劇場公開日 1997年12月13日

「自分史として、こんなに泣いた映画はないかも」フル・モンティ きりんさんの映画レビュー(感想・評価)

5.0自分史として、こんなに泣いた映画はないかも

2022年8月27日
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鑑賞方法:DVD/BD

〈自分の“日記”なのでコメントは閉じています〉。

この映画で笑えるんだろうか?
若い人なら笑えるんだろうなあ。

この映画は、大学生だった我が息子から
「面白いよ」「ギャグ映画だよ」としてサジェストされたんですが、ちょっと面喰らうほどのジェネレーションギャップ。そして大人たちが負っている痛みへの感度の違いに、息子がなんだか遠くなってしまった推薦の辞でした。

まあ、仕方ないね。
親と子とはこんなものだ。
生きている場、責任、トポスが違う。

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斜陽の国 イギリスで
炭坑町も、鉄鋼の町も傾いていく。

この映画「フルモンティ」は、
「リトル・ダンサー」
「我が谷は緑なりき」
「ブラス!」
「フラガール」

などと並んで、不況と解雇の大波に押し潰されそうになりながら、ただただ我が子の幸せのために、自分が犠牲(ピエロ)になってやろうじゃないかと足掻いた親たちの、涙の一本だ。

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10年ほど前のことだが、
僕の勤める会社では 創立以来初めてのリストラがあった。
取引先は支払い額を3割下げ、消費税と燃料代は非情にも上がり続け、僕の手取りも3割減った。

リストラが始まり、
「なんとか自分が生き残れるために必死だった」し、
恥ずかしいけれど正直に告白すれば「誰かがへまをして僕の代わりに首になってくれること」を僕は祈っていた。

(「シンドラーのリスト」だったか、「ライフイズビューティフル」であったか、“ガス室の死の選別”を逃れるために、女たちは指先を切り、頬に血を塗って“血色良さそうに”運動場を走り回っていたよね。転べば終わりなのだ。よろめく姿を見られたら終了なのだ。
ガス室なのだ。

ー あの絶体絶命のシーンを当時仕事をしながら思い出していた。
黒い手帳を開いた監査役がずっとこちらを見ている。
冗談ではなく必死だった )。

失業できない理由が僕にはいくつかあった。

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中略

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・・だから僕は何があっても失業してはいけない。
そんな綱渡りの時期の、背水の陣での、リストラのさなかに観た映画がこの「フル・モンティ」だったのだ。

気を抜くと切迫感で膝がガクガク震え出し、責任の重さでどうにかなりそうだった。
寝ないで働いたから、体を壊して通院しながらの金策だった。

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劇中、
男たちは弱いよね。
⇒自尊心と責任感があったぶんだけ、逆境と自分の不甲斐なさに亭主たちは苦しみうめいている。
妻や子供を守り切れなかった「プライドも甲斐性もズタズタ」の駄目男たちの姿だ。

女たちはその男たちの弱さをよーく知っている。
それゆえ、それだからこそ、
「その街に、そしてそれぞれの家庭に、忍び寄る失業の不安の影を (ともすれば不安に押し潰されて叫びながら逃げ出してしまいたくなるようなその心細さを) みんなでストリップでもやって大声で笑い飛ばしてやろうや!」
と言うのだ。女たちは。

あのステージ。
女たちのはしたないほどの腹の底からの笑い声と、それに応えた全裸の男どものステージに、
僕ははからずも、胸迫って、ひとりアパートで声を抑え切れずに泣いてしまった夜だった。

切羽詰まった弱い男たちを、素っ裸にしてやって、自殺や失踪から救ってくれるのは、これは逆説的だけれど、気持ち相容れずにいてくれる (男から見れば無神経で図太くて心通わない)、そんな女たちの腹の底からの大笑いなのかもしれない。

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中略

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「若い頃の苦労は買ってでもしろ」と言うけれど、たとえ世間知らずで終わったとしても、大人たちが体験した辛過ぎる苦労の日々は、我が子には味わわずにいてもらいたい。
「フル・モンティは面白いギャグ映画だ」とずっとあいつには言っててもらいたいと僕は思う。

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きりん