死ぬまでにしたい10のことのレビュー・感想・評価
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可もなし不可もなし。 末期ガンを家族にも秘密にしてひっそりと死ぬこ...
可もなし不可もなし。
末期ガンを家族にも秘密にしてひっそりと死ぬことができるだろうか。
あり得ない。
また、浮気も論外。
死期が近いからといって、浮気が許されるものではない。
ロマンと現実が両方ある
作中にでてくる音楽がとても素敵ですぐに調べに行きました。
もし自分が余命宣告を受けたらこんな風にはできないと思う。
余命宣告を受けながらも現実をしっかり直視してやりたいことを前向きにやっていく彼女の姿に感銘を受けた。どうだろうという行動もあったが、最終的に周りの人に前を向かせるのが素敵だった。
母親役はデボラ・ハリー。 劇中で歌を歌うわけではない。 彼女が夫以外の男と恋愛する相手はマーク・ラファロ。 劇中でハルクには変身しない。
動画配信で映画「死ぬまでにしたい10のこと」を見た。
劇場公開日 2003年10月25日
2002年製作/106分/スペイン・カナダ合作
配給:松竹
原題はMy Life Without Me。
私がいない私の人生。
主演はサラ・ポーリー。
カナダ人。
この女優さんは知らない。
母親役はデボラ・ハリー。
劇中で歌を歌うわけではない。
彼女が夫以外の男と恋愛する相手はマーク・ラファロ。
劇中でハルクには変身しない。
サラ・ポーリーは自宅のトレーラーハウスで倒れた。
検査の結果両方の卵巣に腫瘍が見つかった。
彼女の余命2-3か月と診断される。
担当の医師はとてもいい人で、
彼女は医師に頼みごとをする。
彼女には夫と幼い2人の娘がいる。
彼女はカフェで食事をしながら
「死ぬまでにしたい10のこと」を紙に書き出した。」
刑務所にいる父親と会うこと。
家族と海に行くこと。
髪型を変えること。
子どもたちのためにカセットテープに声を残すこと。
夫には新しい妻を、子供達には新しい母親を見つけること。
夫以外の男性と付き合ってみること。
などなど。
心残りはたくさんあるが、
やはり宣告通りに彼女は亡くなってしまう。
満足度は5点満点で4点☆☆☆☆です。
【貧しいながらも幼き娘二人と優しき夫と暮らしていた女性が、余命宣告を受けて初めて”生”の尊さに気付いていく物語。人生の終焉を告げられながら、僅か23歳でここまで出来る人間は素晴らしいと思った作品。】
ー 23歳のアン(サラ・ポーリー)の家族は、失業中の夫ドン(スコット・スピードマン)と二人の幼き娘、ペニーとパッツィー。
貧しきながらも、幸せな生活を送っていたアン。
ある日突然、腹痛に倒れたアンが検査を受けると、「あと2-3カ月の命」と宣告される。
誰にもその事実を話さないと決めた彼女は、「死ぬまでにしたいこと」リストを作り、一つ一つ実行していく。
■アンが夜のダイナーで書いた、10の死ぬまでにしたい事。
1.娘達に毎日愛しているという。
2.娘達の気に入る新しいママを探す。
3.娘達が18歳になるまで、誕生日にメッセージを贈る。
4.家族でビーチに行く。
5.好きなだけお酒とタバコを楽しむ。
6.思っている事を話す。
7.夫以外の人と、付き合ってみる。
8.男性を夢中にさせる。
9.刑務所のパパに会う。
10.爪とヘアスタイルを変える。
この中の”3.娘達が18歳になるまで、誕生日にメッセージを贈る。”は、橋本愛さん主演の「バースデーカード」で同テーマを軸にオリジナル脚本で勝負する吉田康弘監督により、描かれている。
◆感想<Caution! 内容に触れています。>
・サラ・ポーリー演じるアンは突然の余命宣告及び体調不良にも拘らず、家族の前では気丈に振舞う。
- サラ・ポーリーの好演が光る。-
・恋人に去られたリー(マーク・ラファロ)とコインランドリーで出会うシーン。
リーは病気の疲れなのか寝てしまったアンを朝まで愛おし気に見ている。
しかも、アンの洗濯物も全て折りたたんでいる。
そして、彼がそっと忍ばせた本には、連絡先が書いてある。
- 上記、7.8に当たるのだが、品よく描かれている。ガランとしたリーの部屋でアンと語り合うシーン。他のレビュアーさんのコメントでは”不倫”と否定的に書かれている方もいらっしゃるが、私はアンの行動を是と捉えた。何故なら、アンはドンと17歳で知り合い19歳で子を設けている。推測であるが、アンは男性との交流は殆どなかったのではないか、と思ったからである。更に書けば、二人が情交するシーンは描かれていない。(有無は別。)死を目前にしての人間の行動欲望としてとらえた次第である。
そして、雨の中、車の中でアンを迎えに来たドンの姿を見て、ハンドルに顔を付け涙するリー。
彼女がリーに残したメッセージ”家具を買って・・。そして、部屋を新しく塗り替えて・・。”
今作のラストシーンはリーが壁を塗る後ろ姿である。
アンは死しても、リーに生のメッセージを遺したのだ・・。-
・臨家に越して来た同じ名前のアン(レオノール・ワトリング)が彼女に語った哀しき経験と彼女が行った行動を聞いたアンは、彼女を家に招く。
”帝王切開したら、シャム双生児だったの・・。父親は目も向けなかったわ。けれど、私は最後まで抱っこしていたの。冷たい部屋で最期を過ごすなんて悲しいじゃない・・。”
<車の中で、一人娘達へのバースデイメッセージをカセットテープに吹き込むアンの姿。夫への謝罪、母親への励ましの言葉。
人生の終わりを迎えるにあたって、僅か23歳でここまで出来る人間は素晴らしいと思った作品。
今作は、ペドロ・アルモドバルが製作を務めているが、成程彼らしい作品の風合だな、と思った作品でもある。>
後悔なく生きることは、我儘とは違う。
死を前にしたなら「そのときの気分で」なんてのんきなことは言ってられない。
限られた時間を自らの思いに従い、一瞬一瞬を誠実に、
無駄遣いすることなく生きるほかなくなるだろう。
だから10のしておきたいことを、主人公はピックアップした。
その誠実さは、裏切ることなく周囲へ伝わる。
それが「私がいなくなった私の世界」にたった一つ、
私の痕跡として残される。
愛は偉大と思わずにおれない。
ラストの何とも言えない穏やかで幸せそうな映像は、
果たして主人公の妄想なのか、現実なのか、分からない。
ただどちらにせよそうであれば誰も打ちひしがれることない
穏やかな「その後の世界」は主人公も含めてなんてハッピーなんだ
と思えてならなかった。
わがままだけなら逆の光景が広がっていたのでは、と思うほど。
プライムビデオで鑑賞した本作だが、
レビューにただの不倫映画だ、と酷評もいくらかあった。
だがあの出会いがなければ主人公は土壇場でおそらく、
十七歳の自身を後悔したと思う。
夫に不満を抱えてしまったのではないかと想像する。
予感があったからこそ主人公はリストに挙げ、
あったかもしれないもう一つの道、を確かめようとしたのだと思っている。
夫を、自身を、恨まないために。
(でないと夫の次の幸せなんて考えられないし、そんな夫に育てられるだろう子供の幸せを願えば、主人公こそ納得して次へ送り出す準備が必要である)
望んだ出会いも主人公が自身に誠実であればこそ、
痴話に終わることなどなかったのだから、
相手もまた救われたというのだから、
あとは墓場まで秘め事と持って行くだけ。
それがあったからこその穏やかなハッピーエンドだと思っている。
ともかくフィクションにありがちな、
ありがちだから死に際に別れを惜しんでお涙頂戴、とは果てしなく異なる、
大人な展開だと感じて止まない。
とてもリアル路線の、それでいて夢のような物語。
公開終了間際に滑り込みで観ることができて本当によかった。
強い人
子どもたちが本当にかわいかった。若くして母になり、辛いことも多かっただろうに、こんなふうにのびのびとした屈託のない子に育ててきた主人公。その人だからこその10のリスト。学ぶところがたくさんあった。
「ずっと夢を見ていて、やっと目が覚めた感じ」
もし私が同じ状況だったら、一人で悲しみ抱え込んで、こうやって死んで行けるんだろうか。
ちょっと自信がない。
お叱り覚悟で言うならば、私は、「ガン」という病気のほとんど唯一と言っていい利点は、本人にも周りにも、多少なりとも覚悟をする時間があることだと思ってる。
彼女のようなやり方は、周囲からその時間を奪う。
それが本当に優しいのかどうかは、ちょっと迷った。
それでも、本当に愛情に溢れた映画だった。
特に娘たちにとっては、お母さんから誕生日ごとに届くメッセージテープは宝物だろうね。
余命宣告されて初めて目が覚めた、なんてことにならないように、今のうちに、もっと自分の人生に現実感持ちたいなと思ったのでした。
命の期限・・・
僕が余命宣告されたらパニックになっちゃって「死ぬまでにしたいこと」リストを書く余裕もないかも・・・普段から1番望んでいることがあるので、余命は頭からは離れませんが、それでも少しでもそれを忘れるためにしたかったことを満喫することしかできないかも。 手の施しようがないなら体が動く限りはそれを満喫します、仕事なんかに時間を費やさず。
偶然
トークトゥーハー、あなたになら言える秘密のことを見たばかりだった。ほー!と思う事が沢山。映画としては、あなたになら言える秘密のことの方が好きでした。愛人がいい男過ぎて!医者もいい人過ぎて!深刻なテーマだけど、主人公がしっかりしていて母親って強いなと思いました。
五感をフル回転させて、行間を読まないと、味わえない。
原題直訳『私が存在しない私の人生』
私がいないのは死後のことだけ?
私という主体抜きの人生を歩んできたアン。その最後の時を紡いだ映画。
雨に打たれるアン。雨だれに混ざって涙が頬をつたう。けれど字幕には涙に関する、もしくは涙を流すような感情を表現した言葉はない。
字幕には「私」。でも語られている言葉は「you」。誤訳ではない。アンが今やっていることについての心の中でのつぶやき。
Wikiでは「所々出てくるナレーションの部分では、主人公を指す代名詞に you (あなた)が使われ、あたかも、映画を見ているあなたが、この映画の主人公だ、あなたの余命が2ヵ月なのだ、と訴えかけるようになっている。(日本語字幕では 私 と表示される) 」と説明されているが、私には、アンが心の中で本当に感じていることと、頭で考えていることの、無意識の乖離のように思える。雨の中でしか泣けないアン。でも、アンは泣いていることを否認して、ポジティヴにと変換する。
昨今流行りのわかりやすい脚本ではない。
アンがリストアップした10のことへのレビュー上での賛否。
字面だけをとったら非難したくなる。
でも、アンを取り巻く状況を丁寧にみていったら、理解できたら、もう少しアンの気持ちに共感できるのではないだろうか。
自分の人生をベースにした己の正義を押し付けるだけでなく、アンの生きざまにちょっとでも寄り添ってみてほしい。
じっくりと、何度も繰り返し鑑賞して味わう度に、気づきがある。
「死ぬまでにしたいこと」の6番目にリストアップされている「思っていることを話す」。
アンは決して無口な女性ではない。食事に招くような友人と、家族に恵まれて、常に何かをしゃべっている女性。でも、その会話をよく聞けば、アンが語ることは、相手が言ってほしいこと。決してアンが言いたいことではない。
職場で交わされる多くの会話と同じ。場を乱さないために本音を隠したトーク。人は皆、自分の言葉を真剣に受け取ろうとして、受け取ってもらえた経験がないと、本音(思っていること)を話せなくなる。
優しい言葉と思いやりを示してくれる夫。でもアンは”思っていることを話したことがない”。アンが欲しい優しさ・思いやりと、夫が示す優しさ・思いやりが違う。アンのわがまま。そんな言葉で片付けられないことは、真剣に人と向き合う(恋した)ことがある方ならわかるのではないか。
かえって、リーの前で”(わがままにも通じる)思っていることを話せている”アン。そんな求めていた恋人の前でさえ、家族のことを考えてしまうアン。
そういう言葉と映像と、登場人物の行動・表情のギャップに、感性を響かせながら味わっていかないと、この映画が表現したいことを受け止められないんじゃないだろうか。
手ごわい映画です。
邦題の方が、多くの人の目につきやすい、そんな販促の方針なのだろうけれど、映画を誤解させ、評価を間違ったものにさせる。勿体ない。
<以下ネタばれ>
ほとんどその日暮らしのアンの家族。仕事が長続きしない夫。17歳で出産したというからおそらく低学歴、実父のこともあってか?彼女自身の仕事も低収入。母親のトレーラーに住まわさせてもらって家賃を浮かし、洗濯機も買えずにコインランドリー通い。極めつけが、23歳の女性が「髪型を変えること≒美容院に行くこと」が「死ぬまでにしたい10のこと」にランクインするほど。そんななかでも、日々自分にできること、自分がしなくてはいけないことをしてきた。子ども達の為にできるだけ明るく。彼女の夫は優しく心触りのよいことを口にするけど、実行力はない。ほとんど彼女が一人できりまわしている。
そんな中での、突然の死の宣告。自分が死んだら、家族は・子ども達はどうなってしまうのか?最悪夫は泣き暮らすだけで子どもの面倒は誰がみるのか?施設暮らし…なんて自分の死後のことを考える。そして子ども達の為に、生活が成り立つようにあれこれ考える。
23歳の女子だったら、自分のことだけ考えていたっていい年齢なのに。アンのリストには家族の為の項目が幾つも並ぶ。残された時間はないんだ、そんな決意が痛々しい。
末期癌なら、一緒に暮らしている夫が気がつきそうなものだ。母だって。でも気がつかないんだな。夫はお子ちゃま坊やだし、母とは会えば言い合いになってしまう。死の恐怖に誰かに縋りたくたって、縋れない。当事者よりも周りが衝撃を受けて、当事者が周りのケアに走っているとか、辛い事実を切り捨てて(この場合娘が(妻が)死ぬなんて受け入れられなくて切り離す)なんてことはよくある。少なくとも、アンは自分の家族を、自分の辛さを共感してくれる存在とは認識しなかった。自分一人でなんとかしなきゃ。今までそうしてきたように。そんな覚悟に胸引き裂かれる。
夫を愛してはいるけど、満たされない。誰かに包んで欲しい。そういう想いがあったって、もっと違う人との人生を夢見ちゃったとしてもそれは罪なのだろうか。かって浮気されて傷ついたことがある私が、浮気を肯定するのもなんだかなあと思うけど。
英語に疎い私だが、リストの英訳には「7.夫以外の男の人と付き合ってみる。8.誰かが私と恋に落ちるよう誘惑する」となっているが、不倫するつもりならふつう逆じゃないか?誘惑してから付き合うだろう。だとすると、誤訳?デートして、誘惑ごっこだけをイメージしていた?そんな風に考えていた時に出会ったリーは失意のどん底。ここでもアンはリーのメンタルケアをする。自分の方がつらい状況なのに放っておけない。リーが立ち直ってから離れるアン。リーは自分の足で歩いて行ける。
容易ならぬ覚悟の元に、さらなる関係にも心を配りながら、決意を粛々と実行していくアンが痛々しくて泣けた。
自分の”いつか”に思いをはせると、アンの強さに驚愕する。
アンの想いに共感してくれるリーや医師やもう一人のアンに出会ったことで、アンが安らかに逝けたことを願う。
映画には邦題より原題の方がいいと思うけれど、自分の生を考える時、邦題はいいキーワードだ。
災害、事故、脳内出血…自分の「いつか」も必ず来る。
もし、○○後に死ぬとしたら、私は何をするのだろう。”いつか”は”いつか”来る。日常の惰性に流されている時、見直したい映画です。
邦題の先入観で印象が変わってしまうのかも…?
重たいタイトルに反し、死までの短い時間を悲壮感なく繊細に描いた作品。
タイトル通り、死ぬまでにしたい10の事を軸としてストーリーが進むのですが、主人公は自分の人生をどこか達観した様な雰囲気があり、終始淡泊で控えめな表現が続きます。
見ている側も必要以上に感情の波が生じず、淡々と見れてしまうかも。
このようなストーリーなので、一歩間違うと印象に残らない作品になりそうですが、数少ない登場人物たちを演じる役者さん達が演技派なため、作品に深みを与えていると思います。
特に孤独な男性を演じたマーク・ラファロはさすが。
個人的にはパルプフィクションでファビアンを演じていた、マリア・デ・メディロスが見れて嬉しかったです。
この主人公の10のやりたいリストの中には、
子供がいるのに…と、人によっては不快に感じてしまう項目もありますが、
17歳で妊娠・結婚。余命を宣告されるまで不満を持たず、がむしゃらに家族と共に生きてきた23歳の女性ならではだなと感じます。
残された人たちへは原題の「MY LIFE WITHOUT ME」の中での幸せを考え残りの時間を過ごしているので、リストアップされた項目にエゴは感じませんでした。
何度も見たい作品ではないですが、見て損はない作品だと思います。
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