「無邪気だった」ワイルド・エンジェル(1966) 古泉智浩さんの映画レビュー(感想・評価)
無邪気だった
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ヘルズエンジェルズの日常を描いたような感じの映画だった。
バイクとはそもそも移動の道具であり、それ以上のものを求めても特に何もないことに改めて気づかされる。たしかにかっこよくて自由を感じさせるのだが、特に行く当てがない限り高排気量であったりスピードが出たりしても特に用途がない。ヘルズエンジェルズの若者たちにも同様で、若さや元気を持て余しても乱痴気騒ぎをする以外に特に何もすることがなさそうであった。そのことに気づいたピーターフォンダは一人友達の墓に土をかぶせていたかのようだった。
気の毒だったのがとばっちりを食った神父さんだった。元々友達の弔いを頼まれたであろうに、その求めに応じてみるとならず者集団に取り囲まれリンチに合ってしまう。一体彼らは何がしたかったのか意図をはかりかねる。教会も滅茶苦茶に荒らされてしまうし、彼らは本当に友達を手厚く弔う気持ちはあったのだろうか。そもそも病院から連れ出したせいで死んでしまったようなものだった。暴走集団=バカと意図的に描いていたのかもしれない。
メキシコ人のバイク泥棒を叩きのめす場面は、かっこいいヘルズエンジェルズはダサいメキシコ人を蹂躙してもかまわないというような鼻につく感じがあった。また、ナチスのマークを、クールなもの、非道のシンボルというように無邪気に扱っているところはかわいらしかった。
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