反撥のレビュー・感想・評価
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【姉に依存して暮らす”男性恐怖症””対人恐怖症の気がある”内気な若き女が、退屈な日常の中、内に秘めていた性への欲望と狂気に蝕まれ、変貌し、狂気の行為を行い、精神が崩壊していく様を描いた作品。】
ー タイトルの「反撥」はキャロルの自らの内気な性格に、キャロル自身の精神が「反撥」していく様を暗喩している。だが、その精神の「反撥」の代償は大きかった・・。-
■ロンドンで姉ヘレンと暮らすキャロル(カトリーヌ・ドヌーヴ)。
姉が妻子持ちの男マイケルを毎晩連れ込むことに嫌悪感を抱き、同時に男性への恐怖を募らせて、恋人のコリンに対しても接吻するが、嫌そうである。
ある日、姉がその恋人とイタリア旅行に出発。
束の間のひとり暮らしを始めたキャロルは、情緒不安定になり、少しずつ精神を崩壊させていく。
◆感想
・内向的なキャロル。姉ヘレンが夜な夜なマイケルを連れ込んでセックスしている喘ぎ声に悩まされながらも、聞き入って居る姿。
・キャロルは男と性を嫌悪しつつ、実は興味があるが内向的なために積極的に行動できない。
・ヘレンがマイケルとイタリア旅行に出かけている間、美容室で仕事に失敗し家に籠るヘレンが狂気を帯びていく様は恐ろしい。
ー 姉が調理途中でほったらかしにしていたウサギの肉が腐敗していっても、ジャガイモの芽がドンドン伸びて行っても、彼女は何もしない。(出来ない)
元々、自活能力がないのである。-
・男に襲われる妄想は明らかにキャロルの性的欲求不満を示しているし、壁に罅が入るシーンは彼女の精神の崩壊を暗喩している。
・キャロルは様子を見に来たコリンを撲殺し、風呂桶にぶち込み、滞納していた家賃を取りに来た大家を理容ナイフで滅多刺しにする。
ー 姉ヘレンは家賃を置いてからイタリア旅行に出かけたのに、彼女はそれを届けようともしない。ヘレンが対人恐怖症である事も暗喩している。-
<じわじわと、心理的に効いてくるサイコホラー。
主演のカトリーヌ・ドヌーヴの美しい顔と目が、更に怖さを募らせている作品でもある。>
無防備な美少女の不幸の顛末
同居の姉は愛人を連れ込み夜な夜な情事にふけるが、それを聞かされる潔癖性の妹キャロルはだんだんおかしくなっていく。
しかしキャロルは姉の愛人にも「妹は美人だな」と言われるほどの、町を歩けば男たちが目を奪われ声をかけるほどの美貌の持ち主。ストーカー気味の恋人も素っ気ない彼女の態度に焦れて余計まとわりついてくる始末。
キャロルは妄想に取りつかれていく。それは汚ならしい中年男にレイプされ、壁はひび割れ、壁から腕が生えてきて彼女の体を触るといったもの。
仕事にも行けなくなっているのに姉と恋人は旅行に行ってしまう。キャロルは部屋から出られないほど病んでいるのに、恋人が押し掛けてきて、ドアを破って入ってくる。嫌がっているのにも気付かぬ自分勝手な男を殺してしまうキャロル。
姉の恋人の本妻から電話が掛かってきて怒鳴られるし、死体はあるし、そりゃどんどん狂っていくわ。なのに遅れた家賃を取りに来た大家は勝手に入ってきて金を渡してもなかなか帰らず挙げ句の果てにキャロルに襲いかかるから、カミソリで滅多刺し。
そしてついに姉たちが帰ってくる。部屋は荒れ放題、死体はあるし、キャロルはベッドの下で倒れてるし。それを抱き上げて運ぶ姉の恋人は、なんだかニヤニヤしてるのは、キャロルに触れられた嬉しさか?
ラスト、キャロルたちの家族写真がはっきり映るが、子供のキャロルは険しい顔で父親を睨み付けている。つまり、彼女の男性恐怖症の原因は、何度も現れるレイプの犯人は、父親だったのか…?
登場する男全員クソという、キャロル目線のホラー映画です
ドヌーブだから見た
原作を知らないから理解ができてないのだろうか?
彼女はもともと、子供の頃から要素は持っていたとして、度々彼女を襲う幻覚は何かしら過去にあったことが引き金になってるとか言うことなのだろうか。
最初から異常とも思える異性への嫌悪感を見るに、そういうことなのだろうか?と考えながら見てましたが。
美しすぎたからほっといて貰えなかったんだろうなは想像できる。
しかし嫌悪感ある姉の恋人にも最初は面と向かって反発していたし、その後精神が破綻していくのが唐突に感じてよく分からない。
好みのジャンルでもないせいだけど、ドヌーブじゃなければ途中で脱落した。
100年に一度の美女といわれた女優の記念作
カトリーヌ・ドヌーヴは「昼顔」や「哀しみのトリスターナ」に出演した頃から、エリザベス・テーラーと並び称される世界一の美女として有名になった女優さんですが「反撥」ではまだ初々しい彼女を見ることが出来ます。
モノクロでも分かるような輝くばかりのブロンドで、終始うつむき加減のほっそりした顔と、薄いネグリジェに透けた胸元がとても綺麗で印象的です。
当時の流行だったのかもしれませんが、ほぼドヌーヴの顔にスポットを当てるシーンが続いて、ポランスキー監督は御執心だったのでしょうか?そう言えば何となく「テス」のナスターシャ・キンスキーにも似ていますね。コクのある美しさが素敵です。
話は男性恐怖症の主人公であるドヌーヴが、同居する姉とその恋人の情事の気配に毎夜悩まされる内、次第に精神を病んで行った挙げ句に殺人を犯してしまうというストーリー。
シンバルやドラムのプリミティブな音使いや、壁から飛び出す腕、腐敗してゆくウサギ肉の塊、干からびたジャガイモから延びる芽・・・ダリの抽象画のような世界観でドヌーヴの心理を表しているようなのですが、同じフロアに住む住人の飼う犬が、死体の臭いで吠えないのか?などと突っ込むのはナシです。
謎なシーンもあって、所々に広いリビングやキャビネット等がある瀟洒な屋敷の部屋がカットインされるのは、昔住んでいたブリュッセルの家の中なのかな?
また、ラストに写し出される家族写真でのドヌーヴは、父親と距離を取って冷たい視線を送っているけど、これも何かの暗示なのでしょうか?
そう考えても他に伏線となるような会話も無かったし・・・
もう一度観てみようかなと思います。
やっぱりドヌーヴは大好きだと再確認出来ました!
ぼろ布のような美女(視覚と嗅覚の魔術)
1965年(イギリス)監督:脚本:ロマン・ポランスキー
主演のカトリーヌ・ドヌーブ。
この時、22歳になったか?ならないかの若さ。
キャロル(ドヌーブ)は一度も笑わない。
美しいキャロルには、男の視線さえ疎ましい。
男性恐怖症みたいで、その癖、男に襲われる妄想(過去のトラウマなのかは不明)に、
震えておびえる。
おびえたウサギのようなキャロルは、言い寄ってくるコリーが苦手。
見るからにハンサムで好感持てる青年なのに。
キャロルが決定的に壊れていく原因は、
《姉の不在》
多分、キャロルは脅迫神経症だと思うけれど、庇護者である姉が、愛人とイタリアへ旅行に行った。
ひとりで過ごす時間。
妄想が次々と襲って来る。
《視覚の異常》
部屋の壁がひび割れる、
壁から伸びる手、
鍵穴から見える歪んだ視界、
ヤカンに映る歪んだ自分の顔、
《音も不快》
修道院の鐘の音、
蝿の羽音、
電話のベル、
部屋の呼び鈴、
適切な精神科の治療が必要だった・・・そう思う。
カウンセリングと投薬・・・それを受けていればここまで悪化しなかったと思う。
腐って行く「ウサギ肉」
芽が出て、萎れて鄙びて行く「ジャガイモ」
日に日に荒れて行く汚部屋。
ポランスキー監督の描写は容赦がない。
美しい花(キャロル)が、萎れて、腐って、壊れて、汚臭を放つ・・・
精神が崩壊して行く様を最後の最後まで凝視する。
アパートの住民(死にかけたような老人たち)の好奇の視線。
珍しい生き物のようにガン見する老人たち。
瀕死のキャロルを大切そうにお姫様抱っこする姉の恋人。
邦題の「反撥」
命名者の意図は不明だが、とても似合っている。
全く救いのないドラマだが、ヒッチコックを凌ぐ様な怖さが満載で、何とも個性的
ロマン・ポランスキー監督による1965公開の英国白黒映画。
カトリーヌ・ドヌーブの目の、美しさを通り過ぎた様な不気味なドアップから映画が始まる。意図してなのか、肉厚な二重瞼と睫毛のモジャモジャ感がどこか卑猥。笑顔一つ見せず、彼女の美しさよりも暗さや被社会性が強調される。
そして、ドヌーブが一人になってから、ヒッチコックを凌ぐ様な怖さが満載となる。男性恐怖症の彼女に迫るさまざまな音や光。彼女が恋人を撲殺するまで至る意外性。あんな良い彼氏だったのに。そして家主を何と剃刀を用いて刻むかのように殺すのが、恐ろしい。その後、初めて笑顔の様な表情を彼女は示す。完全に狂ったのだろうか。
ラストの家族写真の中で睨む様な視線を父親に向ける少女、彼女の恐怖症は幼少期のトラウマなのだろうか。
全く救いのないドラマだ。でも、何とも個性的で、今まで見たこともない映画でもある。
人気絶頂期に、長編第2作目となるロマンスキー監督によるこの映画に出る決断をするカトリーヌ・ドヌーブに驚かされた。
脚本はロマン・ポランスキー、ジェラール・ブラッシュ。
撮影はギルバート・テイラー、音楽はチコ・ハミルトン、言語は英語。
出演は、カトリーヌ・ドヌーヴ 、イアン・ヘンドリー(姉の恋人、英俳優)、ジョン・フレイザー(恋人、英俳優)、イヴォンヌ・フルノー (姉、仏女優)、パトリック・ワイマーク(家主) 。
ポランスキー監督の“想い”が感じられなくて…
正直なところ、
この作品へは理解が及ばなかった。
それは事前に散りばめられた幻想の要素
から、恋人と大家の殺人さえ現実かどうか
判らない鑑賞を強いられたからでもある。
そして、その現実か幻想か判らない彼女の
思考の展開がこの映画の全てあるので、
製作側の論的は解らなくもないが、
観ている方は、異常な展開を見せる彼女に
どう共感すれば良いのか解らなくなった。
潔癖症で内気な妹の思春期における
情緒的不安定の結果としても、
その要素は序盤から既に存在しており、
「ローズマリーの赤ちゃん」のような
“徐々に感”が無く、
なぜ妹は初めから情緒不安定なのかは
観客の想像に委ねられた感じだ。
家族写真にヒントがありそうだが、
ハードルの高い設定ではなかったか。
また、救いの無い結末では
作品そのものへの共感も得られにくく、
「水の中のナイフ」での
倦怠の中でも続く夫婦への、
「ローズマリーの赤ちゃん」での
悪魔の赤ちゃんを生んだとの戦慄さよりも
母親・母性への、等々の
ポランスキー監督の“想い”も
感じることは出来なかった。
シュールなサイコホラー
姉に対する嫌悪感と、男性には潔癖な対応を取る内気で変わった女性かと思いきや、スローなテンポで進む物語に何も起こらない雰囲気。
ネグリジェ?から薄らと透けて見える裸体、不思議なエロさを垣間見るロマン・ポランスキーの演出描写、妄想?願望?タンクトップへの執着心。
ヒビ割れ滑る壁から無数の手、現実の境界線が分からなくなる世界観。
食用に皮を剥がされた状態のウサギは、デヴィッド・リンチ監督作「イレイザーヘッド」での"スパイク"を、キャロルが犯されるのは「ツイン・ピークス/ローラ・パーマー最期の7日間」で夜毎のようにローラが襲われるシーンを思い出してしまう!?
意味深なラストはオープニングの目と繋がる、スッキリしない終わり方に疑問ばかり残る反面、中盤以降の怒涛な展開が続きながらのスローなテンポにハマってしまう。
女性の美しさは罪深い
ポランスキー監督の初期の恐怖映画。北欧映画の様な雰囲気、シュールレアリスム的映像処理と、イギリス映画とは思えないポランスキー独自の映画感覚が確立している。無表情なカトリーヌ・ドヌーヴの役柄が更に恐怖を増幅する。美貌によって隠された異常さを演じるのに、この時期のドヌーヴの無垢な美しさが適していたと納得する。主人公以外の登場人物のリアリティは優れている。好みが分かれるが、ポランスキーの演出力を確認するに十分なサイコホラー。
スタイリッシュ・ホラーの傑作
ホラー映画とひとくちにジャンル分けしても、その内容は様々だ。90年代に流行した『羊たちの沈黙』を代表とするサイコ・ホラー、70年代~80年代に全盛だったのは『13日の金曜日』などのスプラッタと『ジョーズ』のようなパニックもの、さらにオカルトものの代表『エクソシスト』等と様々ある。さらにヒッチコック作品のようなサスペンス色の強いものもホラーと言えなくもない。(『エイリアン』のようなSF・ホラーと言うものまである。)しかしながら、モダン・ホラーと冠のついているのはポランスキー作品だけではないか?少なくとも私は、このジャンルに属すに値する作品を他に知らない…。ポランスキー作品が何故モダン・ホラーなのか?幽霊や悪魔、強暴な動物(異星人)などは一切登場せず、普通の人間の、普通の生活(事故や災害に遭遇しない)の中に潜む恐怖(狂気)を描いているからか?いや、それならばヒッチ作品やサイコ・ホラーも同類だ。ポランスキー作品には、他のホラー作品にはない、スタイリッシュさが溢れている。ホラーといえばひたすらヒトを怖がらせることを目標として作られるために、製作者(あるいは監督)が力を入れるのは、血なまぐさいビジュアルや、サスペンスをもりあげる音響、常軌を逸した場面や人物設定だと思う。もちろんこれらの要素が全く無くてはホラー映画とは言えないわけで、ポランスキー作品も同様にこれらが効果的に使われてはいる。えてしてB級作品などには、これらに力をいれるあまり、不自然なストーリー展開、あり得ない状況設定と、逆に笑ってしまうものなどもあるくらいだ。それはそれで、まあ楽しいが、キャスティングにまで無頓着なものはいただけない。やはりスクリーム女優は美人がいい。ポランスキーのホラーは、媒体を通して目や耳で感じる従来の恐怖とは異なり、直接内面に入りこむ怖さがある。それでいて、どこか快楽に酔うような、甘美な感覚を芽生えさせ、麻薬のような作用を与える。『反撥』はモノクロ作品だが、その映像は古さを感じさせない。むしろモノクロだからこそ、その鮮やかな(時には淡い)色や、手触り、臭いまで鮮明に感じることができるのかもしれない。特に強烈な印象を残すキャロル(カトリーヌ・ドヌーヴ)のブロンド。色だけでなく、柔らかな感触や、シャンプーの香りまで想像できる。清楚な中に秘められたエロティシズム。決して前面に押し出されず、チラチラと見え隠れするエロティシズムが甘美な恐怖を生むのだろう。物語のメインテーマはキャロルの狂気。しかしそれは表面的なもので、実際はキャロルを通して、自分自身の中にあるエロスや狂気を発見させることだ。いつしか、キャロルの触るものを肌に感じ、キャロルの嫌悪するものを、自分もまた嫌悪するのだ。この奇妙な感覚、男性にはわからないだろう。女であるが故に感じる生々しい恐怖だ。(では何故、男であるポランスキー監督にこの感覚がわかるだろう?)思春期と呼ばれる頃、少女はひたすら恋愛に憧れる時がある。しかしそれは、ドロドロした大人の恋愛ではなく、美しく清らかな恋愛だ。恋愛は崇高なもので、セックスは汚いものだった(これぞ少女マンガの世界!)。特にキャロルのように内気で、現実逃避したがる少女にこの傾向が強い。これらの嫌悪は多分相手が男性に限ったことではないと思う。ただ男性の方がより強い嫌悪を抱くというだけのことだ。触られるという行為は、自分のテリトリーを侵害されるということ。キャロルのように、自分の殻の中に必死で閉じこもっている人間にとって、何よりも絶えがたい行為なのだ。初めのうち、キャロルの嫌悪も、この程度のものだった。自分のテリトリーである「家」に入ってくる侵入者。それも妻子ある人間。(恋愛に憧れる若い娘にはこれはたまらなく不潔なことだ)さらに、自分の歯磨き用のコップに、その男の歯ブラシが入っている。頭で考える前に、生理的におこる嫌悪感。しかしこれだけだったら、ただの潔癖症で済まされるだろう。しかしキャロルの不幸は、自分では気づかないセックスに対する憧れがあること。嫌悪と憧れがまざりあって、微妙な歪を生む。しかしこの感覚も、大人になるにしたがって消えて行くものだ、普通なら…。しかし、普通にはすまないほど、キャロルは美しすぎ、そして無防備すぎた。街を歩くだけで、下品な男供が口笛を吹く。礼儀正しいボーイ・フレンドさえも、欲望をおさえきれない。静かに狂気にかられて行くキャロルの美しさ。乱れるブロンド、身体のラインが透けるネグリジェ。床に寝転がる仕草…。男が放っておかないのもうなずける。静かな狂気の象徴として、効果的に使われるのは、壁の亀裂とウサギの肉。キャロルの狂気が静かに進行して行くと同じに腐って行く肉。その静けさを破って音を立ててひび割れる壁。ほとんど音楽を使用しない中、この壁の音だけが、はっきりとした不安感を感じさせる。もし、早いうちに誰か、彼女の変化に気付いていたら…、たとえば、彼女の姉が、愛人にうつつを抜かさずにいたら…。しかし皮肉なことに、みんな彼女の狂気に気付かなかったのに、ただ一人いち早く彼女の異常に気付く人間がいた。誰あろう、キャロルが一番嫌悪する姉の愛人だった。しかし、彼は姉と旅行に出てしまった。数日後、帰宅した2人が目にするものは、荒れ果てた部屋に、2人の男の死体、そしてもはや精神的に崩壊したキャロルだった…。それにしても、死体を見つけた時の姉のパニックぶり。感情のDNAが発達している女性の悲しい性だ…。テキパキと的確な判断を下し、正しく行動する愛人は、どんなに嫌悪しても最終的には頼りになる男の象徴…。この姿をキャロルが見られなくて残念だ、少しは男性嫌悪が薄れたかもしれないのに…。何を言ってもすべては後の祭り…、今、彼女の心はどこにいるのだろう?願わくは、汚れのない世界であることを…。
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