ミニヴァー夫人のレビュー・感想・評価
全4件を表示
見事な反戦映画がとどのつまりで戦意高揚映画に?
ワイラー監督作品も随時多く観て来たが、
この作品は監督前提では無く、「心の旅路」のグリア・ガースン目当ての鑑賞だった。
「心の旅路」では、相手の記憶が戻るまで
辛抱強く耐え待ち続ける女性像を見事に
演じたが、この作品では、階級社会の中でも
周りの人に公平に振る舞い
誰からも好かれる彼女が、
彼らの意識をも変えていく人間像を
「心の旅路」と同じ年に、これも見事に演じ、
こちらでアカデミー主演女優賞を受賞した。
中でも、家族を心配しつつ、
爆撃の不安にじっと耐える
防空壕の中での彼女の表情は印象的だ。
話は、長男が戦死する気配を漂わせながら
の展開だったので、
彼女の家族に不幸の結果が訪れないようにと
祈る気持ちで観ていたが、
よもや彼の新妻が戦争の犠牲者となった時は
さすがに涙がこぼれた。
自ら育てたバラに「ミニヴァー夫人」と命名
した駅長も亡くなった話など、
良識ある市井の人々の命を奪う戦争への
反発意識が、
エンディングの僅か数分前まで一貫して続く
優れた展開の作品だった。
しかし、戦時中の製作とは言え、
ラストの牧師の説教は如何なものだろうか。
彼の話も前段までは素晴らしい反戦姿勢を
示していた。それなのに後段の戦意高揚説教
はとても残念に思えた。
当時、監督はワイラー中佐という軍人だった
としても、話の骨子を徹底出来なかったのは
映画人として痛恨だったのでは無いだろうか。
この説教と、抜け落ちた教会の屋根越し
編隊飛行シーンだけの
作品全体のトーンからは
乖離したエンディングにより、
戦時中でのアカデミー作品賞をもたらした
かも知れないが、
同時に世界映画史上の名作の誉れを失った
ような印象は受けた。
ミニヴァー夫人 ~ 戦争の不条理
この映画はしばしば「戦意高揚映画」とか「プロパガンダ映画」と呼ばれるが
そういうよりはむしろ戦争のむごさ、とか悲惨さを表し戦争を告発した映画としたほうが適切かと思われる。
ロンドン郊外の田舎町にミニヴァー夫妻が幸福に暮らしていた。ミニヴァー夫人( グリア・ガースン ) は 明るく品位と美貌をもった、中産階級に属する夫人である。また三人の子供の母親でもあった。少し浪費癖があってこの日も高級店で散財をしてしまった。夫も夫でやや背伸びをして高級車を買って妻たちを喜ばせようとした。長男のヴィンは名門の大学生で休暇をとって帰省していた。いくらか学をつけていて下級階層の貧困問題についてその成果を披歴した。翌日、名門階級の老婦人の孫娘キャロル ( テレサ・ライト ) が訪ねて来て、バラの品評会で祖母が丹念に育てたバラを「ミニヴァー夫人」( 駅長にせがまれて冠した名 ) によって首位を阻むことをされないようにと歎願した。祖母ベルドン夫人の年に一度の最大の楽しみであったからである。ここで気づくことはカメラワークの素晴らしさである。ソフトフォーカスの手法でミニヴァー夫人、キャロルの品位と美貌と気品が神秘的に浮かび上がって実際以上に観る者を魅了する。ヴィンとキャロルは初めのうちこそ反発しあうが、これを機会にお互い引かれあうようになる。だが幸福な気分の継続はこの時くらいまでで、戦争の影が忍び寄ってくる。
やがてイギリスはドイツに宣戦を布告し戦争になる。ヴィンは空軍に志願し、近くの飛行場に配属される。このとき二人は正式に結婚する。クレム・ミニヴァー( ウォルター・ピジョン ) も村民とともに近くをボートで巡察し、無事の帰る。夫人は少し前、村に不時着したドイツ軍パイロットに家宅侵入されるという恐ろしい思いをした。ミニヴァー夫人は夫と子供たちと共に防空壕でドイツ軍の苛烈な空爆に耐えた。そんなさなか、どうしてか花の品評会が開かれた。バラの部門で、あの頑固なベルドン夫人は自己のバラをおろして「ミニヴァー夫人」を首位に据えた。何という決断であろう。なんという意表を突く英断であろう。これによって万雷の拍手を浴びた。
名門階級の壁を一時的にせよ取り払ったからではないか。ところがその時、ドイツ軍の空襲を受け、蜘蛛の子を散らすようにおのおの逃げ惑った。がしかし、ミニヴァー夫人とキャロルの乗った車は敵機の機銃掃射にあい、家に着くや、キャロルは息を引き取った。何たる無常、何たる無慈悲であろうか。このことからわかる様に、戦争は近しい人、かけがえのない人を無残にも引き離す。こうした戦争の不条理をこの映画は伝えたかったのではないか。幸せな日常生活が一転して地獄図と化する、そうしたことが続いていいものか、
そうしたやりきれない思いと怒りがほぼ全壊した教会に集った生存者の内にふつふつと湧きあがり、こうした困難と試練を乗り越える決意となるとともに、各々に改めて戦争の無意味さ、愚劣さを知らしめた。
戦争で消される貴賤と生まれる善悪
なぜ人は常に格付けしたがるのか。
800年余り?村を統治してきた貴族のBeldon家、裕福な中流階級のMiniver家、労働階級の駅長Ballardやメイド達を通して、発音の違い、彼らの教養レベルや差別意識など、(アメリカ人が想像する)イギリスの階級社会が描写されています。
花の品評会で、代々1位を獲得することになっているBeldon家の薔薇より、労働階級のBallardが育て中流階級者の名を冠した薔薇が優れていると認めることが、貴族にとっても勇気の要ることであり、また腰が抜けてしまうBallardの姿からも、中流階級による橋渡し無くして、階級の垣根を取り払うことが如何に困難かを象徴していました。
本来ならば、貴族の庭園で咲いた花でも、駅で育てられた花でも、違う美しさを持ちながら同じく美しい筈なのですが…。
映画の意図は、社会的階級に関係なく英国民全員の一致団結、そして連合国同士の協力を呼び掛けるものかも知れません。具体的には出て来ませんが、Hitlerの有名な価値観は人間の優劣と差別であり、軍隊の階級も統制力のためとは言え格付けです。戦争はそれまで築いてきた封建制度を無意味にし、旧体制の破壊と共に別の格差や新しい正義をもたらすものだと改めて思いました。
美しい庭園も花も命も儚い…。
神父が参戦を力説し、戦争賛歌のような終わり方ですが、現代に置き換えて観るとすれば、人間の心の中に潜む永遠の敵への宣戦布告と受け止めたいです。
全4件を表示