ブリキの太鼓のレビュー・感想・評価
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仮に人種・民族や国民の融和への想いもあったのだとしたら、クストリッツア監督の「アンダーグラウンド」の方が…
カンヌ国際映画祭パルム・ドール
(地獄の黙示録と同時受賞)、
アカデミー外国語映画賞、
キネマ旬報ベストワン、
の各賞受賞という、
世界中で支持された作品のようだ。
若い頃に観た時の記憶としては、
ただただオスカルの太鼓を叩いての叫び声に
よるガラスの破壊のシーンの印象が強く、
ナチス支配の時代的背景も分からずに
観ていたのだろうと思う。
その後、アンジェイ・ワイダ監督作品
も含め、ポーランドの時代的背景に
少しばかりではあるが理解が進んだ中での
今回の鑑賞になった気にも。
それでも、改めての鑑賞では、
ポーランド人・ユダヤ人・ロシア人
・ドイツ人に加え、
当時はカシュバイ人という存在も
現代でいうグタニスクという町にはあり、
複雑なヨーロッパでの人種構成を
思い知らされることとなった。
また、ガラスの破壊やエロチックなシーン等
の軽妙な印象からは懸け離れたような、
実は作品全体が重苦しい作風だったことには
大変驚かされたが、
今回の鑑賞では、誕生前から自我があり、
それ故に大人の歪んだ世界を知ってなのか、
大人になることを拒否した
オスカルの目を通して、
原作者や監督が何を伝えたかったのかに
注力して鑑賞を続けた。
しかし、間違う存在としての大人
との見立てはありそうだが、
大人だからこそ間違う存在とまでは
表現し切れてはいないようで、
成長を止めたオスカル目線のこの物語の
原作者や監督の意図を掴みきれなかった。
また、他にも分からないことが多く、
ナチスの集会で行進曲をワルツに変え
踊り出すシーンや、
イヤなものはイヤとして
魚を食べないオスカルの母親の姿勢は
自由への希求の象徴で、
しかし、その後、
その魚をむさぼり食べ始めるのは、
イヤなことではあるが、
ナチス支配を受け入れ始めたとする
例えなのだろうか。
更に、少し疑問だったのは、
小さい人々による戦地慰問のシーンが
出てくるが、
ナチスのゲルマン民族優性人種主義の史実
もあり、実際はどうだったのだろうか。
どこまでのウエイトがあったかは分からない
けれど、もし仮に、この作品に人種・民族や
国民の融和への想いもあったのだとしたら、
旧ユーゴスラビアの話ではあるが、
私は、ラストシーンも感動的な
エミール・クストリッツア監督の
「アンダーグラウンド」の方が好みではある。
時の権力に翻弄され、日和見的に思想や信条を日々変化させる狡猾で不甲斐ない大人たちをシニカル描いているのが秀逸。
早稲田松竹クラシックスvol.235/『退廃する街で』と題した特集上映にてフォルカー・シュレンドルフ監督『ブリキの太鼓』(1979)、ルキノ・ヴィスコンティ監督作品『ベニスに死す』(1971)の2本立て鑑賞。
『ブリキの太鼓<劇場公開版>』(1979年/142分)
高校生以来、実に35年ぶりの鑑賞。
当時は『オーメン』(1976)や『キャリー』(1976)、『ブラジルから来た少年』(1978)、『チャイルド・プレイ』(1988)のような子どもを題材にしたドイツのホラー映画と勘違いしてレンタル、仰天した思い出がありますね。
産まれた時から大人顔負けの知性を持っているプロットは、市川崑監督『私は二歳』(1962)や『ベイビー・トーク』(1989)に近いですが、3歳で成長することを止め、「子どもの着ぐるみ」を着ながら、冷静に大人の目線で世間を洞察。
第1次世界大戦~ナチス政権下~敗戦までの激動のドイツを、時の権力に翻弄され、日和見的に思想や信条を日々変化させる狡猾で不甲斐ない大人たちをシニカルに描いているのが秀逸。
ファンタジー、寓話的な作品に見せかけ、当時の国家の方針が決して政権だけでなく、民衆も積極的に賛同したことをきちんと描かれている点はドイツ映画としても珍しいですね。
カンヌ国際映画祭パルム・ドール賞、アカデミー外国語映画賞を獲得したのも納得です。
怪奇地獄大劇場
オスカルの顔が‥
主人公のオスカルは3歳で自ら望んで成長を止める。また、叫ぶとガラスなど割ると恐ろしい能力を秘めている。
ストーリーはオスカルの視点から始まるが、1920年〜40年のダンツィヒ自由市(現ポーランド・グダニスク)第2次世界大戦前〜後に展開して行く。
オスカルの記憶として祖母の妊娠から母親が産まれる。その母の胎内にいる頃から大人の行為に嫌気がさしている様子で記憶は鮮明に出産シーンが写し出される。
顔は初老の老人の様な顔立ちで愛くるしさには欠けている。成長していくが大人の性的な行為や振る舞いを見ては自分は大人になってたまるかと、成長を止める口実となるように階段から転落する。
突っ込み所満載ですが、ファンタジーとして観る作品ではない。
オスカルはとにかく可愛くないです。授業中でも太鼓を叩き、注意すると叫びガラスやメガネを割りまくる。
今で言うアダルトチルドレンであり、責任を取りたくないから?3歳児に設定したあたりは、なかなか微妙なラインに感じる。
恋愛感情に自由放漫に映る母が死に、従兄が銃殺されてもオスカルは10代後半ぐらいに成長しているはずだが我が道を行く感じには同情しがたい。
しかしとうとう終盤に父親が亡くなり完全な孤児になった事に気づいてしまう。
今更だがここで太鼓を父親の遺体と共に葬りさる事で、オスカルの成長が進み始めると。
当時の複雑な現状を観たく無いもの、逃げ出したい現状を子供の視点から上手く表現されている作品だと感じる。
人種的な問題、ドイツ人・ポーランド人・ユダヤ人・祖母は少数民族の(カシュバイ民族)と様々な民族が暮らす中でナチスが侵略してくるが、オスカルの周囲の人間が翻弄され最悪な最後を迎えて行く。特に母親が影響を受けたのでは?旦那がナチスに積極的に参加、関係を持つ従兄はナチスと対等する、母に思いを寄せる玩具店のユダヤ人の3人の男性の間で翻弄され苦しみ死んでいく。
そして強く印象にあるのが、小人症との関わりで彼らは自分を上手く利用して生き延びている。終盤オスカルとの別れのシーンでボロボロの街中を走るトラックで手を振る姿に力強いものを感じてしまった。
この作品は実にファンタジーな作品でもあるが皮肉でブラックユーモアが効いている、観客にいろんな感情を抱かせる事は間違い無いでしょう。
見た目が3歳の大人
すべてはダンツィヒから始まった。
第二次世界大戦の最初の被害者にして、最も長く戦火に苛まされたりポーランドの泊まった時間を、1人の少年の成長に置き換えた発想力には驚かされる。
歴史を遡るとき、表現としての醜悪なシーンは、歴史が凄惨であればあるほどアートの文脈に置いては正当化されるように思う。
奇跡と幻滅の間で
久しぶりの鑑賞となったが、今回の方が初見時よりも色々な意味で衝撃が大きかった。
映画としての芸術性の高さや、内包する圧倒的な熱量から紛れもない傑作であることは間違いないのだが、手放しに賞賛できない問題を抱えた作品であるとも思った。
その個人的な見解は後ほど述べるとして、物語は3歳で成長を止めてしまったオスカルの視点で進んで行く。
とにかくグロテスクな描写の多い作品だ。
オスカルはもう生まれた時点で世の中のこと、大人の世界の醜さを分かっている。
母親の胎内に戻ることが叶わないと悟った彼の望みは、大人にならずに子供のままでいること。
3歳になったらブリキの太鼓を買ってあげるという母親の言葉だけを楽しみに、彼はとりあえず3歳までは成長する。
そしてブリキの太鼓を手に入れた彼はある日事故を装い、そのせいで成長が止まってしまったのだと大人たちに錯覚させる。
片時も太鼓を離さないオスカルは、それを取りあげようとする大人がいれば奇声を発してガラスを粉砕する。
これがオスカル少年が授かった力だ。
とても強力だが彼が壊せるのはガラスだけ。
後にそんな彼の力がとても無力なものであることを思い知らされる。
さて、オスカルの目に映る彼の拒絶する大人の世界とはどんなものか。
彼の母親のアグネスは従兄弟のヤンと料理人のアルフレートの二人に惹かれている。
実際に彼女が結婚するのはアルフレートの方なのだが、果たしてオスカルの父親がどちらなのかは分からない。
オスカルはアグネスがアルフレートに隠れてヤンと関係を持っている現場を目撃してしまっている。
それはやはり彼の目には裏切りと映るのだろうか。
時代がナチスドイツへと傾倒していく上で、アグネスが愛情の有無はともかくアルフレートの側を離れられなかったという事情には納得出来る部分もある。
アルフレートは熱心なナチス党員であり、ヤンはポーランドの血を引いているために抑圧される側の人間だった。
ユダヤ人でおもちゃ屋の店主であるマルクスは、密かにアグネスに想いを寄せており、彼女の味方になって色々とアドバイスを送る。
そんなマルクスにオスカルも懐いていた。
しかしマルクスは後にナチスによって殺害されてしまう。
アグネスが魚を食べ続けるという過食症によって亡くなるシーンも衝撃的だったが、彼女が耐えられなかったのはやはりオスカルへの罪悪感だったのだろうか。
ヤンも反乱軍に加わったために銃殺されてしまう。
そして力を持っていたアルフレートも、やがて戦況が大きく変わったことで窮地に立たされる。
そして最後は無惨な死を遂げる。
実はアグネスの死にも、ヤンの死にも、アルフレートの死にも、オスカルはかなり直接的に関わっている。
実はオスカルは死神のような存在なのではないかとも思ってしまった。
常に目を瞠るような表情が不気味なオスカルは、正直まったく可愛げがない。
これは演じるダーフィト・ベンネントが役にはまり切っていて見事なのではあるが、それがかえって複雑な気持ちにもさせられた。
一応映画の中ではオスカルは見た目は変わらないが年を重ねているという設定になっているが、演じる役者はずっと10代のダーフィト少年のままなのだ。
映画の中盤以降はかなり際どい性的描写がある。
特にオスカルの初恋の相手マリアとの絡みは、今なら絶対に許されないだろう。
確かに傑作を残すために自分の人生を犠牲にしてきた人たちはたくさんいるだろうが、それがまだ自分では人生を決められない子供のこととなると話は別だ。
ダーフィト少年の情報はほとんど知らないのだが、この作品以降に彼が目立った役を射止めたという記述はどこにもない。
事実は分からないのだが、この映画の印象があまりにも強すぎるために、その後にイメージを払拭するのは難しかっただろう。
マイノリティに対する偏見とも取れる描写もあるが、これは原作者のギュンター・グラスの生い立ちが影響している部分もあるのだろう。
今の時代だからこそ感じる複雑さもあり、これがもう二度と作られない傑作であることに敬意を表するものの、もう二度と作ってはいけないのだと考えさせられる作品でもあった。
個人的には冒頭でアグネスの母親がスカートの中に放火の常習犯を匿い、そのまま妊娠するシーンが一番印象に残った。
二つに挟まれて翻弄される叙事詩的物語か
この物語が描かれるダンチッヒは、現在ポーランド領であるが、ハンザ同盟の都市であり、プロイセンの貿易港として発展した都市。ポーランドとドイツの力関係で、領有が行ったり来たりした都市で、複雑な事情を抱える街。一方、この主人公オスカルの家系も、祖父は放火犯の犯罪者であり、そこから生まれた母は、料理人のマツェラートと従兄弟のヤンとを天秤にかけ、どちらにも色目を使っている。国の事情と相似の関係にも見える。オスカルは、色と欲が横行する大人世界に嫌気がさして、3歳の誕生日に自ら成長しないことを望み、階段から落下する。父マツェラートが地下室への扉を閉め忘れたのをなじった母アグネスは、その後、従弟のヤンと不倫関係に陥る。人間の欲望が充満して、破裂すると戦争が起きるっていう繋がりなのかもしれない。
オスカルは、この映画では、この映画では狂言回しの役でもあり、事件や人の死のきっかけを作っている。アグネスとヤンとの不倫関係、母アグネスの死、ヤンの死、父の死、コリヤイチェクの死など。悪気のない悪戯に見えるが、悪魔的にも見えるところがあった。
成長を止めたことで、オスカルは人間関係から隔絶されて、客観的でシニカルな視点で、この第二次世界大戦前後のダンチッヒを描き出している。
性的なシーンも多く、砂浜で漁をしていた漁師が牛の頭蓋骨を餌にして、ウナギを引き上げるシーンは、特に記憶に生々しく残る。戦争のあった時には、大きなウナギが上がるということは、人間の死体を食らったウナギが肥え太って上がるということか?これは、戦時の贅沢な食事は、犠牲者によって賄われているという比喩か。アグネスが、それを見て吐き気をもよおし、その後、自暴自棄になって死んでしまうのが印象的だった。自分たちのグロテスクさに耐えられなくなったかのよう。
オスカルは、同じく小人のマルクスなどと気心を通じさせて、彼ら独特の世界を作るのも狂気じみていた。体の大きさが、色と欲の大きさを表しているかのようで、小人たちは、人を喜ばせる道化を演じながら、決して大人のような汚い世界には生きないと宣言しているかのよう。戦時下において、純粋さを守るためには、別な世界を作る必要があるのか。
父の死によって、カシュバイ人の縛りがなくなったオスカルは、自ら受け入れて、成長することを選び取る。カシュバイ人は、著者ギュンター・グラスの母の出身地とか。「ブリキの太鼓」は、彼の成長とともに感じた心理面を映し出した小説なのかもしれない。
ダークサイド版フォレストガンプ
タイトルなし(ネタバレ)
ナチス・ドイツの集会でジーク・ハイルを演奏する。そこへ少年の小太鼓が別の拍子をとって無理矢理に参加。
いつの間にか、音楽は「美しき青きドナウ』となって、集会人々がワルツを踊る。
フリークスがノルマンディーのトーチカの上で宴会をする。
その時、連合軍が上陸をする。爆弾の雨あられ。
オスカルが恋人のロビスタを亡くしてしまう。
フリークスの団長が一言「コンクリートの上で踊っては駄目だね」
ナチス・ドイツと社会主義ポーランドに挟まれたカシュバイ人の話だが。
原作を読んで無い。原作は全く違うようだが。
だから、映画だけの評価で言えば。コノくらいかな。
多分、二回目の鑑賞。
エロスと生命力を突き詰めたドイツ的表現のグロテスクの魅力
成長とは不自由を甘受すること
かなり高等な知識と議論を要する脚本だった。
嫌いではないが、鑑賞後に感想を分かち合える人がいて良かったと思う。
映画を観ていた時はピンとは来なかったのだけれど、先日コレの演劇を観た。
深作健太演出「ブリキの太鼓」
……素晴らしかった。
俺は演劇よりも映像派だ。
色々理由はあるけれど、映像の方が楽しいと思ってる。なのだが…この演劇「ブリキの太鼓」に関しては、映像が霞む程の完成度だった。
50人程の劇場だったのだけど、その空間に最適な演出の目白押しだった。
映画も少年の視点を通して語られるけど、舞台の方は1人芝居だった。
解釈は違うのかもしれないけれど「3歳で成長を止めた」その理由と、大人にならざるを得ない苦渋がヒシヒシと伝わってくる。
誰かのダイレクトな解釈に身を任せるってのも、いいもんだ。
不気味で衝撃的な映画。 オスカルが生まれるシーン、気持ち悪いスープ...
一芸が身を助ける?
生理的に受け入れられるか否か
評価5の映画史上最高傑作10選+α
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