小説家を見つけたらのレビュー・感想・評価
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爽やかな余韻が残る
久しぶりに この手の の映画だった。
引き籠りの元小説家が、少年と出会い、友情を築く。
元小説家は、少年が忘れていった鞄の中のノートに才能を見出し、
単なる好奇心で言葉のキャッチボールをしているうちに
半分友人、半分弟子のように思えたんだろう。
世捨て人になっていた小説家には、とても幸運だった。
先入観と権威主義への反感、そして自分の面子の為に他者を潰す心の狭い大人
サブテーマはそういうところだろうか。
残念なところを挙げるとすれば、やはり少年の盗用だろう。
未公開だからといって、他人の文章をそのまま引用して良い訳がない
釘を刺されていたのだから、頭のいい彼は理解できていなければならない。
どうしても自分の文章として用いたければ、表題と冒頭を書き換えればイイ
彼にはその才能も時間もあったのに、なぜやらなかったのだろう。
小説家を裏切ることになると、なぜ分からなかったのだろう。
いや、ここは脚本家の都合に過ぎない。
ならなぜ小説家が自分を助けてくれない事を責めたのか。
責める資格はない。これも作中の少年なら理解しているはず。
And …そして、違った言葉を選んだはずだろう。
とはいえ、元小説家が人前に立つにはそれなりのイベントが必要だった。
このことが切欠で彼は自らの意思で外に出ることができた。
少年が試合のフリースローでゴールを外す展開は見事。
嫌疑への代償としてゴールをという 一方的で不本意な取引きを持ち掛けてきた
大人達への無言の反抗だった。
あそこでゴールを決めてしまえば、取引きを受け入れる事になる。
つまり嫌疑を認めた上、優勝の栄光まで単なる代償になってしまう。
この時、少年の文学への道は詰んでいた。
ゴール直前の少年の視線が、迷いと決意を表していた。
最後に小説家がわざわざ質問していたのは、気が付けない人への配慮だろうか。
良い作品だった。
レビューも考えずに書くと消される。
『オーバー・ザ・レインボー』はすこし臭すぎる。
それで『ホワット・ア・ワンダフル・ワールド』で閉める。
『レビューも考えずに書くと消される。』
『挫折を味わった教師は非常に優秀か危険か だ』日本の教師は優秀だけれども、余り挫折を味っていないんじゃないかなぁ?まぁ、日本に限った事ではないけど。
シャーロック・ホームズとワトソンの出会いは『緋色の研究』なのでそれさえ読めば分かるので、その問題を出した教師の意図はそれ程奇抜ではない。体外誰でも『緋色の研究』は読む。
写真が机の上に載っているが、意図的なのだろうか?普通50年の世捨て人が、昔の写真等机の上に放置する訳が無い。僕は昔の自分が写っている写真は卒業写真も含めて全て捨てた。だって、そんなもの見る時間あるなら、
U-◯EXT見るよ♥
天才的作家と言うよりも、引きこもりだと思うけどなぁ。
アマデウスみたいだなぁって思っていたら、なんとなんと、サリエリか!
人の著作物を自分の作品として提示するのは、何があっても駄目だ。引用として、明記する必要がある。レビューでも、一緒。気をつけなければね。だから、僕は良く消される。
アメリカってバスケットだったら、高校の練習試合見たいなものまでテレビ放映するんだ。
『あ~アイルランドね。』
『スコットランドだよー』
ここで終わらせるべきだ。
アメリカ映画ってとことん大団円に持って行きたがる。
原題 Finding Forrester
製作年 2000年
製作国 アメリカ
劇場公開日 2001年3月10日
上映時間 136分
大人と少年との交流が素晴らしい
普通の少年だと思っていたら、実はすごい才能をもっていたことがわかった大人(この映画では偏屈老人)とその少年との心温まる交流を描いた作品、こういうストーリーの映画、結構あると思うけど、そのなかでもベスト3に入るくらいのいい映画だ。
思いがけない物を 思いがけない時に
マンションの最上階で外出もせず暮らす男をショーン・コネリーが演じる。
仲間内で『 ウィンドー 』と呼ぶ彼と、文学を愛する青年が親交を深めていく… 。
青年の朗らかで聡明な母親、常に味方になり支える兄、出逢う友人達が皆いい。
クラシカルな装いで自転車に乗り颯爽と街を疾走するショーン・コネリーが渋い。
マット・デイモンが弁護士役でご登場とは! ( 巻き戻して二度見しました 👀 )
ー文章に方向性を
NHK-BSを録画にて鑑賞 (字幕)
名匠と名優による名作。
136分という、少し長めの作品です。派手な演出が
あるわけでもなく、ハラハラドキドキもない。
それなのに、グイグイ引き込まれて、最後まで飽きることなく
鑑賞できました。いい映画であるという証ですね。
さすが、ショーン・コネリー、そしてガス・ヴァン・サント。
ゲスト出演?なのかな。ラスト近くの大物俳優の登場も
作品に華を添えています。
老人と若者の友情。なんとも雰囲気のあるいい作品だった。 さすがはシ...
老人と若者の友情。なんとも雰囲気のあるいい作品だった。
さすがはショーン・コネリー、風格と貫禄が違います。彼無くしてこの作品は成り立たないでしょう。さらっとマット・デイモンが登場(笑)
【隠遁生活を送るたった一冊だけ小説を発表した天才的な文才を持つ男と、天賦の文学及びバスケの才能を得た黒人青年との交流を描いた作品。】
■バスケットボール選手を目指す高校生・ジャマールには、隠れた文学の才能があった。
偶然か運命か、彼は文学賞に輝くも文壇から消えた幻の作家・フォレスター(ショーン・コネリー)に出会う。
ジャマールはフォレスターに導かれ、フォレスターもまた隠遁生活をしていた自身の人生と向き合っていく。
◆感想
・私はガス・ヴァン・サント監督の人間性を肯定した数々の作品を愛する者である。だが、この作品とは縁がなく、初鑑賞となった。
・隠遁生活を送る天才作家フォレスターを演じるショーン・コネリーと、若き文学才能あるジャマールの人種と年齢を越えた、関係性の構築の過程が鮮やかに描かれている作品である。
<ラスト、ジャマールが盗作疑惑を問われるシーンでの、それまで隠遁生活を送っていた、天才作家フォレスターの聴衆に語り掛ける言葉は、心に沁みる作品である。>
才能を認めてくれる存在
有名な作家が引きこもっていたが、
ひょんな事から高校生と接触する様になり、
次第にお互いが心を開いていくお話し。
いくらお金があっても、
いくら名誉があっても、
近くで支えてくれるという存在がどんだけ大きいのか?
考えさせられる。
新グッド・ウィル・ハンティング
ニューヨークのブロンクスに住む黒人高校生、バスケの才能に加えて、文学について天才的な才能が見出される。
近くに住む謎の作家(ショーン・コネリー)と親しくなり、師弟のような関係を築く。
「グッド・ウィル・ハンティング」とよく似ている話だが、ショーン・コネリーの存在感と、終盤のゲストで楽しめた。
白髪姿も魅力的なショーンコネリー
ショーンコネリー扮する小説家ウイリアムフォレスターは、部屋にリュックを忘れていったロブブラウン扮する16歳ジャマールウォレスのノートに書き込みを残した。
ぶっきらぼうのウイリアムフォレスターにジャマールは良く食いついて行くよね。そろにウイリアムも意外にもちゃんと褒めてくれるし、教えてもくれる。ロブブラウンは貫禄があってとても16歳には見えなかったな。ショーンコネリーは相変わらず素晴らしいね。白髪姿も魅力的だ。
淡々とした主人公の描写が心地良い。
感情を表に出すことなく、
悔しいこと、かなしいこと、全部心に飲み込んで、
ポツンと葛藤する姿が知的に思えた。
ショーン・コネリーも適役で良かったな。
マット・デイモン、いつ出てくるの?
あ、出てきた!と思いながら、クスっと笑っちゃった。
劇場公開時鑑賞。
お手軽な常套句とはいえポスターの「アカデミー賞最有力候補」のとほほ感。
メンター的役柄の時のショーン・コネリー様最強です(『薔薇の名前』『アンタッチャブル』『インディー・ジョーンズ 最後の聖戦』『ザ・ロック』)。私は彼が写っていればまあ満足だったけど、ガス・ヴァン・サント監督作品だと考えると、かなり物足りない出来だと思う。
青年×お爺さん
才能豊富な貧乏黒人と引きこもりのおじいさん。
よくある組み合わせだが、結構な確率で名作が多いと思う。
マット・デイモン目当てで見たが最後にちょっとだけだった。でも粋なキャスティング◎
ショーン・コネリーが似合いすぎてた。
「グッドウィルハンティング」と似ていて、監督もガス・ヴァン・サント。
移民は多数派
アメリカの特に都会には、移民している人がたくさんいるんだろう。
故郷を後に、いろんな思いをもって新天地で人生をかけている姿がそこにある。
何もできなかった自分が変わるきっかけに、そんな映画かも。
※個人的には、色々あって集中して鑑賞できずに、深い感情が沸きづらかった。
名作
どちらかと言うとグッドウィルハンティングのほうが名作扱いされてるような気がするが今作のほうが自分は好きだった。
黒人だからと差別も扱われていてそこに比重は置かれていないが色々考えてしまう。
主人公の少年は芯が強くてあまり嫌気が差すような展開にならないのもよかった。
ショーンコネリーは偏屈な爺さんが似合うね。
歳の離れた友情でお互いが刺激しあえて変化していく過程はとてもよかったと思う。
ラストもそこそこにスカッとしてエンディングも爽やか、悲しみより前向きな気持ちになれる。
マットディモンがでてくるのもいい演出かと笑
良い文章とは何か
文学を誤解しているのか。本を読んだ回数が多いほど良いわけではないし、本の内容を記憶しているから文学を理解したということにはならない。主人公は、凄まじい記憶力でほかの登場人物を圧倒していたが、それは文学の芸術的鑑賞とは違う次元の話である。ものすごく違和感を感じた。
おまけに、大作家が朗読で悪役を黙らせるシーンでは、さぞかし名文なのだろうが、肝心の文章がわからないまま、ただただ感動と恐れおののく生徒と先生の顔だけが映されている。これでは、よくある御涙頂戴もののテレビ番組と大差ない。わざわざ映画にするほどの内容ではないだろう。
ショーンコネリーも思わせぶりなだけで、視聴者が「この人すごい」というような片鱗を見せてはくれなかったのが残念である。
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