「悪くないのに何でこんな目に合わせられる!」レイジング・ブル マサシさんの映画レビュー(感想・評価)
悪くないのに何でこんな目に合わせられる!
兎に角『ゴットファーザー』と同じで、イタリア系に対する自虐的歴史史観です。さて、それを好きな人もいるでしょうね。しかし、アメリカン・ニューシネマに変なものが多いのはどうしてなんでしょう。本国のイタリアには素直に良い映画が沢山あるとおもいますが。
さて、この映画は1980年の映画ですが、伝記映画だそうで、主人公は2017年迄ご存命だったらしいです。つまり、この映画公開時には、1922年生まれで、58歳とお元気だった訳です。
まぁ、それは兎も角『八百長はあった』訳ですね。つまり、格闘技はやっぱり、興業なんですよ。それで、裏社会で『賭博』として成り立つんです。
その社会の中で、自己中心的で、下品で、叡智が無く、わがままで、暴力的な、一人の成人男子がボクシングと言う格闘技を続けたというだけです。そんな男の偉人伝は見るに耐えませんよね。だって、八百長やっているわけでしょ。
しかも、女たらしで、嫉妬深いときている。何一つ良い所ないですね。
ご当人(本人)からのクレーム無かったんですかね。
さて『悪くないのに何でこんな目に合わせられる!』って、充分に悪い事をしていると思いますが、そして、最後に『新約聖書』ヨハネによる福音書第9章『盲ていたが、今は見えると言う事です』と締めくくるなんて。
多分、敬虔なカソリックであるはずの演出家はこの言葉を『心の中でせせら笑った』と思います。だから、この『醜い男』の生き様を目一杯皮肉ったと思います。だから、高得点を差し上げたいのですが、2017年まで老いさらばえた事は許せないので、評価できないです。『生きる事は良い』ですが、こんな映画作らせて『言い訳で締め括る』なんて『もっての外だ』と思いますが。
また、彼は半分はユダヤ系だった訳ですが、その事を、この演出家は差別の対象にした可能性はあると思います。いずれにしても、当の本人は相当に『空気の読めない人物』であったような気がします。
また、1980年代の始めは、まだ、ペド●●●●が大手を振って生息していました。だから『若くとも、未成年には見えなかった』と言う言い訳が公然と許される様な時代でした。だから、現代に於いてこう言った映画を上映する場合は、それを断るべきだと思います。
それを考慮すると『デ・ニーロは演技がうまい』とか『デ・ニーロはかっこいい』などと言えないと思います。愛など欠片もない立派な犯罪映画ですし、女性の地位向上を程遠くした映画な訳でしょうから。
ニューヨークでのたれ死んだ我が従兄弟が大好きな映画でした。だから、今まで見なかったのですが、全く正解でした。