ペトラ・フォン・カントの苦い涙のレビュー・感想・評価
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オリジナルはシリアスに感じる不思議。孤独な人間の物語。
1972年公開の西ドイツ映画。
当時、日本では公開されていない。
Wikipediaによると、
ライナー・ヴェルナー・ファスビンダーが1971年に書いた同題の5幕構成の戯曲を、ファスビンダー自らが監督・脚本を務めて映画化した作品、となっている。
出演は
【ペトラ・フォン・カント】:マーギット・カーステンゼン
【カリン】: ハンナ・シグラ
【シドニー】: カトリン・シャーケ
【マレーネ】:イルム・ヘルマン
実は、男性に置き換えてリメイクされた『苦い涙』を先に見た。
私には『苦い涙』のほうが、よりコメディ寄りに感じられ、本作はリアリティが勝っている。
演出の在り方なのか、演者の影響なのかは分からない。
両方かもしれない。
『苦い涙』でのカールの役どころは、オリジナルはマレーネとなっている。
『苦い涙』においては、
「カールは実在したのか?」
とまで思った存在だったが、本作のマレーネは、より存在感がある。
ラストシーンも印象的だ。
オリジナルを観てしまうと、先に見たリメイク版がパロディ作品に思えてしまう。
なぜだろう?
私自身が男性であるがゆえ、同性の煩悶が笑えてしまうからかもしれない。
女性劇だとシリアスに感じるから不思議なものだ。
誰でも良いから繋がっていたい、そんな孤独な人間の物語、と言ってしまうと身も蓋もないか。。。
☆は、3.0
Ich liebe dich.
本作評価高く期待したが、
本作から
何を学べば、受け止めればいいのだろう。
前半長すぎ。
50年前のせいか、
お顔、ファッション、あまり好みでない。
朝が過ぎたら早めにベッドから出るべきだろ?
ビッチ早く酒を飲まないとか?
ファッションデザイナーか知らないけれど、
お金かかってそうだけどやたら露出多め、
バスト強調の似合わないドレスはやめましょう
とか、
娘ガビがマトモで正しい。
マレーネに頼む時はもっと丁寧に、とか。
マネキンといえど、スッポンポンの男女を
ベッドの中で変に置かない、とか。
せっかくお祝いに来てくれた
友人娘母親の心を傷つけないよう、とか。
プレゼントに裸の人形?????
マレーネ出て行ってしまった。
一言も発せずに。
スーツケースにポンポン荷物を放り込んでいる
しぐさ、別人。
あの人形、お気に入りだったのか?
ペトラみたいになってはいけないのだ。
カリーンのせっかくの誘いを断ったペトラ、
溜飲下がったか?
だけど、涙こぼれている。
舞台演劇を観ているよう
助手のマレーネをいいようにこき使って暮らすファッションデザイナーのペトラは、離婚で落ち込んでいた。そんな時、モデル志望のカーリンと知り合い、彼女と同棲する。カーリンはペトラのおかげで成功していくが。
全編ペトラの部屋だけで物語が展開するので、舞台演劇を観ているようでした。同性愛を扱っている点で、「ザ・ホエール」や「TAR」を思い出しました。1972年の作品であることから、だいぶ異色な作品だったと思います。そして、皆がずっと見入るのはマレーネではないでしょうか。
マレーナの存在感たるや。
5章構成の女性だけの密室劇。
ベッドの上で女子トークの恋バナが始まった時は、これがずーっと続けば最後まで観る自信がなかったけど、使用人のマレーナのおかげで
作品に入り込むことができた。
ひょっこり系、家政婦は見た系、火サス系など、台詞は一切なく終始無表情だけど、仕草や間の取り方でその時の感情が読み取れる。感情豊かで台詞の尽きないペトラとは対照的なだけに、視線が釘付けだった。
最後にペトラとマレーナの絡みがあるはずと踏んでいたけど、結末含めて満足のいく一本だった。
人でなしの恋
1972年のライナー・ヴェルナー・ファスピンダー監督作品。
ファスピンダー監督はドイツ人。ドイツ語の映画です。
2022年にフランソワ・オゾン監督が『苦い涙』としてリメイク。
オゾン監督は主役を女性のファッション・デザイナーから、
男性の映画監督に変更しています。
ファスピンダー監督は37歳で亡くな理ましたが、
15年間で44本も映画を撮ったし
演劇作品も多数残した天才でした。
女性が主役ですので、もしや女性監督では?と思いましたが、
違いました。
内容はほぼ同じ。台詞の多くも同じです。
同性の若い女に溺れて自分を見失う35歳の若い母親でもある
ペトラ・フォン・カント。
恋は盲目。
何故、そんなにもカリンに惚れ込んだのか?
リメイクにはないのですが、カリンは生い立ちを語るのです。
「ご両親は?」と聞くペトラに、
「父が母を殺して首を吊った・・・」と話す。
「この話を告白すると嫌われる」と言うカリンに
「もっと好きになった」とペトラは答える・・・このやり取りに
鍵があるのかも知れませんね。
やがて男遊びをして外泊したり、束縛を嫌うようになり、
なんと別れたと言っていた夫から電話が来る。
そしてハンブルクに経ったカリンは2度と帰ってこなかった。
(ファッションモデルとして成功しているらしい・・・
(と噂が・・・)
映画のラストの方でペトラの35歳の誕生日に、娘のガビや母親そして
女優のシドニーが祝いに現れる。
カリンからの電話をひたすら待っているペトラは、もう娘も眼中にない。
(外国で高い寄宿学校に入れるのは程の良い育児放棄のようなもの)
この場でのペトラの荒れ方、
罵詈雑言にガラスの食器を叩き壊す、壁にぶつける。
娘を傷つける言葉・・・人間失格・・・恋でその人の本質が見える。
ラストもちょっとだけオゾン作品と違います。
助手のマレーネはペトラから、
「あなたがこれから私のパートナー、
「あなたの話しを聞かせて・・・」と声を掛けられる。
マレーネが歩み寄って手を握ると「それはやめて」と拒絶される。
マレーネは愛されてないことを悟ったのでしようね。
荷物をまとめて出て行きます。
そこで暗転して、終わります。
映画の最初に、
【ある病歴】
「本作でマレーネとなった人物に捧ぐ」
と文字がでます。
マレーネを酷い目に遭わせたのを監督も意識していたのですね。
叶わぬ恋の耐え難さや孤独は知っているつもり。それを真っ向勝負で描き...
叶わぬ恋の耐え難さや孤独は知っているつもり。それを真っ向勝負で描きつつ登場人物を女性としたのは、背景に薄っすらと時代と性、ナチス、ドイツの分断を感じる。
シュール
オゾンのリメイク作品「苦い涙」の様に、男性同士の恋愛だとどうしても性欲>愛にみえましたが、女性同士の恋愛だと全然イメージが変わりますね。作品から放つエネルギーも、オゾンは陽でファスビンダーは陰。ファスビンダーは、インテリアもファッションも登場人物のキャラクターも、シュールでした。
主人公の孤独の深さを強く感じたのは、リメイクよりも本作でした。本作以外でも、私がファスビンダーから感じることは「孤独」と「死」です。彼が育った戦後の分断されたドイツ、ナチスを生んだドイツは、本質的にどんな社会だったのでしょうか。ナチス作品を鑑賞するよりもファスビンダー作品を鑑賞した方が、興味がわきます。
1972年にレズビアンを描き、登場人物を全員女性にしたファスビンダーの意図が良く分かりませんでした。私はまだまだ修行が必要です。
出演俳優は女性のみ
オゾンの「苦い涙」ではメノーシェの演技とお着替えと涙と可愛らしさと沈黙助手カールから目が離せずたっぷり楽しめて笑えた。今作は少し重く感じた一方で、男を一人も出さなかったことにファスビンダーあっぱれ!と思った。
助手マレーネの一挙一動、ちょっとした表情と歩き方がよかった。オゾンもファスビンダーもペトラ/ペーターと助手との関係性は絶対に外せないキモだ。
ペトラは35歳設定、オゾンのペーターはもっと年上設定だったことが関係あるのか、それとも恋愛関係が女同士なのか男同士なのかで私はなんかバイアスを持ってるのか、考えこんでしまっている。
オペラ「ラ・トラヴィアータ」でアルフレードが恋心を歌う箇所が最後に流れたのはとてもよかった。結局、私はファスビンダーと彼を敬愛するオゾンの手のひらで転がされている観客なんだろう。それがでも嬉しい。
助手が気になる
フランソワ・オゾンverを観た後で鑑賞
何故だろう、
やっぱり助手が最も魅力的。
ずっと寡黙に耐え続けた上で
解放される、その過程が良いのかな。
とはいえ、本当の最後の一打になるのは、
この助手の存在で。自分の愚かさに気付かされるのよね……。
オゾン版では、ちょいとしたダークなおまけがあったけど
こちらはそのままなのね。
マレーネの限界点
何度も優雅に様変わりする中でデヴィッド・ボウイにしか見えないペトラ、最後に着飾らないスッピンの彼女が一番美しく思えるが、何とも言えない滑稽な状況にア然とした表情が不憫ながら微妙に笑えてしまう話のオチ。
物語の展開自体、ペトラの部屋からベッドを中心にした密室劇が第一章から五章くらいに分かれた間隔での長回し、カーリンとの出会いから引っ掻き回されるペトラの勝手な嫉妬から一言も喋らない無表情なマレーネが押し殺す感情が炸裂する姿を想像しながら、見事などんでん返しを細やかに淡々と!?
満を辞しての登場に散々な目に合うペトラの娘が可哀想ながらコメディ色が強くなる印象で、ファスビンダーによるシチュエーション・コメディが繰り広げられると受け止めて誤解はないか??
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