ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカのレビュー・感想・評価
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人生で一度、体感してみて損はない、圧倒的な4時間11分
4K映像にて蘇った4時間11分に及ぶこの名作を「午前十時の映画祭」にてスクリーン鑑賞することができた。冒頭から巨匠レオーネの凄まじいバイオレンスが飛び出し、それを抜けると「覗き穴」から景色を望むがごとく、セピア色の昔話が途端に色づいて華やぎ出す。この記憶の紡ぎ方が何とも見事で、圧倒される。まっとうな人生、正義、友情、愛の定義なんて誰からも教わらず、路上で這い上がってきた主人公たち。一心不乱に本能のまま駆け回った子供の頃と、大人になってあまりにも多くのことを知り過ぎた頃とがオーバーラップし、立ち上る埃と汗と阿片窟の煙に思わずむせ返りそうになる。
前に知人から、ウォン・カーワイ監督作『グランドマスター』も本作の影響を多分に受けていると聞かされたことがある。阿片窟や列車ホームでの戦いなどを見ているとそれも深く納得だ。ともあれ、一生に一度、映画ファンならば是非体感しておくべき名作と言えるだろう。
溢れ出る哀愁とラストシーンの謎
感服
荒廃的な世界を堪能
長過ぎるが、名作。
鑑賞回を重ねる毎に、監督の意図した最終形態に迫っていくかのよう
この作品には、レオーネ氏の言によりイタリア本国での「4時間半のテレビ版がある」という、その存在が示されていた。
現時点でBDにより鑑賞可能な、2回の劇場公開を経て復元修復された追加箇所の素材というのは、上記の経緯を辿った物である可能性が考えられ、従って素材の状態自体が元々、はじめから劇場公開フィルム版と同等のレベルを有していなかったのではないかとも推察される。
そのような事実をアタマの隅に入れて観てみると、劇場公開(元の完成)版に対し、どの部分がテレビ版に追加復元されたのかが判別が付くというのも、マイナスの要因とばかりも言えないかも知れない。
最も典型的で分かりやすい部分を上げると、エンドロールにその名を連ねながら、劇場公開されたどのバージョンにもその姿を確認する事が出来なかった出演者がいるという事である。
その一人が女優の“ルイーズ・フレッチャー”氏であり、その部分の映像にクオリティは、劇場公開済み本編の部分とは明らかに異なっている。
そのような紆余曲折を辿って、やっと我々の手元にたどりついてくれたレオーネ氏の遺作の“”究極版”が、そのクオリティ(画質)によって評価が左右させるような事などは無いだろう
初公開時には、「新宿プラザ劇場」の大画面で観賞した時とは、また違った感動がある。
またその後、そこから再公開鑑賞までの間には、サントラには未収録だったため、モリコーネ氏には異例に思えたThe Beatles の Yesterday が(インストゥルメンタル編曲版で)流れた記憶が「あれって、もしや記憶違い!?」と混乱状況に陥ってもしまった。
それを耳にした瞬間があれだけ衝撃的で、まさに「ガーンッ!」とした出来事だったにも関わらず?
むしろ、「えっ!、まさかっ!!」状態だったからこそ、ユメかウツツカ状態に陥って記憶の自信を持てなくなってしまったってとも言える。
(なぜかと言うと、その後の放映などで観た際にはそのようになっていなかったような.....?)
「完全版」を謳っての再公開時の鑑賞は日劇でだったと記憶する。
その時点で、記憶違いなんかじゃ無かった事を改めて確認して安堵したりと、この映画には色々な思いがある。
その後現在に至って、ただただ、興味深く、感慨深く、長い年月を経てやっと、その最終形態(作品の本来の姿)での「観賞できるその瞬間にたどりついた」という喜びに満たされる。
しかし今回、先日の「ドル3部作」の鑑賞を経て、この作品についても久しぶりに劇場での鑑賞で味わいたいものだという思いがつくづく、また湧き上がってくるのであった。
素晴らしい
御伽話というよりマックスとヌードルス
大作、どこかで観たようなエピソードが散りばめられている、が、こちらがオリジナルになるはず。
禁酒法時代の移民が生きたストーリー。
当時の日本はどうだったか?明治から大正にかけてアウトローは闇市、赤線、賭博で稼いだと思うが、それのニューヨーク版か。
見所はどこか、カタルシスは?であるが、男の世界観に尽きる。
歴史、或いはゴッドファーザーのような社会史というほど深いものはなく、どちらかというと友情、奇妙な友情、生き様。カタルシスはそれでも笑うオトコの生き様。
特にデ・ニーロ作品はこのようにハッピエンドというより哀愁漂うかく生きるべし、というのが多いが本作もそれ。
大作なりの見事な作り込みで珠玉の4時間。これはゴッドファーザーなどとも並ぶ愛を注いで良い作品ではある。
あとはやはりジェニファーコネリーか。思春期特有の幼さと大人っぽさが素晴らしい。
では☆4かというと、そーはならないのは、個人的な嗜好の問題。デ・ニーロものとしてある種のパターンにピポットしてしまった。
作品としては4以上。
ひとりの男の人生
春の夢の如し
とても贅沢な映画
2023年1月に追記
「モリコーネ 映画に恋した音楽家」を鑑賞して
改めて、モリコーネによるこの映画の音楽の素晴らしさったら!!
主人公が生涯憧れ続けた「デボラ」のテーマ。
なんと美しい〜〜
正直、デボラを演じた女優さんの演技はそこまで
デニーロ演じる主人公の人生を、
狂わせるほどとは思わなかったけど「デボラのテーマ」が
あまりに美しく切ないので、
主人公が人生の中で如何に「デボラ」という存在が
特別だったのか〜
「デボラのテーマ」が彼女の魅力を何十倍にも
盛り上げているように感じます。
素晴らしいテーマ曲でした。
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名前は有名な作品だし、音楽も有名。
パンフルート、アンデスのケーナに似た音色の笛が印象的な曲も
よくギャングもののパロディーに流れたりするよね〜
上映時間も長いので「午前10時の映画祭」でしか観られない作品。
これ映画館で観た!といえば映画好きの中でもちょっと自慢になるでしょう。
(何なんだ!それ〜笑)
冗談はさておき、観ておいて良かった映画です。
確かに一人の男の60数年に及ぶ歴史を語るのだから
このくらいになるよね〜と思っちゃう上映時間。
その分、各時代のロケシーンやセットが半端なく超贅沢!!
凄いです。「アマデウス」に匹敵する画面の圧!
10代のパートのまだ高い建物の少なかったニューヨークの街並みや
中堅ギャングになって経営する秘密BARや、友達の売春宿の調度品。
憧れの人デボラと食事をする高級レストラン〜
凝りに凝りまくってる!
贅沢な映画です。
で、月に8回程映画館に通う中途半端な映画好きとしては
ストーリーに関しては、私が女だからかあまりハマれなかった。
憧れの女性をズッと思い続ける感じとか
仲間=ライバル的な空気感ってやはり男の人の心情なのかな〜〜
10代パートで主人公ヌードルスが憧れのデボラと二人っきりになるシーン。
デボラは思わせぶりに詩を朗読する。
「彼は本当に美しい、でも薄汚いゴキブリの様なままでは愛せない」
デボラは少女ながら、とても野心的。
実家のレストランが大繁盛で人手が足りないから手伝え!と言われても
自分のレッスンを平気で優先させる様な意志の強い女性。
だから、本心は好きだけど、仲間のマックスに呼び出されると
自分よりそちらを優先する主人公ヌードルスを
自分の野心の為にはあまり役に立たない男として切り捨てる。
私はデボラの気持ちの方がよく解る。
でも、男って生涯、憧れの女性を追い続けるのよね〜〜
ある意味、哀れかも〜〜
兎に角、ロバート・デ・ニーロ、やっぱ凄い!
そこになってしまいます。
@もう一度観るなら?
「映画館で一回は観ておいた方がいいでしょうね。」
何もかもが素晴らしい伝説的名作
アメリカ・イタリア合作のギャング映画。セルジオ・レオーネ監督・脚本作品。音楽:エンニオ・モリコーネ。禁酒法時代にニューヨークのユダヤ人ゲットーで育った二人のギャングの生涯を描いたレオーネの遺作にして代表作である。
ハリー・グレイの自伝的小説に感銘を受けたセルジオ・レオーネが、小説を原作に自ら脚本を執筆した作品である。「続・夕陽のガンマン」を撮り終えた頃から脚本を書き始めていた。しかし、彼に従来のマカロニ・ウェスタンを監督させようとする映画会社の思惑や、小説の映画化権獲得に手間取ったこともあって、製作は遅々として進まず、脚本の草案を脱稿したのが 1981 年、実際に映画が公開されたのが 1984 年と、完成までに 10 年以上もかかった。
カンヌ国際映画祭で先行上映され、そこで高い評価を得るが、アメリカ公開時には製作会社が物語の時系列を整理し、映画の上映時間を大幅に短縮、更にモリコーネの楽曲までカットした改竄版だったため、酷評された。ただし、日本やヨーロッパの一部の国ではオリジナル版がそのまま公開され、高い評価を得ている。アメリカでの不評にはレオーネも深く落胆するが、自身の編集によって3時間49分の完全版を作り上げ、再びアメリカで公開したところ、それまでの不評が打って変わってギャング映画の傑作として捉えられ、レオーネの評価を更に高める結果となった。映画監督のクエンティン・タランティーノなど、本作品のファンであることを公言する著名人は多い。
本作では、往年のハリウッド産ギャング映画にオマージュを捧げつつ、そこでは決して描かれることのなかった裏社会の残酷で醜い現実を赤裸々に暴いている。ヌードルスとマックスの友情は一見すると美しく、時として英雄的ですらあるが、しかし同時に破滅的で破壊的で無秩序で歪んでいる。彼らがまき散らすのは暴力と混沌。挙句の果てに、ヌードルスはマックスとの固い絆の無様な成れの果てを突き付けられる。理想と現実の間に横たわる苦々しいまでの矛盾。そもそも本作の登場人物たちは、彼らを含めて誰もが善と悪の大きな矛盾を抱えている。それは彼らを取り巻く社会も同様だ。
およそ 10 時間にも及ぶフィルム素材を、当初は6時間に編集したというレオーネ監督は、前編と後編に分けて上映するつもりだったらしいが、さすがにそれは無茶だと説得されて短くしたものの、それでもなお4時間近い長尺に仕上がった。一つ一つのシーンが執拗なまでに長く、全体的にセリフよりも沈黙が多い。言葉による説明は極力省かれ、登場人物の表情や行動、場を包む空気などによって心理や状況が伝えられる。確かに暴力描写や性描写は過激であるものの、いずれも瞬発的で簡潔だ。非常に余白の多い映画だが、その余白こそが豊かな情感を生み、名もなきギャングたちの物語を壮大な叙事詩へと昇華させる。失われた過去の時代を細部まで丁寧に再現したセットも素晴らしいし、エンニオ・モリコーネによる切なくも哀しい音楽スコアがまた、見る者の感情を嫌がおうにも掻き立てる。実に贅沢な映画だと言える。
ロバート・デ・ニーロをはじめとする主要キャストは、少年時代から描かれているため、それぞれの子役が必要になったが、よくもまあこれだけ似た子役を見つけてきたものだと感心させられた。少女時代のデボラを演じたのがジェニファー・コネリーである。その神がかり的な美しさときたら筆舌に尽くし難い。まさしく天使とはこの子のことだろうと思わずにはいられなかった。彼女だけは成長後の姿にかなりのギャップがあって残念だった。ジェニファーがあまりにも美しすぎたのが原因だろう。その後、ジェニファーはレオーネの推薦でダリオ・アルジェントの「フェノミナ」(1985)に主演し、スターへの階段を上っていくことになる。
モリコーネがこの映画のために書いた曲は、一つ残らず屈指の名曲である。まず映画の冒頭、ビートルズの「イエスタディ」のアレンジが流れて、時代感を醸し出し、メインテーマ、デボラのテーマ、コックアイ(やぶ睨み)の歌など、他の人には絶対に書けない曲が目白押しである。特にパンフルートを駆使したコックアイの歌の音楽的な独創性は専門家をも唸らせるもので、世界的チェロ奏者のヨー・ヨー・マが作曲者自身に編曲してもらってチェロで演奏して回っている。
また、劇中で流れる「アマポーラ」は、スペイン出身作曲家ジョセフ・ラカールによって書かれたスタンダード・ポップスであるが、モリコーネの手によって美しいストリングスを奏でたり、クラリネットが主旋律を歌ったりいくつかのヴァージョンでアレンジされており、音楽全体にわたって重要な楽曲となっている。特に重厚なストリングスによってゴージャスな舞曲風にアレンジされたものは、モリコーネの手腕を余すところなく伝えており、更には、モリコーネが書き下ろした「デボラのテーマ」と「アマポーラ」が対位法的に一つの楽曲として交錯し、ついにはひとつの楽曲として絡み合うという神業を見せている。
本作品の完成後、レニングラード包囲戦をテーマとした次回作に取りかかろうとした矢先、レオーネは過労による心臓発作で逝去、結果的にこの映画がレオーネの遺作となった。
229 分版にさらに 40 分のシーンを追加した「レストア版」が 2012 年のカンヌ国際映画祭映画祭で公開された。2014 年のニューヨーク国際映画祭ではさらに 22 分のシーンを追加した「エクステンデッド版」が公開されている。
(映像5+脚本5+役者5+音楽5+演出5)×4= 100 点。
細かいイチャモンです。
一途さ
一人の人生を追う映画体験
エクステンデッド版251分
禁酒法時代のニューヨーク、ユダヤ系移民の子が主人公(ロバート・デ・ニーロ)、悪ガキだったがブロンクスからやって来た奴(ジェームズ・ウッズ)と親友になる。
主人公は近所に住む俳優志望の美少女(エリザベス・マクガヴァン)が大好きだった。
仲間とつるんで悪さをしていたが地元のボスに見つかり、幼い部下が撃ち殺され、仕返しにボスを刺し殺してしまい刑務所に。
昔、昔、アメリカでこんなことがあり、人生が大きく変わってしまった移民の子供たちがいた。
セルジオ・レオーネ監督の大河ドラマで遺作。
昨日 … 突然 …
TOHOにて、10:00〜14:30の実に4時間半近い長編上映作品でした。
(※3時間経過後に10分の休憩を挟みます。)
監督の遺族や作品関係者の協力の元に、カットされてたり棄て置かれていた映像を拾い集めて全部入れして4Kリマスターされた本作品、この機会に観なければ今回の人生で観ることはないだろうと、中距離マラソンに参加する覚悟で挑みました🏃🏻
寝落ちマンの私ですが鑑賞前の心配は杞憂でありました。
鑑賞後は淀川長治さん状態です👓
音楽が良くて👂🏼♪、同曲リピートなのですが、この曲を聴かされると何もかもが許せて微笑ましくなってしまいます☺♬️ ヤラれました。
懐かしアニメのサスケみたいなメロデーの笛(パンフルート)の音(ネ)も良し👍🏼
冒頭のシーン、私が見た映画史上、取らない電話の長さ最長記録です⚡︎⚡︎📞⚡︎⚡︎
廃棄されていた映像のパートは、ちょっと画質がアレだったりするのですが、まあ ‘お話’ を観ているので大丈夫です。監督もたまにミスリードを促すような描写を入れたりしますが、それもまた味。しかし女性同伴では見辛いシーンもあり、まあ、(アダルトな人やそうでない人など)女性がそこを見て実際どういう気分になられるかは人によりけりで分かりませんけれども。
特にクソガキ時代に風情があって好きですね。ほんと好きです(2回書きます)。出逢いから魅せてくれる若年マックスが魅力的です。(※ちなみに彼Rusty Jacobs氏は、僅か3本程の映画出演でその役者人生を終え、公共ラジオのリポーターを経て、現在は地区検事補佐官をされているそうです。)
とんでもない悪ガキ共も微笑ましく受け入れられるのは、監督と役者に良い仕事をされたということですね〜。
また、デニーロ氏の老け込み姿が自然なので、逆に成人期をどうやって撮ったんだろう🤔❔と錯覚してしまいました(どうでもいい事ですが、成人デニーロ氏がメッシ氏に見えたり、若年デニーロ役の少年にISSA氏の面影を見たり)。成人デボラの女優さんは見た目がおぼこくてデニーロ氏とはちょっと釣り合いが‥ と私の目には映りましたが。
デニーロ氏のクセのある苦笑い顔はいつも印章的ですが、ラストの満面の笑みを醸し出すシーンには人の人生の儚さがぎゅうっっと凝縮されているようで哀愁味わい深く、暫し見惚れました。
レオーネ監督👏🏼有り難う御座いました🙏🏼
ご馳走様でした🍽 この長尺を自宅で集中して観るのは厳しいでしょうし、この機会に披露してくれたTOHOさんにも感謝です。素晴らしい作品を観られて良かったです👍🏼👍🏼👍🏼
完璧ではないんだけど、長丁場を寝ずに観させた描写力に+⭐️で、単純な私などには勢い満点にさせてしまうほど魔力のある作品でした。
繊細な描写と表情豊かな音楽で作られる名作
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