ホームワークのレビュー・感想・評価
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【イランの名監督アッバス・キアロスタミが、多くの子供達に宿題に付いて質問をするシンプルなドキュメンタリー。だが、その過程で近代イランの教育問題を炙り出す手法が見事なる作品である。】
◆感想
■アッバス・キアロスタミ監督が宿題に付いて子供達に質問する内容と答え
・Q.両親は字が読めるの。
A.読めない。(途中37%の親が文盲であるという数字が出る。)
・Q.宿題をしないとどんな罰を受けるの。。
A.鞭でぶたれる。
・Q.宿題は沢山あるの。
A.とても多い。
・Q.(映画好きの男の子に対して)どんな映画が好きなの?
A. 喧嘩の映画。イラク兵の頭を切り落としちゃうんだ。
あれ、喧嘩と戦争は違うの?
フセインは斃さなきゃだめだ。
・Q.(悪戯っ子に対して)先生に怒られるの?
A.泣きながら、定規でぶたれる。
- このマジッド君は情緒不安定になっており、友人のモライ君が居ないと泣き出す。
だが、アッバス・キアロスタミ監督が”宗教詩は言える?”と聞くとスラスラと暗唱
した詩を口にするのである。
<子供達が、いつも宿題に追われていると感じたキアロスタミ監督が、イランの小学生や先生に次々と質問をする。
「なぜ宿題をしてこなかったの?」
「誰が宿題を見てくれるの?」。
今作は、彼らの質問に対する答えから、少年達の複雑な家庭事情とイランの教育制度の持つ問題点が見えてくるドキュメンタリー映画である。>
「宿題が好き」と答える子どもたち
202302 45X
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マジッドが暗唱した宗教詩
「おお 神よ」
おお 神よ 美しい星よ
おお 神よ 鮮やかな花よ
金星を造られた神よ
月と太陽を造られた神よ
すべての山と丘と海と
美しい木々と
美しい蝶々の羽と
鳥には巣を
喜びと遊びと強さと
私たちにものを見る眼を
雪と雨 暑さと寒さ
すべて あなたが造られた
神よ 願いを叶えたまえ
我らの心を幸いと喜びで満たしたまえ
計算づくの二重性
子供が一人ずつカメラの前で「宿題」にまつわる質疑応答を行うというミニマルなリズムが飽和しかけたまさにそのとき、ふとした転調が差し挟まれる。子供ばかりが映し出されていたカメラの前に小太りの中年男性が現れ、自身の教育論を開陳しはじめる。それを合図に素朴なドキュメンタリーのミニマル構造は徐々に崩れ落ちていき、にわかに小児教育批判の色調が強まる。
撮影クルーに暴力を振るわれるのではないかと勘違いした子供が泣き出すカットはとりわけ印象深い。彼は教員によって日頃から暴力を振るわれており、それゆえ大人というものに対して異様なまでの恐怖と猜疑を抱くようになっていた。イランの小学生たちは暴力の予兆をちらつかされながら、こうして日々大量の不毛な書き取り問題に取り組んでいるのだ。
キアロスタミの批判的眼差しは小児教育のさらに外側へと向かっていく。子供たちが校庭で聖典を復唱するシーンでは、一所懸命に聖典を読み上げる教員と、それを歯牙にもかけず騒ぎ散らす子供たちとのギャップが映し出される。そのとき「子供たちは大人のありがたい話をまったく聞いていません」と大人側に傾斜したかのようなナレーションが入るものの、そこに「馴致されきった大人」と「自由闊達な子供」の明暗が描き出されていることは明白だ。過激な小児教育の根底にはイスラム教の厳格な規範意識が影を落としているのだということを、キアロスタミは生の映像のみを用いて表現してみせた。
イランは標準的なイスラム国家がそうであるように、小説や映画に厳しい検閲をかける。したがって文芸がそこで延命していくには、陳腐なおべんちゃらを講じるか、あるいは処罰覚悟で爆弾特攻を仕掛けるしかない。しかしキアロスタミはそのあたりのさじ加減が非常に巧い。面従腹背というか、作品の中に意図的な二重性を構築する術に長けている。
本作は額面通りに受け取れば単なる素朴なインタビュー集に過ぎない。確かに教育批判的な側面はあるけれど、検閲するほどではない。しかしこれらをインタビューの集積ではなく一つの作品として鑑賞するとき、要するに作家による「編集」の結果物として捉えたとき、本作はれっきとした宗教批判映画として立ち現れてくる。
さらに、よしんば検閲側が本作の批評性に気付いたとしても、その具体的な証拠を画面の中から見つけ出すことはできない。「証拠」なるものはモンタージュが喚起する想像力の世界に属しているからだ。彼らの鬱憤は「理由はないけどなんかムカつく」程度の位相を滑稽に旋回し続け、どこにも辿り着けない。
キアロスタミの作品はどれも本当に計算し尽くされていて思わず舌を巻いてしまう。「編集」の、すなわちフィクションの意義と可能性についてこれほど深く考えている監督は全世界を見回してもそう相違ないのではないかと思う。
他人事ではない課題
イランのこどもって、勉強が大変そう、宿題が相当難しいのかな、国の体制がしっかりしている、というか厳しいというか…と他人事として呑気に観ていた。けれど、途中で日本のことが出てきて、あれ?となった。気がついた。他人事ではない、そういえば日本も同じだった。
日本では、「いい大学に入るため」の受験勉強がひどいのだから!
公立の小中高はそこそこマシかもしれないけれど、塾や、受験校と呼ばれる私立などはどうなのか。
大学や高校受験の勉強だけならまだしも、いい高校に入るため→いい中学校に入るため→いい小学校にはいるため、と、どんどんエスカレート。そして、まだ遊びたい盛りの、頭がいいとされる(そう期待される)子どもたちが、成績表を気にしながら、塾漬け、宿題漬けになっている。そして親も翻弄される。
そういう人たちが国を背負うエリートになっていくのだけれど、大丈夫なのか…?
家庭や個人により選択の自由があるところが日本ではマシで、そんなことは選択しない家庭も多いだろうけど、そうでない家庭もある程度いるのは確かだと思う。
そして、塾や受験校で学んでいる内容や大学の入試の内容の、その中味はどうなんだろう?
ここに出てきた父親が言うように、記憶力さえよければいい、という内容になっていないか?
考える力や創造力は養えている?
かといって、アメリカ式がいいとか、宿題はいらない、とは思わないけれど、こどものうちから、他の色んなことをする時間を奪って、かつ心理的に縮こませてまでさせる必要があることなのか。
そうやって育って大人になったとき、どうなっているのか。国はどうなるのか。
ストーリー展開が殆どないので、特に最初のうちは眠くなり観るには少し根気がいったけれど、最後は深刻気分という、やはり考えさせられる映画だった。
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