ファニーゲームのレビュー・感想・評価
全45件中、1~20件目を表示
USAの方がいい
USAの後で今作品を視聴しました。
DVDを買ってまで視聴したのですが、USAの吹替版の方がイライラできました。
ファニーゲーム2つあるけどどっち観たらいいのと聞かれたら間違いなくUSA
実際
色んな事件とかで人が殺されたりしてますが
反撃して犯人が死にましたなんて事件聞いた事無いし
ほぼ加害者に不条理にみんな殺されてるのが現実ですからエンタメ性を排除するとこんなもんだと思います!
だからと言って面白味なんて無いから作品としての凄さは理解できるけど全く面白く無いから点数はこんなもんでしょう(反撃したと思わせて巻き戻しする意地悪シーンは大爆笑でした)
あとこのパターンで普通は映画を作ろうとは考え無いから逆にアイデアとしては斬新なのかな?
だからといって面白いとは言え無いし。
サクッと見れる
胸糞悪い映画
特に序盤が理不尽で見ていて辛かった。
人が良さそうな風貌なのに、自分が卵を割ってしまったのに催促するところとか。
不気味だったのは弟だが、怖いのは兄。
家族であんなに追い込まれるのは可哀想。
お父さんもいい人だったのに、、
子供が〇された時は悲しむかと思いきや、もはや虚無だった。
結構楽しめたいい映画!
人には勧めづらいけど、、
自分だったら?
U-NEXTでミッドサマー観たらおすすめで出てきたので鑑賞。
こんなすごい映画があったのね。
といっても特にアンテナ張ってるわけでもないけど好奇心擽る系はもう観てきたなーくらいに思ってたので嬉しい驚き。
自分的には非常に教訓的な内容だった。
まずは「善意方向に進むと思うな!」
最終的に殺されてしまった家族同様、鑑賞している私たちも「さすがにそこまではしないだろ?」と何故か何故か、思い込んでしまっている。そこをやられた!マジで悔しい。悔しみしかない。子どもって殺されていいんだっけ?(レオンでも小さい弟が殺された時衝撃だった)
なので現実にこれが自分に起きたと仮定して、家族を守るという意味で、最初の「卵」やり取りの不穏な雰囲気になってきた段階で何か出来なかったか?と。
ゴルフバッグあるやん。相打ち覚悟で2人のうち1人に先手とってダメージ与えておけば?キッチンから卵取って来る時、包丁持ってこれるやん?
少しの期待と希望なんか持ったせいで思い切りがなかったから一番大切なものを殺された。
相手が家から出て行ってくれない、その時点でもう殺そう。
と固く心に誓った。
そして、こいつらは最悪な人間というより自然災害に近い存在かなと。
自然災害は完全に無慈悲で無差別で無感情、言葉が通じず話し合い不可能、犬だろうと子どもだろうと選ばず殺す。
善も悪も情緒もなくただ地球に存在するもの。
映画の中ではそれが人間の姿をしているだけで、この夫婦の安易で用心しない考え方のせいで死ぬことになった。
日常の中にいると考えることもないけど、この世界で生き続けていく事はサバイバルであり、死は意外と身近に潜んでいることを思い出させてくれた。
一番怖いのは人間だ!
私はホラー映画が好きですが、あまり怖いと感じることはないのです。理由はモンスターもゾンビも幽霊もそれは現実でない作り物だから。でも、映画で描くもので一番怖いものは、人間の恐ろしさです。それは現実でも起こりうる世界なのですから。
本作は余りにも理不尽な暴力を描いているため、観終わった後の憂鬱度はかなりなものに…。鑑賞中はずーっと苦痛なのです。ではなぜ観てしまうんでしょうか。それが自分でも分からない…。そうなんです、すでにハネケ監督のマジックにかかってしまっているんです。
オープニングでは、仲むつましい家族が車で曲当てゲームをしながら別荘に向かい、ほのぼのシーンから始まります。が、一転FUNNY GAMESというタイトルが出て、荒々しいロックの曲に変わり、冒頭から作品の異常感が伝わってくる。いきなり嫌な予感満載です…。
別荘で、ヨットの準備や料理を作って楽しい時間をすごしているさなか、一家は一方的に理由の無き、"殺人ゲーム"の標的とされます。12時間後に一家が死んでいるか、生きているかという理不尽な賭け。
あまりにも身勝手で残虐極まりない犯人達には、憎しみと吐き気しか覚えません。犯人の憎たらしい顔、馬鹿げた発言、卑怯なやり口、全てにおいて嫌気を覚えさせられます。
さらに犯人達は映画を鑑賞ている我々があたかも共犯者のように、話しかけてきます。
「おい、お前もこのゲームを楽しんでいるんだろう?」
と言わんばかりに・・・。
犯人は逃げだします。生き残ったのは夫婦二人、動から静へしばらく夫婦の精一杯の生への執念が静かに静かに繰り広げられるのです。父ゲオルクの足の骨が折れていても妻と二人で協力して歩く姿、必死で濡れた電話を乾かそうとする姿、希望を持ち外に出て助けを探す姿、残されたもののいたいけな頑張りが涙ぐましくも表現されています。
でも、監督は意地悪極まりない。よりによって助けを求めた車の運転手が犯人達だなんて。ひどい、ひどすぎる…。転々と転がるゴルフボール。そこには、希望はなく絶望しかなかった。
「ゲーム再開!!!」
・・・もう、書くのも嫌になる光景がラストまで続きます。
そして、なに?あのビデオテープ巻き戻し???ありえなさ過ぎるよ…。。。
とにかく不快。
最後の最後まで犯人達の頭の中が全く分からなかった。ひたすら不条理で救いのない映画。エンディングは本当に不快。巻き戻しのシーンで更に不快になった。トドメを刺されたのは伏線と思っていたヨットのナイフ。まさか全員殺されるとほ思わなかった。この映画がPG12というのはあり得ないだろう。この作品の製作が1997年で確かにこの頃は携帯は普及していなかったが、携帯があればだいぶ展開は変わっていただろう。しかし警察の電話番号が分からないというのはどういう事か?いくら何でもそれはないのでは?二度と観たくないが印象に残る作品ではある。
まじ帰れ
まじ帰れ。
だいぶ前にUSAの方先に観てたので、さすがに連続で観るのキツいなー。と思ってしばらく寝かせてからのオリジナル版鑑賞。
(その間にハネケの作品色々観たりして〜)
いや、やっぱキツい。ハネケの他の作品と比べても
観るのに体力いるし、ほんとに帰って欲しい。あいつら。
(私は個人的ファニーゲームのことまじ帰れ映画ってあだ名で呼んでる。)
それにしても全く同じセルフリメイクって聞いてたけどほんとにまったく同じで、建物の間取りも一緒。
USA観たのだいぶ前なので同じ家かどうかは記憶が曖昧だけど。
ほんとに、変なことするよね。ハネケ。って思って面白かった。
USA版との比較もなにもないけど、USAの方が馴染みのある俳優が演じている分、俳優がこの悪夢の様な話を演じてるんだなってゆう精神的フィルターがある分、まだ観やすい気がするなと思った。
ほんと嫌な映画作るよね。最高です。
配信で鑑賞(DVDも持ってる)
観客が映画に期待するものとは何か
みているとき隣に座っていた家族から「これ、胸糞映画で有名なやつだよ」と言われ、ビクビクしながら鑑賞する。
しかし、み終わって胸糞悪さは残らなかった。
映画が扱ってきた(扱い続けている)暴力や痛みを、弔うような映画だと感じた。
特に印象的だったシーンはふたつ。
女性が辱めを受けるシーンは、映画で本当によくあるが、この映画のカットこそまさに凌辱だった。
決まってよくある女性の裸は、画面にそれを映した時点で、彼女の苦しみではなく観客の官能と化す。
本映画では、まさにその期待をあえて煽り、観客に服を脱ぐ女体を想起させるが、そのようには描かない。
わが子が殺された部屋で放心する夫婦のシーン。
夫婦の顔のアップや涙など映さない。
カメラはずっと奥に引いて、喪失に茫然とする夫婦を延々と映す。
この夫婦にとってわが子を失うことは、エモーショナルな出来事でも、乗り越えるようなことでも無いのだと。
映画という構造に、観客が期待すること、求めること。
それに則ることで、暴力も凌辱も苦しみも、単なる刺激や官能に下る。
観客に「過激なものが見たいのでしょう?」「極限下の人情に感動したいのでしょう?」「命からがら救われるような、都合のいい奇跡を見たいのでしょう?」「あなたが映画へ持つ期待は何か?」と問うてくる。
映画を通じて人の痛みを描くとはどのようなことなのか、非常に丁寧に扱われた作品。
感想メモ
おもしろかった。
際立って大きい暴力描写はないが、それが逆に劇的でなくリアルに感じられる。
子供が死んだ後の時間の流れだったり、青年がこちらに話しかけてきたりする演出もリアルを体感させられる。
キングオブ胸糞
という訳で「ファニーゲーム」。絶対に誰かと見ちゃいけない映画。必ず1人で見ること。落ち込んだときや幸せな時に見てもダメ。「たまにはイロモノでも見てみるか」って時に調度いい。
冒頭の「という訳で」は、前にレビューした「君たちはどう生きるか」でこの作品に触れたためで、大した意味はない。
毒にも薬にもならず、ただ不快感だけを与えて去っていく。しかし、伏線もキレイに回収して、映画全般をメタってる作品のため、すべては監督の手のひらの上。
映画好きなら、通って損はないと思うけど、好きな映画だとは言いたくないし、思ってもない。
でもレビューしたくなるくらいに「何か面白い映画ある?」って聞かれたら勧めてしまう。
ハリウッドでもリメイクがあるが、見る気は起きない。こんなニッチな作品をリメイクする気がしれない。「やられたぁ」の二番煎じは寒くないですか?まだ見たことがないなら、他の人のレビューを見比べてハリウッド版を見るのはアリだと思う。
ただ、名作にもう一度スポットライトを当ててくれたことには感謝しよう。
その引き込まれ方がすごい
終始不穏で、光のないゲームを描いたサスペンス作品。
「U.S.A.」をまだ観ていなかったので、久しぶりにと合わせて鑑賞。
そしてこれが今観ても、実にクセのある作りです。
ハリウッドの娯楽性を真っ向から否定する、悪意に溢れたものになっているんですね。
ザラっとした映像、暴力をあえて映さずに伝える痛み、噛み合わない行動と会話、タブーから入る殺害、そして巻き戻し。
観客が不愉快になるよう徹底的に作られています。
作品のテーマであろう「現実と虚構」が実に巧みで、現実感たっぷりな絶望に時折見せるメタの演出を織り混ぜるなど、その引き込まれ方がすごい。
あと冒頭での明らかな伏線の仕込み「ナイフ」、最後の最後に出てくるのですがこれも実にうまい。
これは本当やられました、見事です。
スリラー映画についての反省の一形態を、あくまで趣味良く。
2022 555
2015 444
-----
書籍『ミヒャエル・ハネケの映画術』より、一部
(10分間を超える居間のシークエンスショットについて)もしこのシーンを伝統的な方法で撮影していたら、その緊張感は全て失われてしまっていたでしょう。このシチュエーションにシークエンス・ショットはぴったりだと思われました。それ以外のところはいつもと同じように撮影しています。何か恐ろしいものを映さねばならないときは、いつも遠くから撮影します。近くで見せられる苦痛は、私には猥褻に見えます。
あらゆる苦痛と死は撮影不可能だと考えています。とりわけ記録映画においてですが、大虐殺の犠牲者たちをクロース・アップで映しているものは耐えがたいと思います。そんなものは見たくありません。これは趣味の問題です。
ドイツ語で「Geschmack」という言葉は、趣味の良い人は倫理的でもあるということを意味しています。趣味は単に美学的な事柄ではなく、敬意をも含みもっています。この場合では、他人の苦しみに対する敬意です。
(冒頭の場面でオペラが突然ジョン・ゾーンの音楽に変わることについて)ジョン・ゾーンは純粋なヘビーメタルというよりは、むしろこの種の音楽についての反省のようなものです。『ファニーゲーム』がスリラー映画についての反省の一形態であるのと同じです。
学生たちに良く言うのですが、一番必要なのは、良い耳をもつことなのです。目で見るよりも耳で聞いた方がはるかに理解が速いからです。ロングショットでは、撮影中、何も見えません。演技が適切かどうかを見極めるには音に頼るしかないのです。
子供
いやあ子供が亡くなってからはもう緊張感がするすると抜けていきましたね。これ以上のグロテスクや底はないというか。
不快は不快なんですが監督の挑発がちょっと幼稚で、人が人に抱く不信感の渦や何年か経って気付くような高度な皮肉の類ではなく露悪なんすよね。でもリモコン巻き戻しは可笑しかったです、あんなブラックジョークで観客をおちょくるのはサービス精神が強くてカッコつけてなくていいなと思いました。
胸糞が悪い
ひたすらに希望がないままドンデン返しに至らない二度目の悪夢から、序盤で落とすナイフの伏線回収が何ら身にならない結末。
一見すると普通に好青年と思われる二人の男の見た目が余計に腹立たしい、卵の件の会話から嫌ぁな感じがダダ漏れで、最初から不穏な空気が漂いながら過剰にしない暴力描写が尚更に痛々しい。
テレビのリモコンから奇妙な世界観に突入、かなりの極悪賛美で救われない。
現実に起これば、こんなもんか、映画だからこそ起こる奇跡を期待しながら、映画にリアルを突き付ける現実味からの絶望と恐怖心。
色んな意図は理解できるものの・・・
この監督は相当に一般的な思考回路と異なる部分を持っているが、
この作品ではその性質がいかんなく発揮されている。
理不尽な現実に蹂躙され何の救いもなく殺されていく、ただそれだけの内容が淡々と描かれている。現代映画のご都合主義的な部分へのアンチテーゼ(現実は甘くない)としての意味合いもあるのかもしれないが、如何せんテンポが悪すぎて(それがリアリティを増すこの映画の良い要素でもあるのだろうが)正直なところ見ていてだれてしまった。
観客(視聴者)に語りかける場面や被害者達の反撃をリモコンで巻き戻すなどのギミックはちょっと面白いが、この監督の性質をある程度理解していてこの作品の説明などを見て「とことんまでに観客(視聴者)の心を拷問して不快にさせる映画」として作ったのだと分かる人以外には全くおすすめできない。
物語を破壊する者の正体
残酷な殺戮場面がますますリアルになっている昨今の映画界だが、この映画の殺人シーンは、そうした作品に比べれば至ってノーマルだ。 しかし、後味の悪さは尋常ではない。
何の脈絡もなく、 ごく普通の日常生活に気配もなく不協和音が介入し、理不尽な支配に絶望させられた上で、これまたなんの脈絡もなく人生を突然断ち切られる。 この悪夢のような運命のすべてを、 人間の「軽薄な悪意」が演出していることに、 極めて強い不安と衝撃、そして嫌悪感を抱くのである。
まさに、「映画史上最高レベルの不快作」と言っていいだろう。
我々人間には、命そのものよりも大切に守ろうとしているものがある。 それは、筋道だった人生を全うすること、つまり、一貫した物語を創ることだ。 人は誰しも、自分の人生という物語を完成させるために、命を懸けて生きていると言ってもいい。
人生は、段取り通りには進まない。 様々な想定外の出来事により、一時停止や修正を余儀なくされる。 そこで挫折しても、人はそれをテコにして起き上がる。 時には自分を胡麻化し、無理やり帳尻合わせをしてでも、自分の物語を再構築して生きていこうとする。 中には、物語の一貫性を失い、生きる気力を亡くして死んでいく者もいる。 運命は理不尽であり、人生は過酷だ。
だからこそ、我々は他人が命を懸けて創っている物語を尊重する。 物語同士が干渉するトラブルは当然あるが、 それでも相手を尊重することが、 安全かつ平和に生きていくための必須条件なのだ。 他人の生を尊重することは、 イデオロギーとは関係なく、人類の持つ暗黙の共通認識といってもいい。
この映画は、そんな共通認識を真っ向から否定する。 そして、人間が人間の物語を残虐に引き裂く光景を、まるでホームドラマのように描き出す。 殺人鬼が観客に向かって不敵に微笑むが、 この映画には、物語づくりに安住しようとする人間の営みなど愚であるとでも言っているかのような、極めて挑発的なメッセージが込められている。
ミヒャエル・ハネケ監督は、42年ドイツ生まれのオーストリア育ち。 あの時代、かの地に育ったことが、作品に影響していることは否定できないと思う。 自分の感性を通して見えた現実の世界と、そこから養われた独自の価値観を、 一切の忖度なくストレートに映画化した―という印象だ。
カンヌでは、途中退席も目立ったらしい。 さすがに、この物語を共有しようと思う者はいないだろう。 実際、二度、三度と見返したい作品ではない。 正義の主人公が悪を八つ裂きにする予定調和の映画文法に慣れきっている観客に対する、 一種のアンチテーゼだったのだろうか。 いずれにせよ、 人間が生きるこの世界の有り様の一端を、 この映画によって我々の眼前に突き付けることに成功したことだけは確かだ。
全45件中、1~20件目を表示