モダン・タイムスのレビュー・感想・評価
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サイレント映画の集大成的ギャグのユーモアの連続と、資本主義社会の非人間性に対するシニカルな視点
産業革命によってもたらされた機械文明が資本主義社会においては、資本家と労働者の新たな階級社会を生んだ。工場に雇われる労働者は、ひとりの人間として扱われるのではなく、大量生産のための機械の一部であり、それはまるで家畜のヒツジと同じである。ベルトコンベヤーのねじ回し担当のチャーリーが連続した単純作業に追われる導入部で端的に表現され提議されるメッセージ。現代社会の構図を象徴的に捉え、愛と優しさが失われる人間性喪失の危険性を問題視する。それを社会派映画の理屈ではなく、様々なギャグを配置したサイレント映画の集大成として創作したこの「モダンタイムス」は、ユーモアとシニカルの新境地を見せる。ユーモアとペーソスが特徴のサイレント映画から進展したチャーリー・チャップリンの作家性が特徴となる。
まずエレクトロ製鉄会社で人体実験させられる自動給食機の傑出したアイデアと完成度に感服してしまう。タイムイズマネーを機械の形にしたその斬新さとナンセンスな面白さ。二段変速機付きとうもろこし給餌装置が故障して急回転するカットが可笑しい。最初は優しく作動していた無菌口拭きが最後凶器となってチャーリーの顔を激しく叩き付けるオチも巧い。トラックから落ちた赤い旗を偶然拾ってしまい労働者デモの主導者に間違えられて投獄されるシチュエーションでは、脱獄囚を撃退した手柄から独房で厚遇を受けているカットがいい。機械の一部になって酷使され精神的に疲弊するのが地獄で、檻の中が遥かに安住の空間であるという皮肉が効いている。野村芳太郎の「拝啓天皇陛下様」の兵役を望む渥美清の主人公を思わず連想してしまう。出所してから仕事のミスで首となり、拘置所に戻りたいと故意に無銭飲食するところも可笑しい。逮捕されても堂々としたチャーリーの紳士的な態度と、隙を狙って葉巻は吸うは、見知らぬ子供には菓子をあげて態と罪を重くしているようで、抜かりない強かなチャーリー像が良く表現されている。そして思わず目を疑うのが、百貨店のフロアーで披露するローラースケートの離れ業である。これは、「サーカス」で見せた綱渡りの曲芸に匹敵する。チャップリンの超人的な身体能力の凄さに圧倒される。
サイレントに強い愛着と表現の拘りを持っていたチャップリンは、その高い身体能力を生かせるパントマイムに絶対的な自信と誇りを持っていた。しかし、文明の進化は映画の形を変えトーキー映画になり、サイレント映画を古臭いものにしてしまった。「街の灯」でサイレント映画の一頂点を極めたことで、チャップリンはある程度の区切りが付けたと思う。ラスト、キャバレーのウェイター職を得るためのクライマックスで、初めて映画でチャップリン自身の肉声を披露する。それもどの原語でもない出鱈目な歌詞を歌い、パントマイムの絶妙な演技で笑いを取る。天才ゆえの拘りの信念は、時に一筋縄ではいかない偏屈さを垣間見せる。そんなところも、また人間味が感じられて興味深いし、何より言葉で説明するのではなく、体の動きとこころで表現することに映画作家としてのプライドを持っていることがチャップリンの素晴らしさであり、凄さである。
公開当時は資本主義を批判した共産主義の一面を捉えられて、ドイツなどで上映禁止にあったとあるが、労働者に不適合な行員の七転八倒のコメディが主体であり、その為に資本主義の大量生産を揶揄したに過ぎない見方もできる。その点でルネ・クレールの「自由を我等に」と相通じるものがある。ドイツの制作会社トビス社が著作権侵害で告訴しようとして、クレール監督が取り下げた逸話が有名だ。”チャップリンとキャッチボールをしたに過ぎない”旨の内容だった。クレール監督の何と粋な回答だろう。芸術はオリジナルが最良だが、模倣とオマージュも必要だ。そんなことを考えさせるチャップリンとクレールの関係性がいいし、人間性の豊かさに心が温かくなる。
ポーレット・ゴダード
チャーリーは工場で働いているが、クビになり、共産党のデモを指揮したと思われ投獄される。
刑務所で押し入ったギャングをたまたま捕まえ、最高の待遇になり、出たくなくなった。
それでも追い出され、一人ぼっちの美女と出会い、二人で生きていくため・・・。
野性的な美女、ポーレット・ゴダードは本当に美しい。
放浪罪
“放浪罪”って罪があるのだろうか・・・逮捕当時にはレストランで働いていたのだから無罪放免にすればいいのに。とにかく食べ物が各シーンに必ずといっていいほど出てくる。食事マシーンもそうだし、歯車にはさまれたボスにゆで卵を食べさせたりしている。
そして、警察という権力と工場主=資本家に反抗する精神。大恐慌の真っ只中であるという時代では、職を持っている人間のする行動とは思えなかったのだろうが、少女と出会った時から彼の本来の反体制が甦ってくるようにも見えた。工場に向かう労働者集団と白豚の中の唯一の黒豚を対比させたり、歯車に巻きこまれる姿とレストランの客に巻きこまれる対比など、何度も見てみると新たな発見がありそうだった。
コメディシーンはいずれも秀逸で、落ちそうになるローラースケートやパンを奪い合うシーン。逃げながらもタイムカードを押すところもサラリーマンの悲しき習性を思い起こさせる。
機械文明に対する皮肉のみならず、権力にたいする反逆とチャップリン自身も放浪者であるようなテーマを忘れてはならないと思う。
ヒロインのポーレット・ゴダードは当時の恋人で、やがて結婚した。最初の編集では違うエンディングがあったようだが、今残るフィルムではこの二人が希望を求めて未来に向けて歩くシーンで終わる・・・混沌とした時代を象徴するかのような素晴らしいエンディングだった。
すごいなー。
まず、これって、実際にしゃべってるのかな?話す動作のあとに、説明文みたいなのが出てくる、なんて言ったらいいかわからないけど、とにかく、古い映画なのよね。
なのに、こんなに笑えて、ちょっぴり切なくなって…白黒映画だから、暗くて古いなんて
思ったらとんでもない。
子どもから大人まで楽しめる映画だと思う。
私は30代なのだが、なぜ、この映画を見たことあるのかというと、父に見せられた。(←言い方。)
女性と古い小屋を発見して、そこで生活。
小屋付近にある、池?で泳ごうとチャップリンが思いきり飛び込む→めちゃ浅い。これで
子どもの頃、大爆笑して、何度も巻き戻しして見たものだ。
あとは、ウェイトレスやるシーン。
歌詞を書いといたカフス?ダンスで腕を振り回した瞬間吹っ飛ぶ→テキトーに歌う→観客大爆笑。ここが個人的に好き。
あのあと、2人はどうなったのかなー。
幸せに暮らしててほしいなー。
チャップリンの才能が凄すぎる!
ストーリーより、喜劇の部分を重視してる印象。
長いコントを見てるようで、ちょっとくどい…
とはいえ、ダンスやローラースケートまで、チャップリンの多才ぶりが窺える演技には脱帽です。
そして、度々流れる印象的なメロディ…
『スマイル』かいな!?
チャップリンの作曲の才能までも知らされる作品。
とりあえず、チャップリンの公私にわたるパートナーであるヒロイン、ポーレット・ゴダードが美し過ぎる♡
私にはとても新鮮で、面白かったです。
チャップリンの映画を初めて観ましたが、私にはとても新鮮で、面白かったです。当時の情景や時代背景伝わってきて、とても興味深かったです。例えば、非常灯のように今のアメリカでもほぼ同じものが使われているところがあり、驚きました。いつの時代にも笑いには共通するものがあるのかもしれませんね。
文句なしにチャプリンの代表作
ドタバタ喜劇、ちょいとホロリ
くどい位のギャグの連発と繰り返し
どた靴、山高帽、小さすぎるモーニング、ステッキ、ちょび髭、ピエロ風のメイク
このイメージがチャプリンです
そしてサイレント映画
それなら本作を観て間違いなしです
但し、本作は実はトーキーです
わざと擬似的サイレント映画として撮っているのです
上手な映画には台詞はいらないということを、チャプリンが実際に示しているのだとおもいます
おじさま!という少女の声が聞こえてきそうです
台詞までも何を話しているか分かるのです
冒頭の地下鉄から工場に向かう労働者の人波
社畜という言葉がまさにこれです
本作はそのようなメッセージも発しています
ただの工事用の赤旗を拾っただけの事が、共産主義活動の主謀者とされてしまい大騒動になるシーンなども含め、後年米国から追放される原因となるシーンの数々も観る事ができます
米国では共産主義活動は非合法だったのです
笑いの中に哀しみが見えてくる。しかしながらどんな状況でも人間は逞し...
笑いの中に哀しみが見えてくる。しかしながらどんな状況でも人間は逞しく生きていける、そんな前向きな気持ちになれた。チャップリンはもちろん圧巻だがポーレット・ゴダートの目ヂカラもすごかった。ラストの2人後ろ姿がいつまでも印象に残った。
悲しさを可笑しさに変える人。
どんなに散々な状況が続いても、必ず終わりはやってくる。
歩き続けていれば、その内また心から笑える日が来るでしょう。
思い込みでもなんでも、微笑みながら進む2人の後ろ姿に、仄かな希望を感じる。
悲しさを可笑しさに変えてしまう、ちょび髭マジシャン・チャップリン♪
全てが
融合した素晴らしい作品。
音楽に話に演技に...
チャップリンの歌のシーンには脱帽。
何言ってるか分からない(歌詞適当らしいですね)のに、動きだけで何となく分かるんですよね。
本当、天才だわ...
笑えるシーンもいつも通りありで、本当に満足しました。
見て損なし!
なんといってもラストシーン
ラストシーンが語り草になっている映画は数多ありますが、このラストシーン、私にはグッと来ましたね。チャップリンが希望の人だというのが本当に伝わってきます。
ただのコメディではないんですよね。あの独特の歩き方も、ただ可笑しみだけを表現するのではなく、ちっぽけさ、切なさ、そして希望が凝縮されているんですよね。
チャップリンの映画は本当に見て良かったと思えるものばかりなことに驚かされますよ。
チャップリンの初トーキー
チャップリンが初めて喋ったというこの作品。
けれども喋った言葉はハナモゲラだ。
チャップリンは映画は誰が見ても楽しいものでなければならないという趣旨からずっとサイレントの映画にこだわってきた。
そのチャップリンが初めてトーキーの映画を作った。
まあ、正確には作らされたんだろうけど、その最初の言葉が全てハナモゲラ、まあハナモゲラというだけでもないけど、歌うチャップリンの顔には悪意が満ち満ちていた。
ざまあみろって顔してるチャップリンはカッコいい。
更にそのシーンを見るとわかるのは、これはチャップリンのチャップリンによるセルフパロディである。
サイレントのチャップリンをチャップリンが模している。
こういうの見たいでしょ?
そういう感じが出ているのもこのシーンだ。
チャップリンはチャップリンが好きな人たちをすべて愚弄している。恐ろしくロックだ。
ロックよりロック、パンクよりパンク。
ロックってこういうことだと思う。
実際、チャップリンは学者みたいな立派な顔をしていると思うけど、このチャップリンは特に凄みがある。
チャップリン映画の傑作といえばこれを挙げる人が多いのも理解できる。
私はチャップリンの映画にアレがいいこれが悪いとか特にないのだけれど、この映画は印象に残っている方の映画と言っていいだろう。
チャップリンのあの歯車の中をぐるぐると回る姿は、文明批判であると同時にモダンな歯車の中に組み込まれようとしている自分への戒めでもあったように思える。
鑑賞日については、古すぎるので思い出せないが、おそらく80年代初頭。テレビで
微笑んで
総合:70点
ストーリー:70
キャスト:75
演出:70
ビジュアル:65
音楽:80
まだまだ世界大恐慌の余韻の残る時代に制作されただけあって、貧困に苦しみ資本家に搾取される労働者が描かれているのは時代を反映している。効率を追及することで人間性を犠牲にし、資本家のために労働者が犠牲になる。
街中を車が動きまわり誰でも格安で電子計算機が使えて繁栄を謳歌する現在ではおおかた結論が出てしまったが、資本主義と機械文明の抱える問題点に対する疑問は当時の失業者溢れる社会には深刻であったことがわかる。生きるというのはまだまだ大変な時代だった。
そんな貧困で希望もなさそうな中で、心の温もりと希望をどこかに見出そうと何もない荒野の道を行く二人に流れる名曲「スマイル」がいい。長い苦悩の末にやっと芽吹きかけたものが摘まれてしまって、何もかも無駄に思えて、死を考える絶望にいて、それでもかすかな期待を明日に抱いてなんとか立ち上がり歩いていく彼らの幸せを祈らずにはいられない。
有名なこの曲の歌詞は公開当時ではなく1954年になってつけられたものだが、それでもこの場面に驚くほど曲と共に合っている。それが哀愁を帯びて囁くように言うのだ、
「たとえあなたの心が痛んでも、たとえそれが引き裂かれたとしても、微笑んでみよう。空を雲が覆うときも、あなたならば切り抜けられるさ。もしあなたが恐怖と哀しみを乗り越えて微笑むのならば、きっと明日は、あなたのために太陽は輝くよ」
この曲に当時から歌詞がついた状態で最後の場面に流れていたら、音楽に100点をつけていたかもしれません。
Smile though your heart is aching
Smile even though it's breaking
When there are clouds in the sky, you'll get by
If you smile through your fear and sorrow
Smile and maybe tomorrow
You'll see the sun come shining through for you
Light up your face with gladness
Hide every trace of sadness
Although a tear may be ever so near
That's the time you must keep on trying
Smile, what's the use of crying?
You'll find that life is still worthwhile
If you just smile
That's the time you must keep on trying
Smile, what's the use of crying?
You'll find that life is still worthwhile
If you just smile
「笑いと涙」に社会性を加味し始めた傑作喜劇
「モダンタイムズ」は1936年の作品であるが、今は当たり前の大量生産のための流れ作業が前提の工場生産の非人間的側面を認識していた(ルネ・クレール監督の1931年作品「自由を我等に」を参考にした、という説もある)。お気に入りの場面を思い出すと、「拾った看板を持って歩いていたらデモ隊のリーダーに間違われる」、「水の引いた川への飛び込み」、「深夜のデパートでのローラースケート」、「アルバイト先のキャバレーでの歌(「ティティナ」)と踊り」等々である。チャップリンは自ら生きてきたサイレント映画の世界に最後までこだわった。映画は世界中の人に楽しんでもらいたい。子供から大人まで楽しめるものにしたい。それには、見て分かるサイレント映画が一番であるはずだ。台詞は意味なく、不要だ。しかしながら、「モダンタイムズ」の最後で、チャップリンは自らの声で「ティティナ」の歌をうたった。けれども発した言葉は何語が不明の全くのでたらめとなった。世界人チャップリンは言葉の壁を無視したかったのだ。言葉が違っていても分かり合えると信じた。 しかしながら、いわば、パントマイムの世界で大きくなったチャップリンも時代の流れに逆らえず言葉を無視できなくなり、とうとう、チャップリンの「独裁者」(1940)の最後の場面で、全世界にあの有名な演説を発することになる。チャップリンの映画は総じて、音楽も素晴らしい。音楽的才能もあった人だ。
「モダンタイムズ」も、何度、繰り返し見ても面白い世界的古典映画の一つと思う。
モダンタイムス
多くの大映画監督達が「至高の完全主義者」と云うチャップリンの凄さは、同じ仕事をする映画関係者ゆえに分かる。お若い方々も一度騙されたと思って最後まで御覧になると良い。撮影技術、特撮、脚本、演技、パントマイムや踊り、洗練されたギャグの数々、自作音楽の卓越したセンスと、ご馳走の揃った一流ホテルのブッフェの如き大傑作。赤狩りで米国追放になる前の絶好調時の名作である。ロシアのルドルフ・ヌレエフが驚嘆したエンドの踊りは、プロでもそう簡単にまねが出来ない。あのアンバランスのバランスが良い。その藝術精神と大らかな可笑しさが映画を貫いている。もうこのレベルの映画は出来ない。予算が幾らあっても足りないだろう。製作システムが異なる。僅か2-3分のシーンに注ぎ込む勢力と予算の違いを感じる。
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