ランボーのレビュー・感想・評価
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Who are they?
私にとってはスタローンはロッキー4やその後のランボーイメージの方が強い。マッチョで強いアメリカ像。その為、この映画も敬遠していたのだが、ここで描かれているのは、分裂し病んでしまった内向きなアメリカ。特殊部隊やPTSDに焦点を当てた作品としては、金字塔的な作品ではないだろうか。
厄介者扱いする自国民と無意味な争いをするランボー
first blood They drew first blood, not me. (奴らが先に仕掛けてきたんだ、俺じゃない!)
生身のランボー
エリート戦士ではあるが超人ではない等身大のベトナム帰還兵ランボー。 その戦う姿には寂しさが漂う。まだ敗戦のショックを引きずっていたからこその陰鬱さが滲む仄暗いアクションハリウッド映画。
俺の戦争は終わってない!
総合:90点 ( ストーリー:90点|キャスト:95点|演出:80点|ビジュアル:70点|音楽:65点 )
元特殊部隊兵士の活躍する今までに無かった活劇と、社会問題を内包したベトナム帰還兵の苦悩の両方を堪能出来る優秀作品。それをまだ若いスタローンが、鍛えられた肉体で熱演。
アメリカ陸軍特殊部隊、通称グリーンベレーとしてベトナム戦争で大きな功績をあげた元兵士は、ひとたび山に入ってしまえばたった一人で多数を翻弄し殲滅しかねない恐ろしい怪物になる。彼は自然の中に身を隠しながら相手の武器を奪い、罠を仕掛け、囮で欺き、軍用の短剣一つで必要なものを現地調達しながら、地形を生かして変幻自在に相手を惑わす。厳しい特殊訓練を積み実戦を経験した経歴にふさわしい特殊部隊の兵士の凄さと怖さは、ただの兵士ではないのだと地元警察と視聴者に見せつける。
そのような主人公の活劇が、まずこの作品の大きな独自性であり見せ場になっているし、この当時それだけで十分に画期的だった。またそのような凄腕の主人公の背景の設定が、この作品を兵士が登場する他の作品と比較して斬新であったし新しい分野を切り開いていた。
今改めて観てみると、緩い演出も時にはある。警察署長に山奥でナイフを突きつけておきながら、相手の武器や装備を奪うことなく脅すだけで解放し、そのまま反撃も受けないというくだりがある。ここは捕らえた相手を反撃出来ないように武器を奪うとかの処理をどうしたのか、そして山の中で生き抜く為に装備を奪ったのか、もっときっちりと描くべきだった。時には吐く息も白いどんよりとした天候の北国の山奥にいながら、相手の服を奪うことなく映画の最後まで薄着で動き回るのは、何もスタローンが人並み外れたすごい暑がりであるからなわけではなく、その鍛え上げられた肉体を見せつけて格好いいと思われたいためであろう。でもそれは元特殊部隊兵士の動きとしては不自然。
そのような部分があったとしても、常人には及びもつかないグリーンベレーの能力をたっぷりと見せつけてくれた展開は凄かった。スタローンは素晴らしい肉体を持っていたし、激しい活劇を自ら演じた。崖から木に飛び降りる場面の撮影は、骨折をして入院するほどの大怪我をして撮影が中断したと聞く。体を張って精一杯この役を演じていた。
またこの作品の質を高めているのは、ただの特殊部隊兵士の活劇に留まることなく、ベトナム帰還兵の問題を取り上げていることである。国のためといってベトナムに行って、地獄のような戦闘に身を捧げ、戦友達の死を見つめ、命を削りながらやっと生き残り帰国したのに、母国アメリカで待っていたのは厳しい現実だった。
自分たちがどのような経験をしたかを理解されること無くただ人殺しと罵られ、素晴らしい能力がありながら駐車場係のような馬鹿みたいな簡単な仕事に就くことすら出来ない。死線をくぐり共に戦った友人はみんな死に、彼の戦争を知らない同じアメリカ人は、彼を賞賛するどころか邪魔者扱いする。戦争の心的外傷後ストレス障害で精神を苛まれて、枯葉剤の影響で肉体を蝕まれる。そしてどこに行っても蔑まれて自分の居場所すら見つけられない。
実際、ランボーは古い戦友をはるか遠くから訪ねるのに車すら運転出来ていない。おそらくこの北国の町までも、安い長距離バスを乗り継ぐか、通りがかりのトラックか何かに無料で乗せてもらってやっと辿り着いたのだろう。
私も記録映像を観たことがあるが、実際、ベトナム帰還兵の生活苦と精神変調は当時の大きな社会問題になっていた。そのような帰還兵の苦悩を上手く物語に取り入れて、「戦争は終わったんだ」と言うトラウトマン大佐に、「何も終わってなんかいない!」とランボーに自分がベトナムだけでなくアメリカでどんな苦難を経験したのか・どんな仕打ちを受けたのか・共に死線をくぐった友はどうなったのか、その思いを泣きながら叫ばせ吐き出させたことで、この物語がアメリカの社会問題を含んだとても深みのあるものになった。
「俺が法律だ」と堂々と言い切り、自分の町を自分のやり方で守るという昔気質の警察署長は、警官というより昔の西部劇の保安官のよう。でも当時のアメリカの警察の規律の緩さがあることを想定すれば、あながち荒唐無稽とは言えないと思う。悪役だし好きにはなれないけれど、犯罪を犯しそうな奴を町に入れたくないという彼には彼なりの信条があったし、劇の中ではいい意味でも悪い意味でも存在感の高い役柄だった。それからランボーを理解し信頼関係があったトラウトマン大佐は渋い。
そして言うまでも無くスタローンは頑張った。普段は駐車場係にすらなれない男が、布切れを頭に巻いて太い筋肉のついた腕でM60機関銃を撃つ姿は、本当にさまになった。体当たりで危険な活劇に挑み、正しく評価も理解もされず社会からはみ出した帰還兵の孤独な姿を演じた。私の観たスタローン作品の中では『ロッキー』の次に良い出来映えであり良い演技だった。スタローンは大根役者ではなく、役柄がはまれば本当に映えるのだ。
ベトナム帰還兵の苦悩
PTSDという言葉が当時あったかはわからないけど、戦争によって精神的な傷が癒えない米兵が多くいるそうだ。 ベトナム戦争もそうだし、湾岸戦争、イラク戦争などもそうだ。 戦場の非日常と、アメリカ本土の日常のギャップが大きすぎてわけわからなくなるのだろう。 ランボーも傷ついた一人の男を取り巻くストーリーだ。一人の警官の無思慮な行為から、暴走していくのだが、ベトナム帰還兵全体における鬱屈した感情の表れが凝縮されてるような作品だ。警官は世間一般の彼に対する扱いそのものの具現化なのだ。 だから、彼の周りの日常を破壊していくのだ。この映画にもある程度の爽快感はあるが、最後にはやりきれない思いになってくる。映画として美しい。 映画好きなら好きでしょう。
切ない…
この作品を初めて観たのは、小学生の頃だったか… 小2で成龍にハマり、それからいろんなアクション映画、アクション俳優にハマって今に至る。 初めて観た時の感想は、正確には覚えてないが、あまり面白くないな。だった気がする。だが、スタローンは好きだったからこのシリーズは全部観た。 ランボー 最後の戦場 が公開されるまでは、この3部作の中で1番好きだったのは、ランボー怒りの脱出だった。1番アクションが楽しめるからだ。 ただ、歳を重ねてから、アクションしか興味なかった自分も、アクション以外のいろんなジャンルの映画を観るようになった。そしてこのランボーも観返してみると、これはアクション映画でもあると同時に、ドラマ性が強い事に気付いた。 ランボーの切なさを頭と心で理解出来る年齢の人なら、何とも言えないラストだろう… そういう意味で単にアクション自体しか興味なかった小学生の時の自分では物足りなかったが、今は映画として、この映画は好きだ。 スタローンはアクション俳優だからとか、アクション映画苦手と思ってる人とかにも、個人的にランボーはお勧め出来る映画だと思う…!
ラストシーンにやられた!
コマンドーと同じような類かと思っていたが、いい意味で裏切られた。 自然を駆使した圧巻の戦闘シーンに、警官たちの醜態、ランボーの唯一心を許せる大佐、忌々しい過去、そしてラストのシーンには思わず涙してしまいました…!
ゲリラ戦が面白い
序盤から中盤のゲリラ戦のトラップやアクションが一番の魅力。 しかし後半は肝心な戦闘シーン減り、特に洞窟のシーンなどは退屈に感じてしまう。 ストーリーはよくある痛快なアクション映画かと思ってみたが、終わってみれば少し悲しい話なのは意外だった。
あまりに暗い
テレビ東京午後のロードショーで録画したので久しぶりに見たら、こんなに暗い映画だっただろうか?とびっくりした。ランボーがPTSDで相当深刻な感じで患っていて、保安官は超嫌なヤツだし、山狩りさっぷりがひどすぎる。 スタローンがムキムキなのにガリガリという非常にかっこいい体つきだった。ブルースリーよりは筋肉が太いけど同じソリッドな感じがした。顔がゲソゲソで目がやたらとギョロギョロしていて非常に不気味だった。 結末は街を破壊しつくして保安官を屋根越しに撃つところは非常に渋くてかっこよかった。 そんな話を友達にしたところ「スタローンはすっごい暗い人だと思う」と言われ全くその通りだと思った。
心の中の差別が人との不幸を呼ぶ、争いの無い社会を待ち望む
「ランボー」の公開当時、私は未だ学生で、シルヴェスター・スタローンが演じるジョン・ランボーが何故、警官隊達とあれ程までに激しい戦闘戦を繰り広げる事になってしまったのか?その経緯が今一つ判然としないままに、単なるアクション映画の1つと言う位でしかこの映画を観ていなかったし、グリーンヴェレーと警察官との闘いが起こる事は、単なる縄張り争い位にしか考えていなかったが、昨年家の近隣の単館系の映画館で公開していて見損なってしまっていた「リトル・ランボー」を観たかったので、DVDレンタルし、それと併せて、ついでに30年振りで、本家の作品であるテッド・コッチェフ監督の「ランボー」も観てみる事にした。すると今回この映画が何故生れたのか、その経緯がやっと理解出来たのだった。 ランボーは、ヴェトナム戦争帰還兵で、彼らヴェトナム帰還兵士達が、数年振りにいざ、戦地から本国へ帰還してみると、彼らを待ち構えていたのは、彼らの出兵前とは、完全に180度変化してしまった、アメリカ社会の冷たい目が広がっていたのだ。当時のアメリカでは反戦運動が広がり、アメリカ社会全体を動かすまでに反戦の世論は高まっていたために帰還兵である彼らを人殺し呼ばわりする辛辣な批判の嵐ばかりが、本国ではあったのだ。 出兵した兵士達は自分達が戦地へと赴く前と、帰還後の現在の彼らに対する社会の目が全く対局するその現象に戸惑い、極限まで追い詰められ、苦悩した戦地での、恐怖体験のフラッシュバックとの戦いが、自分の心の内面では起こっているのと併せて、2重3重の苦しみを帰国後も彼ら帰還兵達は、体験させられる事となるのだが、その帰還兵の象徴として グリーベレーだったジョン・ランボーの物語は生れたと言う訳なのだ。 国の要請で、戦地に赴く事になった兵士達が、いざ帰国すると彼らを批判する声ばかりに社会が反転していたと言うのは、余りにも不運で、皮肉な社会現象である。 勿論戦争を始めてしまう社会、国家に問題が有るのであり、そこで出兵した、兵士達に戦争責任がある訳では無いのだ。 戦争を仕掛けられたヴェトナム側からアメリカ兵士達を眺めるなら、自国に侵略して来た憎い敵兵でしかその存在は値しないので、ヴェトナム兵は、どんな手を使ってでも、彼らの侵攻をくい止めるべく、死闘を繰り広げる。そしてアメリカ兵達は惨敗する。 しかしヴェトナム国民も、アメリカ政府が行った化学兵器による、国土の広範囲に及ぶ化学兵器汚染とその後遺症が、今もヴェトナムの国民の生活を苦しめている。 日本人坂田雅子監督による「花はどこへいった」(2007年シグロ制作)をみてみると、ヴェトナムに於けるその戦争被害の詳細がよく理解出来る。 2年程前の夏に「ウインターソルジャー」と言うアメリカ人ヴェトナム帰還兵による戦地での模様を語った証言集が20数年の時を経て公開された。私はこの映画を2005年にアメリカで観たが、イラク戦争に苦悩するアメリカ社会で反戦の声が高まってきた事で、製作から20年以上の時を経て、やっと公開された映画である。しかしそれもメジャー上映ではなく大学などに於いて自主上映されていたのだ。必ず世界の何処かの国で戦争は繰り返されていて戦争の無い時代は皆無だが、一日でも早く平和な世界の来る事を願うのみである。
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