マトリックスのレビュー・感想・評価
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選択が映し出す現代社会の姿
映画『マトリックス』の象徴的な問いかけ、「赤い薬(真実)」と「青い薬(偽りの安らぎ)」は、単なるフィクションの枠を超えて、時代の価値観を鋭く映し出す鏡となっています。 ある米国の大学教授が、この選択を学生たちに投げかけたところ、00年代初頭では圧倒的に「赤い薬」を選ぶ声が多かったそうです。真実を知りたい、現実を直視したいという意志がそこに感じられます。しかし、2017年にトランプが大統領に就任されるより少し前ぐらいから、「青い薬」を選ぶ学生が多数派となっているという話には、思わず考えさせられます。 SNSや検索エンジンのアルゴリズムは、私たちに“心地よい情報”を絶え間なく提供します。見たいもや聞きたいものを表示させる。その結果、現実との乖離が進み、安らぎに身をゆだねる傾向が強まっているのかもしれません。これが個人の選択にとどまらず、選挙結果や世論の動向にも影響を与えているのだとしたら、その重みは計り知れません。 『マトリックス』の問いかけは、単に映画の中の哲学にとどまりません。いまや情報に囲まれた私たち一人ひとりの選択の在り方、そしてそれが作り出す未来への警鐘として、ますます重要な意味を持つものになっています。この映画が20年以上経った今も色褪せず、むしろ深みを増している理由がここにあるのではないでしょうか。 赤か、青か。どちらを選ぶのか。その問いにどう向き合うかで、私たち自身の「現実」が形作られる時代が来ています。
見たことないような映像が多くて面白かった。 •電話をとって現実に帰...
見たことないような映像が多くて面白かった。
•電話をとって現実に帰るシーン(人型の青い半透明なロボットみたいになる)
•昔映画のシーンを繋ぎ合わせたやつでみた向こうから銃の積まれた大量の棚が一気にゴッとこっちにくるシーン
•何もない真っ白な世界に現れるテレビと椅子
•現実とは五感と脳の電気信号が〜のくだり
•ジブリの王蟲+メカニックなタコみたいな有機的なロボットのデザイン
が印象に残った。人類が燃料家畜になってるってことか。
攻殻機動隊もみたいなー 街が非現実になっていくのはインセプションと同じ空気を感じた
仮想世界で生きる!人間と機械の共存する世界!
当時、とてつもない評判だったこの映画。 私もつい評判作には興味が引かれ、映画館に行ったのを覚えています。 もう20年以上前の作品で、どのシリーズも人気作だとか。 マトリックスは仮想世界で生きる人間と、機械の共存に巻き込まれた主人公が人類の命の選択を迫られる、白熱したアクション映画。 当時話題となったあの銃弾を避けるシーンは誰もが真似したのではないでしょうか。 今となっては、AIの技術が進んだり割と近い未来であり得るのでは、、と思うような世界観が、また改めて観る側の興奮を掻き立てられました。 主人公のネオが救世主と呼ばれ、人類の命が自分の選択によって決まるシーンは手汗握る感覚でした。 この感覚は起業家として仕事をする中で、日々感じている感覚と似ています。 自分の選択によって結果が変わる瞬間は、いつもドキドキしますし、その選択を正解にするために日々奮闘しています。 どの立場でも人間は選択する生き物でその選択の結果は自分が決めたことによるものだということを自覚することが大事だと、映画を通して感じました。 久しぶりに懐かしい映画を観ると、当時と違った受け取り方ができるのも楽しみのひとつですね。
キアヌにほれぼれ
1999年の映画。 スタイリッシュで斬新な映像に圧倒された当時を懐かしく思いながら見た。キアヌも若くて抜群にかっこいい。 当時インターネットはあったが、スマホもないし、SNSも今ほどでない中でAIを題材にした映画を作った監督は先見の明があったよなあ。 そしてあれから20年以上の時が流れ、2024年現在はというと、本格的な生成AIの出現により私たちの生活を革新的に変える社会がすでに始まっている。短期間でここまでデジタルが進歩するとは誰が予測しただろう。 今見た方が、よりリアリティを持って見ることができた。 アクション映画はあまり好きではないので、後半より前半の方が好き。
知らず、救世主の夢に胡蝶と為れるか、胡蝶の夢に救世主と為れるかを。 インフォームド・コンセントが徹底されていればこんなことには…。
仮想現実世界「マトリックス」を舞台に繰り広げられる人間と機械との戦いを描いたSFアクション『マトリックス』シリーズの第1作。
大手ソフトウェア企業に務めるプログラマー、トーマス・アンダーソン。彼には天才ハッカー「ネオ」という裏の顔があった。ある時、何者かからパソコンを通してメッセージを受け取ったネオは、それに従い「白ウサギ」を追いかけるのだが、それを境に彼の”日常”は終わりを告げる…。
主人公トーマス・アンダーソン/ネオを演じるのは『マイ・プライベート・アイダホ』『スピード』のキアヌ・リーヴス。
ネオを導く謎の男、モーフィアスを演じるのは『地獄の黙示録』『ボビー・フィッシャーを探して』のローレンス・フィッシュバーン。
👑受賞歴👑
第72回 アカデミー賞…音響賞/編集賞/視覚効果賞/音響編集賞!✨✨✨
第9回 MTVムービー・アワード…作品賞!
『トゥルーマン・ショー』(1998)、『ファイト・クラブ』(1999)、『アメリカン・ビューティー』(1999)など、ふやけた日常からの覚醒を促す自己啓発系映画の名作がポコポコと生まれていた世紀末。その中でも最大のヒット作といえばコレ!難解なストーリーと奇抜な革新的映像に世界中が驚き、その後数多のパロディやオマージュが作られるに至ったSF映画の金字塔である。
子供の頃は非常に知的で高尚な映画だと思っていたのだが、今改めて鑑賞してみてその感想は180°変わった。これめちゃくちゃボンクラ映画じゃん!!
カンフー、ガンアクション、旧約聖書、サングラスにロングコート、『攻殻機動隊』(1995)に『ターミネーター』(1984)に李小龍に…。中学生の大好物欲張りセットやんけこれぇッ!!
「スプーンは存在しない。在るのは自分自身だ」とか「己を考えるな、己を知れ」とか、なんとなく老荘思想っぽい哲学にコーティングされているから誤魔化されるけど、中身は超漫画っぽいというか、今流行りの異世界転生無双系そのもの。”赤い薬”とはオタクコンテンツの事だった…?
「バレットタイム」という『ジョジョ』っぽいスローモーション演出や、明らかにやり過ぎなワイヤーアクションなど、外連味のありすぎる映像表現は今見ても斬新。その後、本作のパスティーシュは山ほど生み出されたわけだが、やはり本物は一味違う。大真面目にバカをやる。これが1番大事なんだよねぇ。
カンフー・コリオグラファーに香港アクション界における本物中の本物、ユエン・ウーピンを配しているというのもニクい!ウォシャウスキーズ、分かってんな〜!✨本作がなければ『グリーン・デスティニー』(2000)も『キル・ビル』(2003-2004)もなかったかも知れないと思うと、その偉大さがよく分かる。
内容はカート・ヴォネガット・ジュニアの名作SF小説「タイタンの妖女」(1959)を彷彿とさせる。人間が高次元的存在により自由意志を奪われ、知らず知らずのうちに搾取されているという点でこの2作はよく似ていると思うのだが、「タイタンの妖女」が「わたしを利用してくれてありがとう。たとえ、わたしが利用されたがらなかったにしても」という諦念を打ち出しているのに対し、本作は「利用されてたまるか。たとえ現実がクソみたいな地獄でも」という徹底抗戦のスタンスを取っている。ここにおいてこの2作は大きく異なっている訳で、「タイタンの妖女」に少々居心地の悪さを感じた自分からしてみれば、本作のメッセージの方がより素直に受け取る事が出来たように思う。
リアルからリアリティが失われている。こういう感覚というのは大小の差こそあれ、誰しもが覚えていることなのではないか。そのことに対し疑問を持ち、真実を突き止めるために世界と戦え、という本作のメッセージは力強く、灰色の日常を生きる観客を鼓舞してくれるはずだ。
ビジュアル面は確かに素晴らしいし、救世主による勧善懲悪なストーリーも面白い。テーマやメッセージにも共感出来る。しかし、よくよく考えると気になる点が山ほど出てくる。
まずもって言いたいのは、モーフィアスお前インフォームド・コンセントはしっかりしろよっ!!∑(゚Д゚)
「赤い薬を飲めば真実を知ることが出来る…」とか言われりゃ、誰だって赤い方を飲む。誰だってそーする。おれもそーする。
んでいざ飲んだら、なんか訳わかんない真っ暗な世界で、サイバーパンクな人たちと一つ屋根の下で暮らさなきゃならない訳でしょ?食い物だっておかゆみたいな訳わかんないドロドロしかないし。そりゃあの鬼越トマホークみたいな人も裏切りたくなるわ。逆によく9年間我慢したよ。
そこはモーフィアスが「この赤い薬を飲むと、訳わかんない暗い世界で一生おかゆ食って生活することになるけどそれでも良い?」って聞かないと。そうすりゃあの惨劇も防ぐことが出来ただろうに…。
とまぁコレは半ば冗談なんだけど、マトリックス世界で警官とか軍隊をバンバン殺しまくるのはちょっと納得がいかない。
「彼らは救うべき対象だが、システムは敵だ」という、一理あるんだかないんだかよく分からない理屈で撃ち殺しまくるんだけど、マトリックスで死ぬと現実でも死ぬ訳でしょう?警官たちはもちろん何にも知らない普通の人たちなわけで、彼らからしてみれば、厨二病全開なファッションに身を包んだテロリストに襲撃されたということでしかない。
「大義の為には多少の犠牲はやむを得ん!」ということなのか?いやそれをヒーローがやっても良いのだろうか?飛び交う弾丸と飛び散る粉塵の気持ちよさで誤魔化されるけど、あの警察署襲撃シーンは割とアウトな気もする。
ネオとトリニティーのロマンスもなんだかなぁ…。
この2人ほとんど接点ないじゃん!会話なんてほとんどしていないのに、いつのまにかトリニティーはメロメロ。「私が愛した人が救世主。だからあなたは救世主」という、宗教にどっぷり浸かったメンヘラみたいな事を言い出す。恋に落ちるという予言をされていたのなら、最初はめちゃくちゃ反目し合う仲だったのだが、任務をこなすうちにだんだんとその距離が縮まって…みたいな過程が必要。そこをすっ飛ばしてるから、運命に反抗する物語なのに恋愛は運命的みたいな、変な捻れを起こしてしまっている。
美男美女のロマンスがアクション映画には必要だという不文律が透けて見えるこの2人の恋愛には、なんだか座りの悪さを覚えてしまった。
確かにしっかりと面白いのだが、ところどころ首を傾げたくなる描写が散見され、それがノイズになってしまった。人間たちの聖地が「ザイオン(Zion)」というのも、ちょっと今のご時世だとアウトだよね💦
まあでも、小難しい『コマンドー』(1985)だと思えばこの大雑把さも許せるというもの。何より、この世界観の素晴らしさに心の中の厨二病が大喜び♪社会現象になったのも頷ける、エポック・メイキングな作品であることは間違いなし!!
※Netflixにて、吹き替え版で鑑賞。…したのだが、声優がテレビで放送されていたのと違ーう!!
キアヌ・リーヴスが小山力也というのは予想外だったが、結構合ってる。問題はエージェント・スミス。この吹き替えも全然悪くないんだけど、やっぱりスミスといえば大塚芳忠さん一択。あの声での「ご機嫌ようアンダーソンくん!」が聞きたかったー😭
唯一無二を感じる🕶
前半ずっと置いてけぼりにされてた気分だったけど後半が面白すぎる。半分すぎた辺りから急に面白くなった。 少し宗教的?な内容に加え、SFアクションなんだけど舞台は現実(マトリックスというべきか)と非現実でSFっぽくない部分も存在する所とか、どことなく漂うミスマッチな雰囲気が凄く良い👌
哲学的であり宗教的でもある
有名なSFアクション。 今となってはマトリックスという言葉が日常の会話でも使われるようになった。 脱線だが、1980年代に小室哲哉さんがリーダーの音楽グループ『TMネットワーク』が流行し始めた頃、ネットワークという言葉が今のように日常会話に登場するとは思いもよらなかったのに似ている。その先見性はネームにとどまらず作品全体に行き渡っている。 1作目は非常に面白い。 哲学的な要素だけでなく宗教的な面も併せ持っており、その相反する概念がまるで表裏一体かのような内容であった。 哲学的な要素として、この世界と言っているこの映画そのものが作られた仮想現実であり、映画の中で演じて生活している登場人物が、そこから次元の異なる現実世界に飛び出してくるかのように終わるラストは最高の描写で、そういった俯瞰視点が「世界とは何か、自分とは何者なのか」といった哲学的な思考で展開している。 宗教的な面として、現実世界に救世主が必要であるという背景はキリスト教を彷彿させるし、創造主の存在も匂わせるのである。また、信じることが出来れば覚醒するといった信仰心の大事さも訴えかけているようにも感じる。 当時の画期的なアクションやカメラワークが普通となってしまった今でも、ネオ(キアヌ・リーヴス)に感情移入しながら楽しめる作品。
映画史に名を刻む
何といっても、独自の概念を映像化した驚異的な映像の進化に尽きるでしょう。 今見ると、厳しいのかもしれませんが、ハイスピードを表現するのに、スローを多用するアクションだったり、超人的な格闘術、ユニークな世界観など、他に類を見ない斬新な娯楽映画。この作品が多くの映像作家に強い影響を与えたことは否定できません。 人工知能が進化し続ける現実社会において、いつの日かこの作品が当たり前の日常になっていく日が来るのかもしれません。
覚醒せよ
ジャッキー・チェンの映画もそうですが 結局のところ強くなる過程が一番楽しいんです 別に全ての謎や伏線を回収する必要はないのです 意味ありげなラストでいいんです マトリックスも今作のみで終わっていたらと思わせる作品と痛感しています
映画というものに対する感覚を変えた分岐点的な作品。
公開時に映画館で観た以来に観た。
B級サイバーパンクになりそうな作品だが、超A級の仕上がりになっているのはあらためてすごいと感じた。
当時革新的な映像技術だと感じたマシンガン撮影は、今観てもかっこいい。それだけではなく、画面の作り方が洗練されていて、どこを切り取ってもかっこよく見える。
ウォシャウスキー兄弟が、本作のあと、イマイチな作品しか撮らなかったのは、シナリオに恵まれなかったのだろうか。
本作はシナリオも非常に巧い。
安ホテルの303号室での、トリニティと警察の戦いではじまる。そこにエージェントもやってくる。トリニティは敵に追われるが、危機一髪で逃れる。
場面がかわって、主人公のトーマス・アンダーソンが登場。彼はソフト会社の社員だが、ネオというハンドルネームでハッカーをやっている。パソコンに、「白ウサギについていけ」というメッセージが表示される。彼はその言葉通りにすると、トリニティに出会う。ここでトリニティがハッカーの世界では名を知られた人物であることが明かされる。さらには、モーフィアスも、伝説のハッカーとして知られているようだ。
エージェントにつかまったネオは、紆余曲折を経て、モーフィアスたちと合流する。「赤いピルと、青いピルのどちらかを選べ」という有名なシーンがあり、ネオは赤いピルを選ぶ。
現実だと思っていた世界は、実はマトリックスという仮想現実で、人類はチューブにつながれて、眠っているのだった。
モーフィアスたちは、マトリックスと戦って、現実を取り戻そうとしている。ネオは救世主なのだ。
当初、ネオは自らが救世主だといわれても信じられなかったが、やがてその確信に至る。
巧いと思ったのは、物語の最後に、冒頭の安ホテルの303号室に戻るところ。冒頭ではトリニティが部屋にいたが、最後はネオが部屋に入っていく。トリニティは救世主であるネオを捜すために、その部屋にいて、ネオは救世主として、その部屋に入っていく。この時点で物語が円環を描く。
おもしろいのは、「現実の世界」を発見するのが、ハッカーであるということ。コンピューターという仮想の世界で生きている人間が、現実を発見する。そして、「現実」の中で、彼らは互いをハンドルネームで呼び合う。
ネオもエージェントスミスに「アンダーソンくん」と呼ばれて「おれはネオだ」と答える。現実世界を発見した人物が、仮想現実で使っている名前を「本当の自分」として認識するというのは、どういうことなのだろうか。
エージェントたちはいわゆる「アンチウィルスソフト」のようなもので、彼らにとってモーフィアスたちは「コンピューターウイルス」のようなものだ。エージェントたちが「アンダーソンくん」と呼ぶのは、「マトリックス」での名称を使っている。そういう風に考えると、「ネオ」というのは、現実の名前なのか。しかし、それはハンドルネームだ。「アンダーソン」が仮想の名前なら、「ネオ」は仮想の、さらに仮想の名前ではないのだろうか。
最大の謎は、最後にエージェントスミスに殺されたネオが、トリニティの口づけによってよみがえるというところだ。コンピューターと人間の戦いということを考えると、愛の要素が人間の生命を復活させるというのは安直に感じられるが、どういう意味なのだろう。
理解できなかった点があるとはいえ、本作は非常にすぐれた作品だ。言うまでもないが。
「これは仮想現実だ」と言われて、街を歩くシーンなどが出てくると、本当にそこがデジタルのように感じられるのが不思議なものだ。これは視聴者の印象がそうさせるのか、映像的になんらかの処理をしているのか。
ウォシャウスキー兄弟はこの無機質で洗練された映画によって、一種の革命を起こした。つまり、俳優というものが、CGによっていかようにもなるという次元に突入したのだ。
以前、「バットマン」でバットマンがビルから飛び降りて、地面に着地したときに、衝撃で地面が割れるという演出を、「それはリアルではない」と嫌って、主演のヴァル・キルマーが断ったという話を聞いたことがある。アイデアを却下したのか、映画を降板したのかは忘れてしまった。
当時としては、人間らしさというものが映画だったのだろう。しかし、本作ではそういうものはすべて排除されて、この現実はデジタルなのだ、だからどうにでもなるのだ、という趣旨のもと、俳優たちが空中で一時停止したり、素手で壁を壊したりする。本作は映画における俳優の役割を変えたとも言える作品だと思う。
そのあとで、CGばかり派手な、つまらない脚本の作品が多く出るようになったことを考えると、複雑な思いに駆られるが、それでも本作が革新的な作品であったことの証ではあるだろう。
初見時の衝撃
1999年劇場公開時鑑賞。予告等で目にするその斬新な映像や、大好きな士郎政宗『攻殻機動隊』の色濃い影響などの事前情報もあり、かなり期待値高めで観たけど、サイバーパンクとディストピアSFと不思議の国のアリスとビザールファッションとカンフーとか、まあいろんなものが詰め込まれて何かかっこいいものになってて、なんかもうすごいしかいえなかった。 やっぱりビル一階での重力と時間を自在に変化させた銃撃戦シーンが好き。 今でも“Rock is dead”や”Wake up”はイントロ聴いただけで即座に色んなシーンやエンドロールが脳内再生される仕様です。
この世界を重層的にたとえ話で描いた作品
「マトリックス」シリーズは、私にとっては最高に面白い作品です。ウォシャウスキー監督は、東洋思想、日本のアニメ等に造詣が深く、ドラゴンボール、攻殻機動隊、ブルースリーの映画などからのアイディアが散りばめられているだけでなく、キリスト教、パソコンの知識、哲学等の視点から、重層的にストーリーが展開するように見えて、色々と解釈ができるように思えるのが秀逸です。
キリスト教のイエスが、殆どを譬え話で語ったように、このストーリー全体が、譬え話になっていると自分は思っています。
この映画の肝は、現代の人間自体が、あのポッドに培養されているような人間になっていないかという問いかけなのだと。現代人は、自分で情報を自由に選択していますが、実はマトリックスのように、仮想現実を見せられているだけではないか?(現実は、国際金融資本や政治家、金持ち連中やマスコミ等が自分たちに都合がよくなる情報だけを流しているのではないか)という問い。実際、私たちが口にしている食べ物も、添加物等で味を調節されている。個々の人間が、マトリックスのように、巨大なシステムに頼り切り、与えられるもので満足している姿は、正にマトリックのあのマシンシティで培養されて生きているのと同様ではないのか。システムに反するものは、すぐに異端とみなされ矯正、排除されているのではないか。(実際に、アメリカでは一般市民の電話やメールも盗聴、検疫を受けているはず)実際、アメリカは、0.1%の富裕層が、下から90%と同量の富を所有しているわけですし。巨大なシステムを操るものは、人間から効率よく財や労働を搾取するように、情報をコントロールし、現実に気づかせないように娯楽を与え、搾取したものが自分たちに集まるように社会を作っている。そんな現実の社会のシステムに気づき、作り変えることを、この譬え話を通して促しているとみることができます。陰謀論者の人たちに、この「マトリックス」が崇められるのも理解できます。
キリスト教の視点からは、NEO→ONEのアナグラム=THE ONE→唯一の存在、救世主を待つ預言者、トリニティ→三位一体(ネオ、モーフィアス、トリニティ=神・精霊・子)、一度死んで復活して伝説となる等など。詳しくは、解説本を読むとわかります。
PC的な視点からすると、ソースへの遡行、エグザイル、プログラム、
ウイルス(システムを妨害する者)とウイルスバスター(エージェントやセンチネル)、バックドアなどなど。
哲学的な視点からすると、私たちが見ている者自体、感覚器を通してみ見えているものであり、本当の現実が顕れているわけではなく、仮想現実なのだという視点。そして、東洋的な思想、因果論からすると、自由意志ではなく、カルマという因果に縛られているのであるという視点。この世界は、陰陽のバランスが取れて、完全になるという世界観等など。
更に、日本のアニメ(攻殻機動隊、ドラゴンボール)やカンフーなどの影響も受けているわけだ。
そこに、ワイヤーアクション、ブレットタイムが加わるわけなので、これを重層的なストーリーとして理解しようと思うと、本当に複雑になってしまう。
最高
再鑑賞。5年ぶりくらい2度目。
コンピューター内のプログラムという空想世界、での戦い。
人間はウイルスで、スミスは対ウイルスソフト。
コナンのベーカー街、サマーウォーズ、レディプレイヤー1でも同じことが言えるが、空想世界と現実世界を並行して描き、それぞれでの危機が相互の世界にリンクし合う。それのバランスが見どころ。
今作でも現実側での裏切り(プラグを抜くことで直接的に精神を殺す)などが並行しており久しぶりに見ると、前回の記憶も案外曖昧で、素直に楽しめた。
また空想世界のいいところは製作者側のクレエイティブさが存分に発揮されるところ。
インセプションなどと同様。
今作でも究極はなんでもありになる。弾は当たらないし、空も飛べる。有名なイナバウアーのシーンではまだ弾は当たっている。
カンフーシーンもブルースリーリスペクトで楽しめる。
練習モードの時に一度高所から飛び降りて死んでいるのがうまく効いてくる。死ぬのか死なないのかも気に持ちようだと理解させてくれる。
水槽の脳、胡蝶の夢、とかそういう発想はトゥルーマンショーやゼイリブ、フリーガイにも見られる。
何度見ても楽しい、発想の源泉。
難しいことは考えずに見れた
話が難解だという噂だったのでこれまでずっと観ていませんでしたが、シリーズ1作目は全然難解じゃないしほぼなにも考えなくても観れてよかったです🫶 何より1999年にあの話を思いつくの本当にすごい👏2023年に観てもめっっっちゃ面白かったので見てない人にはぜひ見てほしい! アクションも映像もすごかったけど何より設定とか世界観とかお話がすごいなぁ〜って関心しました。 初めは弱々しかったネオが段々と強くなっていく過程も見られて面白かったです。修行がなんかカセットみたいなやつのダウンロードで、そんな感じで強くなるの!?と驚きました笑
21世紀の伝説の三部作‼️
公開当時、カンフーとワイヤーアクションとCGで作り出された衝撃的なアクション描写に、度肝を抜かれた映画的革命作‼️20世紀にはSWやインディ、BTTFみたいな優れた三部作、いわゆるトリロジーがありました。当時いよいよ始まったSWのプリクエル三部作が、21世紀の伝説的な三部作になるだろうと言われていました。ところが「ファントム・メナス」の失望、続く「クローンの攻撃」「シスの復讐」がイマイチだったところへ突如出現した傑作「マトリックス」‼️日本公開される頃には、すでに続編製作が決まっていたため、私はこの「マトリックス」こそが21世紀の伝説の三部作になるだろうと確信していました。何度マネしたか分からないネオの "ブレットタイム"や、トリニティーの空中 "鶴の舞い"‼️日本のアニメとか聖書から影響を受けた物語や仮想世界という斬新な設定、しかしその根底にあるのはネオとトリニティーの愛という素晴らしさで、オタク監督であるウォシャウスキー兄弟、いや姉弟の無限の可能性を感じさせられました‼️ところがである。続く「リローデッド」「レボリューションズ」のまさかの堕落で21世紀の伝説の三部作の夢は木っ端微塵‼️オタク監督の限界だったのでしょうか。私的には「マトリックス」は、覚醒したネオがクールに飛び立つラストで終了で良かったような気がします。伝説の三部作の夢破れ、ガッカリの空気感漂う映画界に突如現れた救世主はネオではなく、ピーター・ジャクソン監督「ロード・オブ・ザ・リング」三部作だったのです‼️
仮想世界を題材にした代表作
本作はまさに「水槽の中の脳」を実写化した映画です。 主人公であるネオが今まで生きていた世界は、実は仮想世界であり、現実世界はAIにより支配され核により汚染された世界となっていました。 人間はコンピュータを活動させるためのエネルギー源としていかされており、そこではAIにより人間の生産管理が行われおります。 人は生まれてから死ぬまでプラグで脳と接続された状態であり、ほとんが死ぬまで仮想世界で人生を送っています。 映画を見終わった後は、自分が今体感している5感も全て仮想現実で、本当は別の世界で生きている自分もいるのではないかと思いを巡らせてしまいました。 実は10年前あたりに1度観たことはあったのですが、その時は「ただアクションがかっこいいな〜」とそれだけの印象しかなったです。 大人になって再度改めて見返すと、印象が変わる映画ですね。 作中、ネオは登場人物に度々2択を迫られますが、私だったらどっちを選ぶかと常にネオの立場になって考えてしまいますね。 本当に面白い作品でした。
全195件中、1~20件目を表示