「息子を殺した本当の怪物は父親」ミスト HARUAさんの映画レビュー(感想・評価)
息子を殺した本当の怪物は父親
まず忘れてはいけないのは、この映画はデヴィッド目線で物語が進行していくためどうしても視聴者の大半はデヴィッドの立場で是非曲直を判断してしまいがちだが必ずしもそれは正しいとは限らない。
デヴィッドたちに敵愾心むき出しの(ごめん名前忘れた)黒人弁護士、宗教愛異常ババアとの敵対。一見すると彼らを非難したくなるが、そう考えるのは早計だ。
例えば、火傷を負った男性を救うためにデヴィッドと何人かが薬局に行くことを敢行するシーン。外に出ることを非難する人たちとの軋轢、薬局の中でキモデカイクモに襲われ犠牲者が出ながらも薬を持ち帰ることが出来たがなんと、火傷を負った男性は既に死んでしまった……。
つまり、デヴィッドたちがやったことは無駄だったのだ。
無駄どころか更に犠牲者を出しただけだった。
しかし、デヴィッドたちを責めるのもお門違いだろう。火傷を負った男性を救うために外に出る彼の勇気は分からなくもない。だが、結果的に火傷を負った男性は戻ってくる頃には死んでいて犠牲者を二人出しただけなのだから皮肉なことだ。
そして皆さんを苦しませたあのラストシーン。
スーパーから外にでて車に乗り込み進んだがガス欠となり万事休す。
銃弾は4発。車内にはデヴィッドを含めて5人。
悟かのように顔を見合わせたあとデヴィッドは4人を銃殺。自責の念と責め苦に苛まれながら、デヴィッドは外に飛び出し、怪物に食い殺され自殺しようとする。
しかし、デヴィッドの前に現れたのは軍車両と武装した軍人たち。軍車両の上には生き残った人々たち。
その中には、映画冒頭に8歳の娘と幼い弟を心配してスーパーを飛び出した母親の姿が……。
すぐにスーパーを飛び出し無事子どもたちを救えた母親。
選択の余地がなく息子を殺害した父親のデヴィッド。
なんと酷くて無慈悲な対比描写なのだろうか。
そして、デヴィッドは自身が犯した取り返しのつかないことに責め苛み慟哭の声をあげる………。
あと、数分早く軍車両が来ていれば……。
あのときスーパーに残っていれば……。
この映画の最大のメッセージは「選択することの責任と難しさ」だと私見する。危機的状況で恐怖とパニック状態のとき人は自分の選択に自信を持つことを恐れてしまうことを示唆しているのではないかと思う。
宗教愛異常ババアに次々と信仰したスーパーの人々がその典型だろう。自分の考えや理性に自信を持てなくなり取るべき選択がわからなくなったからあそこまで盲目的に宗教愛異常ババアに信仰したのではないだろうか。
また、宗教愛異常ババアを撃ち殺したオリーもそうだ。なぜなら、セリフで「ああ…殺しちまった。撃ちはしなかった。他に方法があれば」とオリーは言っていたからだ。もし他に暴動を抑える選択ややり方があれば彼だって撃ちはしなかったのだ。しかし、彼は撃った。手には銃をしていて怒り狂う人々を制圧するには銃を使う以外に方法や選択がなかったからだ。
そして、そこに善悪の概念はないのだ。視聴者の大半はオリーが宗教愛異常ババアを撃ち殺したシーンを観たときに、ざまあみろと痛快な気持ちになったに違いない。私もそうだ。しかし、そんな宗教愛異常ババアにだって彼女なりの価値観や道徳心があったはずだ。彼女は聖書の思想に従い信仰心があっただけだ。息子ビリーを生贄に授けようと集団を煽り殺害しようとしたことは殺人教唆罪に抵触するが、それだけで彼女を悪人にするのはナンセンスだ。彼女にとって異端者を見る目で疎ましく思っているデヴィッドたちは悪人だったに違いない。
つまり、善悪の分別というのは立ち位置や見方によって変わるということだ。人間にとって霧の中から自分たちを襲ってくる異次元の化け物は怪物に見えるが、異次元の化け物たちにとっても私たち人間は「異次元の怪物」として見られているはずだ。そもそも、科学者たちの身勝手な実験により異次元との扉を開けてしまったため、異次元の生命体たちにとっては自分たちのコロニーを侵略されたと思われても無理がない。卑近な例で挙げると、蜂の巣と同じだ。スズメバチは巣に近づいてくる人間を攻撃するが近づかなければ無闇に攻撃しない。平穏と秩序がある限り、スズメバチは人間を攻撃しないのだ。これは、現在の国内情勢や戦争が勃発している海外でも同様のことが言える。自分たちの領域やコロニーが侵略されない限り攻撃はしない。しかし、領土紛争や侵略戦争などが歴史上実際に起こっている。私利や権力、身勝手な私欲の為に人間は誰しもが怪物になり得ることをこの作品を通して作者は示唆しているのかもしれない……。
これを踏まえると、宗教愛異常ババアを疎ましく思うデヴィッドたちにとって彼女は怪物であり、無宗教で信仰心のない人々は宗教愛異常ババアにとっては怪物だったのだ。
そして、息子を殺した父親のデヴィッドはラスト終盤で怪物に成り下がったのではないかと思う。「怪物に僕を殺させないで」と言ったビリーも本当は死にたくなかったはずだ。しかし、最期ビリーの目に映ったのは父親のデヴィッドではなく父親の皮をかぶったある意味本当の「怪物」なのかもしれない。