レナードの朝のレビュー・感想・評価
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医師が患者を救い、次は医師が救われ一人の人間として一歩を踏み出す
前半はロビン・ウィリアムズの世界。人づきあいは下手くそだし自分の世界で完結して心優しい人。でもそれだけでなかった。「!」と気がついたら行動する素晴らしく優秀な学者であり臨床医だ。一見何も関係ないと思われる現象に関係性を見つける、これが研究の端緒で醍醐味だと思う。この箇所には頭のどこかがとても興奮した。セイヤー医師の住まいや生活や服や眼鏡やちょっと情けない顔など全てが可愛らしく思わず笑ってしまう。ロビンの笑顔は誰もが愛してしまういとおしさに溢れていた。
後半はデニーロの世界。目が開き表情がどんどん柔らかくなり動く。最初に鏡で自分の顔を見た時のデニーロの表情には泣きそうになってしまった。子ども、まだ若かった自分の顔がおじさんの顔に?ショックは受けてもそこでめげなくてよかった。ママとの再会、ポーラとの出会い、いいこと沢山あったのにまた戻ってしまった。切ない。でもレナードが自分の足で歩いて明るい外の世界を自分の目で見て新鮮な空気を吸うことができたことをレナードは決して忘れていない。だから副作用に苦しむ自分を撮影させた。そのレナードからセイヤー医師は一歩先に踏み出すことを学んだ。セイヤーを最初に認め助けを惜しまなかったのは看護士のエレノアだ。「シェイプ・オブ・ウォーター」を思い出した。ある存在の芯を見ることができる人とできない人が世の中にいて、後者がお金と権力と発言権を持っている。でも前者の人間が居なくなることは決してない。
私はレナードのママの言葉に感動というかよくわかる気がした。息子が生まれたとき、健康な赤ん坊を与えてくれて神様ありがとうなんて思わなかった。でもその息子が動かなくなり何もできなくなる病にかかったとき、何故こんな不幸がよりによって私達にふりかかるのだと思ったと。私達は幸福に感謝することをすっかり忘れてしまう一方で、不幸になった途端に運命とか神とか何かを恨むようにできている。
ぱきっとハッピー・エンドに終わらないところがいい映画だった。
ロビン・ウィリアムズのあの恥ずかしそうなかわいい笑顔を今もこれからも見たかった。デニーロ、相変わらず笑顔も苦しみも素晴らしく素敵だった。そして監督がペニー・マーシャルという女性であることを忘れないようにしようと思う。
全部凄かった…
Awaknings
午前10時の映画
こんなにも残酷な奇跡があっただろうか
実話
ロバートデニーロとロビンウィリアムズの名演
午前十時の映画祭12にて。
1969年にニューヨーク、ブロンクスにある慢性神経病患者専門の病院に就職したセイヤー医師は、話すことも動くこともできない患者たちに反射神経が残っていることに気づき、訓練によって彼らの生気を取り戻すことに成功した。ある日彼は、30年前にこの病院に入院して以来ずっと眠り続けている嗜眠性脳炎の患者レナードに、認可されていないパーキンソン病の新薬を投与した。するとしばらくして、レナードは30年ぶりに目を覚ました。他の同様な症状の患者にもこの薬を投与すると、同じように意識が戻った。しかし・・・てな話。
実話に基づく作品らしいので、そんなに驚くような結末ではなく、オリバー・サックス医師はこの作品が公開された1990年にもまだ治療や研究を続けていたらしい。
若かりし日のロバート・デ・ニーロやロビン・ウィリアムズの名演が見所。
秀作の医療映画
あれから30年
だいたいの映画は最初に見た時が一番感動するが
この映画は2回目の時の方が感動します。
ロバート・デ・ニーロはやっぱりすごい!
追記
久しぶりに鑑賞。感動どころか、ずっと涙が出っぱなしでした。
いい作品ですね。
今日は「レナードの朝」と「タイタニック3D」を梯子しましたが、どちらも名作です!
なんか1日で両方見るのはもったいなかった。
追記の追記
午前十時の映画祭で「レナードの朝」は今週まで。今日を逃すと、次に劇場で見るのはいつになるのかな(もう二度と見る機会がないかも)と考えて、二週連続で鑑賞。
何度か見て、ストーリーはわかっているので、一つ一つ場面ごとにいろいろなことを考えたり、思い出したりしながら見ることができる。
今日のこの時間、他の映画を見ることもできたが、私はこの映画を選んだ。
近頃、このサイトを見るにつけて、どんどんどんどん見たい映画が増えてくる。うれしいことでもあるが、その圧倒的な量の前に、一生の間にあとどれだけの映画を見れるのか、とも考える。
主人公の一人のロビン・ウィリアムズさん。亡くなる前に、この作品を見る機会はなかったのかなあ、ととても残念に思った。
今回見て、改めて印象に残ったところ。
レナードが、扇風機の風を浴びて、気持ち良さそうな表情をするところ。
マイルドなアルジャーノンに花束を
脳炎で麻痺していて動くことも話すこともできない患者に今までとは別の薬を投与することで、症状の劇的な改善が見られた。
しかし、今までの失われた人生の数十年間や、薬の副作用などに苦しんだ後、結局は元の状態に戻ってしまうという実話に基づくストーリー。
「アルジャーノンに花束を」は、劇的な症状の改善が見られ知能指数も通常の人間以上になったが、この映画はそこまではいかない。より現実味のあるストーリー。
前半は少し間伸び気味。
後半は感動する。
一度は劇的な症状の改善が見られたが、薬の副作用により思いどおりに体が動かせず、自分でもそれが分かっているのが辛い。
そんな自分を見せるのが嫌で、気になっていた女性にもう会わないと切り出すが、女性がゆっくりダンスでフォローするシーンは感動する。
快方に向かったと言う事実が大切
人生の正解なんて、誰にもわからない
目覚めさせたことが残酷だったのか。
そんなことはわからない。
治ったのだから、それが永遠に続くものだと思ってしまう、ごく普通の人間。
這えば立て、立てば歩けの親心。
今日と同じ明日が続く日常。
でも、実は、それは当たり前ではないのだ。誰にとっても。
人生の中で、頭に浮かぶことのすべてが可能であるわけではない。
自分で選択できること、しなかったこと、スルーしてしまったこと、
運命に翻弄されるように、人知の届かぬこともある。
その中で、できれば”正解”の人生を送りたいと願うが、そう簡単ではない。
”正解”を選んだつもりなのに、過ぎてから思えば、後悔も出てくる人生。
”正解”の行いをできなかったように見えて、後からこれでよかったと思うこともある。
”正解”は知っているのに、あえて違う方をとることもある。
”正解”の人生を歩んでいる途中で、出会う思いもよらない出来事もある。
30年間の空白。
失ったもの。新たに獲得するもの。そして失いゆくもの。
目覚めたことが余計なお世話だったのか、嬉しいことだったのかは、一人ひとりによって違うし、思い返す日、これからどう生きるかによっても違う。
それでも、と、期待し希望して行動する。ちょっとでもの可能性を信じてしまう。
あなたの笑顔が見たいから。
実話の医師がどういう方かは存じ上げないが、この映画では、臨床医ではなく研究者が奇跡を起こす。まだ臨床医として燃え尽きてもいないから、目の前に起こっている現象を素直に捉えて、既成概念を飛び越える。
新薬を試す。一つ間違えれば、患者を危険にさらす。でも、トライしなければ改善はない。
倫理としてどうなのか。このケースでは感動的な結果になるが、割り切れない難しい問題。治療に役立つ新薬が次々と生まれる反面、特効薬ともてはやされた薬が、実は患者を苦しめる悪魔の薬だったという報告が数年後に出る場合もある。Dr.カウフマンとの攻防が、どちらが善意でどちからが悪なのかも簡単には言い切れない。
という、医療にかかわる様々な問題をベースにして、
レナードの、見た目・生理的には中年になってしまったけれど、心は思春期であり、思春期の葛藤という、レナードの成長。
医療という思いやりの”檻”に閉じ込められて、恋もままならぬし、一人で街歩きも許されない。切ない。
そんな一つ一つの出来事が、輝かしい”朝”のように瑞々しく、まぶしく…。
そして、思いもよらぬ残酷な運命に立ち向かう姿が、リアルに、命の・心の限りをほとばしらせて、描かれる。
そして、Dr.セイヤーも頑張ったが、周りのコワーカーが皆、患者のために一生懸命になる姿がうれしい。
敵役のようなDr.カウフマンでさえ、採用の時には経験ある臨床医(治療できる臨床医)を望み、レナードが閉鎖病棟からいつもの病棟に戻った時にはあんな笑顔を見せる。
『アルジャーノンに花束を』と似ているというレビューも散見する。
けれど、『アルジャーノンに花束を』の映画では、恋人・恋人の家族との絡みは出てくるが、基本アルジャーノンの変化だけをこれでもかと冷静に追っている。医療関係者は、”実験”の枠をはみ出さない。
なれど、『レナードの朝』は、レナードとDr.セイヤーの関係を軸に、周りの人々も描き出す。
患者が、”人間”となるべく、治療にいそしみ、”人間”としての要求・感情の爆発に対峙し(困らせられ)、その思いに胸を痛める。
私も、スタッフの一人?ボランティア・家族の一人として、二人を見守ってしまう。
レナード自身が目覚めをどうとらえたのかは、わからない。
動かぬ体の中で、何を思い出し、何を思うのか…。
目覚めたときのあの表情。
30年前とは違う姿の自分。
30年前にはなかったもの。新たなる経験・思い出。
”恋”のときめき、希望と切なさ、苦しさ。絶望。
自分の状態をビデオに録るよう迫り、「(今の自分の状態から)学べ!」と叫ぶ心。
とはいえ、目覚めたレナードによって、Dr.セイヤーの人生は変わった。Dr.セイヤーにとっては、一生忘れられない人となった。
かってな言い草だが、レナードの人生・目覚めには意味があったと思いたい。
”患者”としての記録だけでなく、”人”として、誰かの中に残る記憶。
言わずもがな、脚本・演出・音楽・映像も素晴らしいが、
デニーロ氏、ウィリアム氏、ルーシー、ローズを演じた役者の一つ一つの表情に、人を愛おしむ気持ちを思い起こさせられて、思い出すたびに慟哭してしまいます。
筋を知っていてもなお、観るたびに心が震える、至極の映画です。
副作用
冒頭、少年時代のレナードがベンチに名前を刻む。成績優秀だったレナードは病気にかかり、自部屋に閉じこもるようになり、30年を失ってしまう。
新薬の効果は劇的であり、一瞬にして全ての時間を取り戻したようだった。レナードの成功例が認められ、他の患者にも投与開始。ある晩に、同じ病棟の患者が全て起き上がり喋り出すところで、最初の感動がやってくるが、徐々に副作用を心配し始める。ポーラ(ペネロープ・アン・ミラー)にほのかな恋心を抱いたり、普通の人たちと同じように院外での自由行動を求めるレナード。チック症状が活発になったり、突如意識が遠のく症状も出始める。
そんな悪い状況でも、副作用の実態を自らカメラに撮るように指示するレナード。ポーラに別れを告げるレナードに、彼女がよりそい二人はダンスを踊る。本人たちも周りの患者も一瞬の美しさを感じ取った。
おまけのようではあったが、セイヤーが看護婦エレノアにコーヒーを誘うという伏線が心暖まるシーン。彼もまたそれまでの自分を失っていたのかもしれない・・・
当たり前からの目覚め
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