わが谷は緑なりきのレビュー・感想・評価
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炭鉱町で毅然と生きた人々を描いた人間ドラマ。
19世紀末から20世紀初頭にかけて、ウェールズの炭鉱労働者の一家の歩みを、末っ子だった男性の幼いころの回想という形で描いた、ヒューマンドラマ。
老父と5人の兄が働く炭鉱町。賃下げをきっかけにしたストライキに、老父は参加しなかった。末っ子のヒューと仲良くなった牧師は、姉アンハードと思いを寄せあうが、神への信仰を優先する。
貧しい田舎町でも、誇りを持って生きる人々を描いたヒューマンドラマ。炭鉱労働者のコミュニティで、慎ましく生きる家族に訪れた変化を、郷愁を誘うタッチで、しみじみと、かつ、堂々と描いた人間ドラマだ。
甘い話と言われればそうかもしれないが、古典的なハリウッド映画らしい感動がある。多くの悲しみに遭遇しても、毅然と生きる人生を、悲痛ではあるが、実に美しく描いたドラマだ。
映画造りの見本市
構図とカメラポジションをガチガチに決めて、大道具、小道具も念入りに用意したうえで、出演者の動きやセリフ回しから間の取り方に至るまで、撮影と演技に必要な全ての要素を完璧に揃えて監督のイメージ通りに一糸乱れず撮影した、というような作品です。
換言すれば完全無欠な段取り映画であり、さすが巨匠のお手並みがうかがえて映画学校の教科書です。
重厚な家族映画が大河的に展開しますが、単純な王道ストーリーの割に一つ一つのシーンが短いのでテンポが非常に早くストレスを感じません。
わが思い出も緑なりき‼️
わが敬愛するジョン・フォード監督の超、超名作‼️ いいなぁ‼️"西部劇の神様" ジョン・フォード監督が描いた人間ドラマとしては「怒りの葡萄」と並ぶ作品だと思います‼️いいなぁ‼️19世紀のウェールズの炭鉱で働く家族の物語‼️いいなぁ‼️強い家族愛で結ばれながらも、ストライキ、落盤事故、長女と牧師の恋などの様々な出来事を、末っ子であるヒュー少年の視点で描いています‼️いいなぁ‼️ある者は亡くなり、ある者は谷を去っていく。環境問題が根底にあると思うのですが、それを社会派的に小難しく描くのではなく、あくまで人情、人間のドラマとして温かい眼差しで描いているところが、さすがはフォード監督‼️いいなぁ‼️その詩情性と郷愁性がたまりません‼️いいなぁ‼️古き良き時代のウェールズの炭鉱町を再現したセットや、そこにかぶさるコーラス主体の音楽の使い方もホントに素晴らしい‼️いいなぁ‼️凍りつく池に落ちて足を動かせなくなったヒューが、牧師の励ましで歩けるようになるエピソード‼️いいなぁ‼️ヒューがボクシングを教わり、いじめっ子を打ちのめすシーンのユーモアとカタルシス‼️いいなぁ‼️長女と牧師の胸を打つ悲恋劇‼️いいなぁ‼️一つ一つのエピソードが心和ませ、胸を打つ素晴らしさで、思い出すだけでも目頭が熱くなる‼️いいなぁ‼️ホントにホントに大好きで大好きでたまらない作品‼️そして長女を演じるモーリン・オハラの、モノクロ画面なのにその自慢の赤毛が映える美しさ‼️さすがは "総天然色の女王" ですね‼️いいなぁ‼️
かつて緑の谷であった心のふるさと
感想
ウェールズ地方の炭鉱の街にプロテスタンティズムに基づく敬虔な信仰心を持ちながら世代を越えて生活を営んできたある家族の姿を通して、当時の文化と移り変わる時代の変革を反映しつつ、時代がいくら変わろうとも、永遠に変わることのない人間的良心とは何か。また家族の絆とは何かを、周囲を取り巻く様々な人間模様を含め、淡々とした視点で描いた一大人間叙事詩とも言える作品である。
ジョン•フォード監督の考えるアメリカ合衆国の成り立ちの根幹を担う英国民の移民に至る歴史的かつ代表的な経緯と変遷の中にあったエピソードが気に入り、ひとつの家族が様々な事情により世界に分散して、変化していく様を移民の歴史とオーバーラップさせる描写を意図したのではないかという印象を持った。さらに全ての登場人物の心象風景の描写と人間の機微、何処にあっても変わらない確固たる信仰。またプロテスタンティズムをバックボーンとする人々の信念とは何であるかを、説明し述べることなく、事象として映像化し、観る者に静かに訴えかける。映画を観ている者がどのように感じ考えるか、という事が重要である。という主張を一貫して最後まで貫き通しているところが監督らしい。素晴らしいと思う。この映画が大好きな理由である。
日々の信仰から創作されてきた讃美歌が生活の中で自然と歌われ、さらに美しく豊かな民謡合唱の数々と美しいウェールズの炭鉱風景やボタ山のシーンが相まって、心の中の故郷の風景とはこういうものだという気持が映画を観るアメリカ人に芽生えるのだろう。美しいウェールズの風景に溶け込んでいる合唱に心を癒す。(実際は第二次大戦の影響でウェールズロケは出来なかったようだ)
冒険家•小説家であるC•W•ニコル氏とありがたくも直接話をする機会があった。ニコル氏によると産業革命から19世紀の末頃までに石炭を燃焼させるためにウェールズ地方では森の木が伐採され、美しい森が無くなってしまった時期があった。雨が降ると土砂崩れや鉄砲水が発生するようになったため、山に植林を開始して現在はある程度昔の姿に戻ったという。本作品を制作した頃はかつてあった森も無くなってしまったため、原作者のリチャード・ルエリンはかつて緑の谷であったのは懐かしい思い出として本のタイトルをわが谷は緑なりきとしたという。
我々日本人にはキリスト教は余り馴染みがないかもしれない。キリスト教の中にもローマン・カトリックやイギリス国教会、ロシア正教会等、様々な分派があるが、この映画に描かれているのはカルヴァン派メソジスト(プロテスタント)教会に属する教会の姿が描かれており別名、改革派長老教会とも呼ばれている。
余談だが、
司馬遼太郎は「明治という国家」の中で、武士道とプロテスタンティズムは思想的に似かよう部分が多く明治維新期、特に佐幕派の藩から出でた者にプロテスタント系キリスト教者になる者が多く、その代表的人物に維新前に脱藩密航状態で渡米し、人脈に恵まれ、メソジスト系のアマースト大学で神学を修め、森有礼により明治初の米国への全権使節団の通訳に抜擢、その功により日本に戻り、同志社を創立した新島襄と札幌農学校時代にアマースト出身のウィリアム•スミス・クラークの思想に影響を受け、のちに国際連盟事務総長を務め「武士道」を著作する新渡戸稲造を挙げている。
プロテスタンティズムはまんざら、全く理解できない考え方ではなく、むしろ日本人には親しみやすい信条を持っている宗教なのかもしれない。かく言う自分もキリスト教者ではないが、本作品より思想的影響を受けて今日の人間性に至っている事は間違いない。
この映画は現代社会に生きる上でも、人として最も大切な事はなにかを人間模様のドラマを通して訴えている。仕事(労働)について。人間関係について。家族の在り方について。揚げるときりがないが、観る度に本質を教えられるような気がする。観る年齢により感想は変わる。繰り返し観るべき映画である。
主演
グリュフィード牧師役 ウォルター・ピジョン
「禁断の惑星」 本作品が代表作。
アンハードモーガン役 モーリン・オハラ
「静かなる男」「スペンサーの山」でも有名。
監督のお気に入り女優。
ギルムモーガン役 ドナルド・クリプス
「緑園の天使」 「スペンサーの山」名脇役。
ブローウィン役 アンナ・リー
「騎兵隊」
「サウンドオブミュージック」
トラップ家の舞踏会時の招待客役 さよならごきげんよう"演奏時、エリナー・パーカー、クリストファー・プラマーの隣、アップで映る。しかしクレジットはシスターマルゲリータになっている。
ヒューモーガン役 ロディ・マクドウォール
「猿の惑星」 本作で名子役として名を上げる。
⭐️5
生涯ベストワン作品
決して一枚岩にはならない
1941年。ジョン・フォード監督。イギリス・ウェールズの炭鉱町。誇り高き炭鉱夫とその家族の物語を末息子の視線から描く。ストライキ、事故、合唱隊、教会、階級という職業や共同体のあり方と、学校、結婚、恋愛、出産、父離れという家族のあり方がそれぞれ時に分裂し、特に結合しながら複雑にからみあっていく。決して一枚岩にならないところがすばらしい。
ロケーション最高。坂の上の炭鉱とその途中にある労働者の街並みの物語上の効果がすばらしい。普段は仕事終わりの炭鉱夫たちが歌いながら坂をだらだらと降りてくるのだが、一端なにかあると、人々は息せき切って坂を駆け上がる。歌が好きな人々が時折合唱するのもすばらしいし、主人公が抑揚をつけて家族の名を呼ぶのもすばらしい。冒頭で姉の名を呼んでいた主人公がラストで事故にあった父を探すときにその独特の呼び方をする。心が震えます。
歩けない主人公が小高い丘の上で花に囲まれて歩き出すシーンは「ハイジ」そのもので、フォード監督が宮崎駿監督(アニメ版)より早く世界的にヒットしたハイジの原作を自分のものにしていることがわかる。むしろ、原作にはないアニメ版「クララの意気地なし」に近い関係が描かれているのだから、この映画を見て宮崎駿監督の数々の名場面が着想されたのかもしれない。炭鉱町を扱った「ラピュタ」には鉱山の男の喧嘩シーン(ボクシング的)があったし。ただし、宮崎監督は一般的に近代黎明期の「蒸気」の時代に執着しているので、特定のこの映画ではないかもしれないが。
見て良かった!
一言「ウエールズ、ウエールズ!」。
イギリス・ウエールズ地方といえば、炭鉱で栄えた町。
栄えた=いつかは衰退していく。
そんな人々を描いた映画、私の大好きな分野です。
(フルモンティー・遠い空の向こうに等)
主人公が自分の人生を振り返る語りから、物語は始まります。
炭鉱で働く父や兄の姿や、谷の人々、そして家族。
そこには歌=合唱隊がいつもあり、力を合わせて肩を組み合う。
炭鉱夫の生き様・炭鉱の歴史がありました。
その歌が谷から消えた時の、不穏な雰囲気がより濃く出てたな。
主人公は末弟だけど、家族の話も随所にある群像劇。
シンプルな展開の中に、濃い内容。
主人公と新任牧師との、交流や絆が良かった。
小さい時に出会った、尊敬できる大人の存在は。
きっと大きな影響を与えることになったでしょう。
ちょっとネタバレですが。
主人公の現在の姿は、最後まで出て来なかったのも。
想像力を掻き立てられて、好感度大。
最近「温故知新」的映画を選ぶようになりました(今回白黒)。
どれも内容がシンプルなので、見てて楽なことに気づいた次第です。
⭐️今日のマーカーワード⭐️
「思い出とは不思議なものだ。今のことはすぐ忘れるのに」
家族に乾杯
誰もが主役で誰もが脇役なのです
ごくありふれた家族
あなたや私の家族の話です
始まりかどこで終わりがどこなんてこともなく家族というものは生き物なのだから常に変化して常に進んでいるものです
今の自分があるのは先祖から脈々と続いてきた家族がいたからなのですよね
飽きてしまうかと思いながら見始めましたが意外や意外
かなり入り込んで見てしまいました
やっぱり巨匠は違いますね。
あるひとつの形の幸福は永遠には続かない、別の形の幸福に向かっていくだけだ!
子供の頃の炭坑夫家族の思い出を
ノスタルジックに描いた作品。
炭鉱と鉱員長屋が連なる構図も含め、
アカデミー撮影賞・美術賞受賞が納得
の見事な映像に目を見張った。
炭坑夫一家の厳しい生活描写は
「リトル・ダンサー」等の近年の英国映画を
思い出し、日本と同じように、
過去から現代へと、長期に渡って
過酷な労働環境が続いてきた英国石炭産業界
の歴史を見せつけられたような気がする。
そんな歴史観の中に、
恋愛、労使関係の中での仲間意識と誇り、
格差社会と差別、宗教感などの要素が
散りばめられる。
概してマイナス展開する各要素だが、
そこに清涼要素として吹き込まされるのが、
主人公一家と牧師の、
人間に対する優しい眼差しだ。
“わが谷は緑なりき”と言いながら、
炭鉱と鉱員長屋とボタ山の映像が中心で、
“自然”の描写はほとんどない。
しかし、主人公の心には、
愛する人達がいたこその故郷の全てが
美しい自然のように甦っているのだろうか。
学生時代に長崎の軍艦島の調査の
一員に加えていただいた。
この「緑なき島」と呼ばれた島は、
閉山後に島を離れた住民の皆さんにとっても
「わが“島”は緑なりき」だったに違いない。
また、米国映画には英国を舞台にした
このような作品が多い。
米国人にとって英国は郷愁を感じる国
なのかも知れない。
亡命のような状況下で撮った「ノスタルジア」
のように、タルコフスキーにとっても
ロシアの大地は特別なものだったろうが、
この映画の主人公にとっても
同じ思いなのかも。
しかし、この映画の登場人物には
多くの死が訪れると共に、
幸福への希望も予感させてくれない。
主人公が晩年になっての孤独に見える離郷
の理由はなんだったのだろうか。
仮に、閉山の予兆があったからだとしても、
亡き兄家族との希望に溢れたの生活などは
無かったのだろうか。
簡単に比べるものでもないかも知れないが、
かつての家族像を懐かしむとの点では、
似た設定の山田洋次の「息子」を思い出すが、
形を変えた新しい家族像を
予感させてくれる分だけ、
私の中では「息子」の方が未来への希望を
感じられる作品だ。
あるひとつの形の幸福は永遠には続かない、
別の形の幸福に向かっていくだけだ!
苦しい炭鉱生活
炭鉱で働く父や兄は誇りを持っていた。歌は生活の一部だった。モーリンオハラ扮する姉のアンハラッドは新任牧師と惹かれ合っていた。しかし、炭鉱の生活はだんだんと厳しいものになっていった。そんな折、合唱隊とともにウインザー城で女王の前で歌う招待状が届いた。また炭鉱主の息子が姉とつき合いたいと言ってきた。学校ではいじめられ苦しい生活でも明るい話は色々あった様だね。
元祖肝っ玉かあさん
「いい夫婦の日」に(一人で)アマゾンプライムで視聴。
ひとことで言えば「時代の波に翻弄されながら生きたひとつの家族の物語」ということなんだけど、末っ子の視点を外さずに描いているのが、この作品を素晴らしくしている要因だと思う。
もちろんカラーじゃないし、今と比べたら画質も音質も格段の差だけれど、作品としての「格」は、現代作られて人気を博している映画と比べてもはるかに上だ。
しかし、ジョン・フォードが監督とはね!
郷愁と家族愛の最上の名画
巨匠自ら最も愛した全盛期の代表作。名作「駅馬車」「怒りの葡萄」に連続して創作されたことが奇跡に等しい。敢えて例えるならば、モーツァルトの後期三大交響曲の名曲誕生に匹敵するといっても過言ではないと思います。
個人的な鑑賞履歴をいうと、初見は中学時代に淀川長治さんの日曜洋画劇場で観ました。その時はほとんど気にも留めない印象でした。しかし淀川さんの名解説を聞き逃さず、映画の見方や解釈の仕方を自分なりに勉強していくと、数年で演技や演出について何となく解るようになり、そして、またテレビではありましたが再見の機会が17歳のときに訪れました。チャップリンの一連の名作が立て続けに公開されていたビバ!チャップリンの時代です。「黄金狂時代」を超える映画は無いな、と独り悦に入っていたら、並んでしまったのです。これ以来、私にとってチャップリンとフォードが映画の神様になりました。
それから約10年後、新宿の名画座でリバイバルがあり漸く劇場鑑賞することが出来ました。終演後ロビーである初老の紳士がしみじみと感動のため息をつくのをニンマリと聞いたことまで忘れません。
この作品の演出の素晴らしさを一つだけ挙げるとしたら、それは望まぬ結婚に身を置くモーリン・オハラのウェディングドレスの長いベールが、教会から馬車に向かうシーンで風に煽られて舞い上がるところです。”心、ここにあらず”をモーリン・オハラの表情と眼に見える造形で表現するフォード監督の演出に、私は唸りました。のちにフォードの記録映画にて、あるインタビュアーに、(丁度いいところで風が吹いてくれて、フォード監督は運がいいですね)の内容を尋ねられて、(とんでもないです。あれは意図的に監督が吹かせたのですよ)と一笑に付すモーリン・オハラのエピソードを紹介しています。映画の中で、風を最も上手く活かした人が、ジョン・フォード監督だと思います。
故郷は美しい
舞台は1870年代(日本では明治初期)、英国ウェールズ地方の炭鉱の村に暮らすモーガン一家の物語。年の離れた兄5人と美人の姉の末っ子として生まれたのがヒュー(ロディ・マクドウォール)、家族からも村人からも可愛がられるかわいい男の子の成長をカメラが追ってゆく、物語は村を去るヒューの回想から始まる。頑固で厳しいがヒューには優しい父と肝っ玉母さん、いつも励まし支えになってくれる牧師さん、喧嘩の勝ち方を教えてくれた拳闘家のおじさん、優しくて料理上手のお義姉さん、みんな心の宝物だ。それでも資産家と労働者階級、教会の欺瞞性、いつの時代でも人を見下し傷つける心無い人々の存在、危険な炭鉱労働・・、横たわる問題は重く厳しい。
煤で汚れた炭鉱の村、それでも心に残る故郷は美しい、わが谷は緑なりき・・。
ヒューマンドラマの名作です。
傑作だけれど...古き良き時代だから
1941年の映画です、まず最初に傑作だと断言します、佇まいといいストーリーといいカメラといいテンポとか完璧じゃないでしょうか。
ただ、あまりにも人物描写が上手過ぎで悪い人も出てこなさすぎ、堂々とした映画だけど「家族とはもっと問題をはらんでいるはずだよなぁ?」と嘘くさく感じてしまいました。
悲劇をもっと悲劇として描いていれば印象が違ったんでしょうか?「リバティバランスを撃った男」や「捜索者」の方が好きです、作品の完成度ではこの作品がベストなのかもしれませんが。
波瀾万丈の家族の物語。ハッピーエンドではないのに心が温かくなり生き...
波瀾万丈の家族の物語。ハッピーエンドではないのに心が温かくなり生きる勇気が湧いてくるような作品。モノクロ映像も美しく、炭鉱の町の様子や家の中の細部に至るまでよく表現されている。
言葉にできない
普段は何かしら「どこが良かった」「どこがイマイチだった」とツベコベ言うのにこれはそういう言葉で表現が全然できない…。
ただ「とても良かった」という小学生みたいな感想しか出てこない。
ストーリーは淡々と進んでどんでん返しも意外な展開かあるわけでもないのに凄く良かった。なんなんでしょうねこの感覚。
また見たいです。
モノクロは良いですね~。
素晴らしい~。家族愛、恋愛、少年から大人へとのストーリーが今にない自然な流れで観れました。映画とは言え当時の純粋な愛がとても羨ましいと思いました。男は外で力仕事女は家庭を守る昔の風習がとても幸せに感じました。この時代でも貧富の差があっても愛があれば幸せになれるんだなと羨ましく映ってました。やっぱモノクロは良いですね~。カラーには無い美しさがある。
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