「責任の自覚と自立」ローマの休日 よしたださんの映画レビュー(感想・評価)
責任の自覚と自立
何度観ても楽しめるし、自分の人生経験によって、この映画の見方が変わるところが面白い。
今回は、これは一人の少女が自立した大人になる話なのだと思った。
一日の出奔の末、大使館に戻ったアン王女は「自分の立場や責任を知っているからこそ、いまここに戻ってきたのだ。」ということを世話係や大使たちに述べる。
これは、王女の自らが大人になったという宣言である。
例え市井の人々であっても、「人生はままならないもの。」であることを、新聞記者との邂逅で知る王女は、自らの生きるべき道を見つける。
それは、周囲のお膳立てに嫌気がさして、不平不満を抱え込んでいたときの彼女ではもはやない。自分の運命を受け入れて、その人生をいかに自分らしく生き抜くかという覚悟を決めた姿である。
翻って、図らずも王女に恋をしてしまった新聞記者は、この叶わぬ恋への未練を引き摺る。彼にできることは、恋慕の情を、終生変わらぬ友情へと変えて、王女の気高さに応えることだけなのだ。
この二人の心情の距離と、それを繋ぐ友情の固さを感じたとき、ラストの記者会見のシークエンスは涙なくしては観ることができない。
オードリー・ヘップバーンが妖精のように可憐であることだけが、この映画の価値ではない。少女が大人の女性になることを真摯に描こうとするシナリオと、それを端的なショットで伝える映像もまた素晴らしい。ヘップバーンに見惚れてばかりいてはもったいない。
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