「引きずり込まれた、モーリス」モーリス jarinkochieさんの映画レビュー(感想・評価)
引きずり込まれた、モーリス
1895年にオスカー・ワイルドが破滅し、フォスターが原作を執筆したのが、1913年なので 死後の出版(1971年)になったのが、わかる
生涯独身で ゲイが足枷になっている
20世紀初頭の英国(フォスター執筆と同時期)
先輩のリズリーが「風俗壊乱罪」なる罪で、世間から抹殺されるのだから、クライブ(ヒュー・グラント)の恐怖も理解できる
リズリーは ワイルドで、クライブ はフォスターというところか
リズリーやクライブには、やや 先天的な資質を感じるが、モーリスは環境によって 同性愛に引きずり込まれた様な気がして、気の毒にも思う
(今後の苦労を思うと… )
リズリーやクライブの 知性や教養、その華やかな存在に眩惑されてしまう モーリス
魅力的な友人を 後追いしているうちに、(後天的)ゲイになってしまった
そして ジャガイモの様に素朴なモーリスに、リズリーもクライブも 惹かれてしまうのだから… (アレックまで… ) 無垢って、怖い
そして、変なオジサンに 迫られたりもする!
リズリーとクライブは 苦しみながらも 自己分析ができ、趣旨替えをしようが しまいが その選択に納得は出来るだろう(たとえ、破滅しても)
置かれた状況を イマイチ理解できていないモーリスに 一抹の不安を感じる
クライブが窓の外を 見つめて ふける想いは
モーリスへの愛か、喪失への悲しみか、
それとも、彼を引きずり込んだ 自責の念だろうか?
無垢で 純粋なだけに 怖さも感じるだろう
(召使たちの観察眼も 怖い!)
無垢で純粋は 美しいが、実社会では「愚かさ」の同義語にもなり得る
自己分析の 出来ないモーリスが 怖い
リズリーの弁護を 引き受けられなかった、クライブの自己保身を 責めることは出来ないが、無垢なモーリスを引きずり込んだ責任(罪)は 本人も忘れられないだろう
いまや、モーリスはクライブの後追いもせず、激情にかられ クライブの 手の届かない所へと、行ってしまった…
運命といえば 運命なのだが
脚本も撮影も、男達も美しい、完成された映画になった
リズリー、クライブ、モーリス、アレックス、皆 ぴったりの俳優を配している
特に クライブ役のグラントは 光と影を持った美しい青年で、モーリスでなくとも 魅了される
ちょっと タレ目の優しい瞳に 知恵(狡さ、保身、とも)が感じられ、クライブの成功を予感させる
ジェームス・アイボリー監督の 人を見る眼と美意識が、存分に感じられる映画となった
駆け出しの、ヘレナ・ボナム=カーターも ちょこっと 顔を見せている