理由なき反抗のレビュー・感想・評価
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理由ある反抗へ
淡く儚い若者の反抗物語。
主人公のジムやジュディ、プレイトウはそれなりに豊かな家庭環境をもっている。しかしジムは男性性を誇示できない父に不満を持ち、ジュディは父からの愛情の欠如を嘆き、プレイトウは父の不在をジムで埋めようと反抗する。当時は物質的な豊かさが心の満たされと理解されていただろうから、彼らの反抗に理由の無さを見出していたのだろう。
だが彼らの心情が精神分析で解明され、エヴァ作品群に代表される物語で描かれ当たり前に受容される現代からみれば、あまりにも理由がある。
さらに現代的な視点からみれば、若者が夜な夜な出かけたり、ナイフを取り合って喧嘩をした敵のバズとチキンレースを通して友情を築こうとするのを羨ましくも感じるのである。
彼らの反抗にいたる心情は現代の若者にも言えることだろう。
だが盗んだバイクで走ることは決してないだろうし、みんなはお友達のような全体主義的な学校教育で規律・訓練され正しい子どもになろうとするかそこからはじき出されて極限的な孤人になろうとするだろう。
彼らの鬱屈さが社会への反抗から、私への反抗としての自死に至らないように。理由は解明された。ならば理由ある反抗へ。
理由のわからない反抗
理由がない、というよりワケがわからない、といった方が正しいです。
甘ったれ坊やのお話のようですが、背景の説明が不十分なので「なぜそんな行動をとるのか?」「なぜあの二人はこうなるのか?」「なぜそんなことを言うのか?」なんだかよくわからないストーリーで一場面ごとの必然性が不明です。
ジェームズディーンちゃんもエデンで発揮した伝説の圧倒的存在感が発揮されていません。エデン公開の半年後の作品だから、エデンの七光りですね。
エデンの方が一万倍凄いです。
ジェームスディーンの普遍的な魅力を満喫できます!
配信で往年の名画を見ると、色褪せないとか、今見ても斬新とか、そういった言葉を使っていましたが、改めて、そう言うことではなく、名作と呼ばれる映画はエンターテイメントとして完成されている、との思いを強くしました。人物描写の深み云々はさておき、ジェームズディーンが素晴らしい。いつの時代でも人の心を捉える普遍的な魅力に溢れています。
永遠の課題。。。
むかーし憧れた往年のハリウッドスターのカッコよさにもう一度酔いしれたくなりひっさしぶりに鑑賞。時代を超えて共感できる部分もありーの、違和感を感じてしまう場面も多数ありーの。
この年齢になっての新たな気付きは、大人って不本意とはいえ子供たちの心を平気で傷つけてしまってるよなぁってこと。良かれと思ってしているつもりでも結果的には繊細なハイティーンの感性を踏みにじってしまってる。
子育てって難しい。難しすぎる。。。この解決されることのない永遠の課題を自分への反省も踏まえながら、当初の思惑とは違って、ちょっぴりセンチメンタルな気分でこの作品を観終えた週末の昼下がりでした。
ジミー・ディーンと赤のスウィングトップ‼️
この作品はジェームズ・ディーンを伝説にした作品であり、「思春期の反抗」を扱った映画の原型‼️映画としては「エデンの東」の方が完成度は高いと思いますが、ジェームズ・ディーンのイメージを決定づけたのはこの作品だと思います‼️あの今にも泣き出しそうな切ない表情がたまりませんよね‼️17歳の少年ジムは、この街に引っ越してきたばかり。なのに酔って、その日の暴力事件の容疑者として警察署に連行される始末。翌日、新しい学校に登校したジムは、昨夜警察署で出会ったジュディと再会する。彼女はバス率いる不良グループと一緒だった。早速彼らににらまれたジムは、策略にはまってチキンレース対決をすることになるが・・・。とにかくこの作品には「思春期の反抗」を描いた青春映画に欠かせない要素がテンコ盛り‼️10代の不安、飛び出しナイフ、ブルージーンズ、暴走族、チキンレース、そしてジェームス・ディーンと彼の赤のスウィングトップ‼️チキンレースの緊迫感はホント素晴らしいと思います‼️この作品は若さから来る不満を、ジェームズ・ディーンのカリスマ性と、ニコラス・レイ監督の素晴らしい演出で描いた不朽の抒情詩詩ですよね‼️カッコいい表現をすれば‼️
ティーンエイジャー映画の先駆的作品に観るジェームズ・ディーンの煌めき
個人的には16歳の高校生の時にテレビ見学で大感激して、わが青春のバイブルとなりました。でも18歳の時に名画座で見直して冷静になり批評して、問題作だが普通の出来と評価を下げています。そして、今回47年振りに再度見直してみました。
この映画を特徴付けるのは、先ず不世出の天才俳優ジェームズ・ディーンのたった三本の主演映画の中で最も素の彼に近い役柄を演じたことです。監督のニコラス・レイは、俳優ジェームズ・ディーンに惚れ込んで企画を立て原案を担当しました。共演のナタリー・ウッドやサル・ミネオ、デニス・ホッパーなどと付き合っていた普段のディーンの自由奔放な言動に興味をそそられたのでしょう。24歳になっても何処か幼さが残る容貌と高身長ではない体格から、17歳の高校生ジムを演じることに不自然さは有りません。却って転校生ジムを初登校の日に挑発しナイフでの対決を強要するバズ役コーリー・アレンが、21歳ながら高身長でディーンより年上に見えます。結果的に不良学生グループのボス役に適していました。ホッパー19歳、ウッド17歳、ミネオ16歳と若い俳優が主要なキャスティングは、上手くまとまっています。
次に題名の(Rebel Without a Cause)が当時の若者たちを代表する代名詞として注目を浴びたことにあります。13歳から19歳をティーンエイジャーという呼称は、スペルからくる英語圏のものですが、この年代を主役にした映画がこの作品以前にあまり観られなく、またこの作品以後増えたことが画期的だったと言えます。昔は大人と子供の二種類であって、その発達途上は未熟な大人か、ませた子供として早く過ぎてしまいたい“年頃”の扱いでした。特に西洋人は精神年齢より躰の成長が早く、日本人は精神年齢に遅れて躰が生育する特質があって、青春映画のジャンルは欧米と日本では性的な表現含め大分差異があると思われます。
この作品では、戦争の無い平和で豊かな生活になった親子関係にある、父性の喪失をテーマに物語が創作されています。第二次世界大戦が終結して約10年の平和がもたらした世情は、其々の世代が自己主張する自由を得て、世代間の価値観の対立を生んでいきました。感受性が鋭く、精神的に傷つきやすいティーンエイジャーの悩みは個人によって様々で、その年代を経験した大人世代の体験からは想像もできない、または忘れ去られてしまったか、思い出したくもないものかも知れません。(最近の若者は・・・・・)の一言で片付けられる、このティーンエイジャー批判を含んだ言葉が、人類の普遍的な特徴として今も語られる事実に対して、この作品の題名=理由なき反抗=は、的確に核心を付いた映画タイトルと言えます。16歳の私は、主人公ジムに多大に共感し、大人の駄目なところを一方的に批判しながらこの映画を崇拝しましたが、そこから僅か2年後には、その共感を再び感じることなく、客観的に映画を観てしまう大人側の立場になっているのです。理由がどうであれ、あの時の共感はもう感じることは出来ません。
今回観て先ず感心したことは、ディーン始め役者の演技の充実度と、父性の喪失を主題にした僅か1日の出来事に集約したストーリーの密度、それを終始緊張感持たせたニコラス・レイ監督の演劇的でスマートな演出に魅了されたことです。ディーンが演じる極普通の高校生ジム役は、演技論から言えば特徴が乏しく難しいものです。理由なきのレッテル貼りとは反対に、理由ある反抗を巧みに感じさせる演劇演技の完成度の高い演技でした。「エデンの東」「ジャイアンツ」の演技に引けを取らない素晴らしい遺産と云わざるを得ません。当初白黒撮影の予算をカラーフィルムに切り替えたことで、後半のジーンズに白いTシャツと赤いジャケットのスタイルが、若者ファッションに影響を与えたことは有名です。それと途中上半身裸で見せる肉体は鍛えられたものでなく、今のハリウッド男優では考えられないのも興味深いです。相手役のナタリー・ウッドは「三十四丁目の奇蹟」などの子役からハリウッドで活躍した女優ですが、既に大人の魅力を兼ね備えた女性としてファザーコンプレックス故の女子高校生の不良を好演しています。最年少のサル・ミネオのプラトー役は、当初同性愛者のコンセプトであったとあります。高校のロッカーのドアに「シェーン」で主演したアラン・ラッドのプロマイドを貼っているカットで想像できますが、両親の愛情に飢えた境遇から、ジムを兄や父親のように慕うプラトーの繊細さを上手く演じていました。エプロンを付けて祖母の食事を運ぶ父フランクを演じたジム・バッカスは、コメディ俳優でこの作品にキャスティングされました。確かに当時の名の知れた男優では、そのシーンで出演を断ったと想像できます。何処か頼りなく、決して駄目でもわからず屋でもない極平凡な父親を上手く演じていると思います。また登場シーンが短いジュディの父役のウィリアム・ホッパーを調べて驚いたのは、偶然最近観た「トランボ ハリウッドに最も嫌われた男」でヘレン・ミレンが演じた元女優でゴシップコラムニストとして名を馳せたヘッダ・ホッパーの一人息子という事です。24歳で「駅馬車」に出演した経歴のあるベテラン俳優でした。他にも若者に理解を示すフレミック警部のエドワード・プラット、クロフォード家のメイドを感じ良く演じたマリエッタ・キャンティなど、地味ではありますが良質の演劇を観ているような俳優陣です。
この映画を演劇映画として観れば、ジムが自首を覚悟で両親に相談する居間のシーンが見せ場と言えるでしょう。自首して問題を起こすことに反対する両親と対峙するジムの嘆きをジェームズ・ディーンが熱演しています。しかし、冒頭のグリフィスパーク天文台の世界が消滅するプラネタリウムの印象深い名シーンから、ジムとバズの息詰まる対決の対比の見事さは、映画ならでは表現です。そこからチキンレースに誘う展開の速さと、そのミラータウンの崖で繰り広げられる、死を恐れない無謀で不器用な意気がる若者の姿が象徴的に表現されています。後半の幽霊屋敷での非現実に夢想するシーンの若者の幼さと遊戯も印象的です。これら夜のシーンが多いためか、撮影の難しさを考慮すると明るいところでテレビ鑑賞するより暗い映画館のほうが、よりこの映画の世界観に浸れると今回思いました。
作品としては誰にも薦められる傑作ではありません。でも誰もが経験した不安定で悩み多き青春期を少しでも思い出して、登場人物に寄り添う寛容さも大人の条件ではないかと、作者が言いたかったことではないでしょうか。アメリカでも、勿論日本でもジェームズ・ディーンの死後に初公開されました。失われた青春を象徴するジェームズ・ディーンは、この作品で永遠の命を得たと言ってもいい。若きティーンエイジャーの悩み、を象徴的に演劇映画に創作したニコラス・レイ監督の映画史に遺る作品と、改めて思い直しました。
単なる不良のからみ
ジェームスディーン扮する引っ越してきたばかりの17歳のジムスタークは、泥酔して警察署に連れて来られた。
甘やかされたのか最初からふてくされてジムはむちゃくちゃだね。ナタリーウッド扮するジュディにはなしかけてもつまらない男と言われてたね。ところであのウエストサイド物語のマリア役のナタリーウッドとは別人の様な気がしたな。
そもそも単なる不良のからみを見せられてもね。やっぱりジェームスディーンの映画は観るべきものを感じないな。人が亡くなってもみんな見捨ててよく帰れるよ。3度ほど観たけどやっぱりだめだ。
演技も上手いね。
50代ですが、中高生の頃、ジェームスディーンは憧れであった。
今回で3回目くらいの鑑賞だが、ジェームスディーンのかっこよさはもちろん、
ストーリーも、似た映画が思いつかないくらい、独特だった。
若者の退廃的、場当たり的な生き方、得体の知れないモヤモヤ感がよく描かれている。
名画だと思う。
午前十時の映画祭12にて、4K版をスクリーンで。1955年の映画と...
午前十時の映画祭12にて、4K版をスクリーンで。1955年の映画とのことですが、親子の悩み、若者の葛藤は昔も今も変わらないと感じました。まさに青春映画の金字塔ですね。
それにしてもジェームズ・ディーンは素晴らしかった。かっこいいのはもちろんですが、表情がいいですね。特に悲しい場面。大きなスクリーンで見入ってしまいました。
古き良きアメリカ
午前十時の映画祭にて再観賞。
昔、憧れました、
ジェームス・ディーン。
ミスターアメリカの1人だと思います。
知った時には、すでに亡くなっていて、リアルタイムでは観れてないですけどね。
好きなミュージシャンがジェームス・ディーンを好きだったりしましたね、
スタークラブとかブランキーとかマジックとか。
GパンのCMに昔よく起用されてましたよね、
最近、存在感が薄くなった気がするけど、
今の若い人は知らないのでは?
この映画ですが、話自体は、あまり面白くないです。
ジェームス・ディーンや50sの古き良きアメリカを楽しむ映画だと思います。
劇中に、ハリウッドを一望できる天文台が出てきます。
『ターミネーター』では、深夜、時空を超えて現れたT-800にパンクスが服を奪われ、
『ラ・ラ・ランド』では、美しい夕暮れ時、セブとミアが華麗にステップを踏んだ、
あの場所です。
そこには、ジェームス・ディーンの銅像が建ってるらしいです。
ジェームス・ディーンよ、永遠に。
TOO FAST TO LIVE, TOO YOUNG TO DIE
生きるには早すぎる、死ぬには若すぎる
青年ならではの
古今東西、世界どこにもあるような若者たちの鬱屈感、仲間意識、親への反抗、愛情をうまく描いたと思う。その上でジェームスディーンという役者が輝かしい映画にしたのだ。
正直でありたい、仲間を助けたい、親を信じたいという反面、そうではいられない社会と現実。
もっと前に見ておくべきだった。
名作なんだろうけど
午前十時の映画祭12にて。
親の都合で引っ越してきた17歳の少年ジムは、真夜中に路上で泥酔し警察に連行された。そこで同年代の少女ジュディや少年プレイトウと出会った。翌朝、ジュディと一緒にいた不良学生のバズに目をつけられたジムはナイフでの決闘に挑むが勝負がつかず、崖に向かって車を走らせる命がけの度胸試しチキンランを行い・・・てな話。
全体的にストーリーに興味が持てず眠くなった。
ジェームス・ディーンはカッコよかったし、ナタリーウッドは綺麗だったけど。
足元のクローズアップが印象的な映画だった.おそらく意味はあるんだろ...
足元のクローズアップが印象的な映画だった.おそらく意味はあるんだろうけれど,すんなりとは理解できない.不良少年少女たちとの学校での出会いは彼らの足のクローズアップから始まったし,プラトーが眠っているときには不揃いの靴下の色があった.そして彼が倒れた後にも脱げた靴と青色の靴下が妙に浮いていたのを覚えている.精神状態と関係しているとは思うんだけれど,それをはっきりと説明できないなあ.
作品それ自体が描いているのは,親というのは以下に無力であるかという事だと勝手に思った.主人公もヒロインもプラトーも,経済力には恵まれているけれど,何の行動もできない親と,年齢とともに変わっていく周囲との関係について困惑するところから始まったんだろうか.そして,さんざん親の無力を告発した後に,今度は自分たちが親の役割を果たすことになる.若さゆえの行動力ゆえにそれなりに解決に近づくのだけれど,結局むなしく終わってしまい.そして最後のシーンで親と子の役割が引き継がれてフラクタルに再構成されていく様を暗示しているように感じた.特に何の救済もなかったけれど,そこがむしろ良かったのではないかと思う.結局,どの家庭の親子も同じ悩みに苦しんで,10年後にはその時の感情を忘れて再演するのだ.
【ロウ~ハイティーンの子育てについて、自省も込めて鑑賞した作品。W主演のジェームズ・ディーンとナタリー・ウッドの人生も重なって見えてしまった作品でもある。】
ー 両親と共に街に引っ越してきた17歳の少年・ジム(ジェームズ・ディーン)は、集団暴行事件の容疑者として警察に連行された。彼はそこで少女・ジュディ(ナタリー・ウッド)と少年・プレイトウ(サル・ミネオ)と出会う。
学校へ転入したジムは不良集団のボス・バズに目をつけられ、決闘を申し込まれる。ー
◆感想 ー 巷間に内容が、流布している作品なので、シンプルに記載する。ー
・ジムの両親(特に父親)と、ジュディの両親(特に父親)が子供を愛するが故の育て方に、今作で描かれている悲劇の起因があるのは、明確であろう。
・プレイトウに至っては・・。
・今作出演時の、ジェームズ・ディーンの実年齢は24歳であり、ナタリー・ウッドは27歳である。
だが、彼らの劇中での年齢は17歳であり、彼らを追い詰める警官達は彼らを”子供”と呼んでいる。
- ここが、少し違和感を感じてしまうが、仕方がない・・。-
・物語構成はシンプルで、”ハイティーン”特有の、何故だか分からないが、自分を取り巻く人間(特に両親)、社会状況に対し、苛苛感が増して暴走していく様が、巧く描かれている。
・ジムを”チキン”と揶揄する、バズとのチキンレース。そして、バズの死。
- ここも、今見返すと、イロイロと瑕疵が見えてしまうが、良しとする。-
・そして、ジムとジュディとプレイトウが警察に追い詰められた、グリニッジ天文台で起こってしまった悲劇。
<劇中では、詳細には描かれないが、ごく普通の少年少女のジムとジュディとプレイトウが追いつめられたのは、彼らの両親(特に父親)が原因ではなかったか!
同じく、娘と息子を持つ男としては、上記感想を抱いてしまった作品である。
それにしても、ジェームズ・ディーンとナタリー・ウッドは、素晴らしき俳優であったのに、早逝が実に惜しまれる。
二人に何があったのか等と、詮索する野暮な事はしないが・・。>
■では、お前は立派な父親かと言われると、全く違う。
特に息子に対しては、”男は負けるな!”等と言う前時代的な接し方をしてきた事には、申し開き様がないが、彼が成人になった際に、親子で酒を呑みながら遅まきながら謝罪した際に、彼は
”うん、父さんからはイロイロと学んだよ、反面教師として・・。”
と言われたが、佳き男に育ってくれた事には、家人が陰ながら支えてくれていた事を含めて、感謝しかない・・、と今作を観て思ってしまいました・・。
ドーソン高校
崖っぷちで車から飛び降りるチキンレース。ディーンの若すぎる死とオーバーラップして、この印象が強く残りすぎるため、後半部分をいつも思い出せないでいた。
ジム、ジュディ、プレイトーの3人それぞれの家族との繋がりが微妙に面白い。ジムの父親はチキンと呼ばれてもしょうがないくらい小心者。ジュディの父親はいかにもアメリカの中流家庭の代表のような厳格さを保っている。プレイトーの両親は離婚・・・彼は自分が家出ばかりしてたことを悔いていた。
ディーンの一目ぼれのような恋の繊細な表情なんかも興味深いが、ミネオの純粋にディーンに惹かれていく過程の表現が秀逸だ。銃を盗んで・・・という件の描写は甘いが、孤独と焦燥を見事に演じている。作品の中でプラネタリウムが非常に重要な位置を占めていて、「地球の破滅は夜明けに訪れる」と言った会話がラストシーンに絡んでいく映像は素晴らしい。
プレイトーの反抗の理由なんてわかりやすいが、その他の不良たちの理由がさっぱりわからないところでタイトルの意味を何とか保っているような・・・
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