マンハッタンのレビュー・感想・評価
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モテモテ、ウディ・アレン。 歳の離れた超若い娘と(羨ましい) 親友...
モテモテ、ウディ・アレン。
歳の離れた超若い娘と(羨ましい)
親友の浮気相手と(できる?)
元妻は他の女性に走り、暴露本(笑)
で、いったいこの◯ビ◯ゲのどこがそんなにいいんだ。才能ある男はモテるのか。私の知ってるやつの中にもそんなのが1人だけいたなぁ。
私もガンバロウ(笑笑)
少しは人を信頼したら
と17歳に諭される中年であった。流れるようなカメラワーク、は彼らの人間関係の流動性やニューヨークという街に象徴される現代性を示すよう。/しかし、どれだけ長い留学なのかと思ったら、半年かい!
魅入るシーンが満載
私が今まで観てきたいくつかのウディ・アレン作品はまともな人がほとんどいないんですけど、これも同じく、っていうかすでにというか
とにかくウディ・アレン作はひとつひとつのシーンがまるでお洒落なポスターのようで魅入ってしまいます
そして流れる音楽も好きです
作中、ウディ・アレンが演じて見せた表情が、レイニーデイインニューヨークでティモシー・シャラメにも似た顔をさせていたなぁと、ちょっとシンクロした瞬間があり、彼はずっと変わらぬ何かを映画に表したい人なんだなーと感じました
やたらとフィラデルフィアを強調していたダイアンキートンも可愛い!
しかしみんな奇妙でセルフィッシュ!(笑)
この映画には彼の好きなモノが溢れている
知識人の登場する映画は
ウッディ・アレンの十八番だ。
マンハッタンは美しい夢の街
そこに住む主人公の言葉は
彼の存在を生き生きとさせ
誰もが一目置く人と思わせるが
実際は小心者でもあった。
彼の見失っていたもの…
美しく儚いものの正体は?
ラストの主人公の顔に
チャップリンが重なる。
モノクロ映像に古いハリウッドを感じ
流れるメロディにジャズへの愛を感じる。
当時、乗りに乗っていた
ダイアン・キートン
映画デビュー間もない
メリル・ストリープ
作家ヘミングウェイの孫娘
マリエルの存在に注目。
※
ラプソディ・イン・ブルーってマンハッタンだっけ。
多分、性的な倒錯者だと思う。
洒落は効いて緊張感も存在するが、残念ながら、僕の好みでは無くなった。17歳とのオウセを大義名分で描く、もっともらしく描いているが、やってはいけない事。気持ち悪過ぎる。18歳なら良いと言う訳ではない。年の差が妄想の範疇。
途中、ウィックをディスる場面が有るが彼もそのご厄介になっていると感じた。
『人間って面白いね。まぁ、全て、主観の問題だが』
まぁ、マンハッタンは、寒くて暑くてゴミゴミして物価は高いし生活費がかかる場所。それに凄く合ったストーリーだと思う。見事な自虐的暴露映画として評価したい。
ラプソディ・イン・ブルーってマンハッタンだっけ。ずっと、パリのアメリカ人からパリだと思っていた。
I♥NYのロゴは出来立てのワールドトレードセンターのためだったんじゃないかなぁ?大変に残念な事だがそれも今は無い。冥福を祈る。
後もう一つ、この年の12月にマンハッタンでもう一つ事件があった。僕はまだ、学生で就職も決まって無かった。そんな不安な中、ニューヨークのダコタ・ハウスの古い建物だけが脳裏に焼き付いた。
後、後もう一つ ちょうどこの頃、僕は鳥山明先生のDr.スランプにメチャクチャ惹かれた。鳥山明先生はDr.スランプ以外知らないが、鳥山明先生のイーストウィングぽい絵は今までの日本の漫画と違うと感じた。冥福を祈る。
【”少しは、人を信頼しなよ。”と若きガールフレンドは私に優しく言った。今作はマンハッタンに住む複数男女の恋愛関係をシニカルテイストを絡めつつほろ苦く描いた素敵な恋愛映画である。】
ー 今作は、ガーシュインの「ラプソディ・イン・ブルー」が流れる中、映し出される高層ビル、パーク街、そしてマンハッタン橋。ニューヨークを舞台にした最も美しいモノクロ映画である。(スイマセン・・。あるサイトの言葉をそのまま記載しています。)
けれど、この惹句は魅力的なのである。-
■マンハッタンに住む42歳のアイザック(ウディ・アレン)。
2度の結婚を経験している彼の現在の恋人は17歳のトレイシー(マリエル・ヘミングウェイ)。
ある日、表面的な知識をひけらかすジャーナリスト・メリー(ダイアン・キートン)と出会い、最初には嫌悪するが、彼女のどこか影のある姿を見て、恋に落ちたアイザックは、トレイシーと別れてメリーと付き合い始める。
◆感想<Caiton!内容に触れています。>
・可なり、ビターテイストの恋愛映画である。
アイザックは自分と同嗜好のメリーと出会った時の、彼女の過去の偉大なる映像作家及び美術の巨匠を揶揄する言葉に嫌悪感を抱くが、徐々に彼女と自身との嗜好の同一性に気付き、彼女に惹かれていくのである。
・アイザックが二度の離婚を経験したことも何となく分かる、彼の病的な精神思考が伺える様も上手く表現されている。
・アイザックの二番目の妻ジル(メリル・ストリープ)が自身との結婚生活を記した本を刊行する事を知ったアイザックのオロオロする姿が、何故か笑える。
<今作では、良い年をした男女の恋愛関係をシニカルテイスト満載で描きつつ、ラスト、僅か17歳のピュアな心を持つトレイシーの”少しは、人を信頼しなよ。”と言う言葉にガツンとヤラレル作品である。
真なる恋愛って、妙な駆け引き無しに、【好きな人には、キチンと好き!】と伝える当たり前の事をすべき!というメッセージがジワリと響く作品である。>
今が良ければ…
ウッディ・アレンの映画を久々に見た。ニューヨークのマンハッタンに住む、男女5人の物語。アイザック(アレン)とメリー(キートン)は、哲学、心理学、演劇、美術など、ニューヨークに集まる先端の考え方に通じていて、頭でっかち、理屈っぽい。教師役のエールと17歳のトレイシーは、もっとストレートで直情的。エールは既婚者で、メリーは彼を愛しつつも不倫の関係は望まず別れようと。アイザックは、トレイシーが、まだ子どもだと言い、関係を続けながら別な男を見つけろと。一般道徳的に言えば、アイザックとメリーが付き合えばいいのにって。でも、エールがメリーを忘れられないって言い始めたら、彼のことを愛していると。振られたアイザックは、ロンドンに旅立とうとしていたトレイシーを引き留めようとする。
どんなに最先端の考え方を標榜していても、アイザックは自分可愛さが優先?に腹が立った。メリーがエールを忘れられないのは、アイザックとは似ているけれど、本当に自分が求めるものは、論理ではなく、直観、真実、持続的な犠牲や愛情なのだと。でも、マンハッタンにいれば、嫌でも、人間は、アイザックやメリーのようになっていくように思える。
都会のネオン、夜空を彩る花火の華やかさも、そんな都会の慌ただしさと情報の過多、見栄や虚勢によって生み出される人間たちを象徴しているかのよう。
ウッディ・アレンが、小型の室内犬のようで、よくしゃべる、よく絡む。その軽さ、可愛らしさが、都会の女性に受けそうだけれど、永続的な価値には通じないってテイストを感じた。
白黒の画面に浮かび上がるマンハッタンが美しい。これがなければ魅力が半減したのではないかという程奏でられるガーシュインの音楽が素晴らしい。
①『アニー・ホール』には及ばないが、相も変わらず自意識過剰なインテリを演じるウディ・アレンが様々なインテリ女性に翻弄されてアタフタする様が可笑しい。
②唯一彼女らと違う純情なティーンエイジャーのトレーシーを演じるマリエル・ヘミングウェイが可憐で印象的。(しかし今どうしてもいるんてわしょうね。まだ映画に出ているのかしら。)
③しかしまぁ登場人物たちのよく喋ること(トレーシー以外は)。
姦しいこと、この上なし(特に前半)。
でも『アニー・ホール』同様ウディ・アレン演じる男の中に自分を見る瞬間があるんで嫌いになれないんだよなァ。
17歳の少女トレーシー
カラーじゃないのね?と思ったけれど、観始めると快適で、モノクロならではのカッコよさと味があった。
都会の軽い大人たちのドタバタ劇だけれど、楽しい会話とカッコいい映像で、さほど退屈はしない。
観進めるうちに、トレーシーがだんだん気になるようになる。この二人、年齢的に冗談としか思えない組み合わせなのだけれど、こんな設定も映画だから楽しめる
別れ話をされたときの涙が印象的。子供を作りたいような人だ、というセリフもなかなか言えるものじゃない。
彼女は聡明で愛情豊か。形にとらわれない柔軟性をもち、人をよく見て、心から人を愛することができる。(という設定のようだ)。自分に自信が持てなくて落ち着かず、くっついたり離れたりを繰り返す軽率な大人たちより、地に足がついている。また、ピュアな分、ものの見方が違う…。
最後のシーンがすてき。トレーシーのすばらしい包容力。なんという余裕、おとなの対応。半年くらい我慢しなさいよ、と叱りつけてもいるし、すぐ会えますよ、と慰めてもいる。すてきな女性♡。
内容は無いのかと思ったら最後にあった
男ってバカだなぁと思ってみてたら、
最後は18才になった元カノがまともな事を言って
くれてスッキリした!
インテリも金持ちも関係ない、大事なのは心。
音楽やNYのビル街などの景色も綺麗だった。
本作のテーマはNY賛歌です 痴話話なんか、このニューヨークの日常を見せるための仕掛けであるだけでどうでもいいことなのです
1979年4月米国公開
本作のテーマはNY賛歌です
「I♥NY」のロゴは誰でも知ってるでしょう
マグカップとか、Tシャツはニューヨーク土産の定番です
このロゴはニューヨーク州が1978年に始めた観光キャンペーンのロゴでした
70年代のNYといえば、現在からは想像できないほど荒廃していて、街は汚くゴミだらけで、強盗や暴動が頻発、犯罪件数はどんどん増えるばかり
しかも財政破綻の危機にあり、公務員の大量リストラが続いて改善の糸口もない状態だったのです
犯罪都市ニューヨークとか言われていました
アニー・ホールの公開から3ヵ月後の1977年7月には大停電が起きて、それがまる1日も続いたものだから略奪まで起きる始末
裕福な白人達は郊外や他都市に逃げ出して人口が減り始めたぐらいでした
本作の劇中で、コネチカット州に引っ越したいとかの台詞はそれです
これはなんとかしないとならないと、1978年の新年から生粋のニューヨークっ子ブロンクス生まれのエド・コッチ市長が就任して改革にのりだします
彼はベテランの下院議員だったのにそれを辞職して市長選に立候補して当選したのです
彼は1978年から89年まで3期にわたり市長を務め深刻な財政難に陥ったニューヨーク市の再建に尽力しました
急進的な改革が物議を醸すこともありましたが、
治安問題にも積極的に取り組んで犯罪が減少したほか、ホームレスやエイズ感染者の数が大幅に減少したのです
「I♥NY」の観光キャンペーンは1978年のバレンタインデーにスタートしました
ブロードウェイの俳優、歌手、ダンサーが次々に「アイラブニューヨーク」のテーマソングを歌うテレビCMが、全米とカナダで5週間放送さたのです
このキャンペーンは、今でも遠い日本の私達が知ってるぐらい、世界的な超大成功を収めます
世界中から旅行の問い合わせが急増して、「I♥NY」のロゴが入ったTシャツやマグカップなどのグッズも次々に発売されるようになったのです
こうなると面白いことに、ニューヨーカーの意識にもポジティブな変化が起きたのです
自分たちの街へのプライドと愛着が芽生え、平気でゴミが投げ捨てられていた街の通りは自然ときれいになって行ったのです
この「I♥NY」キャンペーンが、ニューヨーカーの意識改革を起こしたのです
本作の冒頭、ウディ・アレンはこう宣言するのです
「彼はNY を愛し偶像化していた」
「ロマンチックに考えていた」
「彼はマンハッタンに惚れていた」
「街の雑踏で育ったのだ」
「NY は美しい女であり、世慣れた男だった」
本作はその観光キャンペーンの一環のような映画なのだと思います
いわばNY 観光のプロモーション映画なのです
ウディ・アレンもブロンクス生まれの生粋のニューヨークっ子
誰よりもNYを愛していたのです
彼も自分の出来ることでNYを盛り立てたかったのです
あらすじはどうでもいい痴話話で内容なんかありません
ウディ・アレンの自虐ネタというだけで、そんなもの真剣に追いかけたってなんの意味もありません
主人公はウディ・アレンですらありません
ニューヨークそのものが、本当の主人公なのです
ニューヨークの街並み
その中の人びとの暮らし
そこでは、どんな人がどんな生活をして、どんな会話をして、どんな日常が繰り返されているのか
それが本当のテーマなのです
痴話話なんか、このニューヨークの日常を見せるためだけの仕掛けであるだけでどうでもいいことなのです
だからお話は果てしなくつまらないし、そんなもの付き合っていたってなんにも得ることはないのです
痴話話なんか話半分で受け流していいんです
観るべきものは、ニューヨークの光景です
摩天楼のスカイラインだけでなく、なんのことのない街角の光景、クラブの中、橋、通り、アパート、ニューヨーカーの暮らし振り
それが本作が本当に言いたい、観せたいものなのです
だから、全編ジョージ・ガーシュウィンの「Rhapsody In Blues」なのです
それもニューヨークフィルの演奏です
ガーシュイン自身、ニューヨークはブルックリンの生まれです
彼の音楽こそニューヨークの雰囲気を現しているからなのです
そしてその音楽に相応しい映像は白黒なのです
それゆえに全編モノクロで撮られているのです
冒頭にウディ・アレン自身がそれを語っているではありませんか
「彼にとって街は常に黒と白の存在であり、ガーシュインの曲だった」
The Crusadersという有名なジャズクロスオーバーのバンドがあります
彼等のアルバムに「Rhapsody And Blues」という1980年の作品があります
多分、本作にインスパイアされて制作されたアルバムだと思います
ぜひ合わせてお聴き下さい
ところで、なんで東京にこんな映画がないのでしょうか?
おかしいじゃないですか
アレン監督の実生活が反映されたマンハッタン愛にみる、温もりのあるセンチメンタル
今アメリカ映画界において期待以上の良作を生み出す映画作家は、もしかすると、この柔弱な顔と華奢な身体をもったシガナイ中年男ウディ・アレンだけかも知れない。ベトナム戦争の後遺症から漸く立ち直りはしたものの、人種差別や男女平等の問題解決に模索する新たな社会構造を生みだそうとする混乱期、アメリカ映画はかつての歴史を反復するだけでは世界のリーダーシップを発揮することは出来ない。ところが、その中でアレン監督はニューヨークという現代社会の最先端に生きて、直面する社会変容に堂々と立ち向かっている。その生々しさ、臆面の無さは、彼独自のインテリ層向けの教養深さと、ユーモアとペーソスを巧みに交えた個人主義的人格によって、確かな映像作品を創作している。前作「インテリア」において、家庭崩壊のドラマをシリアスに描き切った実力を見ると、彼自身自己を良く知っている知識人であり、根底にあるコメディアンとしての批評眼が生活力の逞しさを内蔵しているのであろう。そして、今度はその批評眼から解放されて、マンハッタンに生活する人間を自由に描いた気軽さと身軽さが、現代人の哀愁を謳い上げている。強かというか、作家としての真面目さが報われているのではないだろうか。
と言って、この作品がすんなり日本人の観客を感動させるかは、首を傾げるのだ。個人的にはインテリに憧れるスノッブ気質で笑えるだけ楽しもうと心掛け、満足のいく答えが得られたが、よく考えるとこれは東京に住む日本人の身構える心苦しい反応ではないかとも思う。救いは、どんな状況に置かれて生活様式が違っても、愛に飢えて温もりを求めることが人間の自然な姿ではないかという、ウディ・アレンの中年人生の呟きである。それをアレン監督は、実生活の交友関係を思わせる“友人たち”を親しみを持って描いている。ダイアン・キートンとの台詞のやり取りなど、これがフィクションかと疑わせる程に生き生きとした感覚がある。麻薬、同性愛、離婚、男女の性など様々な現代社会の断面を的確に見詰めながら、アレン監督は自分の本音をゆとりを持って描いている。
才人ウディ・アレンが、変化する都市ニューヨークのマンハッタンで恋愛に生き甲斐を求める自分と”友人たち”を描いた写実的なスケッチ。このリアリティにガーシュインの音楽を生かしたセンチメンタルな愛のささやきとバラードが、微笑ましいくらい漂う佳作である。「インテリア」から自由に解放された気軽さに、アレン監督の演出力をみる。
1980年 2月29日 みゆき座
実に退屈でつまらない、インテリとスノッブ好き向け
「アニーホール」と同じく、非常に退屈でつまらないです。
アレン君好きの知人に「アニーつまらなかった」と言ったら「好き嫌い激しいよ、カイロなら面白い、マンハッタンは止めた方がいい、アレン君はアニー系とカイロ系にハッキリ分れる」と言われてカイロ観たら確かにすごく面白かった。
会話がインテリぶっててスノッブでシニカルなカンジがするので、理屈っぽい人にはいいんでしょうが、お話的には、何人かの男女が付いたり離れたり、どってことない話が盛上りなくダラダラ続くだけで退屈この上ない。都会人の苦悩らしいけど、こんな話アイダホにもテヘランにも転がってますよ。
更に主人公の自分勝手ぶり、まあこんな人もよくいるから、アーアってカンジなだけで感想ゼロミリ。
但し、モノクロの映像と構図はさすがの才能を感じたので2点つけました。あと90分で短いのはとてもよいです。
今も古びないこじれ方。支持。
実は初見。
Wアレンさすが今も古びないこじれ方。
適度に苦いラスト。
都市で孤独な中年男が三者三様の女性に揉まれて別の孤独に至るだけの有りそうで無さそうな小さなお話し。
物語と壮大荘厳な白黒画像と音楽の整合の心地良さ。
Mストリープの黒光りする異様な美。
支持。
ラプソディ・イン・ブルー
この手のアレンの映画にストーリーを求めること自体おかしい。高校生のトレーシーがこんなおしゃべりのアイザックに惚れるということもおかしいし、TV局で切れ気味にしゃべくりまくる彼が今まで続いていたこともおかしい。
別れた夫、別れた妻、不倫相手、高校生と同棲。しかも不倫以外は全く隠し事がないくらい性にオープン。最後にNYの街の映像が「ラプソディ・イン・ブルー」の音楽に微妙に絡むのですが、アレンのNY感はこういう雰囲気なんだなぁ。コメディとして扱っていいのかも微妙だ。
脚本がすべて
全編モノクロのマンハッタンの映像とガーシュインの音楽が秀逸!
内容は薄っぺらな恋愛話なのがキュート♪つーかバカ
ウディ・アレンてんさーい!
女子高生役のマリエル・ヘミングウェイはなにかの映画で印象が強く残っているんだけど
それがなんだったのか…作品タイトルから思い出せない、、、ドラマだったのかも
予知
マンハッタンの景色が美しい。モノクロのフィルムに溶け込むようです。
ただ、17歳の女性と42歳のウディ・アレンがお付き合いするって、これって、、、、さあ。
自らの未来を予知したんでしょうか?しかも、元妻にプライベートを暴露されるところまでも同じ。
ここまで作品どおりの人生って、やっぱり天才と言わざるおえません。
おしゃべりメガネ
コンピアルバムSwing in the Films of Woody Allen購入を機に見直し。
あ、この作品は収録されていないことが判明。
マリエルヘミングウエイ演じるトレイシーとウディアレンのラストシーンは秀逸。
挿入される霞みがかった美しいマンハッタンの街並みは本当に奇跡みたいに美しい。
男という生き物のネガティブキャンペーンコメディです
昔の友人でウディ・アレンの事が大好きな人がいて、「映画好きならウディの映画は絶対観なきゃダメ!」と言われたことがありました。それから時がたち中々ご縁に恵まれず、ようやく本日、ウディが監督・脚本・主演を務めた79年製作の代表作を観ることができた訳です。
ウディ演じるTVライターの主人公は、奥さんを略奪されたばかりのうだつのあがらない人。さらに略奪したのは女の人で、肝心の奥さんは奥さんでウディとの最悪な夫婦生活を書いた暴露本を出版するという設定。ウディは女に自分の奥さんを奪われたのに気がふれたのか、30も歳の離れた未成年の女の子に手を出す。
その交際は全然真剣じゃなく、それとは別に目下、彼の友人と不倫中の編集者に恋をする。それで未成年の彼女をふってその女性と交際を始めるわけですが、そこから坂を転げ落ちるように不運な出来事が重なっていく。。。
といった感じの複雑な人間関係を、ニューヨークの日常に溶け込ませ、知的なブラックユーモアを満載させながら実にあっさりと描いている訳なのです。ウディが担当した脚本は特に素晴らしく、かなりの博識と卓越したユーモアのセンスがなければ書けないような名セリフが連発します。
劇中の、口が達者で見栄っ張りだが実はかなり優柔不断な男の姿を観ながら、結局「男」という生き物が何に支えられているのかが、観た後の余韻にじんわりと残ります。そんな余韻に浸りながら、それでも何故か男であるわたくしでさえも微笑んでしまうのが本作の魅力です。
それはジム・ジャームッシュの「ブロークン・フラワーズ」と同様の不思議な感覚なのですが、ウディの作品にはよりエレガントな風味があります。このような感覚を覚えたのは、本作が初めてです。
名作と呼ばれる所以がよ~く分かりました。
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