ワンダーランド駅でのレビュー・感想・評価
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出会いも恋も始まらない
どうも運命の二人らしいのだが出会いも恋も始まらない、出会いの前を延々映画にするという試みは確かにユニークだが他の監督がそうしないのは訳がある。
本命に出会うまでの繋ぎなのだから出てくる男も女も難があるのは当たり前、言葉遊びのようなセリフが虚しい。ギャンブル狂とかお盛んな有閑マダムとか親世代のいい加減さも興をそぐ。要するに結末を知ってしまったミステリーが成り立たないのと同様だ。
加えてテレビのようなアップの多用、地下鉄の混雑での圧迫感をだすには有効だが街場でもアップのカットバックが繰り返される、全編に流れるボサノバは主人公の気怠い心情なのだろうが演出と不釣り合い。監督は相当の天邪鬼、ロマンティック風なタイトルで釣っておきながら月並みな恋愛ものにしたくなかったのだろう。
それにしても「ハリセンボン」は愛くるしい、いっそアランを主人公にした水族館物語に彼女が絡むロマンティックストーリーにして欲しかった。
昼下がりに観たい
軽快なボサノバと軽快な男女関係が重っ苦しくなくて、昼下がりに鑑賞したい作品です。
母の空港話は、ラストへの伏線になっていました。母娘揃って、人生の別れ道は空港から。
空港って、沢山の到着地がありますから。ここも伏線かな?
2人がどう出会うかは問題じゃないの
映画「ワンダーランド駅で」(ブラッド・アンダーソン監督)から。
すれ違い続けるふたりの男女が、出会うまでを描いたドラマ。
作品解説には、そう書かれていたけれど、
作品の中には、こんな台詞がある。
「2人がどう出会うかは問題じゃないの。
本当に大事なのは、その後の2人の関係をどうやって続けるかよ」
それにしては、2人が出会うまでの過程が長過ぎる。
あと残り数分というところで、やっと出会うから、
この後、2人がどうやって関係を続けていくのか、は語られていない。
キーワードとなるフレーズは「頑固さは、狭量なる心の表れ」。
それを「頑固さは、堅実さの表れだ」と言い替え、
本当は「愚かな頑固さは、狭量なる心の表れだ」(R・W・エマソン)
と「愚かな頑固さ」にスポットを当てたかったようだが、
私にはよく理解できなかった。
冒頭の「何も読まずに本を閉じるな。どんな言葉をひとつでも、
読めば心に響く。めまぐるしい世界から、はるか遠く離れ、
忙しさや、むなしい快楽を忘れ去る。
孤独とは、なんと優雅で穏やかだろう」という老紳士の助言の方が、
心に残ったシーンであった。
最近、なかなか理解できない作品ばかり観ている気がする。
これでいいのだろうか・・・(汗)
人生はワンダーランド!これはあなたの人生かも?
失恋したばかりの主人公が、新しい彼に巡り合うまで、会えそうで会えないニアミスの連続の末に最後にやっとの思いでゴールインすると言う只それだけのシンプルなストーリーなのだが、そのニアミスのプロセスがまるで旅行を楽しむ様な感覚で観れる不思議な魅力に溢れる作品である。
主演の女性を演じるホープ・デイビスは私の大好きな映画の1つであるS・キング原作のホラーサスペンスと言えば良いのか、「フラットライナーズ」でスクリーンデビューしていて、その後は「死の接吻」「アトランティスの心」「プルーフオブマイライフ」「アバウトシュミット」など良作品に数多く出演している彼女なのだが、その割に私の中では印象に残らない女優さんだったが、それが返って普通の彼氏出来ない、奥手のインテリ女性の雰囲気がタップリと堪能出来て、単調な話なのだが、次のエピソードが気に成り出す面白い映画だ。
相手役の男優も、アラン・ゲルファントと言う日本では余り馴染みの無い俳優で、彼が演じている役処は35歳で海洋生物学者になるために、配管工事業者の職員として勤労学生をする傍らで、水族館でボランティアをしながら、水族館でのパート職に就ける様に頑張っていると言うちょっと風変わりな経歴と夢を持ち日夜努力を続けている男を好演している。
一方彼女の母親は有名人で、娘にボーイフレンドが出来ない事を心配して、恋人募集広告をデカデカと写真付きで新聞に掲載させると言う、最後の手段に出ると言うものだ。
この映画が製作されたのは、98年なので、ボストン近郊に暮らしている彼女であるにも関わらず、しかもあのハーヴァード大医学部中退だから、これが、10年後だったら簡単にフェイスブックで直ぐに友達と繋がれる環境になるのだが、これは未だフェイスブックが出来る5,6年前だからこそ、成立した映画だと思うと時代によって人の出会いも様変わりする事の面白さの発見があった。
そして、広告掲載に対する問い合わせが64件来て、順次その男たちに会って行く彼女の日々と言う考えも付かない様な話で、本当に笑えるのだ!
本人にして見るとちっとも笑えない人生かも知れないのだが、ありそうで無さそうで、無さそうで実際には在る話しなのかも知れない。
ファーストシーンで彼女の元を去る、恋人役を演じているのが、F・シーモアホフマンで、
(10年前のホフマンは今程未だ、巨体では無いのが、何故か可笑しい)彼の役処もピースアクティビストと言うのも、アメリカ東部のハーヴァード卒のインテリ達の付き合いそうな人種と言う感じが見えて面白いが、その彼女が、焦りまくって彼氏探しに躍起になっている同僚に語る言葉は、納得の一語「自分を幸せに出来るのは、自分しかいないのだ」と言う
青い鳥は外に探しても、結局、自分のところに居ると言うより、己自身がしっかり自分自身で納得出来る人生を生きていなければ、誰か他人の力によって、他人に依存して、自身の幸福を得る事は決して出来ないと言う結末なのだ。アメリカ映画は本当に、自己探求=恋人との出会いと言う様な、恋人が出来ないと人生幸せに成れないと言う風潮の神話映画が多いが、正にその名の通り、人生は「ワンダーランド」なのだろう!
時間配分ミスで、展開に時間的な余裕がないから、予定してたように筋書きを強引に変えざるを得なかった
鉄道映画祭で見てきました。
スタンダートな作品でいえば、『君の名は』というラジオドラマの映画化作品が戦後ヒットしたことがありました。すれ違いドラマはいつの時代でも、恋にときめく乙女の心を捉えて離さぬものでしょう。
本作でも、会場でばったりあったご婦人は、すごくよかったと語られていました。
けれども、男性目線からクールに評価すれば、どうもあれこれ仕掛けを計らいすぎたため、あざとくて興ざめするシーンが多かったです。
出だしは、環境運動家の自己中旦那とエリンがけんか腰で離婚するシーンで、結構笑わせてくれておもしろかったのです。でも母親が勝手にエリンの恋人募集の広告を出して、律儀にエリンが応募者を首実検するところが饒舌で長すぎました。それがラストにつながればいいのですが、なくても筋に影響しないエピソードだったのです。だったらもっと後半エリンとアランが絡むところを描くべきでした。
そのためふたりにそれぞれ恋人ができる経緯も唐突すぎます。
エリンなんて、患者として診察にきていた初対面のアンドレにモーレツアタックを受けて。その日のうちにアンドレとともにブラジル行について行くことを承諾するのです。
アランだって、恋人としては避けていたジュリーに押し倒されて、突如いたしてしまうのです。それがとってつけたように稚拙に見えてしまうのは、やはり時間配分ミスで、展開に時間的な余裕がないから、予定してたように筋書きを強引に変えざるを得なかったのでしょう。
そのため肝心のワンダーランド駅でのすれ違いの部分が希薄になってしまいました。アランとは初めて出会うところで終わってしまうので、物足りなさを感じました。
ただそれも女性目線では、エリンとアランが運命の女神様に導かれるようなにワンダーランド駅で出会ってしまうことが充分なのかもしれません。そのあり得ない偶然が重なって、恋が芽生えるという展開が実にいいのでしょう。
そんなわけで、すれ違いや偶然の恋にあこがれを感じている人には、ぴったりといえます。
ボサノヴァのリズミカルな音楽もマッチしていたと思います。
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