「仲をとりもつ次男坊」山の郵便配達 かなり悪いオヤジさんの映画レビュー(感想・評価)
仲をとりもつ次男坊
「この映画には日本の原風景が描かれている」朝日新聞の天声人語でも激賞された本作は、岩波ホールの単館上映ながら2001年の大ヒット作となり、その噂が中国本土にも知れわたったとか。3日で120kmを踏破し、中国山間部に点在する村々の郵便集配&配達を共産党中央政府から請け負った(習近平が好きそうな)配達員親子の物語である。
年をとった父に代わり息子が配達員の仕事を引き継ぐにあたり、父が同行して息子を村民に紹介していく一種のロードムービーなのだが、日本の保守的なお年寄りにはそれがすこぶる受けたようなのだ。私なんぞは、(おそらくはトリュフォーを真似たであろう)息子の心象を本人のナレーションで紹介する監督フォン・ジェンチイの演出が気になって気になってしょうがなかったのだが、皆さんはいかが思われたであろう。
どうもフォン・ジェンチイご本人が書いた複数の短編小説を一本の映画にまとめたようなのだが、よおく観察すると、この映画にはプロットつまり起承転結が見当たらない。あのコーエン兄弟は同じくプロットがない映画『インサイド・ルーウィン・デーヴィス』の中で、“猫”を使って登場人物の意識の流れを表現したらしいのだが、この映画“次男坊”が父と息子の心理的な隔たりを解消していく上で、非常に重要な役割を果たしているのである。
父親にベッタリでなかなか離れたがらなかった“次男坊”が、ラストでは長男の実力を認め付き従う成長物語にもなっている。父から息子へ。父が今まで誇りをもってこなしてきた責任ある仕事を息子に引き継がせる時に感じる、嬉しいような寂しいようななんとも言えない感情は、一部の方が指摘しているとおり、なるほど日本の小津安二郎作品にあい通じるものがあるのかもしれない。
道中二人が泊まった民家で、知り合った村の美しい娘との結婚を息子に促したり、床を並べて抱き合って眠る微笑ましいシーンなどは、まさに小津の『晩春』からの引用であろう。が、そこで邪魔くさくなるのはやっぱり息子のざーとらしいナレーションなのである。なかなか家に帰ってこなかった現役時代の父親との距離感が徐々に縮まりやがて父を追い越していく様は、付かず離れずな二人の歩き方で十分表現できたはずなのである。
現在だったらパルムドッグ賞間違いなしの“次男坊”の無言の演技?が秀逸だっただけに、親子の会話が少々多すぎて耳障りに聞こえたのかもしれない。川のせせらぎや小鳥の囀り、風が木々を揺らし雨粒が地面をたたく。折角のシチュエーションにも関わらず、自然音がほとんどいかされておらず、郵便配達の過酷さが殆どこちらに伝わって来なかったのは、片手落ちといわざるをえないであろう。