まぼろしの市街戦のレビュー・感想・評価
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こんなに綺麗になるなんて!
一部の映画ファンの間で密かに傑作として語り継がれてきたこの作品が、まさかこんな高画質で劇場のスクリーンで観られることになるとは!
なにせ昔出回っていたのは冒頭が切れているバージョンだったりして、それが堂々と流通していたのだから呆れる。
今観ると、精神病院の患者たちと戦争で人殺しをする人たちと、狂ってるのはどちらですかねというテーゼはいささか短絡的な気もするのだが、それでも動物園の猛獣と精神病院の患者たちだけが闊歩する町という設定のイカレ具合と、イマジネーションの豊かさには見惚れずにいられない。
もしかしたらクストリッツァの猛獣の使い方はこんなところから影響を受けてるのかもなんてことを考えられるのは、長い歳月を超えていく観直す特権なのかもしれない。
人間を嘲笑う重たい作品だが、鮮やかな色合いに心が救われる。
1966(日本は1967)年公開、フランス・イタリア映画。
【監督】:フィリップ・ド・ブロカ
【脚本】:ダニエル・ブーランジェ、フィリップ・ド・ブロカ
【原案】:モーリス・ベッシー
主な配役
【プランピック二等兵(ハートの王様)】:アラン・ベイツ
【コクリコ(王妃)】:ジュヌヴィエーヴ・ビュジョルド
【アレクサンダー・マクビベンブルック大佐】:アドルフォ・チェリ
【公爵夫人】:フランソワーズ・クリストフ
【エグランティーヌ夫人】:ミシュリーヌ・プレール
【ハンバーガー少尉】:マルク・デュディコール
【ヘルムート・フォン・クラック大佐】:ダニエル・ブーランジェ
※監督のフィリップ・ド・ブロカが、アドルフ・ヒトラー役で出演している。
1.子供の頃から何度も観た
本作を初めて観たのは、地上波の放送だったと記憶している。
淀川長治さんの番組か、はたまた、水野晴郎さんのそれか、増田貴光さんか、あるいは国営放送か。
※Wikipediaによると、1974年日曜洋画劇場らしい。
ということは淀川長治さんだ。
いずれにしても、複数回、地上波で観た。
戦争映画がとても好きだったので、
最初は肩透かしを食らった感じになったが、不思議な世界観に惹き込まれていく。
カルト映画に分類されることもある本作を、地上波で放送するのはなかなか良いセンスだ。
最近、改めてU-NEXTで観ることができた。
2.反戦のメッセージだけではない
◆平和の象徴である鳩(伝書鳩)を射殺したり、雑に扱う
◆暗号名:タラはフライが好き(codはからかう、騙すの隠語でもある)
◆教会でのニセ戴冠式
◆王妃になる女性の源氏名?はコクリコ(ひなげしの花言葉は思いやり、いたわり)
◆ハートの王様は、愛の象徴
人間が勝手に決めたシンボルや意味合い、儀式を笑いものにし続ける。
ドイツ軍とイギリス軍が、お互いに街の広場で規律正しく撃ち合って全滅するシーンあたりまで来ると、
本作の世界観を自分のものとして飲み込んでいるからなのか、
本当に鳥肌が立ち、背筋がゾクゾクしてしまう。
単なる反戦ではなく、人間の所業すべてを嘲笑う。
重たいメッセージだが、
色とりどりのコスチューム、小道具に救われる。
3.まとめ
全裸で鳩だけを持ち医療施設の前に立つ主人公。
子供の頃も、今も、
このシーンに心から安堵する。
コクリコの無垢な表情も素晴らしい。
これでいいのだ。
☆5.0
イエローのチュチュで綱渡り
純粋であるべき人間の、本当の姿とは、を問う。
タイトルなし(ネタバレ)
『王様は不要 平等な町だ』
『共産主義者か?』
このセリフがずっと気になっていた。
淀川長治先生の『日曜洋画劇場』で見た。
音楽が印象に残って、話も不条理な行動をうまく映像化していると、感心した。と言うよりも、コクリコがかわいいと思った。でも、前述のセリフが、反ベトナム戦争と冷戦時代に似合わないセリフだと思い、ずっと気になっていた。しかし、今回鑑賞して、王様は不要に対する共産主義なので、全く矛盾が無く、寧ろ、イングランド、スコットランドに対するフランスからの嫌味なのかもしれない。と理解出来た。
たぶん、40年ぶりの鑑賞。良かった。
良かった
フランスの戦争風刺喜劇
フランスの反戦コメディ映画です。舞台は第一次大戦末期のフランスの小さな町、広場に爆弾を仕掛け撤退するドイツ軍と進軍する連合軍、主人公はフランス生まれの英国人、軍ではしがない伝書鳩の通信兵なのですがフランス語が話せることで町への潜入の命が下されます。まあ、ここまでは割とまともな展開なのですが戦争の最中だというのに町はお祭り騒ぎの華やかさ、この突飛なシチュエーションの口実として町の人は皆逃げて、馬鹿騒ぎをしているのは精神病院の患者たちということにしています。殺し合いの狂気と狂人たちの馬鹿騒ぎを対比することで戦争を皮肉っているのでしょう、劇中に若きヒットラーとおぼしき兵隊も登場して笑わせます。
見どころはサーカスの動物たちも交えて束の間のショータイム、町の賑わいぶりでしょう。デジタル修復版でしたので華やかに蘇っています。
「1917 命をかけた伝令」も第一次大戦の若き兵士の物語でしたが本作とは陰と陽、表現手法がこうも違うと同じ反戦映画とは括れませんね。
まあ、フランス人らしいひねり具合の奇作だとは思いますが、時代が第二次大戦なら悲惨過ぎて成立しえなかったでしょう、私にはこの手の趣向はブラックすぎてピンときませんでした。
あなたは、ハートの王様
邦題が、ちょっと。これでは戦争映画かと思ってしまいます。
フランス映画なので予告を見たら面白そうだったので、映画館に足を運びました。
これは、大人のファンタジーですね。
有名なカルト傑作らしい、私は全然知らなかったけど。
後から思い返してみて、いろいろ気づくところがありました。檻があいているのに出ていかないライオンとか。
街を出てどこに行くの?
究極の狂気とは?
衝撃的なラストに強烈な風刺を滲ませるカラフルでキュートな名作
こちらは第1次大戦が舞台。フランスの小さな町に駐留していたドイツ軍は町に大量の時限爆弾を設置して撤退することを決定、その情報を知った町の住民はそそくさと避難してしまう。町を奪還しようと目論むイギリス軍は通信を傍受して爆弾設置を知るが設置場所と爆破時刻が判らず、伝書バト係の善良な兵士プランピックに町に潜入し爆弾を解除することを命じる。町に入った途端にドイツ軍に見つかったプランピックは必死で逃走、ある建物に逃げ込むがそこは精神病院。見捨てられた町に取り残された患者たちは突然現れたプランピックを王と崇めてお祭り騒ぎを始めてしまう。
フィリップ・ド・ブロカ監督作品は『リオの男』は観ていますが正直そんなに面白い作品ではなかったので、名作と誉れ高い本作にノレるかどうか正直不安でしたがそんなことは全然杞憂でどこまでもカラフルで楽しい作品。精神病棟から解放された変わり者達が繰り広げるお祭りがとにかくキュート、世間の常識とはかけ離れた思考で奔放の限りを尽くす彼らにイギリス軍もドイツ軍も振り回される様がとにかくおかしいわけですが、なんだかんだの騒乱の果てに対峙する両軍の姿を見た彼らとプランピックが無言で胸に刻む教訓に強烈な風刺が滲んでいて胸を打たれます。冒頭にチラッとヒトラーが出てきたりするシャレも鮮烈、これは確かに名作。
プランピックと婚約させられる少女コクリコを演じているジュヌビエーブ・ビヨルドがメチャクチャキュートで、『リオの~』のフランソワーズ・ドルレアックもそうでしたが、フランス映画には不思議ちゃんがよく似合うなと思いました。ちなみに4Kデジタル修復版での鑑賞、とにかく映像の鮮やかさが別世界でした。
私はあなたのメンヘラではない
早稲田松竹にて「戦争のはらわた」との併映で4k版を鑑賞。
おとぎ話的な戦争コメディ。
コンパクトで観やすい。
こんな作品が、片田舎とはいえ街をまるごと使って撮影されていたり、出てくる精神病患者たちが終始ノリノリで歌ったり踊ったり、おフランスの余裕を感じる優雅な作品だと思う。
どことなく宮崎駿みも感じる。
本当に狂っているのはどっちか? などと大上段のテーマを振りかざすには、さすがに精神病患者たちのキャラクターが美化され、都合よすぎで現在進行形でメンタルが不自由な人には顔をしかめられそうだが、それでも自分もできるならこちらの側に入りたいなあ…と思ってしまう。
昔お世話になったスクールカウンセラーの先生が、精神病院の中にいる人たちと接していると、時に狂っているのは外の世界の方かもと思わされる、と言っていたのを思い出した。
She came through the Window (美しき戯曲)
今日、こんな「戯曲」が映画化されることなんて無いんだろうなぁ、と思う。特に日本では。詩的と言うより文学的。演劇と言うより狂言。反戦を装った厭世劇。脚本ではなく戯曲。
白痴かと思われた人々は、知性があり人生の楽しみ方を知っていて、よほど私たちよりも幸せに見える。軍人は滑稽に描き、奔放な女と無垢な女の両者が登場する。そこそこリアルなのに、まるで夢の中をさまよっているかの様な錯覚に陥る不思議。
大戦末期のフランスのお話。精神病院のある街の中で起きた白昼夢。彼女は綱渡りで窓から部屋へ入って来た。男は現実を捨てて夢の中で過ごすことを選択する。背負うものを捨てれば幸せになれる事もある、っていうフランス戯曲は1967年公開の名画。いや、これはホントに名画だと思います。
本来の自己の姿に自然であること それは人間の本当の幸福の姿なのです
色々なオータイムベストの名画のリストの上位に必ず掲載されている作品にも関わらず、レンタルにも無く中古DVDも高額で取引されていた作品です
ようやく観ることが叶いました
それも4kリマスターの鮮明な映像と色彩、明瞭な音声、音響で堪能することが出来ました
これこそ名画座の果たすべき役割と劇場と関係者の皆様に感謝です
内容はもちろん正気であったのは果たして誰であったのか?です
ベトナム戦争の悲惨な状況に厭きていた70年代はじめの米国でロング上映になったのもむべないことでしょう
戴冠式で公爵が王に言います
世界は舞台であると
そしてあまりの狂気の果てに芝居は終わりだと告げます
人は誰しも自己の役割を演じて生きています
父として、母として、責任ある役職として、軍人として、あるいは娼婦として……
そしてその役割の中で自己とのギャップに苦しむものでもあります
あまりの過酷な現実が、あなたに求められる役割像が怪物のようになった時、あなたは耐えうる事が出来るのだろうかと問うてくる
そんな作品でもありました
本作を観てふと思い出したのは銀座や北新地の高級クラブで綺麗なホステスさんと疑似恋愛を楽しむお金持ちの紳士たちのこと
彼らがその財力で外車やマンションの鍵をプレゼントするという狂気
それは本作の物語とどこか通ずるものがあると思いました
そしてわかった気がしました
彼らはその狂気を楽しんでいたのです
その恋愛ごっこの狂気を完璧なものにするために散財をしていたのです
私たち普通の人間にはそのような散財をして人間性を保つだけの財力はあるわけもなく、いかにそのギャップのストレスに耐えるのか?
それが昔とは違うとても密度の濃い仕事を強いられている21世紀の現代人こそ求められていることではないでしょうか?
本来の自己の姿に自然であること
それは人間の本当の幸福の姿であるはずなのです
それが本作の現代における意義ではないでしょうか
檻の中の自由は、真の自由ではない
この映画のことは、昔から何かとランキングに上がっていて題名だけ知っていた。そして僕は、この題名に惹かれていた。ところが何かで「この映画は市街戦の映画ではない」と知り、興味が減退。以後、観る機会がなく、ここまできた。
今回、4Kでリマスタリングされたので観てきた。
舞台は第一次大戦中のフランスの小さな田舎町。町を占領しているドイツ軍は劣勢で、すぐそこまでイギリス軍が迫っている。町から退却するドイツ軍は、町に爆弾を仕掛ける。
爆弾の存在はすぐに町中に知られ、町の人々は逃げ出す。閑散とした町には、精神病院の患者たちと、サーカスの動物だけが取り残された。
そこに、イギリス軍から爆弾の除去を使命に、主人公プランピックがやってくる。
患者たちと戦争と、どちらが狂気か。
端的に言えば、そういうメッセージだと思う。
だが、僕は本作から自由へのメッセージを感じ取った。
ドイツ軍が去った町で、患者たちは病院を脱走する。
いや、そうではない。
ドイツ軍が去ったからではなく、町の人々が去ったから、なのだ。
なぜならラスト、軍隊が去り、町に平和が戻ったにも関わらず、彼らは病院に戻っていく。
ならば、やはりラストに患者を「装い」自ら病院に入る主人公の行動をどう理解するか。
病院を抜け出した患者たちは、まず(病院で着ていた)白衣を脱ぎ捨て、無人の町から思いおもいの服を選び取り、着飾っていく。王侯貴族を気取る者、将軍になる者、娼婦になる者など。
人気(ひとけ)が去り、また戦争で破壊され廃墟となったグレーの町に、彼らの色とりどりの衣装が映える光景は美しい。ここには、最大限の自由への賛歌が感じられる。
彼らは自由だ。どんな服を着ようが、どんな職であろうが、誰にも文句は言われない。言い換えれば何にも規定されることはない。
その頂点に立つ(立ってしまう)のが主人公プランピックだ。彼は行きがかり上、自分は王様だと名乗ってしまう。
この衣装の美しさと、彼らの自由さは、絶えず画面に祝祭ムードを与えている。
戦争で破壊された町で繰り広げられる、さまざまな“ごっこ”。床屋ごっこ、娼館ごっこ、王の戴冠式ごっこ…
これらはすべて、言い換えれば“冗談”である。
後半、町中でドイツ軍とイギリス軍が鉢合わせ、戦闘が始まる。銃撃戦の末、両軍は全滅するが、患者の1人の公爵がこれを見て、こう言い放つ。
「冗談が過ぎる」、と。
そう、本当は誰も死にたくなんかないはずだ。
そして、思いのままに生きたい。
だから彼らは言う。この世の真実は、思いのままにおこなう“ごっこ”のほうが正しく、戦争のほうが冗談なのだ、と。
これこそが、ラスト、プランピックが自ら精神病院の檻の中に入った理由だろう。
自由への賞賛だ。
しかし、本作はこれでは終わらない。
ラスト、主人公が患者たちに、もう外には出ないのか、と問う。すると、鉄柵の付いた病院の窓から外を眺め、公爵が言う。
「この窓から景色を眺めるのが一番だよ」
ここに込められた、外の世界の不自由さに対する批判。と、共に、病院に閉じ込められるしかない悲哀。
手に入れた自由は檻の中でしかない、という苦い現実を突きつけて、本作は終わるのだ。
このラストは、自ら病院に入ったプランピックを無条件には肯定しないだろう。
本作は自由を称え、この世界の不自由に対して痛烈な批判を浴びせながらも、「檻の中の自由は、真の自由ではない」というメッセージを発している。
そう。本作は無人の町での一種ユートピアのような「自由の祝祭」を描きながらも、現実には自由とは、狭い世界から外に出て行き、その不自由さと対峙することでしか得られないことを伝えているのだ(このメッセージは劇中、爆弾から逃れるためにプランピックが患者たちを町の外に連れ出そうとするが失敗するシーンとも呼応している)。
戦争の狂気を祝祭の狂喜へ
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