私は告白するのレビュー・感想・評価
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賛否あるでしょう
倒叙的内容でサスペンスを際立たせるヒッチ一流の緊迫感は感じられますが、宗教的な要素が絡んでいるのでシリアスでユーモアが感じられません。
また、カトリックの戒律の厳しさがカトリック以外の人間には到底理解できない、即ち非現実的でバカバカしいと受け取られる点も当時からかなり指摘されてきたようです。
ただ、ヒッチの場合はテーマを設定してからストーリーを作るのではなく、ストーリーを重ねれば自然にテーマが生まれてくる、という手法をとるらしいので、カトリックの宗教性は単なるプロットとして利用したまでで、テーマ性を持たせるつもりはなかったそうです。
ヒッチ自身も、撮影地であるカナダの雰囲気とドイツ系移民を重要人物に配したチグハグさと脚本の弱さに起因してひどく重苦しい作品になってしまった、と認めています。
クリフト選手は撮影中常に酩酊状態で、且つ信奉する演技コーチを横に置いて中断を繰り返すなど、相当なトラブルメーカーだったそうです。
そうか、神父は懺悔の告白を漏らしてはならないのか。目のつけどころが...
そうか、神父は懺悔の告白を漏らしてはならないのか。目のつけどころがいいですね。
犯人、めっちゃ悪いやつやん、あんなん庇うことないのに(笑)
にしてもヒッチコックは面白い。
男と女と男と女
何故かあまりヒッチコックという感じがしませんでしたが、とても面白かったです。「第三の男」(49)を彷彿とさせるような光と影の映像も美しかったのですが、見所はやはり表には見えない人間の心理描写でしょうか。最初から犯人がわかってるパターンですが、周囲の人々や陪審員や裁判官、そして世間は、この神父(モンゴメリー・クリフト)の行為をどう見るのか、固唾を飲んで魅入ってしまいました。退役軍人が神に仕える身となっているという設定が物語に深みをもたらし、単純そうに見えた事件が思わぬ方向に広がっていくところも面白かったです。理詰めで追い込んでいくラルー警視(カール・マルデン)もなかなか魅力的でしたが、今作でもヒッチコック監督のブロンド美女を美しく撮る審美眼は大いに発揮されていましたね!二組の男女が織りなす哀しいドラマでもありました。
審問シーンが秀逸
ヒッチコックとしては異色の作品でした。神父への告白と守秘というジレンマ、夫ある元恋人との感情が入り交じった法廷シーンは秀逸だった。年代的にこれがレジェンド的かもしれない。
落としどころはちょっと悲しくて、これはヒッチコック作品の結末パターンの一つかな。
20240214
導入部の不安定な感じがドラマを楽しませる序曲のよう。しっかり巨匠も出ていたし。
一言「逆転の発想」。
「殺人を犯しました」と懺悔を受けた神父が、その内容を胸にしまうのかどうか。
いやいや。事件だし!の、「犯人がわかっているのに、捜査が進むもどかしさ」。
ここがポイントでした。
犯人は「わざと神父に罪を押し付けよう」としているのが、ありあり。
だって法衣を着て事件現場から去っていくなんて。
もう何回も「違うそうじゃない!」と憤ります。
神父にも元恋人との密会があったり。
段々事件の捜査方向が、捻じ曲がっていくのが焦ったい。
裁判のシーンも、犯人の妻が傍聴してて。
告白しなきゃ!と、法廷に連れて行きたくなったし。
今ごろ気づいたんですが、神父=father。なんですね。へー。
100分ほどでしたが、もどかしさ万歳&ハラハラでした。
⭐️今日のマーカーワード⭐️
「自分自身に嘘をついてはいけないよ」
タブーが重なったサスペンス
モンゴメリークリフト扮するマイケルローガン神父は協会で働くケラーから殺人を懺悔されたが、戒律ゆえに懺悔を人にもらす事は出来なかった。しかし、あろう事か神父が目撃されており神父に疑いがかかった。犯人を口に出来ない神父ははたしてどうする? まさか神父が殺人を?と言う意外性と、不利になっても戒律を守らねばならない義務感と警察の捜査のギャップ。さらにはアンバクスター扮する恋愛関係にあった人妻の幼馴染みとの関係。神父と言う職業上、タブーが重なったサスペンスでなかなか面白かったよ。
多少の引っ掛かりはあったものの流石にヒッチコック
個人の告白を口外出来ないとの
カトリックの教義に縛られた神父が、
真実を封印したまま、
取り調べ~裁判に臨むとの展開だが、
取り調べの段階では(結果的には殺人動機の
証明とされたが)かつての恋人からの
アリバイ証言により助かり、
裁判では証拠不充分で助かり、
判決後は犯人の妻の行動で助かり、
との他力要素の連続により、
犯人の告白内容を口外するしない以前に
物語の前提としてどう捉えて良いのか、
あくまでもサスペンス展開の手段と捉えれば
良いことなのか悩ましくはあった。
そしてそれ以前に、そもそもが現実では、
もしカトリック神父が犯人の殺人告白を
受けた時の対応として、
もちろん自首を勧めることが基本
なのだろうが、もし応じなかったら、
明言はしないものの例えば捜査機関に
匂わし位はするものなのか、
犯罪は犯罪として通告するものなのか、
実際はどうなのだろうか。
また、一時的では無い、
永続的に他に愛する男性がいるとの前提での
夫婦関係が現実にあり得るのか。
この2点がどうしても話の進展の中で
引っ掛かり続けて少し興を削ぐ感じの鑑賞
にはなったが、
中盤のかつての恋人のアリバイ証言で
神父の疑いが晴れてしまっては、この先
どう展開させるのかと想像を巡らされたり、
終盤は神父は犯人に射殺されてエンドマーク
かなとの推理が外れたりとの、
最後まで飽きさせることなく映画の世界に
没入させてくれたのは、
流石にヒッチコックと
納得の一作ではあった。
因みに、イギリス時代の数作と
アメリカ時代のほとんどを観ている
ヒッチコック映画の中では(「私は告白する」
は数少ない未鑑賞作品のひとつでした)、
「レベッカ」と「サイコ」
が特に好きな作品です。
掟を守る神父の誠実な人間性を演じたモンゴメリー・クリフトの好演が光るヒッチコック映画
サスペンス映画の巨匠ヒッチコック作品にしては、特に傑出したテクニックを披露してはいない。嫌疑を掛けられた者が追い詰められて絶体絶命の危機に襲われるプロットはいつもの通りだが、この映画の面白さは、犯行の懺悔を聞かされた神父の主人公が誰にも公言出来ないというキリスト教の厳格な掟に縛られる設定の希少性である。多神教の大らかな宗教観を持つ日本人から見れば、絶対に成立しないであろう事件の展開に興味をそそられる。
そのキリスト教の掟を守る誠実で真面目な神父を、アメリカ映画の俳優で最適任のモンゴメリー・クリフトが文字通りの好演で魅せてくれる。特にラストの裁判所から現れるシーンでは、群衆の好奇な視線を浴びながら歩いていく主人公の動揺を抑えて冷静に対処しようとする神父の人格面が、見事に表現されている。
先が読めない事件の進展にはヒッチコックらしい作劇の巧みさがある。結末の急展開にもうひと捻りあれば誰もが認める傑作になったであろう。しかし、モンゴメリー・クリフトの適役から生まれた神父の人柄に、哲学的な人間観察と洞察のテキストに成りえる価値があると思うので個人的には大好きなヒッチコック作品になった。
1997年 2月3日 衛星第2
甘えの構造
映画の舞台、カナダ ケベック州は 宗教心のあつい地域らしく、疑いをかけられたカトリックの神父に対する市民の怒りに それが見て取れる
そんな地域に移住したドイツ人ケラーが、
コミュニティーに馴染めず、だんだん被害者意識をつのらせ、神父にまで ねじれた感情を抱いてゆく
「心理劇」である
O.E.ハッセが 不気味な存在感…
彼の場合、宗教が 生きる為(処世術)のツールの方に傾いていて、「告解」で 罪悪感を軽減した上で、神父を監視し、果ては彼に罪を被せるのである
唯一の理解者である神父を 試しているような
甘えの感情も存在する
ここが 自律を要求してくる 新教(プロテスタント)との違い、かもしれない
モンゴメリー・クリフトが 試される神父を好演しているが、ヒッチコックの作品にしては 重いかも
でも、彼の繊細さが 監督達に愛されるのは わかります
これぞヒッチコックという満足感がある
正直者にも程があるという物語
この物語を成立させるには、主人公が正直かつ真面目一方でかつそれが危うさを感じさせる配役で有ること、かつ高い演技力を持っていること
そして夫人役は警察での長い供述シーンに耐える演技力が美貌だけでなく必要になる
さらにその二人を追い詰める警部役は如何にも強面のプロフェッショナルな雰囲気が必要だ
ヒッチコックはそれぞれモンゴメリー・クリフト、アン・バクスター、カール・マルデンを起用する
流石の配役だ
特にモンゴメリー・クリフトの目の光、目の演技は物凄いものがある
それ以外の役者も芸達者ばかり
彼らが一同に揃う終盤の法廷シーンでの目線のやり取り、瞳のいろ
これぞヒッチコックだ
冒頭から切れの良い映像が続き、凝った構図や陰影の強い画面が、美しいカナダケベックの街で展開される
ケベックはカナダに在ってフランス語圏であり古い石造りの町並みが本作のテーマにマッチしている
白黒映画屈指の美しさだと思う
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