ラウンド・ミッドナイトのレビュー・感想・評価
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デイルターナー人生を語る
デクスターゴードン扮するジャズサックス奏者デイルターナーはブルーノートでタイムゴーズバイを演奏し始めた。 名演奏者はえてして酒びたりでしわがれ声で体調が悪そうなイメージがあるよね。ジャズと酒はつきものみたいなものかな。名古屋でもブルーノートがあったのに閉めてしまって残念極まりないね。本編はデイルターナー人生を語るって感じかな。
アメイジング・デクスター・ゴードン!!
モダンジャズピアノの鬼才、バド・パウエルの晩年をモチーフにベルトラン・タヴェルニエが監督/脚本を担当したヒューマンドラマ。
1950年代末から60年代初頭のパリ、落ちぶれた元花形ジャズプレーヤーと彼を支えたファンの青年の友情を描く。
かつての人気ジャズ奏者デイル・ターナーは酒とドラッグの濫用が元で米国内での信用を失くし、単身パリへと渡る。
パリのジャズファンも当初は伝説のプレーヤーを歓迎するが、演奏するクラブ「ブルーノート」も次第に空席が目立つように。
一方、彼の熱狂的なファンであるフランシスはバツイチで売れないデザイナー。
安アパートに幼い娘ベランジェールを残したまま、夜な夜なブルーノートを訪れデイルの演奏に耳を傾ける(といっても金がないので盗み聞き)。
帰ってきても留守番の娘を気遣うこともなく、「神の演奏を聴いた」などとヨタをほざく始末で、今だったら児童虐待(ネグレクト)で逮捕確実のダメ親父ぶり。そりゃ、奥さん逃げるわ。
デイルをしつこく追い回すうち(これも今ならストーカー)、憧れのレジェンドとお近づきになれて至福の時を過ごすフランシス。だが、自分の偶像(アイドル)が酒で徐々に壊れていくのを目の当たりにするうち考えをあらため、自身の生活環境も変えていく─。
この作品、パリのシーンで書き割りを使うなど、ほかにはあまり金をかけてないが、とにかく出演陣が豪華。
フランシスを演じたのは、のちに『最強のふたり』(2011)で複数の男優賞を獲得した名優フランソワ・クリュゼ。
ニューヨークのプロモーター、グッドリー役には若き日の巨匠マーティン・スコセッシ。
しかし、失礼ながら本題はそちらではなく、当時の有名ジャズマンがこぞって出演していること。
全員の名前を挙げるとキリがないが、ロン・カーターのように日本のCMで一般にもお馴染みの顔も見えるし、多士済々のバンドメンバーをまとめ上げた音楽監督のバービー・ハンコックも、エディ役でちゃっかり(?)登場。
ハンコックはこの作品で『ミッション』のエンニオ・モリコーネを抑えて、見事アカデミー音楽賞を受賞。
作品タイトルにもなっているジャズの名曲「ラウンド・ミッドナイト」をオープニングで歌っているのはボビー・マクファーリン(ミュート・トランペットのように聞こえるが、楽器の演奏ではなく、彼のヴォイス・パフォーマンス)。
そして主役のデイルを演じたのは、ベテラン・サックス奏者のデクスター・ゴードン。
作品のモデルとなったパウエルと同世代で、彼同様、ドラッグのせいで若い頃のキャリアにブランクのあるゴードンは、本作が映画初出演ながら、この年のアカデミー主演男優賞に堂々ノミネート。
作品は、実際のパウエルの最期と同じく、アメリカに帰国後の主人公の死で物語に幕を下ろす。
誰の目にもハッピーエンドには映らないが、この結末は二通りの解釈が可能。どう受け取るかによって、鑑賞後の印象は大きく変わると思う。
ひとつは、帰国したデイルが、再び酒やドラッグの誘惑に負けて寿命を縮めたという見方。
そして、もう一つは、以前の不摂生で死期が近いことを悟った彼が、これ以上フランシスに迷惑を掛けないために(或いは死に様を見せて悲しませたくなくて)帰国後の死を択んだと見る考え方。
デイルと共に渡米した劇中のフランシスは、麻薬の売人の接近で前者の結末をおそれてパリに戻るようデイルに進言する。「発つなら早い便で」と彼は二つ返事で応じるが、空港にはとうとう現れない。
ひとり帰国したフランシスのもとに、やがて訃報を伝えるグッドリーからの電報が届く。
電報など打たなくとも、ハーシェルの時のように、フランシスは新聞記事で知ることになっただろうし、そもそもグッドリーが彼の連絡先を知っているのは何故?
合理的に考えるなら、死期の迫ったデイルが事前に頼んでいたと想像するのが妥当だろう。
知らせるなら「危篤」ではなく、「死去」の電報を打つようにと。
解釈の仕方は人それぞれあると思うが、フランシスの尽力と友情を無にするほど、帰国後のデイルの意志が弱かったと思いたくないのは、自分ひとりではない筈。
BS松竹東急の「秋の夜長のJAZZ映画特集」にて、久しぶりに拝見。
同じプログラムで前日に放送された『バード』(1989)同様、ジャズファンか否かで評価が別れる作品だが、ビバップの演奏ばかりだった『バード』と違い、本作はスローバラードが多く使われているので、ジャズ入門編の映画とも言える。
ここからは個人的意見になるが、主演のD・ゴードンは分類上ビバップに属するものの、マイルズやコルトレーンのように右脳を直撃するようなベクトルの音楽性とは異なり、分かりやすく温もりを感じさせるサウンドが特徴。
レパートリーの「ソイ・カリファ Soy Calfa」のようにオープン・エアで聴きたくなる演奏も少なくない。
この映画でジャズに興味を持たれた方は、D・ゴードンのアルバムから始めるのもひとつの手(かく言う自分も以前からのジャズファンだったが、この映画で彼の大ファンに)。
名盤は幾つもあるが、おすすめは『A Swingin’ Affair』。
先に述べた収録曲の「ソイ・カリファ」は、サルサとジャズのリズムが交互に繰り返されるユニークな曲で、ジャズファン以外の方にも気に入って貰えるかも。
CHAN’S SONGが沁みる。
ストレオタイプな酒とドラッグに溺れるジャズマンが主役だけど、NYのみならずパリも舞台にすることで、ワンパターンの展開に変化を感じられる。デクスターゴードンのしわがれた声とサックスの太く枯れた音色が、やけにリンクする。
ジャズに生きるしかなかった男の話
いまでこそ東京の南青山に「Blue Note TOKYO」があり 誰もが「ジャズ=おしゃれ」などと思うが これはジャズが泥臭いと思われていた時代の 1950年代後半のパリを舞台に その演奏で生活していた男の物語である。 ジャズ演奏家とひとりのファンの出会い。 当時はまだ恵まれない環境の中でも、 演奏さえできれば「金のことは考えない」 そして毎日、酒に溺れ朝を迎えた。 いつ死んでもおかしくない男を再生させたのは パリに住むデザイナーであった。 まずは環境を変え、正規のギャラを受け取るようにさせた。 次第にジャズ演奏家は生気を帯び復帰を果たしたが、、、。 この作品には本物のジャズ演奏家の デクスター・ゴードンが主演しており その自然な振る舞いは称賛された。 またNY興業師にマーティン・スコセッシ(映画監督)が 出演していて、独特の早口は忙しい仕事師を印象付けた。 薬の売人など、ジャズ演奏家をカモにする者など 当時を思わせるようなエピソードも出てくる。 主人公のモデルはピアニストのバド・パウエル 彼の曲「クレオパトラの夢」は今もCMで使われている。 聞けば、あぁこの曲か、と思う人もいるはずだ。 この映画はジャズファンだけではなく 不遇な扱いを受けている人間 音楽と時代を知るドラマとして 鑑賞するに値する出来である。 ※
ジャズファンならマストの映画です サントラ盤も欲しくなるはず ジャズファンでない方でも十分に楽しめる映画だと思います
1986年公開 アメリカ・フランス合作 題名の「ラウンド・ミッドナイト」 ('Round Midnight) とはジャズの超有名なスタンダード・ナンバーから採ったものです 冒頭のタイトルバックで流れるのがその曲です 真夜中頃という意味です 勿論、劇中で「明るくなってきたから寝るよ」というようなジャズメンの真夜中の生態を描いているからこの題名なのです この曲はセロニアス・モンクという偉大なジャズピアニストが1944年に作曲した名曲中の名曲 無数のジャズミュージシャンが演奏し録音していますが、特にマイルス・デイビスのトランペットでの名演奏が有名です ジャズをあまり知らない人でも出だしの一節で、あああれか!となる程の曲です 本作はバド・パウエルという、偉大なジャズピアニストの実話をモデルにしています 彼はジャズをそれまでの「大衆音楽・娯楽音楽」のスイングジャズから、「芸術音楽」のモダンジャズに脱皮させた偉大な変革者の一人でした モダンジャズはデートに使うオシャレなレストラン向けの音楽ではありません 魂そのものから絞り出される音楽の芸術なのです ミュージシャン同士、そして自己の表現力との真剣勝負の音楽なのです そのバド・パウエルを、本作ではデイル・ターナーという架空のテナーサックス奏者に置き換えて主人公としています 演じるのはデクスター・ゴードンという、超一流のジャズミュージシャンです 彼は1923年生まれ モデルのバド・パウエルは一つ下の1924年生まれです 因みにセロニアス・モンクは6つ年上の1917年生まれ 彼等はほとんど同世代なのです 彼自身も本作の主人公やそのモデルのバド・パウエルと同じような人生を歩んでいます まず本作の主人公のモデルになったバド・パウエルの人生を辿ってみましょう ジャズメンとしての腕は天下一品 20歳の時、警官の暴行により頭部への打撲で脳に損傷をうけます そこからおかしくなり1年ほど精神病院にいれられますが、出てきてからも麻薬や酒に溺れて、演奏活動に支障がでるほどになります 結局1959年にフランスに渡ります そこでの生活は本作に描かれた通りです 1964年に帰米したもののたった数回のライヴを行っただけで、2年後の1966年にニューヨークの病院で亡くなっています 死因は結核、栄養失調、アルコール依存症だったそうです 42歳の早死です 本作の時代設定とお話の内容はバド・パウエルに合わせてあるようです 主人公を助けるフランシスも、バド・パウエルをを助けたフランシス・ポードラという実在の人物がモデルで、知り合ったエピソード、自宅に招いた話なども実話です 一方、彼を演じたデクスター・ゴードンの人生はどうか? 彼もまた1940年代後半に一流のジャズミュージシャンになったものの、麻薬に溺れてしまっています 一時的な復活はあったものの、結局米国では演奏できなくなり、1962年に欧州に渡りフランスやデンマークを拠点に活動するようになりました そこで名盤を多数録音して名声を高めます そして1976年に帰米して、ジャズクラブの殿堂ヴィレッジ・ヴァンガードでコンサートを行い復活したと評判をとりました バド・パウエルのように死ぬことはなく、本作に63歳で主演、その4年後67歳で他界しました また彼ががデンマークに滞在していた頃には、現地のジャズ・クラブのマスターと親しくなって、その息子の代父となったりしています つまり本作のバド・パウエルをモデルにした物語は、主演のデクスター・ゴードン自身の人生の相似形でもあるのです まかり間違うと、彼の人生が本作の物語と同じ結末になっていたかも知れなかったのです それが演技に迫真性を与えていて、彼の演技は素そのままのように見えるほどです さて、なぜ当時のアメリカの黒人ジャズメン達は本作のように大勢欧州に移住していたのでしょうか? 1963年頃にはアメリカから100人を超えるジャズメン達が欧州にいたそうです その理由は本作の終盤に描かれた通りです ジャズメンは白人もいますが、ほとんどが黒人です どんなに成功しても、どんなに芸術性を高めた音楽を演奏しても、黒人は黒人なのです 有色人種としての扱いでしたし、ジャズは単なる大衆音楽でしかなく、ジャズメンは消費されるだけの存在であって芸術家ではなかったのです ところが、ヨーロッパツアーに行くとどうでしょう 本作のフランシスのように偉大な芸術家として扱ってくれるのです 高級レストランにも、白人女性と連れだって行っても追い返されないのです 表立った露骨な人種差別はなかったのです 才能ある人間は黒人であっても正当に遇してくれたのです 旧友の女性ヴォーカリストとの高級レストランでの食事シーンはその為のシーンだったのです もっもいえばフランシスの娘との触れ合いのシーンもそうなのです 確かに1955年にロックンロールが誕生してから、大衆音楽の王座からジャズは転落したのです ましてモダンジャズは踊る音楽ではなく鑑賞する音楽ですからどんどん人気が低落していったことも大きな理由でもありました しかし、ヨーロッパではモダンジャズを鑑賞する芸術音楽として理解する文化があったのです それ故にアメリカの黒人ジャズメン達は大勢ヨーロッパにわたったのです それが「ボンジュール・ヨーロッパ、グッバイ・アメリカ」の正体であったのです 冒頭の白黒シーンは1964年に主人公がフランシスと帰米した時のことです 帰米して凱旋どころか、冒頭のハーシェルとわかれた安宿に逆戻りだったのです ハーシェルとは友人のジャズメンのようです おそらく1939年に死んだハーシェル・エヴァンスの名前をオマージュしていると思います カラーシーンからは1959年のパリに立つ日の回想です ハーシェル・エヴァンスはサックス奏者、超一流のカウントベイシーやライオネルハンプトン楽団で活躍したスイングジャズ全盛期の人でした 年代的にバド・パウエルやデクスター・ゴードンの世代の憧れのジャズメンだったはずです つまり、スイングジャズの死を彼に象徴させているのです このまま米国に入れば、いずれスイングジャズのように行き場を失うという意味でもあったのです とは言え、生まれ育った祖国が一番です 里心がついて帰りたくなるのは人情です しかしバド・パウエルの1964年はまだ早すぎたのです 1964年はビートルズのアメリカデビューの年だったのですから 結末、麻薬と酒に溺れてしまったのでした 一方デクスター・ゴードンが帰米した1976年は、ロックからディスコミュージックの天下への過度期でした ジャズもまたロックとディスコミュージックから大きな影響を受けて変革を遂げて、今はフュージョンと呼ばれているクロスオーバージャズがディスコミュージックの流れのなかでも大人気になっていたのです その第一人者が本作でピアノを弾いたりMCをしているハービー・ハンコックです 彼は1940年生まれです バド・パウエルやデクスター・ゴードンより15~6歳年下なのです ハービー・ハンコックはクロスオーバーという新しいジャズの革新を推進していたその最中だったのです このクロスオーバージャズの大人気は、スタンダードのジャズを温故知新する動きをももたらして、正統派のジャズは再評価され長い寿命が約束されたのです それが帰米したデクスター・ゴードンの活動の場所を与えてくれたといえます 本作の製作も、つまるところこの流れの企画と言えるでしょう ジャズファンならマストの映画です サントラ盤も欲しくなるはず ジャズクラブの特等席でライブを観ている感覚があります このメンバーでのライブ、今なら数万円でも当たり前でしょう ジャズファンでない方でも十分に楽しめる映画だと思います 蛇足 演奏メンバー一覧 デクスター・ゴードン(sax)、ハービー・ハンコック(p)、ボビー・ハッチャーソン(vib)、ロン・カーター(b)、シダー・ウォルトン(p)、ウェイン・ショーター(tp)、マッズ・ヴィンディング(b)、トニー・ウィリアムス(ds)、ジョン・マクラフリン(g)、フレディー・ハバード(tp)、などなど
ジャズ音楽が取り持つ男同士の友愛のフランス映画
人間本来の優しさやその温もりを感じさせるストーリーのジャズ音楽の魅力に溢れたフランス映画。ベルトラン・タベルニエ演出は前半が弛緩してテンポが遅く、それ故上映時間を少し短縮した方が更に密度の濃い秀作になったのではないかと思った。黒人名サックス奏者を、あたかも妻かマネージャーの如く親身に世話をするデザイナーのフランス男を美しく描く。男同士の友愛を男女の恋愛映画の様に描けるフランス映画の人間臭さが特に印象に残る。アル中で身を持ち崩す黒人奏者も丁寧に描いているが、デザイナーのフランス家族の描写にタベルニエ監督の特長が表れていた。兎も角男同士の友情は、フランス映画ならではの美しさであり、領域にあるということを再認識した。 1986年 3月3日 宇都宮アーバンシアター
特等席で・・
モデルになったピアノの天才・バド・パウエルと支援したフランス人デザイナーの実話をもとにサックス奏者に置き換えて映画化。主演のデクスター・ゴードンは華美な装飾音を嫌いサックスの地の音を好む本物のJAZZプレイヤー、共演は後に「最強の二人」で車いすの大富豪を演じたフランソワ・クリュゼである。 正直、演奏以外の私生活なんて知りたくもない、むしろ知ったことによる雑念が鑑賞の邪魔をする、特にモダンジャズの時代は精神を病み、薬とか酒の絡んだ酷い話が多いのだから。 いっときヨーローッパで息を吹き返したのは客層の違いだろう、60年代にはこぞって奏者が海外に流れた。新しいとか独創的とか競うから碌なことはない、当時、新しいスタイルともてはやされたバドのピアノよりケニー・ドリューのメローな方が良いと言って友人と大喧嘩になったこともある。以来、JAZZには野球同様、狂信的なファンがいるから好みは言わないようにしている。 好き嫌いは別として錚々たるメンバー、デクスターは地なんだろうが俳優としても素晴らしい。JAZZ好きならクラブの特等席で聞けるようなありがたい映画であることは間違いないのだから。
往年のジャズミュージシャン
昔のジャズシーン…パリBleuNote 今日は角田健一ビックバンドの演奏会で 4大ビックバンドの演奏を聴いてきたところ 帰ってからお酒飲みながら夫婦で鑑賞 図らずも主人公がカウント・ベイシーバンドで吹きたかったと呟くシーンも… 主役を演じるのはデクスター・ゴードン本人、他ハービー・ハンコック、ボビー・ハッチャーソン、トニー・ウィリアムス、ロン・カーター、ウェイン・ショーター、フレディ・ハバード、シダー・ウォルトン、ジョン・マクラフリンら名ジャズプレイヤー出演のジャズ映画、中身はあんまり関係ないかな(^^;; アル中ミュージシャンの話になってるけど 当時は薬だよね(^^;; 背景はいろいろあっただろうけど こうして懐かしさで見る分にはいいけど 現ジャズシーンはとても進化していて こんなレベルじゃない 所詮、お酒に逃げて自己憐憫の音楽 と捉えかねないふしもあり(^^;;
破滅型音楽家の最後の交流
総合:75点 ストーリー: 70 キャスト: 75 演出: 75 ビジュアル: 70 音楽: 80 昔聞いたジャズ・トランペットの巨匠マイルス・ディビスのインタビューは、まさにこの主人公のような感じの喋り方だった。才能がありながらも酒で身を崩す典型的な破滅型の大物ジャズ・ミュージシャン。映画はひたすらその彼の素晴らしい演奏と、酒びたりで自分の名前すら書けないほどのだらしない日常を追う。そして彼を崇拝するフランス人の男との交流。それがドキュメンタリー調で記録されていく。 人によってはこんな男の物語は退屈かもしれない。でも彼の音楽とそれを演奏する彼の危うい孤独な日常との描写が、暗くて重い雰囲気の中で深みのある一人のジャズ・ミュージシャンの人生を浮き彫りにしていた。ジャズが嫌いではない私としては、そのような情景の描き方が心に染み入る作品だった。
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