「プロたちの物語」ランボー 最後の戦場 LSさんの映画レビュー(感想・評価)
プロたちの物語
ミャンマーに縁があって当時レンタルしたが、最初のシーンにショックを受けて見るのを止めていた。今回、4Kトリロジー公開に併せて残り2作の上映があったので5週連続で鑑賞中。
フィクションとはいえ、まだ軍政下だった当時のミャンマー情勢を反映して、少数民族を弾圧、虐殺する国軍の非道な暴力が過剰なまでに描かれる。それに対し、ランボーが囚われた同胞を救いに行くという物語の構造は2・3作目と同じ。
だが、裏切る政治家や無能な情報機関は存在しない(というか米国政府自体関わってこない。アフガンから20年以上たち、さすがにトラウトマンも引退したか)。現れるのは伝道組織の人道支援者たちに救出チームの傭兵たち。どちらも最初は威勢がよいだけのトラブルメーカーかと疑ったが、いざ現地に入ると、後者は特殊戦のエキスパート、前者も戦闘の直後からてきぱきと負傷者の救助を行う、どちらも信念で行動するプロフェッショナルだった。
そして命をつなぐ人々がいればこそ、死と破壊を生業とする人々が際立つ。法と理性が支配する世界では害悪、よく言って必要悪かもしれないが、いいか悪いかと関係なく、彼らが必要となる世界は存在するということを、映画は躊躇なく描き出す。
ランボーは自身が死と破壊の側に立つ人間であることを自覚しつつ、同じ側で戦う仲間(第2・3作で救った相手)以外にも、自分とは相容れなくても信念を持つ人を護るために命を賭けるという生き方もあると気付いて、国に還る決心をしたのかと想像した。
最後に再び、過激な暴力描写についてだが、機関銃で真っ二つに轢断される人間、砲撃や地雷で爆散する肉体をひたすら見続けると、民間人も軍人も、敵も味方も、持つ者も持たざる者も関係なく、武器に対して人間とは何と脆いものだろうとの諦観を抱かされた。
武器は支配の道具にも抑止力にもなる。だがどんな理由で正当化しても、使ってしまえば残されるのは虚しい死という現実に気づかされる。強烈な映画だった。
(11/26初稿、12/23誤記訂正)