少女の髪どめ

劇場公開日:

解説

イラン人の若者がアフガンの少女に無償の愛を注ぐ物語。監督・製作・脚本は「太陽は、ぼくの瞳」のマジッド・マジディ。出演は「父」に続きこれが二本目のマジディ作品となるホセイン・アベディニ、「運動靴と赤い金魚」のモハマド・アミル・ナジ、これがデビューとなるザーラ・バーラミほか。2001年ナショナル・ボード・オヴ・レヴュー賞表現の自由賞、同年ヒホン映画祭監督賞、脚本賞、同年イラン映画批評家賞特別賞ほか多数受賞。

2001年製作/96分/イラン
原題または英題:Baran
配給:日本ヘラルド映画(日本ヘラルド映画=朝日新聞社=樂舎=アミューズソフト販売 提供)
劇場公開日:2003年4月26日

ストーリー

冬のテヘラン。17歳のイラン人の少年ラティフ(ホセイン・アベディニ)は、建築現場で買い出しやお茶くみの仕事をしている。親方のメマール(モハマド・アミル・ナジ)は、アフガン難民に同情的で、違法と知りつつアフガン人も雇っている。ある日、転落事故で足を折ったアフガン難民労働者のナジャフ(ゴラム・アリ・バクシ)の代わりに、息子と称するラーマト(ザーラ・バーラミ)が働きにやってきた。力仕事が苦手なラーマトはやがてラティフの仕事と交替。それが皆に好評を博したものだから、ラティフは面白くない。しかしラティフは、まもなくラーマトが女の子だということに気づく。たちまち彼女に恋してしまったラティフは態度が急変。翌日から髪を整え、事あるごとにラーマトをかばうようになった。だが、アフガン人を雇っていないかチェックしている調査官からラーマトをかばったせいで、ラティフは警察に連行。建築現場に戻った時、髪どめ一つを残して彼女はもう去っていた。ラティフはラーマトを捜し、彼女が冷たい急流で辛い仕事をこなす姿を見る。ラティフはラーマトをいまの仕事から解放するため、大切なIDカードを手放してまで金を工面し、ナジャフを訪ねてメマールから預かってきたと嘘をつき金を渡した。しかしナジャフはこの金で、ラーマトの本当の姿である娘のバランと一緒にアフガンへ帰るという。もう二度と彼女に会えなくなることにショックを受けるラティフだが、翌日、雨の中で旅立つバランを見送るのだった。

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スタッフ・キャスト

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映画レビュー

4.5神のなさること

2020年4月11日
PCから投稿
鑑賞方法:CS/BS/ケーブル

アフガニスタンから来ている難民もいればアザバジャーンからきている外国人労働者もいる。イランのテヘラン工事現場で働く不法難民の人々。その人たちを使っている工場主Memar。この工場主は外国人を安く使えるからと思って雇っているように思えない。彼の人柄がそれを証明している。簡単に言えば、彼らを助けているが、工場主は罰金を受けてしまう。 レティーフ(お茶汲み、炊事係)はイラン人で自分を犠牲にしてバラン(アフガン難民、ナジーフの娘)のために尽くす。またそれが本人は自分を犠牲にしている感覚がないと思う。バランを助けてあげたいという気持ちで、まっすぐにしかかんがえられないから。これが愛だ。 アフガニスタンの難民は貧困生活をしている。レティーフの一年分の給料をナジーフNajaf(の娘はバラン)の家族にあげようとしてサルタン Soltanを通してこの金がナジーフに行くはずだった。サルタンの忠実な誠意、それにナジーブの貧しいものを優先する気持ち。これには参った。レティーフの気持ちと苦労は違った形で人を助けた。誰がまずしいか、まずしいものを優先して施しをあげる文化(一般論?レティーフだけ?)なんだなと思った。最後のシーンは、アフガニスタンに帰ってしまうナジーフの家族(娘のバラン)にはもう会えないという証拠が、雨で消される少女の靴の足跡。それに、バランがアフガンのチャドルで顔をすっぽり被るところがお別れの意味を示していると思う。

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