ワイルドバンチのレビュー・感想・評価
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西部劇への挽歌‼️
メキシコに逃げ込んだ5人組の中年強盗団が、自らの生き方を証明すべく、無謀な戦いに挑むサム・ペキンパー監督のアクション西部劇の超傑作‼️20世紀初頭のアメリカで銀行強盗を繰り返すパイクら一味は、かつての仲間ソーントンの追撃を振り切ってメキシコへたどり着くが、やがて野盗マパッチ将軍と対峙する羽目になる・・・‼️かつての西部劇には愛すべき悪人がいたと思うんですが、今作に登場するのは、みーんなとんでもない悪党ばっかり‼️ちょっとマイルドに言うと、悪党と、多少ましな悪党しか登場しない‼️全編血があふれ飛び、残酷極まる殺戮シーンの連続、何の関係もない人々まで巻き込んだ壮絶な銃撃戦には、もはや正義も悪もないですよね‼️ウィリアム・ホールデン扮するパイク一味が強盗を企て、待ち伏せするロバート・ライアンのソーントン率いる賞金稼ぎたちとの、一般市民を平気で巻き込みながらの冒頭の銃撃戦‼️スゴい迫力‼️人馬が載ったままの鉄橋をダイナマイトで爆破するシーン‼️どうやって撮影したんでしょう⁉️そして圧巻は、4人が200人の軍隊相手に殴り込みをかけるクライマックス・シーン‼️4人と200人による拳銃、ライフル、ダイナマイト、そして機関銃による二千発の銃弾の雨あられ、死体の山が積み上がっていく、その凄まじさ‼️ペキンパー監督は、この流血の修羅場をスローモーションで捉え、暴力も一種の美学なんだと痛感させてくれる‼️世間では「デス・シャワー」とか「血の舞踏」とか呼ばれてるみたいです‼️このクライマックスは映画が描いた最高のバイオレンス・シーンの一つですよね‼️こんな褒め言葉さえ安っぽく聞こえるくらい凄絶‼️そしてこの作品でペキンパー監督が描きたかったのは、もう若くはない枯れた男たちの哀愁と、当時衰退していた西部劇への挽歌であり、弔砲ですね‼️悪党には悪党の美学があって、仲間の一人が犠牲になった時、その怒りを爆発させる様はホントにカッコいい‼️クライマックス、「行こうか」「当たり前よ」の表情だけで分かるあうんの呼吸で殴り込む4人の男たち‼️まるで東映の任侠映画みたい‼️ウィリアム・ホールデン、アーネスト・ボーグナイン、ウォーレン・オーツ、ベン・ジョンソン‼️この4人の配役だけでも胸がアツくなってくるのですが、軍隊に囲まれた緊張感の中、急に笑い出すボーグナインの存在感、主役のホールデンも修羅場をくぐり抜けてきた人生の黄昏を感じさせてホントに素晴らしい‼️この4人の男の死とともに、伝説(西部)の時代の終焉が胸に沁みて感動的‼️が、しかし‼️ご存知の通り、西部劇は優れた後続の映画人たちの手で見事に復活します‼️「ダンス・ウィズ・ウルブス」「許されざる者」etc...‼️今作のラスト、生き残ったエドモンド・オブライエン扮する老ガンマン、サイクスがソーントンを新たな強盗団に誘い、2人が仲間と共に馬を走らせるシーンは、そんな西部劇復活の時代の到来を予見していたのかもしれません‼️
ひっくり返された西部劇
このバージョンの劇場上映は日本でされた事が無い
これは現在では、“回想シーンなどが無い短縮編集バージョン”に該当するもので、初めてのソフト化でアメリカ版VHSで発売されて以降、長年ずっとこちらのバージョンでしか観ることが出来ない状態が続いていました。
初公開当時劇場で複数回鑑賞歴があった日本劇場公開版については、元々“回想シーンを含むバージョン”であった事は間違い無く、当初より「ディレクターズ・カット」に相当するバージョンでのみ公開されていたものです。
映画人生でも最愛の部類に含まれる今作は、高額なアメリカ版ビデオで初回発売され際に(日本字幕版を待っておられず)喜び勇んで購入したのがこのバージョンでした。
「あのシーンが無いなんて、何かの間違いじゃ無いかっ!?」と衝撃を受け、打ちのめされました。
可成り後年になって『ディレクターズ・カット版』と称して、「元々の日本公開版」に準じたバージョンの鑑賞が叶うようになった際には感無量でした。
その際にも、輸入版ソフトでその存在を確認し、その後の国内発売タイミングは相当鈍く遅かったので、待ちきれずに高額な輸入版で先に入手してしまったものです。
先にあの“パイクとソーントンがそれぞれに過去を回想シーンを含むバージョン”で観たかどうかで、この作品に対する印象(感動)は全く違うものになってしまいますね。
『夕陽のギャングたち』の時にも同様に思いましたが、日本の映画ファン(昭和の時代の)って、けっこう恵まれていたんだなとの認識を深めた一件でした。
当然ですが、自身がこの作品を愛してやまないのは、作品配給について監督の意向の関与があったのかどうかなどは分かりませんが、日本公開版で初見して衝撃体験をしたからに他ならないと言う事は間違いなと断言します。
これらかつて盟友であった主人公らを隔てた、過去と現在での立場の違いの伏線となる、ハッキリとした描写があってこそ、終盤の意味合いはより感動的なものとなるのだから。
何度か繰り返して鑑賞する事でより深まるのは、この映画はただの暴力破壊に終始して自滅する無軌道な無法者達のような印象を表面的には受けつつ、その実日本の任侠物映画の仁義、仲間(義兄弟)意識、義理・人情、最後のお礼参りといったような、“最後には命に換えてもスジを通す”、“自身で過去にケジメをつける"といった事を基盤にした、所謂(男の) 美学が色濃く表れた作品に他ならないことを気付かされる事です。
ある意味、「多方はそうした解釈を理解できない」との考えから、この短縮(アメリカ公開?)版に至った可能性も考えられる事です。
当時のアメリカでの受け取られ方は「壮絶な暴力映画」的で、メディアの中には「Wild Bunch=暴力と訳されるべきではないか?」などの評論のされ方まであったようです。
“衝撃的なバイオレンス・アクション映画”と言う事で十分だったのかと。
そのような方達には「その(更に)向こう側に見えるもの」は見える事は無く終わったんでしょうね…..
参考までに、本邦での初公開当時のポスター等のキャッチ・コピーは、
「生きて帰れぬ男の修羅場
命散らして花咲かす
その名も高きワイルド・バンチ」
でしたから、つくづく上記のような感じを良く捉えているなぁ、と後になるにつれズシっと来ましたね…..
(本来は当然☆5ですが、短縮版としての評価の数字です)
良心のかけらもないのが、良いと思う。
岡本喜八の「血と砂」の方が上
滅びゆくウエスタン文化の中で
世の中はクソだけど素晴らしい
サムペギンパーの映画観たことなかったのでDVDで観た。1969年の作品。
ガンガン銃撃しまくる西部劇。途中の風呂のシーンが印象的なのは、出てくるおっさんがとにかく汚いから。荒野を彷徨って何日も風呂入ってねーんだろうな笑。
なんていうか、、、この映画の登場人物達は、マジで自分のことしか考えてない。仲間でさえも、いつ裏切るやもわからない。。。なんか、現代日本のサラリーマンの日常生活を観ているようだった笑。これがサムペギンパーの世界観なのか。
ストーリーは明日に向かって撃て、に似ているけれど、映画の主張はかなり違うと思う。
明日に向かって撃て、は世の中に居場所なんてないから、全てを諦めて世捨て人になろうぜ系の中二病ロードムービー。全く救いが無い。
ワイルドバンチは、世の中のエゲツなさを西部劇に反映してみました系、リアリズム追求型ムービー。最後、ウィリアムホールデン、アーネストボーグナインが男気を見せ、救いのある感じで終わる。世の中はクソだけど、居場所はちゃんとあるんだぜ!ということ。納得。
「アメリカン・ニューシネマ」的な無常観。
最後の打ち合いのシーンの壮烈さは、50年前の映画とは思えない。 ラストシーンも印象深い。
ネットで視聴
いつもは英語字幕を観ながらネットで映画を見ているが、映画によっては、字幕に頼らず見ていることもある(ような気がする)。
では字幕に頼らず見てみたらどうなるだろうと思い、西部劇の名画リストでは必ず上位にランキングするこの映画で試してみた。(もともと英語字幕がついていない)
あらすじはWikiなどに書いてあるので、チラチラ参考にしながらやってみたのだが、結論としては、やっぱり微妙。
ストーリーはだいたいわかるのだが、細かいニュアンスが伝わってこない。
映画の魅力は、映像やストーリー展開や音楽だけではない。台詞がきわめて重要で、カッコいいキメ台詞などは、あとあとまで印象に残るものだが、それが分らないのがもどかしい。
私の英語力では、字幕なしでは厳しいということがわかった。
それでもなかなか楽しめた。
最後の打ち合いのシーンの壮烈さは、50年前の映画とは思えない。
ラストシーンも印象深い。
●映画の英語
bunch
①房
②(口語で)仲間、一団
初めての西部劇
とにかく撃ちまくる!
カウボーイの終わり
大きな蠍にたかる赤蟻の群れ。
それを見て笑う子供達は、上から火をつける。
毒をもって毒を制し、最後にドカンと全部壊す。
この最初のシーンが全体を表していました。
追う方も追われる方もならず者、彼らを利用する将軍や鉄道会社もロクな奴がいない。子供達はそういう大人を真似て残酷だし、女性達も売春か無関心かの両極端。誰にも感情移入できず、不快に感じる所もありました。主人公Pikeが同情を示していた女性や子供にとどめを刺される点は、正義など何処にもない、彼らの時代の終焉を象徴しているようでした。有終の美を飾れて?良かったね、憧れるわ〜、というより、こんな時代、終わって良かったんじゃないでしょうか。
とりあえず銃をぶっ放すという乱射劇のシーンは多いです。破壊と破滅、そして再生?
ラストガンマン
ラストの銃撃戦!
まず西部劇を美化してない点で他のものと違う。男尊女卑でもある。女に...
容赦ない直接的な描写が迫力を増す
総合75点 ( ストーリー:75点|キャスト:75点|演出:75点|ビジュアル:75点|音楽:70点 )
舞台は1913年というから、すでに飛行機が飛び機関銃が製造され翌年には第一次世界大戦が始まるという近代社会が始まっている時。西部の無法の時代も終わりを迎えようとしている中、時代に取り残された最後の犯罪者たちの生き残りを描く。
映画の製作は1969年と決して新しいものではないが、刺激の少ないこの時代の多くの映画と異なり、残酷な犯罪者が残酷な殺し方を直接的に平気で見せつける。登場人物たちも完全正義なものなどいなくて、強盗をする犯罪者や将軍という地位を使用する極悪人や死体からものを剥ぎ取る小悪人で溢れかえっている。だがそのような容赦ない描写がかえって現実性を高めて、作品の緊張感と質感を高めて視聴者に迫ってくる。
激しい銃撃戦で銃弾を浴びる人物をゆっくりと描くことで、より死を意識させる撮影もこの時代としては斬新。時代から取り残された男たちの滅びの美学も日本人好み。現代から観ても十分楽しめる水準の演出と物語だった。
アクションだけじゃない多面的な洞察力
伝説的なラストの「死の舞」は、細かいカット割りとスローモーションにより芸術の域にあることに異論は無い。
ペキンパーは文明の波にのまれる西部の男達を哀愁漂う雰囲気で描き出すが、その演出の背景には彼の前衛的な試みが満載であることも興味深い。
ガンアクションを主軸に置いた西部劇だが、そこには文明に取り残される彼らを際立たせる細やかな気遣いがみてとれる。
例えば、今までにこの作品ほど子供が出てくる西部劇があっただろうか。
どの場面でも現れる子供達はそのまま新たな文明、世代の息吹を示唆させる。 子供がパイクに致命的な一撃を与える場面も見逃せない。
ダイナミズムと繊細さ、深い洞察力を有する最後の西部劇だ。
「西部劇 = 男の美学」を徹底した、見事な作品。
最後の銃撃戦の直前、死地に向かって行進していく四人の姿は、何度観てもかっこ良い。それこそ、西部的ならず者の、滅び行く姿を最も美しく表現しているように思えた。そして、このシーンがあるからこそ、ラストの銃撃戦が最初の銃撃戦とは異なり、単なるヴァイオレンス描写におわっていない、と感じる事ができたようにも思う。
それにしても、全編にわたって描写のきれいな作品だった。黄色い土と、きれいな水色の空と、真っ白な雲の絶妙なバランスが、この乾燥した世界をうまく表現してますね。いやぁ、本当に美しい…。
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