まぼろしの市街戦のレビュー・感想・評価
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『王様は不要 平等な町だ』 『共産主義者か?』 このセリフがずっと...
『王様は不要 平等な町だ』
『共産主義者か?』
このセリフがずっと気になっていた。
淀川長治先生の『日曜洋画劇場』で見た。
音楽が印象に残って、話も不条理な行動をうまく映像化していると、感心した。と言うよりも、コクリコがかわいいと思った。でも、前述のセリフが、反ベトナム戦争と冷戦時代に似合わないセリフだと思い、ずっと気になっていた。しかし、今回鑑賞して、王様は不要に対する共産主義なので、全く矛盾が無く、寧ろ、イングランド、スコットランドに対するフランスからの嫌味なのかもしれない。と理解出来た。
たぶん、40年ぶりの鑑賞。良かった。
フランスの戦争風刺喜劇
フランスの反戦コメディ映画です。舞台は第一次大戦末期のフランスの小さな町、広場に爆弾を仕掛け撤退するドイツ軍と進軍する連合軍、主人公はフランス生まれの英国人、軍ではしがない伝書鳩の通信兵なのですがフランス語が話せることで町への潜入の命が下されます。まあ、ここまでは割とまともな展開なのですが戦争の最中だというのに町はお祭り騒ぎの華やかさ、この突飛なシチュエーションの口実として町の人は皆逃げて、馬鹿騒ぎをしているのは精神病院の患者たちということにしています。殺し合いの狂気と狂人たちの馬鹿騒ぎを対比することで戦争を皮肉っているのでしょう、劇中に若きヒットラーとおぼしき兵隊も登場して笑わせます。
見どころはサーカスの動物たちも交えて束の間のショータイム、町の賑わいぶりでしょう。デジタル修復版でしたので華やかに蘇っています。
「1917 命をかけた伝令」も第一次大戦の若き兵士の物語でしたが本作とは陰と陽、表現手法がこうも違うと同じ反戦映画とは括れませんね。
まあ、フランス人らしいひねり具合の奇作だとは思いますが、時代が第二次大戦なら悲惨過ぎて成立しえなかったでしょう、私にはこの手の趣向はブラックすぎてピンときませんでした。
She came through the Window (美しき戯曲)
今日、こんな「戯曲」が映画化されることなんて無いんだろうなぁ、と思う。特に日本では。詩的と言うより文学的。演劇と言うより狂言。反戦を装った厭世劇。脚本ではなく戯曲。
白痴かと思われた人々は、知性があり人生の楽しみ方を知っていて、よほど私たちよりも幸せに見える。軍人は滑稽に描き、奔放な女と無垢な女の両者が登場する。そこそこリアルなのに、まるで夢の中をさまよっているかの様な錯覚に陥る不思議。
大戦末期のフランスのお話。精神病院のある街の中で起きた白昼夢。彼女は綱渡りで窓から部屋へ入って来た。男は現実を捨てて夢の中で過ごすことを選択する。背負うものを捨てれば幸せになれる事もある、っていうフランス戯曲は1967年公開の名画。いや、これはホントに名画だと思います。
檻の中の自由は、真の自由ではない
この映画のことは、昔から何かとランキングに上がっていて題名だけ知っていた。そして僕は、この題名に惹かれていた。ところが何かで「この映画は市街戦の映画ではない」と知り、興味が減退。以後、観る機会がなく、ここまできた。
今回、4Kでリマスタリングされたので観てきた。
舞台は第一次大戦中のフランスの小さな田舎町。町を占領しているドイツ軍は劣勢で、すぐそこまでイギリス軍が迫っている。町から退却するドイツ軍は、町に爆弾を仕掛ける。
爆弾の存在はすぐに町中に知られ、町の人々は逃げ出す。閑散とした町には、精神病院の患者たちと、サーカスの動物だけが取り残された。
そこに、イギリス軍から爆弾の除去を使命に、主人公プランピックがやってくる。
患者たちと戦争と、どちらが狂気か。
端的に言えば、そういうメッセージだと思う。
だが、僕は本作から自由へのメッセージを感じ取った。
ドイツ軍が去った町で、患者たちは病院を脱走する。
いや、そうではない。
ドイツ軍が去ったからではなく、町の人々が去ったから、なのだ。
なぜならラスト、軍隊が去り、町に平和が戻ったにも関わらず、彼らは病院に戻っていく。
ならば、やはりラストに患者を「装い」自ら病院に入る主人公の行動をどう理解するか。
病院を抜け出した患者たちは、まず(病院で着ていた)白衣を脱ぎ捨て、無人の町から思いおもいの服を選び取り、着飾っていく。王侯貴族を気取る者、将軍になる者、娼婦になる者など。
人気(ひとけ)が去り、また戦争で破壊され廃墟となったグレーの町に、彼らの色とりどりの衣装が映える光景は美しい。ここには、最大限の自由への賛歌が感じられる。
彼らは自由だ。どんな服を着ようが、どんな職であろうが、誰にも文句は言われない。言い換えれば何にも規定されることはない。
その頂点に立つ(立ってしまう)のが主人公プランピックだ。彼は行きがかり上、自分は王様だと名乗ってしまう。
この衣装の美しさと、彼らの自由さは、絶えず画面に祝祭ムードを与えている。
戦争で破壊された町で繰り広げられる、さまざまな“ごっこ”。床屋ごっこ、娼館ごっこ、王の戴冠式ごっこ…
これらはすべて、言い換えれば“冗談”である。
後半、町中でドイツ軍とイギリス軍が鉢合わせ、戦闘が始まる。銃撃戦の末、両軍は全滅するが、患者の1人の公爵がこれを見て、こう言い放つ。
「冗談が過ぎる」、と。
そう、本当は誰も死にたくなんかないはずだ。
そして、思いのままに生きたい。
だから彼らは言う。この世の真実は、思いのままにおこなう“ごっこ”のほうが正しく、戦争のほうが冗談なのだ、と。
これこそが、ラスト、プランピックが自ら精神病院の檻の中に入った理由だろう。
自由への賞賛だ。
しかし、本作はこれでは終わらない。
ラスト、主人公が患者たちに、もう外には出ないのか、と問う。すると、鉄柵の付いた病院の窓から外を眺め、公爵が言う。
「この窓から景色を眺めるのが一番だよ」
ここに込められた、外の世界の不自由さに対する批判。と、共に、病院に閉じ込められるしかない悲哀。
手に入れた自由は檻の中でしかない、という苦い現実を突きつけて、本作は終わるのだ。
このラストは、自ら病院に入ったプランピックを無条件には肯定しないだろう。
本作は自由を称え、この世界の不自由に対して痛烈な批判を浴びせながらも、「檻の中の自由は、真の自由ではない」というメッセージを発している。
そう。本作は無人の町での一種ユートピアのような「自由の祝祭」を描きながらも、現実には自由とは、狭い世界から外に出て行き、その不自由さと対峙することでしか得られないことを伝えているのだ(このメッセージは劇中、爆弾から逃れるためにプランピックが患者たちを町の外に連れ出そうとするが失敗するシーンとも呼応している)。
理屈で観てはだめですね。
この手のカルト映画?
正に映画.COMで知って、興味が湧き観てみたのですが、簡単に言えば、「滑稽な舞台劇を映画にしてみました。」という感じですか?
人の居なくなった街に精神病患者が、出てきて好き勝手し、爆弾解体しに来た主人公が右往左往する話で最後は、彼らに感化されて仲間入り。
展開はのんびりで、終始、街の中での乱痴気騒ぎが続くので、若干中弛み気味。
そもそも軍隊側の人間の行動もおかしい上に(意図的なのか?)オーバーアクションの演技でやはり舞台劇の印象です。
狂気の境目は、どこなのか?と言った 主旨で、戦争の狂気を皮肉っているのでしょうが、私の感覚ならば、精神病患者も大概な訳です。
勝手に騒ぎ、街が元に戻りそうになったら病院に舞い戻る。そして窓から出る旅が一番美しいって、やかましいわ!(笑)
なんと言うか一番の被害者は、普通に街に住む住人じゃないですか?兵隊に追われ、街に戻れば病人達に街を荒らされ、その病人達は、なに食わぬ顔。
深ーいメッセージがあるのでしょうが、(笑)私の観た感想は、こんなものです。
よかった
90年代の映画秘宝のオールタイムベストのムックで、確かベストテンに入っていたような記憶があり、ずっと見たかった。そんな極めて高い期待のせいか、のんびりした内容で眠くなってしまった。
精神病院の人たちが街に出て騒ぐのだけど、無害な狂人たちで全く狂気を感じなかった。ヒロインの女の子がとてもかわいらしかった。
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