旅情(1955)のレビュー・感想・評価
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旅行先の不倫遊びを美化した最低の映画
悪を美化する最低の映画だった。デビッド・リーン監督が6人も妻を変えていたのが私としては変だと思うが、映画のほうに目を向けよう。主演はキャサリン・ヘップバーンとロッサノ・ブラッツィとの事。調べると38歳の独身のアメリカ女性だと思うがイタリアのベネチア旅行に行った。明るく元気な女性である。旅先の女の言う、フランスではソースを食べ、アメリカでは錠剤を食べるという会話は面白かった。キャサリンは実際の年齢より10歳若い役どころで、共演のロッサノは10歳近く若かったらしい。正式にはなんていうのか野外のカフェで遭遇した男が、入った店の主人で、女は緊張してしまっていた。コメディタッチの場面である。やがて同じ場所で期待して女は待ったが、男は挨拶だけして通り過ぎてしまった。落ち込む女。ところが女がしくじって運河に落ちた後に、男が女を訪ねてきた。「会いに来たのは貴女に引かれたからだ」と男は口説きにきた。女は戸惑い、気持ちと裏腹に頑なになっているところに、知人の老夫婦も訪ねて来る。そこでワイングラスのエピソードがあって、素直でなかった女心は少しわからないが、騙すのかと思って警戒したのだろうか。しかし男は夜に女をコンサートに誘い、そこでは楽しく会話するようになっていた。ところが、店員の少年が、男が遅れるのを伝えてきたが、男には妻子がいて、その長男が僕だと言ったため、女は怒って席を立つ。と言うことが起きてしまうのだが、なにか勘違いのような予感もするのだが。会話上の間違いのような気がするぞ。だが本当だった。滞在先に帰り落ち込む女。ところが男が現れて、女はなぜ妻子がいるのに誘ったかを説明させる。妻とは別居しているという。どうもこの映画はいい加減なイタリア男を肯定させようとするような良くない映画の気もしてきた。他人の不倫も関係ない事だなんていう。これでは汚い映画になってしまう。アメリカ女の性倫理のほうが正しいと思うが。これではただの旅でのイエローキャブ映画になってしまうのだが。日本人の男が東南アジアあたりの女としてしまうことなのだろうか。実際にあるのかはわからないが。監督が6人も妻を変えているのも要因なのか。これは行きずり映画で終えるのか。NHKBSプレミアムでわざわざ放映されるほど残る映画とは思えないが。旅行先の不倫映画が肯定されて良いわけがないのだが。一体何をこの映画は目指そうとしたのか。結局露骨には見せないが、推測させる手法で男女は一夜を共にしてしまう。いくら惹かれ合ってもこれでは不倫だろう。旅行先不倫映画ではダメである。後は不幸な別れ方を期待するしか神に救われないだろう。女のほうが過ちに気づき、アメリカに帰ると言い出す。男は行かないでくれと言う。だが女は突き放す。どちらも恋はしていたのだが、女は未来のない関係を諦めた。正しい選択ではあったが、たぶらかされた。これで性病が起こるようだと良い映画なのだが、ともかく女は帰宅への汽車に乗る。男は走って追いかけてくる。しかし汽車は出る。男は必死に走り、汽車の女に何か手渡そうとするが、間に合わなかった。手を振り合う二人。だがこうした美化は許されない映画だったのではないか。こういう美化がその後の日本でも多すぎた。社会は退廃している。悪い映画でしたな。時間を損させないで欲しかった。
運河にドボン。
何度も観たはずの作品なんだけど、劇場にて改めて観てみると
エ?こんな感じだったっけ、と思った。当時は38歳でオールド
ミス扱いの時代、潔癖症なのにドジな行き遅れ女を演じた女優
ヘップバーンの魅力が満載、彼女ならではの名演技が楽しめる。
美しい景色に負けないコメディセンスも健在で、運河にドボン!
なんてドリフみたいなことまでやってのける。一夜限りの関係
を美しく描く不倫劇にはもってこいの色男ブラッツィの名文句
「目の前にあるものを食べたらいい」は、いや確かにその通り
と心で拍手しながらも、妻と別居中の男ってのはどうして女を
口説いてばかりいるんだと今の時代も変わらない行動に笑った。
当時の30代女性
総合:70点
ストーリー: 70
キャスト: 70
演出: 70
ビジュアル: 75
音楽: 70
この映画は1955年の制作である。その当時ならば、ジェット機もなく女性の権利も生き方も現代とは大きく異なるであろう。現代の映画「セックス・アンド・ザ・シティ」では主人公たちが30代で独身でも特に違和感もないのだが、この当時でその年齢で独身ならば完全に売れ残りのいき遅れ。そんな女性が、当時まだ高額の航空券を買いプロペラ機を乗り継ぎ海を越えて欧州に一人旅行するなんてのは、通常見られることではないであろう。
だがそんな女性でもやはり女の心は残っている。会社では男のいないまま歳を重ねていても、やはり相手のいない一人旅の空しさは隠せない。そんな旅の孤独感とひと時の燃え上がる老いらくの恋が(というほど年寄りの設定ではないが、この当時の基準ではそうかも)、陽光に照らしだされたベニスの街で展開される。相手の愛を感じながらも、現実に目を向けて怖くなり逃げるようにベニスを離れるキャサリン・ヘップバーン演じるジェイン・ハドスンの、歳に似合わない恋愛に対するウブさが可愛くもあり悲しくもあった。
しみいる
ケイト(キャサリンヘップバーンの愛称)の映画でもっとも好きな映画です。ベネチアでバケーションを楽しむアメリカから来たオールドミスが現地の男性と恋に落ちる。言ってしまえばそれだけですが、まだ海外旅行もままならない頃の人にとってこのまばゆいばかりの映像はイタリアへの好奇心をかきたてたことでしょう。夕暮れのベネチアの海岸で恋する二人は風景の中に溶け込んでいるようでした。恋などもう私には無いだろう。人を真剣に愛することなどもう出切る訳が無いと思っていたジエーン。しかしそれが現実になって今起ころうとしている。それでも別れは見えているこの恋に飛び込もうかやめようかと迷う女心をケイトが熱演しています。ロッサノブラッツィーもイタリア男のいい意味いやらしさを良く演じていると思います。あの、忘れられないラストシーン誰しもがきっと心に涙と共に焼き付けると思います。デビットリーン監督の不朽の名作としてみんなに薦めたいと思います。
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