めぐり逢い(1957)のレビュー・感想・評価
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1994年版より出来が良い
ウォーレン・ベイティが主演の1994年版と比較して鑑賞。そちらも好きだけど、結論から言うと今作の方が秀逸な出来映えだった。具体的には
・有名人であるニッキー(ケーリー・グラント)とテリー(デボラ・カー)が、客船内で関係性が噂になるリアリティと、そこから生まれる笑い。
・登場人物の心理描写
・テリーの婚約者が、テリーがニッキーに惹かれるという心情の変化を受け入れる成熟した大人の魅力(1994年版もそうだったかもしれないけど印象に残らない)。
・ニッキーの本業が画家なので、彼がテリーの絵を描く行為に深みが出る。
以上の点で、1994年版以上に良くできている映画だった。
以下、秀逸だと感じたシーン。
ニッキーの祖母の家を二人で訪れた帰り際、祖母がピアノを弾く。そこに汽笛の音が聞こえてきて彼女が演奏を止める。ここは、次はいつ会えるか分からないという別れの寂しさを上手く表現した点で、秀逸なシーンだった。また、祖母という近親者とテリーを引き合わせたことで、ニッキーとテリーの関係が単なる不倫に留まらない深みを与えている点が、今作を秀逸なドラマにしていた。
客船内で踊る二人。そこに「オールド・ラング・サイン」を歌う歌声が聞こえてくる。笑顔だったテリーの表情が寂しげに変化し、その場を離れていく。しばし虚空を見つめるニッキーの背中に哀愁が漂う。ここも、二人で過ごした楽しい時間が終わりに近づく寂しさを、演技だけで表現していて素晴らしい。
テリーが帰宅後、婚約者とニッキーが出ているテレビを観る。最初は笑っていた婚約者が、やがてテリーの真意に気づく。それでも彼女を責めず、むしろ受け入れて支えようとする。彼がテリーを単なる恋愛相手と見ているのではなく、本当に大切に想っているのが分かる。真実の愛を上手く表現していると同時に、成熟した大人の魅力を見せてくれるシーンだった。
歩けなくなったテリーに対して、彼女の音楽の教え子達が彼女に歌を贈る。「明日の地に行くには目を閉じて念じるだけ...」という歌詞が、テリー自身の心情と重なり彼女が涙ぐむ。彼女の心情を思うと泣ける。
ただ、ラストは少しご都合主義的な感じがして、若干冷めたので☆-0.5。ここは惜しい。とはいえ総合的には傑作と言える映画だと思う。今作はノーラ・エフロン監督が『めぐり逢えたら』でオマージュしている。今作を観ていると、彼女の今作に対する愛がひしひしと感じられる点がまた良かった。
1994年版より今作の方が出来は良いけど、1994年版は①ウォーレン・ベイティのダンディな佇まいとスマイル②モリコーネの音楽③二人で過ごした島の景観の美しさ 以上3点が秀逸だ。どちらの作品にもそれぞれの良さがあり、映画というものの素晴らしさを改めて感じさせてくれた。
ラブロマンス
中盤までは船の上での2人のメロメロのラブロマンスと途中寄港した祖母の家での3人の会話が中心であったが、アメリカに戻って、起承転結の「転」となるが、これが意外な展開ですばらしい。
トム・ハンクスとメグ・ライアン主演の「めぐり逢えたら」で最後に2人がエンパイアステートビルの上で待ち合わせると言う流れで、この映画に触れていたので見た次第である。
てっきり船を降りた2人が、お互いの気持ちが変わらず、約束の6ヶ月後の7月1日に、エンパイアステートビルの102階の展望台で結婚するために再会するのかと思っていたが、違っていた。
泣けるまでには至らなかったが、感動のラブロマンスであった。あと、子供たちの歌が感動的であった。
エンパイアステートビル
恋の妖精は何でもお見通しの、ハッピーエンドが心地良いハリウッド映画のお手本
同監督レオ・マッケリーの1939年制作の恋愛映画の古典「邂逅」のリメイク作品。渋みを増した中年男の色気が漂う53歳のケーリー・グラントと、エレガントな美しさに磨きがかかる36歳のデボラ・カーによる大人の恋のスイート・ラブアフェアー。男女間の洒落た会話劇の楽しさ、恋に正直であろうとする主人公ふたりを取り囲む人たちの温かさが観ていて心地良い。事故後のデボラ・カーが子供合唱団で指揮する二つの楽曲の歌詞も、ふたりの未来を包み込む優しさに溢れ、テーマ曲「想い出の恋」と共に作品を品良く仕上げている。祖母のショールが再び二人を結び付けるストーリーの流れも自然で綺麗に繋がる。映画的な表現では、ニューヨークに到着した豪華客船のデッキから互いの婚約者とする再会のやり取りの場面で見せるグラントとカーの嫉妬交じりの反応が面白く、更にカーの表情がチャーミング。祖母の別荘に響く客船の汽笛音、船旅の最後の夜にデッキで佇むふたりに聴こえてくる(蛍の光)の音楽と、音の効果もさり気無い演出だ。ラストの男と女の意地の裏返しで牽制しながら嘘をつき、尚相手を思い遣る言葉の積み重ねでグランドがカーの真実を悟る急展開は見事であるし、唯々美しい。恋の妖精は何でもお見通しの、ハッピーエンドが成立するハリウッド映画のお手本映画。
予備知識なく観るべき!
イタリアでのおばあさんの家を訪れた時の歌がまた心に残る。この映画、大好き! ただこの1957年の作品を観た随分後に1939年の方を観たが泣けなかった。1957年の方が個人的はオススメ。
最後の最後に苦しくなるくらい号泣。純愛にぐっと胸が締め付けられる。
前半は軽妙だが話が進むにつれ深みあるストーリーへと展開。形見の白い...
流石にラブコメの古典だけある
悔しいラストで泣かされた(p_-)
さすがにラブコメの名作と言われているのが分かった。
今の時代だと単なる身勝手な二人の話じやないかと言われそうだけど…。
とにかく音楽の上手な使い方や叔母が昔を懐かしむシーンでの感情の盛り上がり等素晴らしい演出力だった。
まさに古典と呼ぶに相応しい作品だと思う。
純愛
総合:70点
ストーリー: 75
キャスト: 70
演出: 70
ビジュアル: 60
音楽: 65
純愛。働かなくても豪勢な暮らしを堪能してきたケーリー・グラント演じるプレイボーイがいる。金持ちに言い寄られて結婚したデボラ・カー演じるしがない元クラブ歌手の女がいる。どちらもそのような相手がいなければ今までのようないい暮らしは出来なくなる。それでも二人は愛のためにその相手との交際を断り、働いたことがない男は看板の絵描きまでしながら日銭を稼ぎ、女は故郷に帰ってクラブ歌手を再開する。言葉だけでない、二人の愛のために本当に行動で示すところが覚悟の確かさを物語る。例え約束のときにビルの展望台で二人は会えなくて二人がうまくいかないと思ったときですら、彼らは元の金持ちに頼ろうともしない。一人で生きていこうとすることで、本気の愛を視聴者にも納得させる。カーの部屋を訪ねたグラントだが、お互いに思惑と事情があって本当のことを言えないじれったさも純愛ゆえであるだろう。
その絵描きのグラントに惚れている大金持ちの婚約者がいる。そのクラブ歌手のカーに惚れている金持ちの夫もいる。グラントとカーはすでに愛し合っていることを知り、それぞれ幸せな結婚生活を夢見ていたのに裏切られ、それでもなおこの二人の金持ちも相手を諦められない。何とか支援を申し込んだり振り向いてくれるときを待ち続ける。グラントとカーの陰に隠れていても、彼らも実は純愛である。
この時代はジェット機も飛んでなくて、海外ロケも簡単ではなかったろう。しかしフランスの祖母の家はすぐにセットとわかる出来の悪さで、南フランスの雰囲気が全然出ていない。プレイボーイの本心を覗ける祖母との出会いの重要な場面なので残念である。船内の場面も船ではなくセットというのがわかる。それに外国の街並みや海の背景を合成しているのが何とも安っぽい。そのあたりの質が低いのがどうも気になるが、古い映画だけあってやむをえないだろう。
「子どもは好き?」「あぁ好きだ」
映画「めぐり逢い」(レオ・マッケリー監督)から。
さすがに名作だけある。
メモした台詞は溢れ、どれも甲乙つけ難いほど、オシャレだった。
「母の教えなの、満月の晩は、男性の部屋に入るなって」
「思い出のない冬はつらいわ」
「シャンパンを・・ロゼはある?」等など。
その中で、敢えて選んだのが、
「子どもは好き?」「あぁ好きだ」という会話。
豪華客船のデッキで知り合った男女が恋をして、
愛を語りあい、各々の部屋に戻る別れ際に、こんな会話をする。
この作品を代表するようなフレーズではないのに、
なぜか、私のアンテナに引っ掛かったままだ。
2人は「画家」と「歌手」という職業であり、
「家族」という意味では「子ども」に縁遠いイメージなのに、
幸せの象徴のように「子どものいる家庭」を使うのか?
それとも「子どもを作る行為が好き?」という問い掛けなのか?
素敵な作品に深読みはしたくないが、それでも気になる。(汗)
シーンとしては、船上デッキから客室へ降りてくる階段でのキスシーン。
2人の顔は画面から外れ、首から下の映像なのに、なぜか美しかった。
直接的なシーンより、想像力をかき立てられた気がする。
これまた、映画の魅力なんだなぁ、きっと。
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