「ある女性の性衝動と破滅を描いたリチャード・ブルックス監督による女性映画の力作」ミスター・グッドバーを探して Gustavさんの映画レビュー(感想・評価)
ある女性の性衝動と破滅を描いたリチャード・ブルックス監督による女性映画の力作
女性の性衝動と破滅を扱った現代アメリカの社会派映画の評判通り、とてもショッキングな作品だった。聾唖学校の教師という一見堅実な仕事に就いている主人公テレサは、その昼の顔とは落差の大きい夜の顔を持つ。退廃した酒場に入り浸り、夜な夜な男漁りを繰り返すのだ。監督のリチャード・ブルックスは「熱いトタン屋根の猫」「ロード・ジム」「冷血」などから、一筋縄ではいかぬ演出を手掛ける個性の強い脚本家兼演出家は認識していたが、この題材に創作意欲が刺激されたことは当然と思われる。一人の女性の私生活を写実的に、または魅惑的に描くこのイメージはどうだろう。そこには、故意に悪の道に足を突っ込むテレサの矛盾した自暴自棄な人間の分析が問題提起になるだろう。
ところが、その解決に導く要素がはっきりしているにも係わらず、映画としてのテーマはあくまで提示であり、暗示的でスッキリとはならない。彼女が6歳の時にポリオに罹り、11歳の時には脊柱側弯症になり大手術をうけたこと。この暗い過去を背負い都会生活で独り生きて行く上で、夢や希望はなく、遺伝するのではないかという恐怖心が不妊手術を受けさせてしまう。その禁欲的な昼の反動が、自由奔放な性欲に走るテレサの夜の生活を支配する。力自慢の単純な若者トニーとの描写では、この男を小ばかにしたような愛し方で可愛がるテレサを執拗に撮るブルックスの演出がある。この遊び同士の女と男の接触の気持ち悪さとそのリアリティ。既存の映画的な表現とは違うが、それでも彼女が熱心に授業を行う昼のシーンが丁寧に描写されている。黒人の生徒の家を訪れた時に出会った民生局員ジェームズが、カトリックの規律を守る父親の満足できる男性として現れる。しかし、上手く行かない。彼女には平凡で物足りない男性になってしまっていた。そして、その男遊びのツケが彼女を襲うラスト。
この結末は、理不尽で残酷な事件に巻き込まれたテレサの不運だが、いつか巻き込まれる危険性があったのではないかとする映画の語りでもあるだろう。テレサという女性の生き方をどう思うかは、人それぞれ。身体の治療はある程度できるが、心の充足は難しい。表現上は刺激性の強い描写があり、気安く接する映画ではないが、ある女性の心の内を探るブルックス監督の眼が現実から眼を逸らさず描き切った点は評価しなくてはならない。アメリカ映画の凄い一面を象徴する女性映画。
1979年 1月15日 銀座文化2
日本公開の1978年には、「ジュリア」「グッバイガール」「結婚しない女」など女性映画の秀作が並ぶが、このブルックス作品ほど今日的な問題を抱えている女性映画はないだろう。その意味で、忘れられないアメリカ映画の一本になっている。テレサを演じ切ったダイアン・キートンの熱演があって成立した力作だった。それと、トニー役に新人のリチャード・ギアが扮していて、この時初めて知った。後にアクションスターとして有名になったトム・べレンジャーも出演している。ウィリアム・アザートン含め、今から思うとキャスティングが充実していた問題作として、もっと注目していいかも知れない。