ホワイト・ファングのレビュー・感想・評価
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1973 年のフランコ・ネロ主演の『白い牙』のレビュー
ジャック・ロンドンのホワイト・ファングは幾つかのバージョンがあり、またAdaptionと言
ったほうがいいいかも。1973年(1991, 1994, 2018など....ある)。のである、ジャーナリストをフランコ・ネロ(Franco Nero/マカロニウエスタンの旗頭)が演じているのをみた。ミッサーMitsahと言って、ホワイト・ファングと友達になる子供をMissaela Chiappettaが(ブラジリアンジャパニーズ)演じている。監督はイタリアの Lucio Fulci監督(AI検索)フランコネロの声はダブされてるね。無料でみられる。
ジャック・ロンドンは有名な米国の作家であるが、私はまだ
彼の作品を一度も読んだことがない。1906年の作品なので、ジャック・ロンドンの生きた時代やその当時の米国政府の動向を理解しないと、御涙頂戴、勧善懲悪映画に終わってしまうかもしれない。この映画の舞台は1896年カナダのユーコン州のドーソンシティ(ジャックロンドンミュージーアムがある)で、ゴールドラッシュの時代だ。カナダの果に、一攫千金を狙った人々も含めて、よく行ったなと思う。しかし、ストーリーには欲を抱えた人ばかりは出てこないので、救われる。
好きなシーンだけ書き留める。
1)スコットJason Scott (Franco Nero),はドーソンシティーを旅しながら、物語や記事を描いているジャーナリスト。ここではジャック・ロンドンのような存在だ。スコットはスティームボートで川を登りドーソンシティーの船着場で、 Sister Evangeline (Virna Lisi)というカトリックの尼に会う。初めて、二人が会話をするシーンが好きだ。My name is Scott. と言ったら、彼女は(訝しげに、知ってる作家というような顔つき)Jason Scott??と。なぜなら、エバンジェリーンはスコットの本を読んだことがあり、彼の本が事実を描写しているので、気に入っていたようだ。その作家にあったので、はにかんでいるように見えたから、それが愛らしかった。そして、貧しい人がどう踏み躙られているか世界に知らしめて欲しいと続ける。正義感の強いたくましい言葉だ。そして、スコットの暖かい眼差しでの返答がまた洒落ていて、エバンジェリーンに好意を持ったことがよくわかる。それは、『いつかあなたの祈りの中で私を思い出すと約束してくれる?』とかなんとか。ジーンと心に響く言葉だね。彼女は返事をしなかったけど。
2)ネイティブカナディアンの父親が殺されて、ホワイトファングの持ち主であるミッサーMitsahは孤児になってしまう。ホワイトファングに主人が必要とスコット。ミッサーMitsahがいるとエバンジェリーン。Mitsah needs real father! とスコット。At his age a mother is more importantと彼女。ここシーンがコミカルで笑っちゃう。二人がミッサーMitsahを奪い合っているように聞こえる。二人が結婚すれば、この問題は解決するのに。二人はお互いに好意を寄せているが、彼女は尼だから、結婚はできないねえ。こういう会話がスリリングでヒヤヒヤするんだよね。勧善懲悪物語だから、悪人の「ビューティー」は負けるのはわかっているから、私はそこに焦点をおかないが、この二人の言動や視覚・聴覚描写が私の心の中でスリル満点になるんだよね。
でも、私は現代流にしか考えられないからね。私の頭の中は1896年じゃないんだね。二人が手を触れ合うシーンもなくて、表情と婉曲表現だけの愛情ででしか判断できない。ミッサーMitsahが元気になると、スコットとホワイトファングと遊びに出かける。そうすると、家で、母親のような彼女が、いってらっしゃいと言って微笑む。屋外では父と子(のような)と犬の交わりがより親密感を与える。父親は子に優しく振る舞う。それに、犬との遊び方を教えている。大自然の中で遊んだ後、スコットはエバンジェリーンと一緒に部屋に行って休むようにと病み上がりのミッサーMitsahに。ホワイトファングも休むよと言って犬の背中をポンと叩く。エバンジェリーンはミッサーMitsahを愛撫して抱えるように部屋に向かう。その二人の姿を見送って、優しい眼差して微笑んでいる(フランコ・ネロは上手だね)スコット。この三人はまるで家族のようである。
しかし、スコットの言葉の端端には『ネイティブカナディアンのチーフになる』という言葉が出て、ミッサーMitsahを白人の世界に入れるようなそぶりはない。ホワイトファングに対しでも、野生がすみかで、飼い慣らそうとはしない。一線を引いて、相手の文化を尊敬して共生しているのがはっきり見える。ミッサーMitsahやホワイトファングはスコットにべったりついているようだが?
3)最後のシーンで、ホワイトファングが戻らないが、スコットとエバンジェリーンとミッサーMitsahはスティームボートに乗り込む。私の理解ではスコットはミッサーMitsahをネイティブカナディアンの地域に、連れて行き、エバンジェリーンはコールドラッシュの新天地アラスカのNomeノームに向かい病院を建てる予定だと思う。船上でスコットとエバンジェリーンが自然に会話をする。
スコット:誰かがゴールドを見つけると....神はどこにあるか知ってる...
人々は気が狂ったようにそこへ...
エバンジェリーン: お願いを書いた。ノームには病院がいると。
スコット:Yeah, ノーム。
ここでふたりが一瞬見つめ合う。このちょっとの間は、『あなたはノームに行くが、自分もミッサーMitsahを届けてから行くよ』という意味が含まれていると感じた。でも、この瞬間はあっというまに壊されてしまう。ミッサーMitsahが川辺にホワイトファングを見つけて、「ホワイトファング」と大声で叫んだから。二人が見つめ合う姿は瞬時だけど、目が物語っている。
最後のここからは、ホワイトファングが川を横切って、ボートに向かって泳いでくるが、溺れそうになる。その時、スコットが飛び込む。
I am coming I am coming! I am here. Comon boy!! .......
二人は泳ぎ切って抱き合う。スチームボートはスコットとホワイトファングを旋回しながら待っている。
ジャックロンドンの原作から遠く離れないこの時代の描き方
素晴らしかった、
ハリソンフォードの「野性の呼び声」からの流れで見たが、やはりこの1992のリアルに撮られた犬の表情や動きはグッと伝わってくる。
今の時代のツイストされたストーリーではなく若い頃に観た素直な物語。
100年以上前のジャックロンドンの設定は生かしてあるがジャックコンロイの青年から大人へなろうとする時間をホワイトファングと並べたところもイイ。
幼いホワイトファング(オオカミと犬の混血)と、亡き父の跡を追ってアラスカの奥地まで来たジャックコンロイ(イーサンホーク)の心通わせていく物語、その美しいアラスカの風景のよりなにより若く美しいイーサンホークとかわいらしさから逞しさへと移り変わるホワイトファングの演技だけでもホッとする。
自然への畏怖と生命への慈しみ
【若きイーサン・ホークの美青年の佇まいに魅入られる。ジャック・ロンドンの「白い牙」を基に映画化した作品。原作と映画の違いも堪能したい。】
イーサン・ホーク、当時22歳。
故、リヴァー・フェニックスと並ぶハリウッド人気若手スターと呼ばれていたなあ。本当に美青年である。
(が、観ているこちらも、同じくらい若くて知的な美青年だったので、当時は余り気付かず・・。すいません・・。)
今作が、原作から大きく変更されている部分は、イーサン・ホーク演じるジャック・コンロイの存在である。(観賞中は、コンロイ=ジャック・ロンドンじゃないか・・と思ったものである。)
コンロイは母と死別し、父の手紙に書いてある鉱山に金を求めてやってくる若者だし、子犬のホワイト・ファングも母犬と死別したばかり。
この映画はホワイト・ファングが傷つきながらも、逞しく成長していく姿と、ジャック・コンロイの成長も描いている二重のビルドゥングス・ロマンにもなっている。
<ジャック・ロンドンの「白い牙」のラストと今作「ホワイト・ファング」のラストとどちらに軍配を上げるかは人によって違うかなあ、と思った作品>
<1992年8月(日にちは失念) 劇場にて鑑賞>
犬と狼
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