や政治、国家、民族、イデオロギーと言った「虚構」の上に成り立っているのであり、「虚構」と「現実」を完全に切り離すことなど出来やしないのでないか…。
とまぁ、こういう映画を観るとどうしても押井守みたいな事を言いたくなってしまうのです。
脱線しまくってしまったが、こういう「虚構」を優先するエンディングを持ってきた作品が世界中で大ヒットしたというのは、閉塞感や絶望感が社会全体に満ちているという事なのかも知れない。
大味なSFアクション映画だが、その背景について色々と考えてみるのもいいのではないだろうか。
単純にキャメロン映画として観てみても、集大成感があっていい感じ。
シガニー・ウィーバーが出てるし、『エイリアン2』の海兵隊みたいな人たちがいっぱい出てくるし。
今回のラスボスであるクオリッチ大佐がめっちゃ良い!
もうあのクライマックスの焼き討ちでの、人生が楽しくってしょうがない感じが良いですね😊
こういう人を観るとホッコリしますね。最後はちゃんと死んでくれるしね。
ザ・キャメロンヒロインなミシェル・ロドリゲスも良かったですね。サラ・コナーの再来って感じ。
相変わらずのタンクトップ&ティアドロップサングラス。キャメロンがあと30歳若かったら絶対ロドリゲスを口説いていた事だろう。
それだけにあの死に方はちょっとないだろう、とは思ったけど。そこはもう少し丁寧に殺してあげてよ〜…😢
流石世界興行収入第1位。見どころの多い映画でした。
デザイン面でのオリジナリティの低さは気になると言えば気になるけど、そこは徹底的な世界観の構築で見事にカバーしていたと思います。
話によると、キャメロンは『アバター5』まで構想しているらしい。今回のエンディングから考えると、今後も惑星パンドラでのすったもんだが描かれるんだろうが、それよりも作品ごとにアバターを送り込む惑星を変えて、それぞれの部族の伝統や文化に主人公が適合していく様を描く「世界ウルルン滞在記」ならぬ「宇宙アバルン滞在記」を見せて欲しいような気がする。
今後もずっとナヴィでいくのかしら?流石にそれは飽きてこない?
めちゃくちゃ面白かった
・全体を通して
人間と異民族や生物との交流を描く作品は個人的に好きなのでとても面白く感じた。特に、主人公の視点から人間と異民族(ナヴィ族)両方の視点から物語を楽しめた点が良かった。
1番好きな登場人物はツーテイ。結婚予定のネイティリと関係を持ったジェイクを、最終的に仲間と認めて共闘した心の強さに惹かれた。
・各場面を通して
現実世界に戻り、自分の動かない足を見るシーンからもジェイクがアバターとしての生活に心地よさを感じてるように思えた。
攻撃の最中、トルーディが攻撃を止め帰投したシーンが好きだったので、終盤で撃墜されてしまったのは残念だった。
ホームツリーを攻撃した人間達も深刻な顔をしていたのが印象に残った。自分達の営利のために攻撃しておきながら、民族を攻撃したことに対して罪悪感を感じていたようにも見えた。
目の前で父を亡くしたネイティリに対して、ジェイクが赦しを乞うのは自己中ではないかと感じた。そして、そのときジェイクにネイティリが放った「早く消えて」というセリフは、2人が初めて出会ったときにも言っていた気がする。この時点で、ネイティリのジェイクに対する信頼関係が一度リセットされたことを意味しているように感じた。
ジェイクがトルーク・マクトになってナヴィ族の元に帰還し、ネイティリと再び分かり合えたシーンも良かった。「あなたが見える」という言葉は心で通じ合えたことを意味しているように感じた。
最初ジェイクに対し攻撃的だった野生動物たちが終盤に、人間たちに向かって突進したシーンは、とても興奮した。自然との共闘の展開は個人的にとても燃えた。
ナヴィの世界観に没入
アバター2を鑑賞したことをきっかけに、自宅で十数年ぶりに再鑑賞。エイワの元、自然の森や生き物と共生し、するナヴィとそれを壊そうとする人間の物語。
公開当時は3Dメガネを使っての鑑賞で臨場感が絶大で、没入感という意味で本当に圧倒的で、映像の美しさと、ナビィとして生まれ変わるハッピーエンドで終わるというストーリーの秀逸さもあって、素晴らしいものを見たという見終わった後の高揚感、幸福感が最も高かった作品であった。
好きな場面としてはナヴィが結集し、人間に立ち向かったものの、軍事力の差から絶望的な状況に陥ったものの、そこでエイワが味方となり、パンドラのあらゆる生命体が結集し、人間を叩きのめしする場面は胸のすく、素晴らしい場面だった。
細部まで作り込まれた圧倒的なリアルなCGと共感を呼ぶストーリーと相まって、気がつくとナヴィの世界観に没入し、憧れる自分がおりました。
ジェイクがナビィとして生まれ変わる場面は次の物語を予感させるものであるが、次の作品が生まれるまでに13年ほどの歳月が必要だったことからもこの作品がいかに手間暇かけて作られているかを物語っている。ジェームズキャメロンに頭が下がる。映画に革新をもたらしたという意味では当作品は自分の中で間違いなくNo.1です。
余談だが、自分が同じ映画を複数見ることは非常に稀だが、その時の感動をまた見ることができて、良かったと思う。自宅で見たい時に気軽に見れるようになったことは良い時代になったなぁと感じた。
確かにすごかった!!
今アバターの続編が公開されており、もちろん観に行ってきました!
ですが、あえて前作のアバターの記事を書こうと思います。
なぜなら、インパクトや新しい映像体験という意味では、やはり前作の方が
印象に残っており、書きたくなったからです!
2009年公開
もうそんなに経つんですね、、
前作となる
【アバター】
その醍醐味ははやり映像
当時の映画館の映像でも、めちゃ綺麗だったのを覚えています!
しかも3Dという、新しい映画!
僕が子供の頃に赤 青メガネかけてもありましたが、、
この頃の3Dは飛び出すというより、奥行きがある
という感じの3D映像でした!!!
なにより綺麗で滑らか!!
本当にすごいと思ったのを覚えています
またストーリーも斬新だったと思います
ネタバレですが
新天地を求めてくる悪い人類
そこに住む先住民
最新科学で戦う人類
槍や弓、自然の力で戦う先住民
というシンプルなものです!笑
しかし、すごいのが
先住民の体を人工的に作り、その体に
人間が意識を移し、スパイ&あわよくば平和的解決を
願って、人間が潜入する、、、ということです!!!
あった様で、なかった新しい展開でした!!!
そのスパイとして、潜入するなかで
この先住民としての想いが募る主人公
司令官なのに、どんどん前いくオッチャン
その人間性の部分がより一層面白くさせています!!!
でも物語で一番かわいそうなのは
主人公と恋に落ちる先住民の彼女
、、、、、、、の元カレ
長の娘と結婚するために、努力し技も磨いたのに
ポッとでてきた
男(スパイ・主人公)に取られる。。。
最初から最後まで元カレだけが「怪しい!!信じられない」と叫んでいます
元カレが一番正しいこと言ってたんです。
正解です
本当に怖いですね
主人公のパワー
是非、【アバター】鑑賞あれ!!!!!!
2時間30分と言う長さなのに飽きたりしない!
かなりの長映画だけど、おもろいから集中できる。
主人公が新たな体を手に入れて無双するのは異世界転生ものと似てるけど、おもろい。
戦闘シーンは当時の最高技術ってこともあってやっぱすごい。
正直現代の科学兵器と弓矢じゃ話にならないと思ったけど、勝てて良かった。
最後の動物たちが協力してくれる展開は激アツ!
次回作に期待!
悪人の大佐は誰かに似ている。
また、削除されました。
おさえて表現しないといけないのですね。
兎に角、自虐的であっても、キャメロン監督は否定的に自分達の歴史を描いていると僕は思います。
新大陸に白人がやってきた事。ベトナム戦争。焼夷弾による空襲が想像できます。
かなり、ジブリのアニメをリスペクトしていると僕は思います。
とても面白かった
劇場公開時以来で続編の予習で見返す。公開当時は3Dばかりが気になって物語はあまり印象に残っていない。面白かった記憶がないのだが、今回2Dで見返すととても面白かった。
主人公が米兵のノリでナヴィの人々に親しもうとしているのが愉快だし、車いす生活から歩いたり走ったり飛び回るなど躍動感いっぱいに動くことの喜びが伝わる。人間を裏切ってナヴィ側についたと思ったら躊躇なく人間を殺して、思い切りがいい。
鳥とは絆が生じると言っていたのに、自分を認めさせるために凶暴な鳥に鞍替えしていて、元の鳥が気の毒だ。その後全く出てない。
随所に『風の谷のナウシカ』の印象が見られる。
映画館で見たかった
めっちゃ良かった。風景もめっちゃ綺麗。人間が帰っていく時エイリアンが帰ると表現していておぉ〜と思った。
ヘリが飛ぶ時帽子が飛んでった兵士がいて笑った。
次回作のウェイ・オブ・ウォーターが楽しみ。今度は絶対映画館で3Dで見る。
まさに革命
"アバター" シリーズ第1作。
DVDで鑑賞(吹替)。
嗚呼、何故映画館へ観に行かなかったのか!
…と、未だに悔いているのが本作です。
本作以降、画面の奥行きに特化した3Dは新たなスタンダードとなり、今日に至っているのは本当にすごいな、と…
長尺なのにダレず、ずっと引きつけられてしまう脚本の面白さもさることながら、ジェームズ・キャメロン監督が極めようとした映画芸術、映像表現のすごさに圧倒されっぱなし…
高精細のCGで表現されたパンドラの風景はとても美しく、そこで繰り広げられる地球人とナビィの戦いの壮大さは比類無きスケールで、まさに革命的映画だと思いました。
3Dで観たことがないので、
2作目公開を記念した再上映が本当に楽しみです!
[以降の鑑賞記録]
2012/02/17:金曜特別ロードショー
2016/? ?/? ?:Blu-ray(字幕)
2023/02/08:地上波放送(テレビ大阪)
12年ぶりに視聴。当時は大学生で映画館で3Dで鑑賞し、そのファンタ...
12年ぶりに視聴。当時は大学生で映画館で3Dで鑑賞し、そのファンタジー感に感動したのは覚えている。
SFとファンタジーのハイブリッドという様子で地球上の話ではないが、リアリティを持って鑑賞することができた。最初、ジェイクがアバターに乗り込む所から始まり、徐々にファンタジー感あふれる世界で新たな事を次々に体験していく様子にワクワクしながら視聴していく。その中で①主人公の成長②主人公とヒロインの恋愛③先住民と征服者の問題という課題を体験していく様が違和感なく盛り込まれており、どのような視点の視聴者でも楽しめる作品となっている。
インディアンとウラン鉱山を彷彿とさせる内容。
現代版"崩れゆく絆" 宗教vs科学の全面戦争 血は血でしか洗えない。
〜はじめに〜
ストーリー展開が単調すぎると酷評されている作品だが、私は全くそう思っていないことをまず明記しておく。
揺らぐアイデンティティ・文明と未開の邂逅など様々な見方ができる作品であり、そのどの観点も決しておろそかにしない繊細な物語構成に圧倒された。
〜"崩れゆく絆"について〜
"崩れゆく絆"というのは、アフリカ文学の巨匠チヌア・アチェベの代表作の小説だ。アフリカ大陸のとある場所の、ある部族の生活と、植民地政策のもとヨーロッパ人がやってきてキリスト教を持ち込んだことで原住民の生活や人々の絆が変化に晒されながらも崩壊していく様を描く物語。アフリカ出身のアチェベがアフリカ人目線で繊細に描く。
〜本作と"崩れゆく絆"との類似点〜
①"未開"を開拓する"文明人"
ナヴィと地球人、アフリカ原住部族とヨーロッパ人
この関係性がパラレルになっている。
②信じるもの
地球人は、金・物質的利益を求めて科学や理論の力を盲信している。ナヴィは、ナヴィや自然との繋がりを大切にし、宗教的に自然を崇拝する。
"崩れゆく絆"におけるヨーロッパ人とアフリカ大陸の原住民にも共通していて、パラレルになっている。
〜ナヴィとアフリカ部族の共通点〜
ナヴィもアフリカ部族も、自然崇拝の文化を持つ。恵みを与える一方、大きく牙を剥くこともある自然。その自然に囲まれる彼らは、自然に畏怖の念を抱き恐れ、またその偉大さに敬意を払う。自然には敵わないことを前提として、彼らは自然に合わせて生き、自身は自然の一部だと考える傾向にある。つまり、自然と一体なのだと。
この"自然と一体"というのは今作においてかなり強調されていて、動物から力を借りる時(乗馬など)や自然に祈る時に、ナヴィ達の頭の先にある触覚を、動物の触覚や森の植物と連結させ、心を通わせている。この点興味深かった。
あらゆるものに神が宿っていると考えており、食料調達のため動植物の命を奪う際、自然の恵みに感謝し、祈る。
また、そうした神からの"お告げ"も重要である。"エイワ"と呼ばれる自然の神のお告げはナヴィ達の選択に影響を与える。同様にアフリカの部族にも大地の神や山の神が居て、その神からのお告げを頼りに飢饉や自然災害の対応や罪人への判決を決めていた。彼らにとって生活の中核をなす存在で、精神的な拠り所だった。
〜"現代版"の意味〜
現代版と呼べる理由は、"崩れゆく絆"の文明vs未開という構図を踏襲しながらも、"崩れゆく絆"には居なかった存在がいること。それが今作の主人公のジェイク。なぜなら、彼は両方のアイデンティティを持っているからだ。地球人であり、ナヴィでもある。ジェイクはナヴィの生活に侵入し、生活する内に自分の正体が人なのか、ナヴィなのか、その境界線を見失いそうになる。それほどにジェイクは両者に入り浸り、深く理解している存在と言える。
ジェイクのような存在がもし植民地政策時代に居れば、違った歴史になっていたのかもしれないと思わせてくれる。しかし、ジェイクという両者の架け橋となる存在が居ても、人類は、人類側の都合だけで、ナヴィ達の聖地スカイツリーを焼き払った。多くのナヴィが燃え盛るスカイツリーの下敷きになり、どれほど人類が愚かか、痛感する。文化の象徴でもあり家でもあるスカイツリーを奪われ、怒り狂うナヴィ。結局、戦争になる。流された血を洗うことができるのは、結局のところ血だった。ナヴィは大自然の力を借りて地球人に反撃し、見事に勝利を収め、ハリウッド映画としてはハッピーエンドを収める。
〜この物語は警告だ〜
① 植民地政策の犠牲者だったはずの、いわゆる"black"が、"鉱石採掘のためナヴィの文明破壊に乗り出す地球人側"に居たこと。(犠牲者であるはずの彼ら自身が時間の流れとともに、その悲しみをいつしか忘れ、かつての宗主国達と同じことを繰り返している)
②ここまで多くの人々や生活を代償にしなければ自由が勝ち取れなかったというこの世界の残酷さ
③信じるものが違うの者同士は、これだけ血が流れたにも関わらず、結局分かり合えなかったという悲劇
以上をもって、私は本作の物語をハッピーエンドとは決して思わない。
だが、これは幸いにもフィクションなので、私達はこの物語から学んでいくべきなのは言うまでもない。本作はそういう作品だった。警告として私達の前に現れた一つのバイブルだった。
観賞後の余韻は30分で消え、鑑賞翌日には観た事も忘れていたという珍しい作品。
2010年元日の夕方に渋東シネタワー(現在の“TOHOシネマズ 渋谷”)にて、2D鑑賞。
『タイタニック』で興行成績の記録を塗り替え、賞レースを制し、“巨匠”と呼ばれるほどの功績を残したジェームズ・キャメロン監督。その後はテレビドラマ『ダーク・エンジェル』を製作したり、深海ドキュメンタリー映画を手掛けたりと表舞台から遠ざかっていた彼が12年ぶり(当時)に劇場用映画の新作を放ったというのは、『ターミネーター1&2』をキッカケに映画好きになった自分にとって、興味を持たずにいられない事で、その『アヴァター』は、その頃の自分にとっては、かなりの期待度の高さで劇場へ足を運んだほど、楽しみな一作となりました。
時は西暦2154年。死んだ兄に代わり、衛星パンドラでの任務に就くことになった海兵隊員のジェイク(サム・ワージントン)は、その地に住む原住民“ナヴィ族”と接触するために、ナヴィ族と人間の遺伝子を融合した生物に自身の意識を移して操る“アヴァター計画”に参加し、計画責任者のグレイス(シガニー・ウィーヴァー)と共にパンドラの地上に降り立ち、そこで予想外な経験をしていく事になる(粗筋はここまでです)。
12年のブランクは感じさせず、モーション・キャプチャーを駆使した映像と実写を違和感無く溶け込ませ、新たな映像革新に挑み、タフな女性をヒロインに据えて、企業やテクノロジーを脅威として描きながら、地球温暖化やアメリカの侵略の歴史を批判するといったキャメロン監督らしさは満載で、2時間40分以上の長尺を飽きずに観られる事は良かったと思います。しかし、キャメロン監督が年を取って、創造力が衰え始めたのかどうかは分かりませんが、残念ながら、後には何も残らず、鑑賞終了から僅か30分で余韻が消え、鑑賞翌日には観た事を忘れているという珍しい作品でもありました。
キャメロン監督は『ターミネーター2』のソフトに収録されたドキュメンタリーのなかで「美しい映像を見て、観客が驚かなくなったら、それは“人間味を失うな”という製作者への警告を意味している」とコメントしていた事があります。このドキュメンタリーが収録されたのは2003年頃で、ちょうど、大作でCGを駆使した映像が当たり前となり、それに驚く事が少なくなり始めた時のものですが、本作を観て、そのコメントが私の脳裏を過り、もし、このドキュメンタリーをキャメロン監督本人が見たら、何を思うのかと興味を持ちました。本作は映像が全てで、その映像も本編が始まってから45分が経過する頃には見慣れてしまい、そこで驚ける事は無く、終盤の戦いでは『スター・ウォーズ エピソード6/ジェダイの帰還』や『同 エピソード3/シスの復讐』で観たことあるシーンの焼き直し、他にも色々なファンタジー映画で既にやっている事の亜流な再現など、アイディアの枯渇(アヴァターを操る装置が日焼けサロンのマシーンにしか見えないのは如何なものか。“マトリックス”のプラグの接続一つで仮想現実へ行けてしまうようなシンプルかつ斬新さが、あまりにも無さすぎます)を感じさせるところがあり、それが多すぎてウンザリしました。
登場人物に魅力は無く、キャメロン監督の過去作の主人公ならば絶対に有り得ない“足の不自由な主人公”が“アヴァターを操作する事で現実逃避に走り、それが最後まで続き、全く成長を見せない点には呆れてしまい、「こんな魅力のない主人公をキャメロンは描きたかったの?」と疑問を持つことしか出来ず、共感をしなければ、心に響く行動や台詞も無いので、物足りなさしか感じず、多少はカッコいいキャラが居ても、それはキャメロン印を忘れさせないようにするために、急遽、付け足されたような存在に過ぎず、今までの主人公が何か(人類の命運や夫婦・家族の絆の維持と再生、極限の状態まで追い詰められても生き延びようとする)に病的なぐらい執着してきたのとは違い、「自由に動き回りたい」事を除けば、何のポリシーや情熱を持たないので、キャメロン作品で最もロクでもない人物だとしか思えません。
本作のマイナスな部分は多いですが、今までのキャメロン作品にあった特徴的なカメラワークが殆ど無かったのも、その一つでしょう。『ターミネーター』では負傷した腕を“ターミネーター”が自ら修復するシーンで手術器具から、腕の内部までを徹底的に見せ、『タイタニック』では一等船室の夕食会に招かれたディカプリオ扮するジャックがナイフやフォークの使い方が分からず、戸惑う時に、それらを一瞬、さりげなく映して、彼の戸惑いを分かりやすく見せたといったのが本作ではなく、普通のカメラワークで、他の監督が撮っていても変わらないように見え、「キャメロン監督だから」という特別な感じも味わえず、物足りなさが残ります。
現在、キャメロン監督は本作の続編を準備し、“三作同時撮影”とか“フレームレートを上げて撮影する”といった事に挑戦するようですが、そこには何も期待できません。本作はキャメロン監督のネームバリューと3D上映の謳い文句が無ければ、そこまでヒットはしなかったでしょうし、『タイタニック』で一つの到達を果たしたのだから、本作のような作品ではなく、もう一度、低予算か大作でも実写がメインの作品に挑んで原点回帰をするべきなのではと思います(“ターミネーター”のドキュメンタリーで彼は“低予算-ゲリラ-映画は自分の信念に基づいて作ることが出来るから、魅力がある”とコメントしているので)。本作は公開前に流れていた4分間の予告編が全てで、それ以上のモノがありません。自分の期待値が高すぎたので、観たことも忘れるぐらい、つまらなかった事は衝撃的でしたが、もうキャメロン監督のピークが過ぎたという事で、この内容も仕方がないのだと思っています。
キス
かなり作り込まれていたし、背景もしっかりしていて入り込めた。
3Dの技術の凄さを実感。
ただ、人間とは違う原始的な種族の人なのにラブシーンでキスをしているのに違和感があった。
途中、鼻と鼻をくっつけるシーンがあって、それがその種族での愛情表現だと感じたし、人間じゃないのに人間と同じに無理にする必要は無かったかなと。
◆ 映像を楽しもう ◆
3D映画の代名詞とも言える映画ですね。
とにかく映像が凄い。
DVDで凄いんだから、3Dを劇場で見た人達は度肝を抜かれたんじゃないかしら?(私は見てないけど)
異星人側をメインで描くのは珍しいですね。
人間は完全悪者。
なかなか面白いストーリーなんだけど、映像の凄さに負けてしまってる印象です。
前評判が良すぎて、期待値が上がっていたせいもあるのかもね。
大佐の強さは異常(笑)
彼はマスク無しでも、パンドラで暮らして行けると思うよ。
すばらしいの一言に尽きる☆これはスピリチュアルファンタジーだ!
凄い映画です☆
この映画、エンターテイメント部分だけ見ていてはもったいないです。
その奥にある「精神性」に注目すべきではないかと思っています。
ブログで長ーいアバターのレビュー書きました☆
暇な人は見てみて☆
kokohorepochi.blog38.fc2.com/blog-entry-7.html
突っ込み所がありすぎて
英国人に虐殺されるインディアンを彷彿とさせます。てかそのまんま。
最初アバターそのものが受けつけなくて、なかなか話に入っていけませんでした。
求愛?生殖行為も人間と同じ…。これで一気にしらけてしまいました。
ストーリーが安直過ぎて、先が読めます。どんなに優れた映像でも、話がしっかりしていないと台無しですよね。
槍(どんな盾も貫く素材かもだけど)が戦闘機コックピットのフロント部分のガラス?を割るとか…主人公は裏切ったのに、あんなに簡単にアナザーたちは受け入れてしまうし…村(樹)を焼かれて、ヒロインにおいては父親を結果殺されたのにですよ…?
えー?そんなもんなの?と、納得いかないまま都合のいいラストへ。てか原始的な生活をしてるアナザーが、なぜ緊急呼吸装置を知ってるの…?
このお話、映像だけが売りなんじゃないんですか?
アバターは宮崎アニメの3DCG実写版として勝手に認定!
アバターは3Dを想定して奥行きを意識したといわれる映像が、
2Dでは逆に奥行きを感じなくなっているのは気のせいだろうか。
しかしどこまでが実写でどこからがCGか、もうわからないぐらい
緻密に描かれる映像は感動的だ。
たぶん3Dで観たらさらに感動できるだろうことは想像に難くない。
ところで、今回はその映像や最新技術に目がいってしまったのか、
ストーリーのチープさを酷評する者が多いが、この映画のストーリー
の出自が宮崎アニメのナウシカである、と勝手に決めさせてもらう。
ケビン・コスナーの「ダンス・オブ・ウルブス」と極似であったとしても、
それであれば他にももっとあるんじゃないかしら。
もともと日本のアニメや漫画に造詣の深いキャメロンだから、出自を
ナウシカとしたとしても別に不思議ではない。
そういえば銃夢はどうなったんだろうね。
まあそれはいいとして、キャメロンは別の方向からナウシカの実写化
(まあCGアニメという捉え方もあるが)に成功してしまった。
さらには映像的にラピュタやもののけ姫まで持ち出して宮崎アニメの
フリークを大いに喜ばしてくれている。
まあそうしたぼくの心をくすぐってくれるシーンの数々に個人的には
とてもよかったのだが、一般的にも評価されてよい作品だと思う。
アバターのテーマはシンクロニシティ=同期だ。アバターとの同期も
そうだが、ナヴィ族は自分の髪の毛の先から出てくる、まるで王蟲の
触覚にしか見えないもの(フィーラーというらしい)で、馬や怪鳥や
植物と同期する。
そして、シガニー・ウィーバー扮するグレース博士がいうように、動植物
を含めたパンドラという星全体が意識を同期できるネットワークを持って
いるのだ。
実にここで描かれている世界観は、吉本隆明の「アフリカ的段階」や
中沢新一の「対称性人類学」に等しい。西欧的には南北戦争やインディ
アンやアフリカのお話に結びつけたがるだろうが、それも拡大解釈すれば
森羅万象の東洋的宗教観に結びついてしまう。人間がまだ動物や植物と
密にコミュニケーションを行い、お互いがいつでも入れ替わることも可能
だった世界は、神話の多くが語っている。
それはヘーゲルがいうところの野蛮ではなく、異世界の文化である。
それは現代の文化と同等に価値のあるものである。
ところで、アバターの宮崎アニメ的シーンはさきほどの触覚だけではない。
ラピュタを思わせる浮かんだ岩(これは飛行石ではなく磁力によるのだけど)
や、人間たちをなぎ倒すように襲ってくる猛獣の群れはもののけ姫のいのしし
の大群を想起する。
怪鳥に乗っている姿に千と千尋を想起したり、輸送機を襲撃するシーンで
ナウシカを想起することもできる。
さらには、ナヴィ族が住む森の造形はまんまもののけ姫に出てくる森そっくり
だし、魂の木の造形はもののけ姫のシシ神のいた森を想起してしまう。
とまあ、世界観が似通ってるからなんでもそんな風に見えてしまうのだけれど、
そういう風に見えるからぼく的にはとても楽しい作品に仕上がっていた。
それはラッキーなことだと思う。
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