13回の新月のある年にのレビュー・感想・評価
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辛すぎる。 ファスビンダーの空間の中に人物が立っているときの絵画的...
辛すぎる。
ファスビンダーの空間の中に人物が立っているときの絵画的な美しさが好きだけど
あまりに救いのない話で悲しい。
乱気の時期に脆い存在の者が振り落とされて消えていくそんなモノの哀れな感じがした。
配信で鑑賞
因みに僕は1957年の生まれで新月が13回あったようだ。
だから、こう言った事が好きな人もいるだろう。
世の中のタブーを描いて、生きていた証にしたい。
それも分かる。しかし、ドスレートな性的な嗜好の残り僅かな我が人生はこの映画を金出してまで見る気にはならない。また、少なくとも心は動かせない。不快、不愉快、快楽、笑い、怒り、共感。
一切ない。それが当たり前だと、思うし、僕にとってはそれよりも人生の時間がもったいないだけ。
グロくもなかった。
個人的には人身事故と言われる行為はやめて貰いたい。かつて順法闘争と言う交通手段に及ぶスト権ストがあって、交通手段を止める行為が『悪』と呼ばれる事もあった。従って、自分の未来を公共の交通に委ねるのもそう言わざるを得ない。
やはり、最低でも誰にも迷惑かけずに向こうへは行ってもらいたい。電車運転士だった我がク◯オヤジは、20回以上も人身事故に遭遇してノイローゼになり、一時は窮地に追い込まれる羽目にもなったと語っていた。まぁ、家族から見れば、アルコホールの異常接種の言い訳たが。
って『僕の話』なんて『どうでも良い話』でしょ。
つまり『この映画の話』も『とうでも良い話』と言う事だよ。
ドイツのニュージャーマン映画としてすべてが影響を受けて居るわけではないだろうが
『心と体と』と言う映画に似た場面が登場した。さて、僕のボディとソウルは?
全く動じない。
性的なマイノリティは心の病気ではないと証明されているはずだ。従って、それと自殺と言う明らかな病的な行為を同一線上に描くのは性的なマイノリティの方はどう感じるのだろうか?僕はストレートなのでこの映画は評価出来ないが、こう言った映画を世に引き戻すと言う事は性的なマイノリティに対する古い価値観での差別にならないのだろうか?こんな映画で分かった気になっている事が、僕は不愉快に感じる。
性的マイノリティーの救われない人生
1982年に37歳の若さで逝ってしまったファスビンダーの後期の2作品が日本初上映。衝撃の出会いとなった「マリア・ブラウンの結婚」の前後の作品となれば観ないわけにはいかない。
1978年の今作は実にプライベートな作品だった。
男性から女性に性転換した主人公が最期の数日間で過去を振り返る。彼を育てた修道院のシスター、妻と娘、そして性転換するきっかけとなった男を巡るが……
まったく救いがなかった。バイセクシャルなファスビンダー自身の体験(愛人の自殺)が今作を撮るきっかけになったとのこと。この成す術の無さは本物のはずだ。
愛されたいのに愛されない
とにかく"エルヴィラ"が愛おしい。
ファスビンダー自身のことや70年代の性的マイノリティなどなど、、、、。
唐突に踊り始めるアントン・ザイツ一座?のダンスシーンには、エルヴィラも踊るんかい!?
男たちに殴られ、男に逃げられ、家族は理解するが受け入れはしない、友達はエルヴィラそっちのけで追い出すようにアントンとイチャイチャしたり。
最後はみんながエルヴィラの元に集うが、悲しいよりも滑稽で哀しくなる。
エルヴィラにも難な性格の問題があるけれど、愛してあげて欲しい。
最後まで弱々しい彼女が、人生を見つめ直し取り戻すことはできない愛の物語。
死
ここまでストレートに死を意識させる作品を観たのは初めてかもしれない。ファスビンダーを通して見る世界はこんなにも暴力と雑音に満ち溢れ、苦しく映っているのか?冒頭のエルビラへの集団リンチ、屠殺、性転換という男性器の切断、ある男の首吊り。ファスビンダーが社会から受けた痛みを想像させるには充分すぎる描写だろう。
屠殺された後に映し出される牛が安らかに、ある意味神々しくも見えるのに対して、生きているエルビラは苦しくて惨めに見える。改めて考えると生きる事は楽しいことではないのかもしれない。牛を殺して食べて排泄して、気に入らない人間を排除する。人間の行動全てが依存的で惨めったらしい。
ファスビンダーは多分死にたがっている。死を止めないでくれと言っている。そんな気がした。
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