誰も守ってくれないのレビュー・感想・評価
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【81.9】誰も守ってくれない 映画レビュー
『誰も守ってくれない』は、現代社会が抱える根深く陰湿な問題を鋭く抉り出した、重厚な社会派サスペンス。全体として、その完成度は極めて高い。公開当時、少年犯罪における加害者家族へのバッシング、メディアスクラム、そして匿名のインターネット社会が引き起こす私的制裁の是非といった時宜を得たテーマを真正面から捉え、観客に倫理的な問いを突きつけることに成功している。物語の展開は、冒頭の事件発生から、事態が急速に悪化していく過程、そして主人公である刑事・勝浦が葛藤しながらも真実と正義を追い求める姿を、緊迫感あふれる筆致で描き出す。特に、事件の被害者と加害者の家族双方に対する社会の冷酷な眼差し、そして何より「正義」の名の下に行われる無責任な集団リンチの狂気をリアルに描破した点は特筆に値する。
しかしながら、本作が提起する問題のあまりの深刻さゆえに、観客に突きつけられるのは、明確な解決策や希望ではなく、むしろ拭い去れない絶望感と無力感である。エンディングにおいても、全ての登場人物が救済されるわけではなく、むしろ傷跡が深く残る形で物語は幕を閉じる。この「救いのなさ」は、社会の抱える問題の根深さを強調する効果がある一方で、観客によっては感情的なカタルシスを得にくいと感じる可能性も否めない。それでもなお、社会の闇と人間の醜さを直視させるその姿勢は、商業映画としてのみならず、現代社会への痛烈な警鐘として、極めて重要な意義を持つ。作品全体を覆う重苦しい雰囲気は、観客に安易な感情移入を許さず、むしろ思考を促す。その点で、エンターテインメント性と社会性のバランスを高いレベルで両立させた稀有な作品と言えよう。
君塚良一監督は、テレビドラマ「踊る大捜査線」シリーズで培った社会派エンターテインメントのノウハウを遺憾なく発揮。リアルな警察捜査の描写と、人間の心理の機微を丁寧に描く手腕は本作でも健在だ。特に、メディアによる過熱報道と、それによって増幅される世論の暴力性を、視覚的・聴覚的に巧みに表現。インターネット上の書き込みを映像として挿入する手法や、テレビニュースの音声を多用することで、観客はまるで自分自身がその狂気の中に巻き込まれていくかのような錯覚に陥る。感情の揺れ動きを細やかに捉えた人物描写も秀逸。登場人物たちの葛藤や苦悩を、過剰な演出に頼らず、むしろ抑制された演技と表情で引き出すことに成功している。全体として、過度な説明を排し、観客に考えさせる余白を残した演出は、作品のテーマ性をより一層際立たせている。
本作の主人公である刑事・勝浦巧を演じた佐藤浩市の演技は、まさに圧巻の一言。少年犯罪の加害者家族を保護するという重責と、自身の過去の過ちとの間で葛藤する刑事の複雑な内面を、見事に体現している。当初の冷徹で割り切った態度から、事件に深く関わるにつれて人間的な情念を露わにしていく過程は、その表情の微細な変化、視線の揺らぎ、そして時折漏れる息遣いの中に克明に刻まれている。特に印象的なのは、加害者の少女・沙織を前にして見せる、苦悩と憐憫が入り混じった眼差し。決して多くを語らないが、その眼差し一つで、勝浦が抱える心の傷の深さ、そして正義と職務の間で揺れ動く倫理観を雄弁に物語る。また、理不尽な暴力や罵倒に晒される中で、内なる怒りを抑えきれずに感情を爆発させるシーンでは、その抑圧された感情が堰を切ったように噴出する様を、全身で表現。観客は、勝浦の苦悩に深く共感し、その人間的な弱さゆえに、かえって彼の正義感に説得力を感じずにはいられない。佐藤浩市は、一貫して抑制された演技の中に、沸き立つ感情を巧妙に隠し持ち、ここぞという場面で爆発させることで、観客の心を鷲掴みにする。本作における彼の演技は、まさに日本映画史に残る名演と言っても過言ではない。
少年犯罪の加害者家族として、社会から徹底的に排斥される少女・沙織を演じた志田未来は、その若さにもかかわらず、計り知れない絶望と恐怖、そして葛藤を内包した演技を披露。表情の乏しさの中に宿る微かな震え、視線のさまよい、そして言葉にならない嗚咽が、沙織の置かれた絶望的な状況を痛いほどに伝える。無力でか弱い存在でありながら、時に見せる毅然とした態度や、僅かな希望にすがるような眼差しは、観客に強い印象を残す。特に、勝浦との間に芽生える信頼関係の中で、徐々に人間らしさを取り戻していく過程を繊細に演じきった。
勝浦をサポートする若手刑事・三島省吾を演じた松田龍平は、独自の存在感を発揮。冷静沈着でありながら、事件の非情さに触れて葛藤する若者の姿を、自然体で表現。勝浦とは対照的なアプローチで事件に臨む姿勢が、物語に奥行きを与えている。彼の控えめながらも確かな演技は、物語の緩衝材として機能し、重くなりがちな作品のトーンに微妙なニュアンスを加えている。
過去に勝浦が担当した事件で息子を失った父親、本庄圭介を演じた柳葉敏郎は、深い悲しみと、その悲劇がもたらした心の傷を、抑制された演技の中に滲ませる。表面上は穏やかにペンションを営むが、その眼差しには拭い去れない喪失感と、過去の事件への複雑な感情が宿る。勝浦との再会によって、彼の内面に秘められた感情が静かに揺れ動く様を、過剰な表現に頼らず、繊細な表情の変化や佇まいで表現。加害者家族への単純な復讐心ではなく、自身の癒えない傷と、過去の事件の真相、そして勝浦との関係性の中で、複雑な感情を抱える一人の父親の姿を、説得力を持って演じきった。彼の演技は、被害者遺族の苦悩を深く掘り下げ、物語に重層的な人間ドラマをもたらしている。
脚本は、君塚良一監督自身が手掛けており、現代社会が抱えるデリケートな問題を真正面から描いた意欲作。少年犯罪の加害者家族への過剰なバッシング、匿名のインターネット社会が引き起こす誹謗中傷、そしてメディアスクラムの無責任さといった、まさに時宜を得たテーマを巧みに織り交ぜている。ストーリーは、単純な善悪二元論に陥ることなく、被害者と加害者双方の視点、そして社会の反応を多角的に提示。特に、加害者家族の置かれた絶望的な状況を克明に描写することで、観客に安易な感情論ではない、深い思考を促す。
物語の構成は、事件発生から捜査の進展、そして社会の反応がエスカレートしていく過程を、サスペンスフルかつ緻密に構築。勝浦の過去のトラウマと、本庄圭介の存在がシンクロしていく展開は、観客の感情移入を深め、物語に深みを与えている。また、インターネット掲示板の書き込みやテレビ報道など、現実世界と地続きの描写が随所に散りばめられ、観客に「これは自分たちの問題でもある」という認識を促す。
しかしながら、本作の脚本には、いくつかの課題も散見される。物語が提起する問題のあまりの大きさと複雑さゆえに、最終的な解決策や明確な希望が示されないまま幕を閉じる点は、観客によっては消化不良感を覚える可能性も否めない。また、一部の登場人物の行動原理がやや説明不足に感じられる場面もあり、より深掘りすることで、物語の説得力が増した可能性もある。だが、これらの点は、本作が抱えるテーマのあまりの根深さゆえとも言える。安易な解決策を提示せず、観客に問いを投げかけ続ける姿勢こそが、本作の真骨頂であり、社会派作品としての価値を高めている。
映像は、全体的に抑えられた色彩と、冷たいトーンで統一され、作品の持つ重厚なテーマ性を強調。暗く狭い警察署の廊下、薄暗い保護施設、そして雨に濡れる街並みなど、常に閉塞感と陰鬱な雰囲気が漂う。これは、加害者家族が社会から隔離され、追い詰められていく様を視覚的に表現する効果がある。美術は、リアリティを追求した質実剛健なもの。警察署のセットや、登場人物たちの生活空間は、過剰な装飾を排し、いかにも現実の延長線上にあるかのような説得力を持つ。衣装もまた、登場人物の置かれた状況や心情を反映。勝浦のくたびれたスーツや、沙織の地味な私服は、彼らの心境と社会的立場を暗示する。全体として、視覚的な要素は、物語のリアリティとテーマ性を補強する役割を十二分に果たしている。
編集は、物語の緊迫感を高める上で重要な役割を果たす。テンポの良いカット割りは、観客を飽きさせることなく物語に引き込み、特に、メディアスクラムの狂気を描くシーンでは、テレビのニュース映像、インターネットの掲示板の書き込み、そして街頭のざわめきといった断片的な情報が目まぐるしく切り替わることで、情報が錯綜し、状況が急速に悪化していく様を見事に表現している。登場人物たちの心理描写においても、長回しとクローズアップを効果的に使い分け、彼らの内面の葛藤を丁寧に描き出す。全体の流れはスムーズでありながら、時折挟まれるフラッシュバックやインサートカットが、物語に奥行きと緊張感を与えている。
作曲家は村松崇継。音楽は、作品の持つ重厚な雰囲気を損なうことなく、登場人物たちの心情に寄り添う形で効果的に使用されている。派手さはないものの、静かで物悲しい旋律が、全編にわたって流れることで、観客の心を深く揺さぶる。特に、勝浦と沙織の間に芽生える微かな絆を描くシーンでは、抑制されたピアノのメロディが、二人の心情を優しく包み込む。音響効果も秀逸で、雨音、街のざわめき、そしてインターネットのタイピング音といった生活音や環境音が、物語のリアリティを増幅。特に、匿名の誹謗中傷が飛び交うシーンでは、不協和音のような音響が、視聴者の不安感を煽る。
作品
監督 (作品の完成度) 君塚良一 114.5×0.715 81.9
①脚本、脚色 君塚良一 鈴木智 B+7.5×7
②主演 佐藤浩市A9×3
③助演 志田未来 A9×1
④撮影、視覚効果 栢野直樹 B8×1
⑤ 美術、衣装デザイン 山口修 B8×1
⑥編集 穗垣順之助
⑦作曲、歌曲 村松崇継 S10×1
【被害者側の家族と、加害者側の家族の現代社会の非情さと人間の危うさを浮き彫りに。セミドキュメンタリーの手法を用い、登場人物たちの心情をリアルに映し出す作品。】
■未成年の男が小学生姉妹殺人事件の容疑者として逮捕される。
マスコミが加害者の家に押し寄せる中、妹の沙織は両親とバラバラに保護されることに。刑事の勝浦が彼女の担当になるが、マスコミ報道とネットの書き込みが過熱化し、二人は逃げ場を失っていく。
◆感想
・私の務める企業でも、様々なトラブルが起きる。
だが、真っ先に行うのが(特に、加害者の瑕疵が薄き案件である。週末に車を運転していた際に、路上で寝ていた人を轢いたしまった案件等。)
- 流石に、報道機関にも連絡をし、過大なある処分にして貰った案件にして貰ったモノである。-
・今作の見所は、名もなきSNS上の愚かしき人々に対し、刑事が決然と立ちむかうシーンであろう
<私は、このレビューサイトでコメントを全て受けるスタンスを取っている。
だが、数名のレビュワーの方の、夜中二時のコメントは控えて頂きたいと思っている。
私はバリバリの企業に勤めているのでそこらへん、宜しくお願いしたいモノである。
(私のレビューが老成した感があるらしいが、現役の勤め人ですので、そこらへん、宜しく。貴女ですよ!)
考えさせられた作品
問題提起、知らない現実
事件には加害者と被害者が存在する。
それらが天涯孤独でない限り、加害者家族と被害者家族が存在し、ともすれば親戚縁者をも巻き込む。
そんな相関関係の中で加害者家族の保護という考えた事もないテーマがこの映画だ。
確かにこの視点は興味深い。
ニュースを見て視聴者となった我々は加害者家族含めて悪とみなす。加害者を生み出す素地が家庭にあると決めつけるからだ。
感情論で言えば、加害者側に情状酌量の余地は無い。
その反面、人権という憲法に保障されている権利を遵守するために警察機関が率先して保護をするという矛盾がもどかしい。
私個人的な意見ではあるが、犯罪において被害者側より加害者側が何故にそこまで擁護されるのかと疑問だらけな現実に嫌気はさしている。
非人道的な事件を犯した者に、年齢問わず人権は剥奪されてもいいと思う。問答無用なのだ。
さてこの映画。
10年前の作品で既にネット炎上が盛り込まれる。
そんな先進的なマスゴミからテレビや週刊誌のマスゴミがリアルに描かれて興味深い。
前半圧倒的なスピード感でドラマが進み一気に引き込まれる。
惜しい事に、最後が締まらない⤵️
佐藤浩一さんはこういう重い主人公にピッタリだ。
また、当時16歳の志田未来ちゃんはとてもこの歳とは思えない演技力。
今だに一線で活躍できている片鱗が充分に見る事が出来る。
「お茶漬けにしてやってください」「筋子が凍ってるな」
背筋が凍る・・・なんども飛び出す勝浦刑事(佐藤浩市)と三島刑事(松田龍平)のやりとり。1月24日に放送された連動ドラマ『誰も守れない』を事前に見ておくと、“シャブ漬け”という言葉につい噴いてしまいましたが、三島の自虐的とも言える性格など彼らの性格、迷コンビぶりが楽しめる。その上、「背筋が凍る」という言葉の重みも過剰で執拗なマスコミ取材のいやらしさ、それに情報過多のネット社会の存在が被害者家族をおびやかす顛末を象徴していたかと思う。
事件の4ヶ月前を描いたTVドラマ『誰も守れない』では被害者家族の許へ検察庁の被害者相談室の支援員が即日訪れるのですが、この映画では加害者家族を守るために区役所職員や教育委員会までが家族宅へ駆けつけてくるのだ。なぜ区役所?などと首を傾げていると、いきなり離婚届と婚姻届の判を捺させ、容疑者家族の姓を変えてしまうという荒療治を施してしまう・・・驚きだ。
勝浦目線で追いつつも、やがて困惑しっぱなしの加害者の妹沙織(志田未来)目線へと見方も変わり、家族が犯罪を犯すことが周りに与える影響の凄まじさにのめり込んでしまうこと間違いなし。『手紙』という映画も加害者家族を扱っていましたが、同じ殺人事件であっても貧しさからくる古風な事件でした。その点、今作では直情的(状況は説明されてない)な現代的な犯行。発達した情報社会の中にあって、身につまされる内容だ。
それにしても佐々木蔵之介(佐々木とはいえ、だいまじんではない)が演ずる新聞記者はとても怖い。自身の息子が不登校になったということもあって、犯罪を憎みすぎ。たしかに被害者遺族の気持ちを考えてみると糾弾したくなるのもわかりますが、その標的が犯人の妹というのも・・・頭がおかしいだろ!人間はなぜか弱い者を攻撃したくなることの表れなのでしょうけど、執拗なカーチェイスをやってのけるパパラッチのようなマスコミにしても、それこそ背筋が凍るぞ。
その新聞記者が言い放った「家族は死んで償え!」という言葉にしろ、TVドラマでの「犯罪が起こらない限り捜査できない」といった印象に残る言葉も多い。3年前の事件の被害者であるペンション経営者夫婦(柳葉敏郎、石田ゆり子)の悲しさも目の当たりにし、しきりに反省する勝浦。沙織には他人の痛みをわかれば人として成長できる、これからは家族を守れと説くシーンもいい。。殺人犯人の家族という事実は一生ついてまわるのだが、彼女の人生は何度も壁を乗り越えなきゃならないんだろうなぁ。
なんとなくダルデンヌ兄弟の映画を参考にしたんじゃないかと思えるセミ・ドキュメンタリー手法。君塚監督は『マイティ・ハート』を参考にしたと述べていたので、ウィンターボトムだったんですね。
※TVM「誰も守れない」感想
学校の教師が生徒たちにシャブを売っている・・・ひどい世の中。そんな物騒な中でも勝浦刑事と三島刑事(松田)のコンビが笑わせてくれる。
襲われ入院した尾上社長(山本圭)の意識が回復。おぼろげながら、犯人が「家族も覚悟しろ」と言い残したことが蘇ってきたため、警察は家族の保護も検討する。命ぜられた勝浦は「泳がせて犯人逮捕」を主張したが医師を保護することになった。しばらくすると、ネットの書き込みにより、会社の黒い情報が浮かび上がってきた。しかし、厳重な警護に怖気づいたのか、今度もまた娘の借金地獄というデマの書き込みが・・・
保護3日目。単独で怪しい患者(成宮)を尾行中、暴漢に殴られ拉致される三島・・・シャブ漬けにされ放り出されてしまう。患者情報の提供を拒み続けてきた医師だったが、三島のこともあって漸く怪しい人物について語り、逮捕される。
しかし、実行犯は携帯の裏サイトで「復讐を5万円で請け負う」などと非道なことをしていたのだ。誹謗中傷や裏サイトの存在。ネット社会の悪を暴くような内容もあるのだけど、むしろ映画のための序章のような扱い。勝浦が妻と別居中で娘にプレゼントを買おうとしていることや、三島が捕えた犯人の同棲相手と付き合おうとして振られるとか・・・
それにしても、守るとは言っても「事件が起こってからでないと捜査できない」現実。交通事故にしたって、死人が出ないと改善されないこともあるし・・・
〈どちらも2009年1月鑑賞〉
何を守るのか
Fテレビらしい作りの映画。偏見の塊。
「ネット=悪」としたかった描き方。それこそが「悪」。
ネットにイヤな目でもあったのかなw
ネットで晒されたらもう逃げられないぞ、って脅し。
でも逃げるって何から?
マスコミ?ネットおたく?
何が言いたいの?何から「守れ」ないの?
主演の佐藤さんも刑事としてブレブレで無神経。
先ずは志田を母親に合わせるべきでしょ。
そして何故被害者宅に逃げ込む?おかしくない?
そら佐藤さんの「顔も見たくない」わさ。
志田追いかけるマスコミの執拗さとか、
(ハイエースでクラウンには追いつけない)
佐々木蔵之介のネットで情報拾ってる記者とか、
(あ、これも雑誌記者への偏見か?)
ワイドショーのコメンテーターとか、
(ファミレスでワイドショー流れないし)
最後は完全に「ネット=悪」としての見事な描写。
最後のおたく?あんなかっこうしたヤツいるか?
オチも浅くて、何が解決してるのかぼんやりして終了。
みんな笑顔なら解決じゃねーよ。ざけんな。
いろいろ熱くさせてくれた分つまらなくはなかった。
家族はお互いに守りあわなければならない
煮えきらないテーマに考えされられる。
刑事(佐藤浩市)と女子中学生(志田未来)の想いが交錯するなかストーリーが進む。現代のインターネットでの情報の流出の問題や、顔が見えないインターネットならではの、痛みを感じず、まるでゲームでもしているかのような行き過ぎたイタズラに振り回される。その辺りを色濃く反映した物語。
苦汁を飲まされ続けるがじっと我慢をし、それが運命だと言わんばかりに、命令に逆らえない刑事、佐藤。志田は、兄が人殺しをし、兄が逮捕された日に母親が自殺をしてしまう。父は、兄を勉強という檻に閉じ込め、志田はそんな父のことを嫌っている。というかなり暗く重いかせを背負わされ、更には恋人にまで裏切られるストーリーは、観ている側にも重苦しさを感じさせる。
その中で、凡人の刑事とのやり取りはなにか爽快感に欠ける。が、これがリアリティなのだとも思う。スカッとはしないが、どこか現実味を帯びているストーリーは、社会にひと石を投じるのにはちょうど良いと感じた。
警察が容疑者の家族を保護することに対する考え、対応がたんたんと、中立で描かれ、何が良い、悪いの話ではない。
ラスト、志田との心の繋がりが佐藤の明るい未来を暗示させるような終わり方は好感が持てる。
欲を言えば、柳葉敏郎と石田ゆり子の夫婦をもう少し丁寧に観たかった。過去、佐藤が関わった事件で我が子を亡くし、警察や容疑者、そしてその家族に対する熾烈な感情が描かれている。だが、少ないシーンでの表現になっており、怒ったり、悟ったように冷静になったり、許したり、とちょっとせわしない感じを受けた。良い芝居なのだが、そこは今回のテーマを真正面にとらえるため、深堀するわけにはいかないのだろう。都合上必要だからせわしなく踊ってもらったのかもしれないが、じっくりと見たかった。
テレビ屋が作った映画
鑑賞した夜、夢にまで出てくるほどの衝撃
感動しました。落涙もしました。が、靄が晴れない。
鑑賞日の夜、夢にまで、出てくるくらい、衝撃をうけた。
ホラー映画以外で、その日に見た映画が夢に出てくるなんてなかったのですが。。。
この作品も幾つか情報を知った上で鑑賞しました。
①『踊る大捜査線』取材の時に、こんなこともあるんです、とリサーチして映画化
②順撮り
③佐藤さん、志田さん。撮影中は意識して距離をおいていた
④ちょっと変わった撮影方法をとった。本当の表情が欲しくて、
志田さん、一部、本番待ちのときとか、素のときの表情を使った
⑤その他、ストーリーに関するエピソード(ネタバレになるので伏せます)
期待度MAX、期待するポイントも絞られているのに、
ここまで、心が響いたのですから、秀作に間違いはないです。
が、エンドロール中から、客電点灯しても、靄がはれない。
作品に圧倒されてるから訳わかんない。だから、すぐに帰らず、
しばらく劇場のロビーで気持ちの整理をしていました+靄の理由を知りたくて。
〈 犯人は戻ってきても、息子は戻ってこない 〉
靄の理由、行きついた先は、ここかと。
佐藤さん、志田さん、ともに一区切りをつけ、
とりあえず、ハッピーエンドのようなかたちで、二人の気持ちに踏ん切りはつきます。
でも、志田さんの家族に殺された少女は、もう家族のもとには戻ってこないんです。
その、被害者の心を、柳葉さん・石田さんご夫妻に代弁させたのでしょうが、それは、
やはり、あくまで代弁であって、本当の被害者家族にとっては、なにも解決していない。
ストーリー構成としては、しょうがないのでしょうが、
加害者・被害者がいるなか、どうしても一個人、人間としての倫理観で、
加害者だけが救われて、被害者の救いに、なにも触れられていないのが納得できない。
エンドロール中、どうして涙が出るのか、わけわかんないのに、泣き続けてたんです。
今ならわかるんです、被害者の家族がいたたまれなくて、涙が止まらなかったんですね。
音楽もいいです。
そして、やはり佐藤さん、志田さんありきの作品です。
オープニングで、音楽と映像にやられて、早々に泣いてましたからね。
これから、志田さんに、哀しい出来事が起こるのに、こんな満面の笑顔で、
哀しい哀しすぎるって。オープニングで、いきなり泣いてた奴、私だけだと思います(苦笑)。
監督、主役の佐藤さんを6ヶ月待って、撮影。
え~、主役の佐藤さん待ちをしていらっしゃる監督さんが、多数いるそうです。
心に傷を抱えてるのに、家族も守れないのに、他人を守る、
それも被害者でなく、加害者の家族を守る刑事。月並みな言葉で、
大変申し訳ないのですが“すごい”。これしか、みつかりません。
志田さん。彼女なしでも、この作品は成立しません。
★彡 ★彡
映像が揺れてて観にくいんだよ、とか
インターネットへの書き込みはやりすぎかな、とか
『ブラッディ・マンディ』に似たシーンあったなとか、
『リリィシュシュのすべて』に似たシーンあったなとか、
佐藤さんが、柳葉さんのところに、志田さんを連れて行くのはどうよとか、
こちらも、突っ込みどころはあるのですが、これはドキュメンタリーではなく、
映画なのですから、着眼点のよさと、役者さんの素晴らしい演技に免じて、
許してあげてください(“減点法”でなく、“加点法”でみてあげてください)。
夢にまで出てくるような、衝撃の体験をありがとうございました。
◆ ◆
【 補記 ~ネタバレ?かもしれないので、未見の人は飛ばして下さい~ 】
①映画を終え、ストーリーをもう一度さかのぼってみると、
志田さんが、あそこまで責められるのも、しょうがないかなと。
だって冒頭のシーンと終盤のシーン、リンクさせると、彼女も“○○”を
ついているわけですよね。でも、想像したくもないけど、自分も身内なら、
志田さんと同じ行動をするだろうな。
②志田さんと冨浦くんの関係
フジテレビドラマ『わたしたちの教科書』では、
冨浦くんがイジメで志田さんを自殺に追い込む。
そして、今作では・・・。これも、なにかのめぐりあわせなのかなぁ(苦笑)
ギバちゃんいい味出してる
「ベンジャミン・バトン 数奇な人生」
「余命」
「誰も守ってくれない」
と候補がある中、
やっぱり、三国連太郎の息子が出てるので、
「少年メリケンサック」とのギャップをより楽しむ為に
「誰も守ってくれない」に決定
先日、同じような配役で前振りのドラマもやってましたね。
で、WMC大宮に行ったんですが、時間が会わない為、急いで、WMC浦和美園に移動
ストーリーは、未成年の兄が幼女殺人の犯人として逮捕され、家族はバラバラに、妹は刑事に保護されるというお話です。
考えさせられますよ。もし、家族が犯罪犯したらね~
例によって、ネタバラシになるので内容はそんなに書きませんが、
予想通り、落ちをつけるのがむずかしかったようです。ちょっとよわい。一生続くんだから落ちのつけようがないものね。
インターネットの掲示板とかを悪者にしています。おかしい人間達がやってる設定ですけど、実際にはごく普通の人なんですよね。掲示板で酷い事してるの。
実際には、殺人予告など入れるとすぐに本人が判明しますから。だめですよ。いたずらしちゃ。
佐藤浩市(刑事)
昔はただの野菜でしたが、最近、結構、いい味出してますよね。「マジックアワー」でも。
志田未来(犯人の妹)
テレビドラマで、お姉ちゃんに散々苛められてました。うちの子と同い年とは思えない。しっかりした演技
柳葉敏郎(ペンションのオーナー:3年前刑事が追っていた薬中の男に息子を殺された)
この映画でもいい味出してます。この映画で一番重要な役どころですからね。秋田訛りが取れないのがいいんだよね。前の会社の人が中学のときテニスのダブルス組んでたそうです。
佐々木蔵之介(記者)
この人の役、必要だったの?意味不明。いらん。もうちょっとマスコミ系をちゃんと表現できないのかな。監督が悪いのかな?
(この役者は好きです)
松田龍平(後輩刑事)
優作のむすこ なんか不思議な魅力?下手なんだかどうかわからんが変な味がある。そういえば、ジーパン刑事もそうだったな。
とりええず、この映画もお勧め映画です
主題歌が、医龍のAesthetic と似た曲です。菅野よう子のNHKスペシャルのとかこういう曲好きです
『Libera』
イギリス、サウスロンドンに住む7歳から18歳までの少年達のなかからオーディションにより選抜結成されたボーイ・ソプラノによるユニット。
現在までに映画「ハンニバル」のメインテーマの他、ビョークやエルトン・ジョン、パヴァロッティ、アレッド・ジョーンズなどアーティストのアルバムへの参加などで注目を集めてきたリベラ。孤高の美しさと純粋さを表現するコーラスが世界中のTOPクリエイター達からも絶賛されている。
だそうで少年合唱団じゃん
おじさんパワーの
メリケンサック楽しみ
不満は残るが素晴らしい
凶悪犯罪が後を絶たない昨今!メディアも事件その物を取りあげてはコメンテーターなる人が様々な分析をしては事件の背景を探ってくれる!
しかし、事件後に犯人やその関係者がどのような人生を歩む事になるのか、または歩んだのか?それを報道しようとするメディアは少ない!
私が日々知りたがっていたその後のストーリーを映画化してくれたのはこの上なく嬉しい!しかもその家族の中の妹に焦点を当てるアイデアは素晴らしい!
しかし、少々リアリティに欠ける場面が目立ったのが残念だ!
マスコミ連中の傍若無人ぶりや警察相手にカーチェイスは少々オーバーではないだろうか?警察の人間性に欠ける対応も非現実的だし、監督の思惑が見え透いてしまう。
ネットの炎上も暴力的過ぎてかなり大げさ!恋人の少年が取った裏切り行為は非現実的で理解に苦しむ!
監督の君塚良一氏がテレビ番組でリアルに描けば逆にリアリティが無くなる!オーバーな方がリアルだとコメントしていたが、映画を見た限り甚だ疑問に思ってします。
ただ、非常にデリケートで重い内容だけに短時間の映画では表現しきれないのかもしれないし、一般客はエンターテイメント性を持たせなけれべ喜んで貰えないのかもしれない!
重要なセリフもストレート過ぎて重みがなかったのではないだろうか?
個人的にはもっと深くデリケートな内容にして欲しかったというのが本音だ!
最後に俳優陣だが、主役の佐藤浩市の演技が素晴らしいのは勿論であるが、志田未来の迫真の演技はベテラン勢を凌駕するほど素晴らしかったと思う!まさにこの作品の柱になっていると感じてしまうのは私だけだろうか?松田龍平も良く知らなかったのだが、この作品を見るかぎり個性的でいい役者さんだと感心した。
作品に大きな不満は残るが、それを差し引いても十分に素晴らしいと思える作品であった!
私は君塚良一監督に今後更なる作品に期待せざるを得ない!
ズドン!っと心に重しが・・・
かなり重たく難しいテーマ。
深く考えさせられる映画でした。
でも素晴らしい!早くも今年の心に残る映画の1つになりました。
旬なネタとして報道するマスコミ。
歯止めがかからないネット暴走。
私も以前、ある未成年犯罪者の画像が流出してると知ったことがありゾッ!っとしましたが
便利な世の中になる反面、益々プライバシーが保たれない現状。
特に日本人は家族連帯が強い傾向にあるので
身内に犯罪者がいたら、さぞ暮らしづらいでしょう・・・
でもその傍らに、もっと悲しんで辛い思いを虐げられている被害者の家族もいる訳で・・・
難しいですね(涙)
人間は常に大切な人と共に生き、大切な人と共に生活をしている。
一人一人そう責任を感じて人生を歩みたいものですね。
私の子供にも観せたい映画。
決して観て損はないと思います^^
1月28日109シネマズ高崎にて観賞
親が守りたかったものとは。
この歳になるともう「誰も守ってくれない」どころか、
「誰も見向きもしてくれない」毎日であるが…^^;
その分、誰かを守らなければ。という責任の日々でもある。
今作を観ていて思ったのは、ことさら子供に対する親の責任。
厳しく育てればいいってもんじゃない。
自由にさせるのがいいってもんでもない。
最低限の社会ルールを教えると共に、自分がその手本となって
どんなに辛いことがあってもそれに耐えて生きていける強さと、
小さなことにも幸せを感じられるしなやかさを持たせることが
自分では大切だと思っている。(…できているかは別としてx)
勉強出来たところで人間はナンボ。心と身体の健康がまず第一。
だから今作のように、
加害者側も被害者側も「子供」だということは辛くて仕方がない。
マスコミや闇サイトの過剰反応も、最近では大いに問題だが、
そういう恐怖から守る以前に、もっとできたことがあっただろう?
(佐藤浩市刑事の過去ではないが、悔いても元には戻らない)
そんな事ばかりが頭でグルグルしてしまう内容であった。
昨今ではこういう事件が珍しくなくなった。
加害者宅も被害者宅も報道陣でいっぱい、TV各局が中継し、
過去の写真やビデオを流し、見ている側の怒りと哀しみを誘う。
誰がこんなに短時間で集めたんだ?と思うほどである。
その裏で、警察はこんな動きをしていたのか。勉強にはなった。
でもこれは「守る」という名目で「供述をとる」「証拠をあげる」
目的にも繋がっているわけで、べつに美談ということではない。
佐藤浩市&松田龍平は、これに先立って放送されたドラマでも
絶妙の演技を魅せており(こっちのが個人的には好きだった)
互いが抱える問題点を「背筋が凍る」と見事な表現をしていた。
でもいちばん心に残ったのは、
最後に二人が訪れるペンションのオーナー役だったギバちゃん。
我が子を失った親の哀しみを(言葉以外で)表現しつつ、
翌朝のキレる演技では、それを前面にぶちまけた。彼の後悔は
我が子を「自分(親)が守ってやれなかった」ことと
「警察がついていながら、守ってくれなかった」ことへの憤り。
加害者の妹を保護する立場の浩市刑事にぶちまけてしまうのは
理不尽だとしても、これこそは本当の親の理なんだと思った。
残念ながら、加害者側の家族には全くそれが感じられなかった。
というより、ほとんど描かれていなかったが…。
今時の中学生は、まぁ志田未来が演じてなくても^^;あれくらい
ふてぶてしく、生意気なもんだと思う。しかし自分自身を
ああやって出せているだけでも、まだ救いがあると私は思った。
「助けて」と叫んでいる兄の声に、どうして両親(せめて母親)が
気付いて守ってやれなかったのかと思うと、悔しくて涙が出た。
(いきんだら力をぬく。子供にも、いい呼吸法が必要な時代か。)
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