ファニーゲームのレビュー・感想・評価
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観る者への挑戦状
観たくない映画としてずっと避けていましたが、ハネケ作品が残す所「ファニーゲーム」と「ファニーゲームUSA」のみになり、時がきたのでやっと観ました。
物語は湖畔の別荘へ休暇に向かう家族が車の中でクラッシックを聞いて曲名を当てるゲームから始まります。そこに突然のメタル音楽とタイトルバック!序盤からただならぬ空気が漂います。別荘って何か不吉な場所。
別荘に到着すると、真っ白な服と手袋をした不気味な青年2人が訪れます。「卵を下さい」という青年。臆面もない青年とのイライラするやりとりは、次第に危ない方向へ。その後の展開は人が嫌悪するありとあらゆる行為を「殺人ゲーム」という形にしてまざまざとみせつけます。
「青年達の病的な厚かましさ」
「聞かされると不快になる話をする」
「揚げ足をとり責任転嫁する」
「選択出来ないことを選択させる」
「身内に屈辱的な命令をさせる」
「子供やペットを痛ぶる」
「期待を失望に変える」
「残酷なゲームを楽しむ」
特に私がきつかったのは、「希望を与えるがそれを絶望に変えることを繰り返す」ことでした。やっと逃げれたのに、捕まる。しかも2回も(母と息子各々ですが)。残酷です。
ハネケは言う。
「ハリウッド映画は暴力を快楽の道具に使っている」と。この発言からも分かる様にハネケは観る者に向けて「暴力の本質」といった挑戦状を叩きつけています。快楽の道具になるほど生温いものではないと。
まるで「こういうの観たいんでしょう」と言いたげに、突然観る者に向かって語りかける青年。「最後まで助かる見込みはないからね」と言わんばかりにテープを巻き戻す。
そして、ラスト。
青年はまたもや、観る者に語りかけます。
『虚構は今観てる映画。虚構は現実と同じくらい現実だ。』
ハネケが暴力に真摯に向き合って作った作品。そこには軽々しい快楽性は微塵もありません。暴力は虚構ではなく現実。だからこそ、観る側にもそれ相応の覚悟が必要になります。
ハネケ監督、いやはや参りました。
疲れた〜。
聞いた話と違うよ…
ミヒャエル・ハケネ監督の映画の中で初めて観た作品。
見るきっかけとなったのはこの監督のことが好きな友人から勧められて。
「卵を借りに行く話」としか聞いていなかったので、「?、はぁ…卵ねぇ…?」という心構えで観たら大惨事だった。
当分白い服の男にビビっていた。
なんでもブルジョワが嫌いで、酷い目に合わせたくなる、観客にポップコーンを食わせたくないなどと公言する捻くれっぷりが好印象だ。
冒頭にクラシック当てゲームをしたり、別荘に行ったり、ゴルフをしたり、ミヒャエル監督が嫌いなブルジョワであることを物語っている。
その割りに他の作品「ピアニスト」「アムール」でもクラシック音楽を織り交ぜてくる辺り、監督自身もクラシック音楽が好きなのではないかとも思う。
この映画の中で一番好きなシーンは、弟が奥さんに撃たれた直後巻き戻したシーンだ。
それはタブーだろう、やっちゃいけないだろう。ということを平気でやってのける。
また、そこまで撮らなくても良いのでは?
という所を執拗に撮る所に監督のこだわりや執念を感じて、監督の人間らしさが作品から伝わってくる所が好きだ。
(夫息子が殺され妻が呆然としている長い沈黙のシーン等)
この兄弟はこの「卵を借りに行く」ことをずっと続けて行くというエンディングはありきたりだが、もしかしたらそのうち自分の所にまでくるかも…という恐怖を感じてすごくぞっとする。
良くあるホラーよりもずっと日常的で怖いと感じた。
とても良い作品だった。
気がついたら犯罪者に肩入れするような映画構造が凄い
ある幸せな家庭がバカンスをしている別荘に突如2人組の来訪者が訪れ、幸せな家庭を崩壊させる後味の悪い物語。
なんだけれども、直接残虐描写を見せることも無く、映画を鑑賞している我々に語りかけたりするなど構造的にはメタ残虐映画の様相があり、面白い。
2人組は会話劇としても観客をイライラさせて、登場時点から共感できない嫌な奴らなのだが、被害者家族の間抜けっぷり(『そこで助け呼べただろ』、『逃げるならもっと計画性を持て』、『旦那は状況を打破する気が全くないだろ』)に2人組へのイライラが幸せな家族に向かって行く。
観客の我々に語りかけているところからわかる通り、
観客を試している実験映画なのではなかろうか?
言われてるほど胸くそ悪くなく、知的な映画かと
気味が悪い
所々眠くなる
それほどでも…
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