エルミタージュ幻想のレビュー・感想・評価
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歴史の連続性をワンショットで描く
本作は「93分のワンショット」「エルミタージュ美術館を舞台にした300年のロシア史」といった前情報が有名ですが、実際に観ると、その技法の凄さ以上に、“歴史と記憶をどのように体験させるか”という一点に徹した非常に独特な作品だと感じました。
まず本作は、監督自身の声による“霊魂のような語り手”が、美術館内部を浮遊していくところから始まります。物質としての身体はなく、カメラ=魂という設計になっており、観客は彼の主観のまま、次々と部屋を渡り歩きながら時代を飛び越えていきます。この“ふわふわした浮遊感”は、当時の特注ステディカムによるもので、2003年の技術としては相当に高度なものだったと思います。実質2テイクしか撮れず、朝の限られた時間での一発撮りという緊張感も画面から伝わってきました。次の日に撮り直すことは不可能で、歴史は一度きりだということを、技法そのものが表しています。
物語の案内人として同行するのは、ストレンジャーと呼ばれる謎めいた紳士です。これは19世紀のフランス人作家マルキ・ド・キュスティーヌがモデルで、「ヨーロッパから見たロシア」という視線を象徴しているようです。彼はずっとロシア文化について皮肉を言い続け、主人公(霊)とは対照的な“外部の目”として存在しています。もう一人、ずっとちょろちょろ映っている「スパイ」とクレジットされている人物がいますが、これは特定の歴史人物というより、ロシア史の裏側に常に存在してきた「体制の観察者」の象徴のように見えました。ロシア特有の、歴史の影で常に“誰かが見ている”という感覚が表現されているように思います。
部屋に入るたびに、ピョートル大帝、エカテリーナ2世、ニコライ1世、革命前夜の貴族社会、そして最後のロマノフ家の舞踏会へと時代が変わりますが、ほとんど説明がないため、ロシア史に詳しくない自分には誰が誰かは完全には分からず、そこは少し悔しさもありました。ただ、この“分からなさ”も含めて、観客が異邦人(ストレンジャー)と同じ位置に置かれているのだと思いました。ロシア人ならすぐに分かる歴史上の人物でも、外から来た者には気配としてしか掴めない。そういう“文化的な密室”に紛れ込んでしまった感覚が強いです。
一つひとつの出来事よりも、むしろ重要なのは“時間が連続している”という感覚です。93分間のワンショットで撮り続けることで、ソクーロフは「ロシア史には本質的な断絶が存在しない」「古い魂が新しい時代にそのまま流れ込んでいく」という思想を表現したかったように見えました。革命や戦争で体制が変わっても、人々の振る舞いや文化の根にあるものは途切れない。非常にロシア的な歴史観が画面全体に満ちています。
そして何より印象に残るのはラストの海のシーンです。ここだけ明確にCGを使ったような質感になり、まるで宮殿そのものが“海に浮かぶ幻影”のように見えます。これはタイトルの“アーク(方舟)”というメタファーとも繋がり、エルミタージュが巨大な“記憶の箱”として、歴史の大海の上に漂っているような印象を受けました。自分はタルコフスキー『惑星ソラリス』の“記憶を生む海”を思い出し、ロシア映画特有の“記憶=海”という象徴体系と深く重なっているように感じました。
全体として、本作は物語を追う映画というより、ロシア史という巨大な記憶の海に、観客の意識をそのまま漂わせる作品だと思います。夢と現実、歴史と現在の境界が曖昧になっていき、観ている側もいつしか“霊魂”の視点に同化していく。自分自身、夢うつつで観ていたこともあり、どこからが現実でどこからが幻影なのか分からなくなる瞬間がありましたが、むしろそれがこの映画の正しい鑑賞体験なのだと思います。
技法的にも思想的にも極めて異質で、映画というより“記憶の航海”のような感覚を味わえる作品でした。ロシア史の知識があればさらに深く楽しめると思いますが、たとえ知らなくても、ひとつの文明が抱え続けてきた時間の重さを肌で感じることができる映画だと感じました。
鑑賞方法: Amazon Prime
評価: 87点
『さようならヨーロッパ』
2004年の映画ですからね。
『さようならヨーロッパ』
『わしはここに残る』
眼の前の海は凍り、対岸と行き来することが出来た。
それを秘密裏に工作して、サンクトペテルブルクは救われた。
エルミタージュ美術館行きたいんだよね。全くの我田引水何だけど、平和になって欲しい。
よくわからんままみはじめたらよくわからんまま終わってしまった。
エルミタージュ美術館の中で90分以上ワンカット撮影した幻想的ななにかです。
何かが、なんなのかさっぱりわかりませんでしたが、夢中にはなりました。
背の高い黒い服の男性が見える人と見えない人がいたけどその差って?とか、引っかかりに捕まるともうおわりだったのかもしれません。
何かで勧められてて題名が頭の片隅にあって、そんな折に京都シネマで500円で見られるってんで行ってきた感じです。
マナーの悪い老人の話
こんなの初めて
上映時間90分の全編がワンカット。何度か撮り直しをしたのか気になって、鑑賞後、調べてみると一発撮りらしい。よくこんな酔狂な企画を考えたものだ。さすがロシアは違うと、感心していると、制作には我が国の公共放送が関わっている。恐らく技術的な部分、資金的な部分を援助しているのだろう。受信料が有意義に使われていると思えるかどうかは、この映画に対する見方いかんだろう。
エルミタージュ美術館の内部を移動するカメラの視線は、それこそ瞬きひとつせずに動き回る来館者の視線そのもの。しかし、美術館としての内部を映し出すのは映画の一部で、かつて冬宮と呼ばれた、ロシア帝国の宮殿としての内部が蘇る。しかも、そこには絢爛豪華な衣装を身に纏った、ロシアの王族、貴族、将校たちがおびただしい数で登場する。豪奢な宮殿に集う、華やかで威厳に満ちた装束の人々は、まるで現代のエルミタージュに蘇った幽霊たちのよう。特に、フィナーレの舞踏会の華やかさといったら!ロシア軍将校の制服と貴族の令嬢たちのドレス。ロシア革命前夜の夢のような世界が再現されている。
映画前半で、「ヨーロッパ」を自称する男が言うように、専制が共和制にとってかわられ、このような息をのむ華やかな文化は失われてしまった。西ヨーロッパ諸国の人々から見れば、皮肉なことに、西欧文明の後進国であったロシア帝国こそが、その文明の精華の最後の継承者であった。しかし、共産主義革命により、今はそれも失われ久しいと、「ヨーロッパ」は嘆き、懐かしむのである。
エルミタージュ美術館に限らず(筆者本人はエルミタージュに行ったことはないが)、今ではその機能を果たすことなく、観光名所となった宮殿などを訪れると、この場所にどのような貴人たちが行きかったのだろうかと、想像を掻き立てられる。そんな過去への欲望を満たすべく、カメラが宮殿内部を徘徊する。
ラストの、白と金だけで装飾された大きな階段ホールから、建物の外へ出て敷地を出るところまでの、「後ずさり」のショットは、今までにない映像の快楽を感じた。カメラは後ろに向かって移動しつつ、焦点の深度が深くなる。舞踏会が開いて、その後の逢い引きの話や、明日の話をしながら宮殿の外へと向かう「幽霊」たち。自分たちの運命を知ることもなく、無邪気に明日以降のことを話している姿が哀しい。ソ連崩壊後だからこそ実現できた企画だろう。
上映当日はオーディトリウムでフィルムによる上映。至高の映画体験をさせていただいた。
ヒラヒラと光り物チョーダイ!
最近、演劇づいてしまって『アンだのエリザベスだの』出掛けてはいるものの、大きなキャパの舞台では、折角のドレス姿を間近に観ることも出来ず、欲求不満を埋める為に観に来たのがこの映画。
最初から着飾った女性が二人も出てきて、この先に期待大!だったのですが……
この映画の主役は美術館と案内役の『楳図かずお似のおっちゃん』
(実在したフランス人、外交官キュスティーヌとかいう人らしい)なので全編、ドレスまみれとはいかなかったのが残念でした。
要は、テレビが美術館や歴史的遺産を紹介する時によく使う手法で構成された作品で
(先駆けだったらどうしよう……)
館内のあちこちに役者を配備して『歴史的なエピソード』を含んだ寸劇を散りばめてある
まあ、それも分かる人は分かるんだろうけど……
「どんな映画だったの?」と他人に聞かれて、
「エカテリーナ大帝がお芝居観てたり……」と答えると、
「ああ、あの人はエルミタージュを造った人だからね」と言われ、
「そう言えば皇女アナスタシアも出てきましたよ、なんだかその後の運命を暗示するような台詞もあって……」と続けると、
「あら?アナスタシアはエカテリーナよりももっと後よ!」と言われ、
目を泳がせながら
「た、多分、歴史が進んでるんだと思います!(;゜∀゜)」とうわずって答える。
こんな私なのでスルーしてしまった『歴女くすぐりエピソード』は、まだまだあるんでしょうが……
舞踏会でのティアラや羽飾り、真珠や宝石、揺れるレースとシルク・オーガンジー。
大画面でしっかりと見る事ができて1300円なら、私は満足♪
でも第三者に90分ワンカットとかエルミタージュでの撮影許可とか「凄い映画なんだぞ~!」とか言われたりしたら、ちょっとテンション下がっちまうがな!(。>д<)です。
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