ランボーのレビュー・感想・評価
全85件中、21~40件目を表示
ベトナム帰還兵の姿
ベトナム戦争ではその高い戦闘能力やサバイバル能力で活躍したランボー。そして戦場には死線をくぐる中で強い絆が育まれた戦友もいた。彼にとっては戦場が居場所だった。しかし彼の能力は、一般社会に戻って来たら発揮できる場所が無かった。かつての戦友もいない。不器用な性格もあって社会に居場所を無くしたベトナム戦争帰還兵の姿がリアルに描かれている。
ストーリーは、PTSDによるフラッシュバックにより、思わず警察官に暴行を振るうことで戦闘につながるという、ランボーが戦うまでの動機づけがしっかりしている。また、最後の告白も痛ましい。そのような描写が、単なるアクション映画では無い深みをもたらしていて良かった。戦闘やサバイバルの描写もリアルなところが良い。森林の中でお手製の罠を用いたゲリラ戦を展開したり、熊を殺して食料にしたりするなど、タフな男のサバイバルが面白かった。
「異色の社会派アクション映画」なんですってね…
感情的な文章しか書けません。
一番言いたいことは、
ただただ腹が立って悲しい、です。
国のために戦って戻ってきた人に罵声を浴びせるデモ隊。
よそ者=ならず者と勝手に決めつけて即追い出そうとする保安官。
一方的に悪だと決めつけて報道や山狩りする人たち。
討ち取ったと思って大喜びしながら記念写真を撮る人たち。
誰も大佐のようにランボーと向き合って、ランボーのお話を聞かない。
それどころかランボーの心を深く傷つける。
ランボーの、少ないセリフの中の、ラストの血を吐くような嗚咽混じりの叫びに胸が詰まった。
保安官が最後生きているのが正直少し悔しいけど、
これ以上ランボーが背負わなくていい命が増えなくてよかったとは思います…。
街並みが好き
人生で1番回数見た映画
グリンベレーはゲリラ戦で解放戦線から痛い目にあった
グリンベレーはこう言った事をベトナム解放戦線(ベトコン:差別用語)から受けた。一連の反戦ベトナム戦争と同じアメリカのベトナム戦争の言い訳。
但し、この映画だけは評価する。負の遺産と思えば良い。それを実に無様に描いている。この映画の主人公は冷静な様でいて、直情径行。自立しているようで、マザコンの様に涙を流す。心理的なトラウマをちょっとしたきっかけで表に出してしまう。つまり、もはや、ベトナム戦争で廃人になったも当然なのだろう。それをなんのてらうことなく描いている。
問題なのは見る側の問題と思う、こう言った銃を扱う世界の敷居を低くすると、あの高校の様な事件が起きかねない。いかなる理由があっても、殺人に手を貸すような事があってはならない。それは、殺されそうになった場合でも同じである。
意外と社会派作品。
子供の頃は結構観た。
2作目以降はスタローンの見せ所満載のアクション映画だけど、この作品は一応社会派的な要素もあり、良くできてる。
アメリカではチョイチョイ目にする理不尽な保守派の人達と帰還兵のPTSD。
アメリカの闇は相変わらず。
このランボーシリーズとロッキーシリーズは『自分の中で』同じような変遷をたどって面白い。
どちらも1作目は只のアクションじゃないけど、段々只のアクションに変わっていき、内容薄に。
子供の頃は2作目以降が面白く、大人になると1作目が良くなる。
そして両シリーズ共にあんな好きだったのに最後はどうでも良くなり最新作品は観てない。
両シリーズ共にこすり倒されて1作目とは違った物になりカスカスに…。
あまりにも哀しみが深すぎる…。本当の乱暴者は一体誰なんだろう?
元グリーンベレー隊員ジョン・ランボーの戦いを描くアクション映画、『ランボー』シリーズの記念すべき第1作。
本作ではベトナム帰還兵ランボーと警官たちとの、壮絶な戦いが描かれる。
主人公ジョン・ランボーを演じるのは『デス・レース2000年』『ロッキー』シリーズの、レジェンド俳優シルベスター・スタローン。
なお、スタローンは本作の脚本も担当している。
『ロッキー』と並ぶスタローンの代表シリーズ。
実は最初から最後まで通して観るのは今回が初めて。
いや〜…、やっぱり暗くて重い映画だぁ…🌀
「『ランボー』ってあれでしょぉ?ムキムキの人が銃を撃ちまくって人を殺す映画でしょぉ?やーね。野蛮ね。乱暴ね🤷♀️」
何故かこういうパブリック・イメージを持たれている『ランボー』シリーズ。
続編はどうか知らんが、少なくともこの第1作に関しては、広く認知されているイメージとは全く真逆な作品でした。
作中での死者はわずか1人。しかもその1人は、暴走の末の自業自得。
ランボー自身は、たったの1人たりとも死者を出していないのです(犬は3匹殺っちゃったけど…🐕🐕🐕🪦)。
その風体と態度から、周囲の人間から誤解されてしまうランボー。
とあるコミュニティーからの差別、そしてそれに対するささやかな反抗をキッカケに、事態は雪だるま式に悪い方へと進んでゆく。
誤解を解こうと歩み寄るランボーに、容赦なく浴びせられる弾丸。
数百人体制で動き出した州兵たち。
そして、ワイドショーではランボーを殺人犯として報道する。
精神的にも追い詰められたランボーは、その狂気を文字通り爆発させることになる💣💥
果たしてランボーと警官、本当に乱暴者なのはどちらなのか…?
この物語の恐ろしいところは、保安官や警察、州兵たちが、物語の最後まで誰一人として自分たちの正義を疑っていないというところにあると思う。
とにかくランボーこそが諸悪の根源。奴がいなければこの町は平和なままだったのに…。と、全ての人間が思い込んでいる。
もしかしたら観客の中にも「警官に大人しく従わなかったランボーが悪いよランボーが👎」と思っている人がいるかも知れない。
本作で描かれている「町」は、正にコミュニティという概念を具現化したものである。
それは国だったり、都市だったり、会社だったり、家族だったりするんだろうが、ランボーを排斥するという描写は、要するに「人は自分の属するコミュニティの中では独善的になりがちだし、それを侵害するものにはとことん残酷になれる」ということを表しているのだと思う。
本作の最大の敵であるティーズル保安官だって、町の人からは好かれているオッさんだし、自分の住む町を守るという仕事に誇りを持っている。
彼からしてみれば、ランボーを町から追い払ったのは当然の行為であり、物語の最後までそれが差別的な行いだったと気付いていない。
そして彼は終始、今回の惨劇はランボーという頭の狂った殺人者の逆恨みだと思い込んでいる。
本作で描かれているのは、他者に対する不寛容さが引き金となって起こった暴力。
戦争やテロ、無差別殺人という暴力の中には、こういった不寛容さに端を発しているものも少なからずあるのだと思う。
自らのコミュニティを守ることに躍起になって、それを正義であると錯覚し、他者を盲目的に排斥する。
それは国家という大きなコミュニティでも、例えば学校や会社という小さなコミュニティでも、家庭というさらに小さなコミュニティでも容易に起こりうることである。
ある種の盲信的なコミュニティへの依存こそ、真に恐ろしい事態を引き起こすものだということを、この映画を観て何となく学んだような気がする。
正義とは常に疑ってかかるべきものなのだ。
どん底まで気分の暗くなる映画ではある。
抑圧されていたランボーの感情が最後に爆発するところなど、胸が締め付けられるようだった😔
しかし、トラウトマン大佐がランボーへと歩み寄るというラストシーンに、一縷の希望を見出すことが出来た。
このオッさんがランボーを蔑ろにしていたことが全ての元凶だった気もするが、それでも彼は自分の過ちに気付き、ランボーを優しく説得した。
やはり暴力の坩堝から抜け出すには「対話」しかないし、それは他者を受け入れるということに他ならない。
本作の着地点がそこであったことに、何というか非常に安心したし救われた気持ちになった。
原作では彼がランボーを撃ち殺すらしいが、映画でもそうなっていたら、流石に暗すぎると思う…🌀
本作は明らかにアメリカン・ニューシネマに属する作品。
『ロッキー』でアメリカン・ニューシネマの時代に幕を引いたスタローンが、この『ランボー』で再びそれを蘇らせたというのは、映画史的に見てもなかなかに興味深い一件なのかも。
アメリカン・ドリームを描く『ロッキー』と、ベトナム帰還兵の心の闇を描く『ランボー』。
相反するように見える2つの映画だが、1人の青年の孤独と哀しみが物語の端緒であるという点では共通している。
そこからうまく抜け出すことが出来たのがロッキー・バルボアで、そこからさらに深い闇へと堕ちていってしまったのがジョン・ランボー。
ある意味では、この2人は同一人物であるといえるのでしょう。
運命の分かれ道で、右に進むか左に進むか。その些細な選択で、人はロッキーにもランボーにもなり得る。
そういうことをスタローンは、今現在に至るまで描き続けているのではないでしょうか?
いや〜、やはりスタローンは凄い映画人だっ!🤩
乱暴な映画が嫌いな人にも観てほしい、映画史に残る傑作!👏
【故国の命により、ベトナムで熾烈な戦いをした男の、故国に戻ってからの孤独、哀しみ、怒りを見事に描き出した作品。】
ー 内容は巷間に流布しているので割愛。
だが、今作はベトナム戦争終結時のアメリカのベトナム従軍兵に対する扱いを映画制作陣が怒りを込めて叩きつけた社会派エンターテイメント作品である。-
■ベトナムでグリーン・ベレーとして活躍したランボー。
ある日、ベトナム時代の戦友を訪ねたが、戦争の後遺症ですでに死んでいた。
近くの街に立ち寄ったランボーは、警察署長・ティーズルたちにばかにされて陵辱され、ついに耐え切れずに逆襲に出る。
◆感想(シンプルに・・)
・ラスト、10分。ランボーが且つての指揮官トラウトマン大佐に訴えかけるシーンは何度観ても、心に響く。
”何も変わっていないんだ!”
”必死に闘って、空港に戻ったら避難轟轟だ!”
”惨めだよ・・”
<今作が、アメリカ映画界に与えた影響は「タクシー・ドライバー」と並んで多大なるものがあり、その後、アフガニスタン戦争、イラク戦争後も同様の戦時PTSDに悩ませるアメリカ兵を描いた作品が多く描かれた。(近年で言えば「アメリカン・スナイパー」など)
エンドロールで流れる”It's a Long Road"が、哀しく心に響く作品である。>
不死身のランボー
サバイバル映画の傑作
私にとってこの映画はベトナム戦争の後遺症を描いたというよりサバイバル映画だ。オフロードバイクのダート走法、サバイバルナイフの使い方、簡易防御服の作成方法、止血方法、方位磁石で自分位置の確認、山での食料調達、高所から飛び降りる方法、トンネルからの脱出方法等、それと軍の兵器等の扱い方も面白かった。
「ロッキー」の大成功の後で、プレッシャーもあったろうが、完成度の高い作品に出来上がった。
ラスト、この種の映画でよくあるような主人公が射殺されるパターンかと思ったが、個人的には生き延びて良かったと思う。それによって、主人公のメッセージ、あるいはスタローン自身のメッセージを伝える場面を設定したかったのかもしれない。それはベトナム帰還兵の苦悩のメッセージだった。スタローンが彼らの思いを代弁したのだ。まぁ、射殺しなかったのは続編を作るためだったかもしれないが。
なお、続編は特に賞賛するべき点は余りない。
大人になって。
電話に出ろヨ、大佐ッ!!
小学生の頃にTVで見た記憶、娯楽アクション大作ってイメージのまま、今回が初鑑賞のようなもので。
イカれた連中だらけ、カンガルーを撃ちマクる「荒野の千鳥足」のテッド・コッチェフが監督な訳で、大人になってから観る"ランボー"はどこか特別な気持ちで気合が入る!?
72年の映画に「ソルジャー・ボーイ」ってベトナム帰還兵が町で理不尽&不愉快極まりなく暴れる作品があるが、彼奴らはジョン・ジェームズ・ランボーを見習うべき為体。
ラスト、涙ながらに訴え掛けるランボーに寄り添うトラウトマン大佐の表情が強張っているようにも、大佐の心情が読めない、一番怖いのは大佐の人間性!?
最初から最後まで可哀想なランボーの表情が寂し過ぎて、あの時にランボーの電話にさえ出ていればこんな目に遭わなかったかも、一人だけ悠々自適な大佐の責任大!!!
ただのアクション映画ではない、戦争で傷を負った者の悲しみの代弁
『ロッキー』と人気を二分するシルヴェスター・スタローンの当たり役シリーズ第1作目。1982年の作品。
原題は“FIRST BLOOD”だが、邦題が逆輸入。
後のアクション映画への影響、オマージュやパロディは数知れず。
タフなアクション・ヒーローの形容詞。
色んな意味でアクション映画の名作。
『~ラスト・ブラッド』に併せてだが、見るのは随分と久し振り。おそらく20年ぶりくらい。
でも、びっくりするくらい覚えていた。
ランボーが舞台の田舎町を訪ねるファースト・シーン。
保安官に因縁を付けられる。
理不尽な逮捕。
拷問のような警察の仕打ち。
怒りが爆発。
警官隊相手に、たった一人で反撃に出る…!
闘いが始まってから、ランボーに非が無い訳ではない。
が、先に仕掛けてきたのはお前(警察)たちだ。
ベトナム帰還兵のランボー。元グリーン・ベレーの英雄。
時折蘇る、地獄のようなベトナム時代の記憶と傷…。
やっとそれらから解放され、穏やかに過ごせると思っていた。
なのに、こんな事に…。
それは警察の方も同じかもしれない。
何故、こんな事に…?
ちょっかい出してしまったのがいけなかったのか…?
両者にとってこれは悲劇。
スタローンが自分自身を重ねたロッキーはフレンドリーで陽気だが、ランボーは無口で孤高。対極的だが、それがまたハマっている。
追い詰められた崖からのダイブ。怪我とそれを自ら麻酔ナシで針で縫うシーンは、言わずと知れた伝説的なリアルガチ!
ゲリラ戦の超エリート。山に入ってからはオレの領域。気付かれず傍に潜み、突然襲い掛かる。あちこちにトラップも。
全く手足が出ない田舎警察。それでも諦めが悪い保安官。ブライアン・デネヒーの憎々しさが光る。
ランボーを説得しにやって来た元上官のトラウトマン大佐。リチャード・クレンナもハマり役。
バイクとパトカーのチェイス、ヘリの追跡、反撃ゲリラ戦、警官隊200名による大捜索…スリリングなアクション・シーンを要所要所に。
さすがジェリー・ゴールドスミスの音楽はアクション映画を格別盛り上げる。
ロケット弾が撃ち込まれた廃坑に生き埋めにされたと思われたランボーだったが、脱出。町に舞い戻り、激しい銃撃の最終決戦…!
後のシリーズでは半裸の完全超人化するランボーだが、本作ではまだ人間味が垣間見える。
傷付き、苦しみ、弱み、脆さ…。
アクション映画だが、実際は反ベトナム戦争映画だろう。
ランボーが涙ながらに感情をぶちまける、胸が張り裂けそうなほど忘れ難い悲しいラストシーン。(スタローンの熱演に目頭が熱くなってくる)
ベトナム帰還兵の代弁。
いつの世も戦争で傷を負った者たちにとって、永遠に戦争は終わらない。
でもいつか、傷が癒える事を…。
戦争アクション活劇とは一線を画すな
ただのアクション映画ではない
酷い目にあわされた保安官からの逃亡、そして復讐。
ただのアクション映画ではなく、ベトナム帰還兵のトラウマ、世間の風当たりの強さへの苦悩を描いている点が珍しい。
彼は保安官だけでなく、街も無茶苦茶にするが、それは祖国のために戦ったのに、市民から迫害を受けた事への怒りからなんだなと思った。
ランボーはただのめちゃくちゃアクション映画だと思っていたけど、こんなに悲哀を感じるとは思わなかった。
原点
ラストの慟哭はオスカー級
俺の戦争は終わっちゃいない!
Blu-rayで観賞。
最新作観賞に備えて、復習。
シルヴェスター・スタローンは、スタジオシステム崩壊後のハリウッドにおいて、ジョージ・ルーカス、スティーブン・スピルバーグと並ぶ功労者だと思う。
『ジョーズ』『スター・ウォーズ』と前後してヒットした『ロッキー』は、アメリカン・ニューシネマの台頭によって低迷期にあったハリウッドにサクセスストーリーのエンターテイメントを取り戻したのだから。
だがこの『ランボー』は、1982年の作品でありながらアメリカン・ニューシネマに近いところがある。
主人公は決して正義の人ではなく、反体制の暴走が抑えられず破壊行動を増長させていく。
精神的後遺症を抱えたベトナム帰還兵を戦争被害者として捉えれば、ベトナム戦争批判のテーマ性という面でもニューシネマに通じるものがある。
原作小説のようにランボーが殺される最後だったなら、よりニューシネマ的な破滅の美学となっただろう。
とはいえ、町の保安官はランボーを帰還兵と知って排除しようとしたわけではなかったし、
訪ねた戦友の母親が少し迷惑そうなそぶりを見せはするが、町の住人がランボーを迫害するような場面もない。
ベトナム帰還兵が差別を受ける状況は、ランボーが投降する直前にトラウトマン大佐に悲惨な体験を語る長い台詞によって、初めて訴えかけられるだけ。
既に「ディア・ハンター」「地獄の黙示録」で戦場が人を狂気にさせることは描かれていたが、帰国した兵士の境遇にスポットを当てたことは特筆すべきで、しかもスタローンが色っぽいだけに、一部のベトナム帰還兵たちからは歓迎された。
社会への問題提起としては、後の「7月4日に生まれて」に全部お任せして、純粋に人間兵器と化して大暴れする元グリーンベレーのランボーというキャラクターとそのアクションを楽しめればヨシの映画だ。
見所はなんと言っても、ランボーの戦いぶり。
森の自然環境を利用して、たった一人で警官や州兵たちを撹乱する。罠を仕掛けて敵を倒すのは、後続のシリーズでも定番となった。
そして、スタローンの肉体美。
頬がこけた表情は精悍で野性味に溢れている。
同年に公開された『ロッキー3』で、ヘビー級タイトルマッチに「まるでミドル級だ」と言われるほど身体を絞ってリングに上がる役作りの成果だろう。
この映画のアクションでは、絶壁から林へダイブするシーンがあまりにも有名だが、ランボーがバイクを奪って逃走するパトカーとのチェイスが凄い。
タンクトップ姿で道なき道を疾走するスタローンはプロテクターを身に付けていない。
『大脱走』のマックイーンも真っ青ではないか❗
保安官を演じたブライアン・デネヒーの悪役ぶりが、また良い。
原作小説にあった彼(保安官ではなく警察署長だった)の背景は、映画では全く描かれておらず、ただ閉鎖的な田舎町の平穏を維持してきた自信家の保安官だ。
見るからに「俺に逆らうな」と言わんばかりの圧力を放つが、決して不正な人間ではなさそうな雰囲気もある。
保安官が州兵の将校に命令できるのには驚いた。
主人公を死なせなかったのは、後のシリーズ化を目論んでいたからかどうかは知らないが、スタローンはベトナム戦争の悲劇を本気で訴えたかったようだ。
ベトナム帰還兵のPTSD
全85件中、21~40件目を表示