街の灯(1931)のレビュー・感想・評価
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また逢う日まで
本当はラストに上映される「黄金狂時代」を見たかったが、チケット争奪戦に勝てず、ラス2である本作を鑑賞。ひたすら笑える映画なのに、この1時間半がこの映画館で作られる最後の思い出なんだと我に返ると、一気に涙が込み上げてきてしまった。トーキー(発声映画)の時代がやってきたというのに、あえてセリフ無しで製作された本作。音がなくとも、いや、音がないからこそここまで人の心を動かせるんだ。改めてチャップリンという人物がいかに偉大だったのか気付かされた。
本作の希望に溢れるラストが、まるでこの映画館に向けた応援メッセージのよう。さようならでは無い。この映画を見てなぜだか強くそう感じた。
大洋1の階段を上がってすぐのチャールズ・チャップリン。いつも出迎えてくれる彼が、今日は私たちを見送ってくれる。78年間の思いを胸に、暖かく、優しく。今までで一番の笑顔に見えたのは、気のせいじゃないはず。最後の最後で忘れられない思い出になりました。取り壊しになっても、あの場に面影が無くなろうとも、大好きな映画館は「中洲大洋映画劇場」に変わりはありません。今まで、たくさんの思い出を本当の本当にありがとう!!!!!!!またね!!!!
福岡中洲大洋映画劇場 お別れ鑑賞3月39日(金)4分の2
『街の灯』1931年 86分 モノクロ
12:50〜14:22 (301席:満席)
『独裁者』『街の灯』『黄金狂時代 / 給料日(2本立て)』の3本(1本千円)
の中で速攻で座席購入が完売した『街の灯』。物語的にも日本人が好きなのだろう。館内で笑い声も多かった。笑えるし、泣ける。
オンラインで購入しだか既に前日にはソールド・アウトだった。案の定 当日の朝はご年配の方々がカウンターにチケットを買いに来てたが、すでに完売で諦めて帰る人達を沢山見かけた。帰りに店員に「こんなに人気で繁盛して混雑になる事は予想してましたか?」と聞くと「予想外」との返答。こんな昔の白黒映画に客が入るか興味を持って早めに予約サイトを見て無かったら私も座席は抑えられなかっただろう。
今作も多分10歳頃にNHKで観た以来の数十年ぶりの鑑賞でボクシング・シーンは館内で笑い声が多かった。
コメディの連続ながらきっちり締める
YOU
愛かな、やっぱり愛でしょうね。目に光のない人には、単なるコメディ映画に思えてしまう。
高校生の頃、チャップリン命という友人がいた。彼とは映画の話をしたが、チャップリンに関しては古いコメディ映画レベルの関心度しかなく、キチンと観ていなかった。
数年後「街の灯」をじっくり観て愕然とした。
彼の作る映画には、観客を楽しませよう、
観客の心を動かそう、観客をこらしめよう、
映画館を離れてからも心に留めさせよう。
そんな工夫が散りばめられていた。
観客は映画を観る「目」を持て。
映画を楽しんで、笑って泣け。
そう云われた気がした。
物語はー
街の片隅に住む浮浪者は盲目の女性と出会う。
女性はボロを着た彼の姿がわからない。
浮浪者は夢を見る。浮浪者は女性の力になる。
浮浪者は自由気ままな浮浪者以下に落ちぶれる。
そして…。
彼のどの映画にも「涙」はついてくるが
この映画にはやられてしまう。
※
評価が難しい
ホームレスの放浪者チャーリーは、街角で花を売る盲目の娘に恋した。その娘に金持ちの紳士だと勘違いされたチャーリーは、酔っ払って自殺しようとしてた富豪を助け、その男と親しくなり、彼から大金を譲り受け、娘のために使い・・・てな話。
90年以上前に公開になったこの作品を現代のお笑いに溢れた中で評価するのって難しいと思う。
チャップリンの動きなど面白いが、この作品をベースにしたその後のお笑いを観てると、歴史的価値が有るのはわかるが・・・,
ストーリーにしても、何か努力をしたというより、偶然金持ちに出会ったというだけ。
偶然の中に笑いが有るのだと言えばそうなのかもしれないけど。
あの花売り娘がライムライトのテリーくらい可愛ければもう少し星が上がったかな。
こんなレビュー書いてたら、先日お会いしたチャップリン協会会長の大野さんに怒られそう。
圧倒的コメディセンスと献身的な愛に感動
哀愁の表情が流石
知っているのに…
笑ったり泣いたり
あえてトーキーで無くしたんだと…
いい映画はいい
盲目の少女の話なのに、何故トーキーにしなかったのか?
盲目の少女の話なのに、何故トーキーにしなかったのか?それだけが分からない。
さて、改めて見て、名作だと思う。
チャップリンが笑える理由は、努力して生きようとしているところだと思う。駄目な事をやって、受けを取る笑いではなく、がんばって、やったけどぎこちなく失敗した。それを笑っている。
日本の笑いの多くが、自虐的にボケてツッコミで笑いを取ると言うもの。身も蓋もない。
リアクション芸と言うが所詮いじめている。だから、分かっていても僕は笑えない。がんばって努力してリアクションを取っている事は認めても、惨めすぎて、それが本当に芸なのかと思えてしまう。反面、チャップリンの笑いはボケているようだが、一生懸命に生きる事が根底にあると僕は断言する。
芸が受けることだけで、心を痛めていたのかと考えると哀れになる。
ご冥福をお祈りします。出来るなら、リアクション芸以外の芸も見たかった。
普遍的な笑い
制作時、チャップリンは42歳。コメディって「8時だよ、全員集合」のドリフターズもそうだったけど、体力勝負なところがあるよなー、と思う。
Wikipediaによると87分の映画だけど製作に3年を要した。盲目の花売りの女性の最初の出会いのシーンだけで1年以上かけて撮り直しとは、ほんと、周りの人も大変だったろうなぁ。
アートショップの前の道路でチャップリンが、工事中の道路の穴に落ちそうで落ちない、を繰り返すぎりぎりの面白さ、そのあとに下からせり出した来た男が最初身長が分からなかったけど実は大男だった、酔った金持ちが酔った時にしか友達としてのチャップリンの記憶がない、ボクシングの試合会場でのやりとりなど、普遍的な笑い。計算されてるよなー、って思う。そして何回これをカメラの前で繰り返したんだろうってことも。男性が自殺を止めるシーンは特に大変だったろうね。何回ずぶぬれになって撮り直したんだろう。
日本では体形や見た目をお笑いのネタにするのが多い。でも最近アメリカではそれは時代遅れになってきているそうな。なんでもアメリカが良い、とは言わないけど、結果的にそういう流れになっていくんだろう。そうすると本来の笑いのセンスだけでの勝負が必要となってくる。本来の笑いとはそうあって然るべき。チャップリン映画を見てそう思った。
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