ダージリン急行 : 映画評論・批評
2008年3月4日更新
2008年3月8日よりシャンテシネほかにてロードショー
馬鹿でとりとめがない映画なのになぜか心に沁みてくる
ウェス・アンダーソンの映画を見ると、私は「とりとめがない」という言葉を思い浮かべる。語り口はとりとめがなく、登場人物の言動もとりとめがない。観客も最初は、とりとめがない印象を覚えるのではないか。
なのに、彼の映画は沁みる。馬鹿でおかしくて、ギャグやジョークやガジェットで空間が満たされているにもかかわらず、最後に残るのはとても良質のメランコリーだ。「ダージリン急行」でも、アンダーソンはスリー・ストゥージスを思わせる3兄弟を登場させる。3人は、それぞれにエゴが強い。長兄はコントロールマニアだし、次兄は神経質だし、末っ子は頑なだ。一度壊れた関係が修復されるとはとても思えない。
アンダーソンは、そんな3人をインドの汽車に乗せる。バスや馬車にも乗せて見知らぬ土地を漂流させる。3人は、それぞれの感性やスタイルを崩さない。たがいの特性や美質を発見しあったりもしない。むしろ勝手気ままに、自身に特有の穴を掘り進めていく。
ポイントはここかもしれない。
3人の感性を放し飼いにし、それぞれのおかしさが、インドのおかしさに触れたり、はぐれたりする。このちぐはぐが、映画にとりとめのなさを与え、なおかつ観客を意外な場所へとかどわかしていく。「こわれた家族」の言動を変奏しているうち、アンダーソンはこの技を自家薬籠中のものとしてきたようだ。
(芝山幹郎)