炎の人ゴッホのレビュー・感想・評価
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心の奥深くに触れる絵を描きたい
繊細さと内に秘めた激しさを併せ持つフィンセント・ファン・ゴッホをカーク・ダグラスが熱演。
パリで画商として働きながら兄を経済的に支え続けた弟テオをジェームズ・ドナルドが、ポール・ゴーギャンをアンソニー・クインが演じる。
ゴッホは伝道師として炭鉱の街ボリナージュに赴任し、劣悪な環境の下で働く炭鉱夫達の暮らしぶり心を痛める。
ゴッホが描いた作品は、タッチや色使いが独特で、温かみがある。
ただひたすらに絵を描くことに真摯に向き合いながらも、精神の安定を失っていくゴッホの姿に、彼が生きていた当時、もっと作品が評価されていたなら、と考えてしまいます。
機会があれば、ゴッホを題材にした映画を観ていきたい。
NHK-BSを録画にて鑑賞 (字幕)
才能と愛情の狭間で
炎の人ゴッホ
その通りであった。狂おしいまでの愛、その愛の矛先は
神に始まり女性を経て、絵、友、そして弟、その家族。
思うに、ゴッホは
愛情が深過ぎたのではないか?
友や女性には真っ向からぶつかり
腹の底から思いの丈をぶち撒ける。
愛を伝える時。喧嘩をする時。
異常と言われるような環境で絵を描き続け
「俺は太陽を描くなら光や熱まで描く」
「農家を描くなら体に染み込んだ体臭まで描く」
絵では到底、表現出来ない
突き詰めれば、どうしたってぶち当たってしまう壁。
世の断りを、まるでそんなものは存在せんとばかりに
"絵"を"五感"で表現しようとした。
だからこそ、もがき、狂い、憂い、情熱を持って
最後まで人生を表現した。
孤独である事を「罰だ」と言ったのは
その狂気染みた"愛"故に人を遠ざけてしまうから。
そして、そんな自分を傷付けた。
それでも最後まで献身的に支えてくれた弟と
その妻が居てくれて本当に良かったと思う。
才能を遺憾なく発揮するには愛情。
逆もまた然り。
愛情がないと才能を存分に活かせない。
では、その狭間で燻るものは
孤独、或いは憂い、はたまた怒り
ゴッホにとって、それは孤独。
故に"愛"を求め"才"に恵まれ"絵"を生む。
最後には
「もう何も見えない。出口が分からない」と
そんな"絵"から、まるで突き放されたような皮肉過ぎる
最後ではあったが
それも巡り巡って弟と、その妻のおかげでゴッホの絵は
現代に存在している。
そこに、まるでゴッホが今も生きているかのように。
この映画を通じて知った
偉大過ぎる男の、まるで太陽のような男の生き様に
まだ芽のままの私は、いつか太陽の方を向いて花開く
向日葵を夢見て生きる糧になった。
ハリウッド仕様のゴッホ伝記映画のまとまりと重厚過ぎる長短
ポスト印象派を代表する孤高の画家フィンセント・ファン・ゴッホ(1853年~1890年)の波乱の半生を重厚にして情熱的に描いた伝記映画。監督は「巴里のアメリカ人」(1951年)「バンド・ワゴン」(1953年)などミュージカル映画を得意としたヴィンセント・ミネリで、「花嫁の父」(1950年)「お茶と同情」(1956年)「いそしぎ」(1965年)などの中庸を得た人間ドラマも手掛けています。しかし、この伝記映画の特徴となる情熱と敬虔なゴッホ像は、演じるカーク・ダグラス(1916年~2020年)の強固にして不屈な俳優の個性によって固定化され後世に残されました。実際この映画を50年前に観た私のゴッホのイメージは、このダグラスが演じたゴッホ像に感動を得て、これまで漠然と思い込んでいました。また1950年代のハリウッド映画の仕様、史劇やキリスト教映画で取り入れた骨太で荘重な物々しさをタイトルバックから取り入れて、偉人伝としての構えたコンセプトがあります。これに一役買っているのが、「ベン・ハー」「エル・シド」で有名なロージャ・ミクローシュの音楽でした。単独で聴いたら37歳で孤独のまま亡くなった苦悩多き芸術家のテーマ曲には思えないでしょう。原作のアーヴィング・ストーン(1903年~1989年)が1934年に発表した『Lust for LIfe/生への渇望・人生への欲望』は、映画の中で描かれた通り、ゴッホの実弟テオドラス・ファン・ゴッホ(1857年~1891年)との書簡集から創作されたフィクション小説です。脚本は1930年代から1940年代にラジオドラマのオーソリティとして高名なノーマン・コーウィンという人で、映画に携わったのは限られていたようです。映画は原作のロンドンのプロローグをカットして、ベルギー伝道委員会から始まります。
この1878年12月、伝道師としてベルギーの炭鉱地帯ボリナージュに赴いたゴッホは25歳になっていました。元々牧師の家柄に生まれた出自から成績不振でも伝道師を目指したのは理解できるのですが、絵画についてどの程度興味があったのかが分かりません。実は1869年16歳の時に学校を中退して伯父の紹介で画商のグーピル商会に就職し、ハーグ、ロンドン、パリで社会人生活を経験しています。それでも、1876年23歳でグーピル商会を解雇された後は教師や書店員と職を変えて、更にアムステルダムの神学校の受験勉強に挫折するという紆余曲折の青春時代でした。ゴッホが登場する冒頭シーンの自信のない姿は、行き場所がないゴッホを端的に表しています。それで画家を天職と決めてからも、弟テオのいるパリに行く1986年33歳まで国内を転々とする不安定な生活を続けます。映画でも分かるように、画商の安定した職に就いたテオが、収入のないゴッホへ生活費や画材の援助を始めたのが1880年の23歳の時です。つまり、ゴッホは4歳年下の弟から亡くなるまでの約10年もの間、資金援助を受けて、歴史に残る名作を創作できた訳です。これは世界遺産とも言えるゴッホの絵画全てが、自由な環境の創作活動を支えた弟との共作であるとも言えるでしょう。
ゴッホは炭鉱の労働環境の厳しさと貧しさを身をもって経験し、神の言葉を伝え救済する使命感とは裏腹に、荒んだ生活に陥り挫折します。伝道師の言葉だけでは貧しい人の空腹を満たすことは出来ません。伝道委員会の言う、教会と聖職者の尊厳とは何か。彼らを偽善と見抜いたゴッホが故郷に帰って、自然とそこで働く人々をスケッチしますが、有名画家の模写も同時にしていたようです。影響を受けた画家の一人にジャン=フランソワ・ミレー(1814年~1875年)がいました。部屋の壁には『晩鐘』『種まく人』の絵が掛けられていますが、ペン書きした単色のものばかり。ゴッホが幼少期に絵の才能を開花させた神童ではけしてなかったこと、そしてこの27歳から亡くなる37歳までの10年間の試行錯誤の末に独創的な画風を確立していったことは、他の有名画家と大分違います。その後映画では語られていませんが、美術学校に2度ほど籍を置き絵画の基本を学ぼうとした記録が残っているそうです。音楽家で言えば35歳で生涯を閉じたモーツァルトや31歳のシューベルトなど、芸術家が短い生涯で終わるとき、その限られた期間で作家生命を燃焼させる。あたかも死を見越してやり遂げたのではないかと、凡人からは見えてしまうほどです。天才の偉業というものが、生涯を賭けた産物であることに、ただ敬服せざるを得ません。
しかし、天才も一人の人間です。恋もすれば愛を告白して断られ失恋に懊悩する姿は、どんな人でも惨めです。ゴッホが従姉の未亡人ケー・フォス・ストリッケル(7歳年上で8歳の子供連れ)に求婚して拒絶され、“とんでもない、だめ、絶対に”と言われたのは事実で、その後アムステルダムの伯母宅へ押しかけ、ランプの炎に手をかざして面会を迫ったのも本当にあったことでした。“世の役に立ち、何かを成し遂げること。情熱を持て余している。”とテオに語ったことは彼の本心であったのでしょう。でも一途な情熱は、一方通行に終わるのが世の常。上手くやるには、それなりの段階が必要です。生涯独身を通したゴッホには、てんかんなどの病気を小さい時から患っていたことと、大人になっても人の心を汲み取れない欠点があったと思われます。この一途さも芸術には必要不可欠であるも、私生活ではマイナスに働くものです。そんな人間らしいゴッホが愛しく思えるかどうかは、その後行きずりで子持ちの女性と同棲するエピソードで微妙になってしまいました。
これら私生活含めゴッホの情熱と彷徨を表現した映画で特に印象に残るのが、テオのいるパリに行ってからの創作活動です。水彩画から色彩豊かな油絵になり、その鮮やかさを得たゴッホの絵が輝き出してきます。印象派画家カミーユ・ピサロ(1830年~1903年)に光の描き方を聴き、新印象派のジョルジュ・スーラ(1859年~1891年)の代表作『グランド・ジャット島の日曜日の午後』の創作アトリエでは、スペクトル順に絵の具を並べて置く点描によって光彩を緻密に表現したスーラの技法を学びます。スーラはゴッホより6歳年下でも1883年の24歳で本格デビューし、既に自分の作風を完成させていました。実質作家活動が7年程の夭折の画家。スーラの壁一面の大作を再現したシーンでは、この映画の本気度が窺えます。そしてもう一人が、アルルで共同生活をした、ゴッホと同じくポスト印象派のポール・ゴーギャン(1848年~1903年)です。2人はパリで知り合って、1888年10月にテオの仲介でゴッホの家を訪れますが、精神的に追い詰められたゴッホの(耳切り事件)がその年の12月末でした。50年前の初見では、このゴーギャンとの芸術観の対立や生活感の軋轢が印象深く残ったものの、今回調べてみて驚いたのは、その期間が9週間に過ぎないことでした。当時のパリ画壇である程度活躍していたゴーギャンは、無名のゴッホの才能を認めていたとは言え、自説を曲げない頑固さは似ており、衝突は避けられなかったと想像します。それでも歓迎するゴッホがゴーギャンに用意した部屋の壁に代表作『ひまわり』の絵が幾つも飾られているシーンは、観ていて心が和みます。ミレーの働く農民の絵をゴーギャンに否定されて反発するゴッホは、自然の中の人間の感情を表現したい。対してゴーギャンは、具象ではなく観念を伝える絵画は抽象芸術と主張します。このダグラスとゴーギャンを演じるアンソニー・クィンの競演が、この映画最大の見所でした。ダグラスの全力を注いだ熱演に、ゴーギャンの人間性を演技力で巧みに演じるクィン。「革命児サパタ」(1952年)に続いてアカデミー賞助演男優賞受賞に納得の役作りでした。
ゴーギャンが去った後、監禁含めた入退院をくり返し、地元住民からの退去嘆願書も出され、1889年5月アルルからサン=レミの修道院療養所に移動します。てんかんの発作や幻覚症状に苛まれながらも創作活動を続けるゴッホにとって、絵を描くことだけが生きる望みだった。代表作『アイリス』『星月夜』が描かれ、翌年1890年5月体調が回復しパリ近郊のオーヴェル=シュル=オワーズにポール・ガシェ医師を慕い転居します。この最後の年には「医師ガシェの肖像』『オーヴェルの教会』『カラスのいる麦畑』が遺されました。拳銃自殺と言われますが、実際は誰もいないところでの事故であったため真相は分からないようです。映画では遺書のようなものを書き残して、拳銃の発砲音だけで表現しました。テオがパリから掛けつけ、実際にも臨終の床に間に合い、言葉を交わしたのが救いです。世の役にたつことを不器用に真摯に探し求め、病と闘いながら、やっと見つけた画家の仕事に情熱を捧げ尽くして人生を終えました。
ゴッホが生前に売れた作品は『赤い葡萄畑』の一つだけと言われています。殆ど無名扱いの画家の作品が死後注目され売れ始めるというのは、余りにも非情です。このゴッホと同じ運命をたどったのが、ジェラール・フィリップ主演ジャック・ベッケル監督の『モンパルナスの灯』の主人公アメデオ・モディリアーニ(1884年~1920年)です。貧困に苦しめられて35歳の若さで生涯を閉じたイタリア人画家。映画では亡くなったことを知った画商のリノ・ヴァンチュラがモディリアーニの絵をあさるラストシーンの無情さが印象的でした。ただゴッホの作品は、翌年弟テオが33歳で後を追うように亡くなっても、妻のヨハンが管理し、その後息子フィンセント・ウィレム・ファン・ゴッホ(1890年~1978年)がファン・ゴッホ財団を設立して、今日のファン・ゴッホ美術館につながります。それと同時にゴッホが交わした書簡をまとめて発表したことが後世のゴッホ研究に多大に貢献し、この映画の原作となった訳です。
映画作品としてもゴッホ伝記としても完璧ではありませんが、多くの名画の創作過程を克明に描き、天才画家ゴッホの苦悩を知る上で分かり易く作られたハリウッド映画でした。良いところも悪いところもハリウッド映画らしいのです。ゴッホ像では、黒澤明監督の「夢」(1990年)のマーティン・スコセッシ監督が扮したゴッホが本物に近いかも知れません。それでも個人的にはカーク・ダグラスの熱演は評価しています。ロージャ・ミクローシュの音楽も好きです。アンソニー・クィン主演のゴーギャン伝記映画を想像すると、面白い作品が出来たのではないかと思いました。
感動を与える画家になりたい
カーク・ダグラスver.のゴッホは情熱に溢れてた
ゴッホをざっくり知るにはいいかも?
晩年の姿があまり感情移入できないので平坦なイメージが残ってしまう
カーク・ダグラスの特徴である割れたアゴが髭のために見えない。そのヴィンセント。実家に戻って未亡人ケイに求婚するが、あっさり振られてしまう。ケイの家でロウソクの火に手をかざし、会わせてくれるまで帰らないと迫るシーンがすごい。火傷を負い、特別美人でもない年増の女性クリスティーンと結婚する。どうも子供がいる女性が好きみたいだ。
ようやく絵の才能を認められはじめたが、生活は苦しく、クリスティーンとは別れてしまう。美術商として成功していた弟テオからの仕送りで働く人を中心に絵を描き続けるヴィンセント。やがて印象派の色使いにショックを受け、真剣に勉強をはじめ、ゴーギャンと意気投合することになる。共同生活を始めたものの、ケンカが絶えず、ゴーギャンはゴッホのもとを去るが、ゴッホは寂しさに耐えられなくなって耳を切ってしまう。
幸せにはなれない情熱の社会不適合者
総合70点 ( ストーリー:70点|キャスト:70点|演出:65点|ビジュアル:65点|音楽:65点 )
思い込みが激しく自己中心的で相手の気持ちを慮ることが出来ない。幸せな生活を夢見ながらもそれが手に入れられない。それもゴッホがまともな社会人としての生活が出来ない無能な人であったから。不幸になって当然、画才がなければただの社会不適合者にすぎない。そのゴッホの強烈な生き方を中心にして史実を基に描き、彼の性格と足跡がそれなりに面白い。
そんなゴッホは父親ともあれだけもめたのに、弟テオはどうして兄を無条件に支え続けたのだろうか。兄への愛情はいったいどこから来たのだろうか。偉大な才能を認めていたから? でも画家になる前からテオは兄を支え続けていたように思う。もっとテオとの関係を掘り下げて欲しかった。
それから絵はいくつか作品に登場するが、ゴッホが何を見てどう感じてそれをどう作品として仕上げていったのかという過程が弱い。時代的に欧州に行ってその風景を撮影するというのが難しかったのかもしれないが、風景画家としての評価の高い彼の見たはずの風景が殆ど登場しないのはいただけない。むしろ殆どが作り物の美術を背景にした室内とちょっとした街角での撮影で占められていた。強烈な色彩の画家なのに、作品中の映像はくすんだ色ばかりが印象に残る。
物悲しい人生
謎が多くとも
ゴッホという人の死や心の中は謎めいている
だから真相は分からないけれど
この映画は観ていると胸が苦しくなるほど
他人と自分のギャップや芸術を極めることの
大変さを思い知る。
結局のところ他人は都合のいいことしか
言わないのよね…己の道を人の意見をものともせず
貧しくとも突き進むゴッホに泣けてしまいます。
主人公のカークと監督ミネリのタッグが良かった!
まだカーク様はご健在のようですので健康を
心よりお祈り申し上げます。
でも弟さん、テオ?だっけ?
兄弟愛に感動しました。
あんな弟が欲しかった。
わたしも比較的誰にも理解されないタイプなので
ゴッホの気持ちは痛いほど分かるわ♡
彩度高めのビンセント・ミネリ
自然美に魅せられた画家
序盤から明らかに発達障害という描写で、本人の自覚も周囲の理解も足らず、随分と苦労したのだろうと思います。親切にしてくれる人、自分の味方でいてくれる人が少なかった分、居場所も必然的に限られ、転々としたように見えました。
牧師の家系に生まれ、一時は自身も聖職者を目指した彼は、少なくとも発作の前までは、自然美の中に神が宿るのを見い出していたように感じました。決して穏やかではない筆使いから、そういう視点で鑑賞したことがなかったので、新しい発見でした。
どこかで見たなという風景が、絵画を基に再現されていて面白いです。作品の作成順も整理されます。
生前確実に売れたのは一作だけで、経済的には生涯弟に支えられていましたが、この時代に行けるものなら、全作品買い取ってあげたいくらいです…(^^)。
愛すべき、真面目な情熱家。
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