37年ぶりに観た。
といっても当時観たのは短縮版(東京12ch版?)だったので、やっと本来のヴァージョンを観ることができた。
その短縮版ですら、だいぶ冗長に感じていた本作、あの衝撃のラスト以外は殆ど内容は忘れていたが、やはりずっと気になっていたのは、知性を持つソラリスの海と人間は、結局コミュニケーションは出来ていたのか?
だったのだが…
ん?
え?え?ない?え?ない?ない?
………
な、な、ない…
無いって、どういうこと?!
映画にしたら最もスリリングになるはずだった、そんな部分をバッサリ捨て去るとは…
もう本当、なんというか…
まったくもって大変に失礼ながら…
本当、バカなんじゃねえの?
………
後で知ったが、原作者のレムが口論の末に怒りまくったのも無理もない。
やっぱりタルコフスキーはエリート主義(言い換えると芸術至上主義)が過ぎるというか、結局は我田引水なんだろう。
主人公の妻が声高に訴えていた科学技術に対する不信感も妙に説教臭かったし。
心理学者であるはずの主人公も、近代&現代以降の心理学のメソッドを駆使するような事も無く、殆ど心理学者には見えなかった。実は心理学それ自体に懐疑的になっているように見えなくもなかったが…
であるなら、明らかにそれと匂わす印象的な描写は入れて欲しかった。
宇宙ステーションのセットデザインの方も、あのキューブリックの『2001年〜』の後発なんだから、もうちょっと気合い入れて欲しかった。予算は潤沢にあったようだし。
あと突然、東京の首都高のシーンが出てくるが、アレは一応、未来都市としてのフッテージだったらしい…
我々にしてみれば、懐かしの70年頃の東京へ突然タイムリープっていう感じにしかならないし、ましてやリアルタイムで観ていた人達にしてみれば、なんでSF映画なのに現代の東京?と思ったに違いない。
本来は大阪万博のパビリオンを未来都市の背景に利用したかったらしいが、それにしたって間違いなく懐かしの70年代映像にしかならなかっただろう。
こういった辺り、本当にズレてるというか、手抜きというか、本気でSF映画を作ろうという気概はなかったみたいだ。
タルコフスキーにしてみれば、SF的な作り込みなどは、単にオモチャの延長でしかなく、彼なりの芸術とは無縁だったのかもしれない。
あのラストといい、冒頭からの水の描写といい、素晴らしい映像が多かった分、なんとも勿体ないことをしたもんだ。
映像としての魅力がズバ抜けている部分と残念な部分、そして原作において最も重要なテーマを確信犯的にオミットしてしまう部分…
ソダーバーグがリメイクしたくなるのも良く分かるような気がした。